本当に凄い人(その1)
先日、信濃毎日新聞に中山道についての記事が掲載されました。私は、小さい頃から桟から町に繋がる旧国道が“旧中山道”と思い込んでいました。恐らく町民の皆さんもそう思っていた方がほとんどであったのではなかろうかと思います。
上松にとって、一昨年の「日本最古のクリ」の発見以来の歴史的なものの発見であり、昨年の御嶽海優勝以来の嬉しい出来事だと思います。
新聞記事を見た方は知っておられると思いますが、上松市街地への北側入り口の笹沢地籍から新茶屋の間、約500メートルの山道、といっても普段はほとんど誰も通る道ではありません。
上松の市街地に北から歩いて入る場合、現在ネックとなっているのが、国道バイパスとJRが交差する所に歩道が無く、歩くと危険であるということが指摘されておりました。
今回報じられた内容は、その道が江戸時代に日本全国を測量して歩いた伊能忠敬の測量図と一致したというもので、その意味で本当の中山道を発見したというものです。
その地図を現在の町の状況と照らし合わせると桟から町の旧中山道と伝えられている上町から見帰、寝覚そして木曽八景の一つ小野の滝、倉本まで実にそのままでした。
この事実を見つけた 観光協会のM事務局長の嬉しそうにその事を話してくれました。私もその踏査に同行したかったのですが、都合がつかず残念でした。
新聞報道後、県内はもとより北海道の伊能忠敬を研究している方などから問い合わせがあるなど反響があったとの事です。測量して全国を歩いた伊能忠敬のその測量精度の高さは時間を経た今でも高く評価されています。
本当に凄い人伊能忠敬については、その2で綴りたいと思います。
▽笹沢から上松宿を望む。桟の難所を抜けて来た旅人はきっとこの風景を見てホッとしたものと思います。
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