杞憂と想像力と創造力

大屋誠

2020年02月24日 08:09

 この所、連日のように新型コロナウイルスの話題がトップニュースで出ています。国の対応の遅れとか対処の仕方とかテレビのコメンテーターに様々な指摘する声があります。
 国全体を預かる政府としての評価はちょっと横に置いて私なりに考えてみました。私がウイルスについて一番最初に関心を持ったのは県立木曽病院に勤務した時のことです。
 どういう流れでその話題になったかのかは忘れてしまいましたが、当時の県立病院機構の勝山理事長(元信州大学病院院長)さんとの会話の中で鳥インフルエンザウイルスの話になり、勝山さんが「大屋さんウイルスと言ったて、人類の知っている種類なんてその中の一握りにもならないんだよ。野生の動物には未知の物がほとんど、しかも、ウイルスは変異すんだから把握するだけでも難しい」と言った内容でした。
 それを聞いたときに私は中国の“杞憂”という故事を思いだしました。杞憂は「無用な心配をする事」、「取り越し苦労」と言った意味で使われます。元々は古代中国の“杞”の国の人が天が落ちてきたり、地が崩れるのではということを本気でいつも考えていて夜も眠れなかったという故事です。
 第一次世界大戦も鳥インフルエンザの一種のスペイン風邪で戦争継続が出来なくなって終戦の一因となったことは知られていますが、目に見えないウイルスが引き起こす脅威は科学が発達した今でも同じと云えます。
 世界的な大流行によるものは“パンデミック”と呼ばれています。そうしたことが引き起こされ無いように政府は対応して貰いたいと思います。
 また、私も自治体を預かるものとして住民への注意喚起、そして個人情報に配慮しつつ出来る限りの情報を伝えていかなければなりません。
 今回の国の対応として大きな問題点の一つとして情報発信が国民にきちんとされたかという事があると思います。各自治体の発表の仕方にも差があり、時間を追うごとに対応が目まぐるしく変わって行くことはやむ得ない面もあるかもしれませんが、新型インフルエンザなどは10〜40年に一度は起こるといわれている中、もっと問題点を論議し、具体的な対応を講じておく必要があったのではないかと思います。

 危機管理の難しさは後の検証でいくらでも云えますが、事態が動いている時にはもっと先を考えておくことが求められる事です。武漢を始め、恐らく医師、看護師、検査技師など医療現場は本当に戦場のような様子だと断片的な情報の中で思います。
 自らの命を守り、そして住民の命が託されているという使命と責任という精神論だけでは対応出来ないと思います。今、現実に立ち向かっている各国の医療現場、対策本部の皆さんに心から感謝とエールを贈りたいと思います。
 指導者の皆さんは是非“杞憂”ではない現実を思う“想像力”とそれに対応する“創造力を持って対応をするようお願いします。
 追記 19日に町では対策本部を立ち上げました。当面は、情報収集と住民への周知、公的施設出入り口の消毒のお願い、職員に高熱者が出た時の対応の注意喚起などです。

△上松の空は、今日もいい碧でした。



 
 

関連記事