恩師逝く(津送[しんそう])しめやかに
昨日、寝覚の床を臨む臨川寺の前住職の見浦大和尚さんの津送(しんそう)があり参列しました。津送とは港で送ること、特に禅宗では和尚の葬儀のことと配られた生前の遺徳をしのぶ資料に説明がありました。
見浦大和尚さんとはお寺さんの関係というよりも上松中学校の恩師と教え子という関係のお付き合いと言った方がいいと思います。見浦先生は臨川寺の住職となられる前に上松、開田中学校で国語や社会科を教える教員として22年間務められました。
私は直接担任としてではなく、社会科の先生として教えて頂きました。中間テストや期末テストで用紙を返し、答え合わせの時に単に「ア」とか「イ」という訳でなく「イチゴミルクの 『イ』」と言って答え合わせをした事が何故か頭の中に強烈に残っています。ただ、教えてもらった事を思い出そうとしても思い出せません。「先生不肖な生徒で申し訳ありません」と手を合わせました。
いわゆる教師ぶった事がない洒落っ気、洒脱な先生で教え子に慕われていました。私が卒業した翌年に教師を辞められたとお聞きし、寂しい思いをした記憶があります。恐らく先生は実家のお寺で急に葬儀などがあると休まなければならない事に同僚や生徒に迷惑がかかるという事で身を退かれたのではと思います。
4年前、還暦を迎えて同級会を開催する折、案内状を持っていくと「脚が不自由なので欠席する」と固く断られたので、担任をやっていた女子に責任持って先生連れて来いと言ったら出席いただける事になった。
当日、恩師から一言ずつ言葉をいただきたいとお願いした時にイスを後ろに用意したところ、「そんなものは要らない」と怒られたこと、予定で3〜5分くらいのスピーチをお願いしたつもりが20分くらい時事ネタを交えて話されました。まさしく“法話”でしたが、変わらない先生の姿を見て皆一安心しました。
元気な先生の姿が今でも浮かびます。
合掌
△津送の様子です。
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