語り継ぐ(その2)
その日、ある女性が私の職場を訪ねて来ました。前日に新聞社から発刊された中国残留孤児の写真付きの本を見せて欲しいとのことでした。
確か開くとA3くらいの本で5〜7センチの分厚い本だったと記憶していますが、その本を見せて欲しいとのことでした。白黒の顔写真に別れた時の経緯(とは言っても養父母の話で聞いた事)が書かれていました。
女性は、丁寧にページをめくりながら見ていましたが、余りにも厚いページ数で、そのうちに「ゆっくりと見たいので貸して欲しい」とお願いされました。
その本は一冊しかないので困惑しましたが、あまりにも真剣な眼差しに上司と相談して期限を区切って貸し出すことで約束して貸し出しました。
彼女の話をお聞きすると、中国に満州開拓団で渡って終戦の逃避行の折に別れてしまった娘さんをずっと探しているとの事でした。肉親探しの訪日団が来るたびに東京へもいつも出て行って手がかりを探しているとの事でした。
そんな中での肉親探しですので、はっきり言って難しいと思っていましたが、何と貸し出した翌日に彼女から興奮気味に「娘がいました!どうしたら良いですか?」と電話がありました。
訪日調査での難しさに“刷り込まれた記憶”というのがある事も知っています。つまり、別れた時があまりにも幼い故に周囲の他人が言ったことを本人の記憶としてしまうとかがあるので慎重にしなければなりません。
興奮気味に来た彼女を落ち着かせるように事情をお聞きました。聞くと別れた当時の状況が全く同じという事でした。でも、訪日調査で毎年東京まで行っていた彼女が娘と思しき人と会えなかったという事をお聞きすると、「毎年東京まで行っていたが、その孤児が調査に来日した時は手術して身体の調子が悪く行けなかった唯一の年でした」とのことでした。
聴取後、当時の厚生省に連絡を取り調査を進めてもらうことにしました。当時の直接の担当は私ではありませんでしたが、担当の先輩は「顔が瓜二つ」ということで、本当のお母さんであればと係員が皆んな思っていました。
その後、国の調査の結果、親子関係である事が判明しました。中国で別れてしまった経緯は家族全員が帰国する事は難しいと思った父が母親に話さず中国人の養父母に預けたとの事でした。それが元で帰国後、夫との関係がうまくいかず長男を連れて別れてしまったと彼女は喋ってくれました。
残留孤児として判明した娘さんは既に未判明孤児として我が国に帰って来ていたと記憶していますが、母は引き取って暮らしたいという希望はあったようですが、家族が反対したとお聞きしました。
父は「子どもを助けたい」、家族は「安心した暮らしができているなら」という事もあったのかもしれませんが、戦争で引き裂かれた家族の絆を思うと忘れる事が出来ない思い出です。
娘を思う気持ちと、ただ一回自身の体調が悪く毎年欠かさず行っていた訪日調査に行けなかった時に娘さんが帰って来ていたという事に運命のいたずらを感じます。
その後、そのご家族はどうなったのかは知りません。私は実体験としての戦争という記憶はありませんが、仕事を通じて体験した事があります。
私が伝えられることは僅かかもしれませんし、プライバシーに関する事もありますので伝えきれないかもしれませんのでお許しください。
あと、もう一話後日伝えて行きたいと思います。