2024年05月14日

大火記念日行事(模擬火災訓練)

 昭和25年5月13日夜に発生した、後に“上松大火”と呼ばれる火災は折からの強い北寄りの風により瞬く間に役場、郵便局などの官公署を含む615戸が焼失した上松町史史上最大の災害となりました。
 これだけの大きな災害であったものの死者は出なかった事が幸いでした。しかしながら、当時の記録映像を見ると焼け跡に立ち尽くした町民の絶望的な姿は察するに余りある光景でした。
 あれから74年の歳月が流れました。町ではこの教訓を忘れないようにするため、5月14日を『大火記念日』と定めて模擬火災訓練を毎年実施してきました。近年は消防団員の仕事の関係もあるので、その日近くの日曜日に行われています。
 12日、その訓練が実施されました。訓練場所は下河原地籍に新しく完成した老人ホーム「木曽寮」の付近でした。
 下流の諸原橋の木曽川から取水してホース延長していくのには大変な労力が必要です。
△諸原橋の取水


△貯水槽に一旦水を貯めて一方で放出して送ります。


 道沿いに延長したホースを見ると先が遠い所にあることが分かります。手際よく延長するにはホースの持っていく先が自分の足で何歩で行くかなども考えて延長して行く必要があります。
△延長したホース


 また、機械操作者との連携、相手が見えないところで無線での円滑な情報提供収集、そして指示が的確でなければなりません。
△出動した消防車


 延長したホースの先では火先担当の団員が放水していました。
△黒い消防服は広域消防の皆さんです。今年も参加して頂きました。広域消防も女性署員を募集しており、この日は一名が出動していました。


 訓練後、諏訪神社で“鎮火祭”が行われました。挨拶の中で先の能登半島地震の際の輪島市の火災に触れ、消防設備や機材が近代化してきても、何が起こるか分からない事がある。そうした事態に対応するのが今日のような訓練であることと編成式で新たな団員となった方、また幹部として任命された方にとってもこの時期の訓練は有意義なものであると話させて頂きました。
 公民館の駐車場では火災の煙体験テントがありました。出てきた皆さんは口々に『本当に何も見えなかった』と云っていました。
 私も以前に体験したことはありましたが、久し振りにと思い、入りましたが本当に見えませんでした。煙は甘い良い匂いがしていましたが、これが実際の火災ではビニールや化学品の焼けるものとなるので改めてその怖さを知りました。
△体験テント




 今年こそは無火災でと気持ちを新たにする訓練となりました。
 明日からはポンプ操法訓練が始まります。消防団員の皆さんには体調管理には気をつけてください。
  
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Posted by 大屋誠 at 07:21Comments(0)上松町

2024年05月11日

伊勢楽市

 伊勢の出張も2日目を迎えました。今日は観光協会が出店しているので職員の激励と楽市の様子、そして上松と同様にNOTEさんが民泊事業を進めている昨年お世話になった河崎町商人館を訪問しました。
△市が始まる前の様子。上松ブースです。


 その前に外宮に参拝しましたが、おかげ横丁がある内宮と違って人も集中しておらず気持ち良く参拝させて頂きました。
△外宮の様子


 外宮には第62回式年遷宮を記念して『せんぐう館』があります。ジオラマなどの他、実物大の社殿がありその大きさを実感出来るように展示されています。
 写真撮影は出来ないので残念ですが、木曽ひのきが使われているのは嬉しい限りです。
 外宮お参りの後、楽市の会場に行くと人が集まって来ていました。外宮は神前に上げる御饌(みけ)を司る豊受大神宮が祀られており、それだけに市が食べ物に関しては盛り上がりを見せています。
 市が始まるに連れて徐々に人が集まって来ましたが、一番並んでいたのが答志島のチリメンジャコのブースでした。
△こんな感じです。


 後で訪れた河崎町商人館で聞いたところによると、答志島のチリメンジャコはとても美味しいとの事で、買えなかったのが残念です。
 伊勢楽市を後にして河崎町の商人館に高橋理事長をお訪ねしました。冒頭の紹介どおり昨年NOTEさんが手がけている民泊を進めようとしている団体です。
 高橋理事長との挨拶だけと思いましたら、伊勢市で若き女性経営者として活躍する村田さんにもお越し頂き歓談をすることが出来ました。
 村田さんは前回、前々回と式年遷宮に神宮側の重責を担って活躍された方とお聞きしました。前々回は大学時代にお父さんの秘書的な役割だったそうで、右も左も分からないうちに関わったと懐かしそうに話しておられました。
 河崎町は勢田川の水害で被害を受けた後にまちづくりを進めて来ました。対岸側が新しいまちづくりが進む中、古いお店が残り、それを活用する道を探るべき現在まちづくりを進めており、内宮のおかげ横丁などとは違う視点で伊勢の発展を進めており、当町としても参考になる試みだと思います。
△伊勢河崎商人館と周辺の様子




 商人が行き来した商家を改造したところで売っていた木工品に目が留まりました。聞くところ、伊勢の春慶塗りですが、下地の木は、木曽上松で作ったものですと紹介されました。こうした出会いは嬉しい限りです。
△木工品




 伊勢への2日に亘る旅は木曽との縁を感じる旅となりました。

おまけ)


 帰路、伊勢市駅の近くで地区住民に知らせるこのような貼り紙がありました。次回の第63回伊勢神宮式年遷宮に関するものですが、伊勢の皆さんの思いが伝わって来ました。


  
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Posted by 大屋誠 at 15:32Comments(0)

2024年05月10日

伊勢神宮三ツ紐切り保存会同行記

 9日は雲ひとつ無い澄み切った青空の下、三ツ紐切り保存会の皆さんが伊勢において技術講習を行うという事で同行しました。
△途中、恵那SAで望む御嶽山


 保存会はこれまでも伊勢神宮の神宮林でこうした講習会を行ってきており、その度に日程調整ができず残念でしたがようやく念願が叶いました。
 今日は中津川市付知の裏木曽の保存会の皆さんと一緒の講習会で、木材を提供してくれる伊勢神宮のご配慮に心から感謝申し上げます。
 この講習会は7年前と記憶していますが、当時の小松大宮司さんに御杣始祭を再度木曽上松、裏木曽の中津川でという事でお願いしてきた際に地元の熱意を伝えるために御杣始祭で用いられる伐倒方法の三ツ紐切り(三ツ緒切りともいう)を若い人が保存会を創って活動している事を伝えました。
 その時、伊勢神宮備林を使って中津川市とともに講習会みたいなものが出来ればと話した事があり、それが伊勢の地で実現したものです。
 伊勢の集合場所である土場に着きました。伊勢神宮所有の土場は一町步(3000坪、約9900㎡)という広い面積に財が積まれていました。木材は一般に売り出されているそうです。
△土場の様子


 今日の実習地である神宮林は距離的には内宮のすぐ近くにありましたが、土場から30分程度かかる山中でした。
△始まりの会


 いよいよ斧入れです。皆さんの斧(杣はヨキと云います)は刀の刃のような白光りした手入れのほどが伺える代物です。
△手入れした斧


△移動する時などは刃から安全を確保するため麻で作られた保護用に編んだものを被せます。


 今日は杣頭を中心に4班に分かれての実技です。杣頭、前回もやっている方の斧の入れ方は流石というか腰の入り方が違います。
△少しずつ斧が入ります。




 下段の写真は同行した町職員です。未来のソマになれる?
 一時間と少し経過してようやく三方からの穴が通じるようになりました。
△空いた様子




 杣頭が伐倒方向を最終的に確認して追いヅルを切る準備に入ります。


 「大山の神〜左ヨキ横山一本寝るぞ〜!いよいよ寝るぞ〜」の声とともに追いヅルを切ります。
△寝かせられるひのき




 御神木は敬う念を込めて切る、伐るという言葉ではなく『寝る』と云います。昔の人の自然に対する気持ちが表れている言葉だと思います。
 明日も実技が続きます。怪我の無いように安全に当初の目的を達成してください。
 私は外宮周辺で開催されている“伊勢楽市”に出店している上松ブースを周り以前お世話になった高崎町の商人館を訪れる予定です。
 


  
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Posted by 大屋誠 at 11:18Comments(0)

2024年05月09日

観光地域づくり計画事業報告会・説明会

 9日、観光を通じて持続可能な地域づくりを模索する『観光地域づくり計画事業報告会・説明会』が役場大会議室で行われ参加しました。
 昨年1月に全国31地区で民泊事業を展開するNOTEさんと関西電力の子会社であるKANSOさんとの間で三者による包括連携協定が結ばれました。
 今日は、令和5年度において観光地域づくり計画の策定に向けて基礎調査などを行ってきた結果の報告と令和6年度の計画策定の説明がありました。
 また、藤原社長さんから『上松町における今後のまちづくりの方向性』と題し、京都の丹波篠山市の取組み事例の紹介がありました。
△藤原社長の話


 『危機感ありますか?』、『最後のチャンスかもしれない』というインパクトのある言葉は恐らく社長さんがその覚悟を求めたものと思います。この日は行政職員がほとんどでしたので、職員に向けての言葉として捉えた人が多かったかもしれませんが、今後“地域づくり開発会社”を立ち上げていく際には、観光協会、商工会、金融機関、地域業者、建物所有者など町全体で取り組む必要がある事から町全体に投げ掛けられたものと思いました。
 丹波篠山もそうですが、20〜30年かけての長年の取り組みが実を結んで現在があります。上松町の未来をかけたプロジェクトとなります。  
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Posted by 大屋誠 at 16:00Comments(0)上松町

2024年05月06日

猟友会上松支部総会

 GWもあっという間に残すところ2日となった5月5日、午後から木曽猟友会上松支部通常総会があり、ご案内を頂いたので出席しました。
 猟友会の皆さんには有害鳥獣被害対策実施隊などで御協力を頂いています。クマの出没時などには緊急で出動して頂くことに加え、銃器を扱い時には襲われる危険性もあります。
 人口が少なくなり鳥獣への圧力が減る中で、年によっては山に主食となる木の実が不作の場合には人家近くに出没するケースがあります。
 人家に出没するや目撃情報が増えたことが即、個体数が増えたと考えることは出来ないと研究者の方に聞いた事があります。
 昨年、秋田県を中心とした東北地方で人が襲われた事件が多発したことは以前のブログでも紹介しましたが、人が生息地である山に山菜取り等で入ることによって起こる事件、エサとなる木の実などが無い時期や不作の年にエサを求めて人里に来て遭遇して起こす事件などケースは様々です。
 子連れのクマは一番危険である事は聞いた方もあると思いますが、私自身も実際に体験した事があります。と云ってもクマの姿は見え無かったのですが、逆にそれが一番危ないケースです。
 家族とキノコ取りに出かけて、人家が直ぐ近くにある場所に入ってキノコ取りに夢中になっていた時、左から20〜30メートルくらいの所から「キャン、キャン」という犬の鳴き声らしきものが聞こえました。『こんな山に子犬でも連れて来たのかな〜?』と思っていたところ、今度は反対の右から「グ〜!グ〜!」と地の底から響くような唸り声が聞こえて来ました。
 クマだ!と直感した私、しかも子連れ!芸人さんではありませんが、『ヤバいよ、ヤバいよ』と心で叫びながら同行した人の名前を大声で呼びながらその場を後にしようとしたところ、唸り声と犬の声はいつの間にか無くなっていました。
 慌てて去ろうとしたので、木の股に引っかかって抜けなくなり気はせくもののやっとの思いで抜いてすぐ近くの道路に出てきたという苦い思い出があります。
 姿を見てないからクマじゃなかったんじゃないと思う方もいると思いますが、何年か後になって同じような唸り声を聞いた時にはクマの黒光りするお尻をハッキリと見たので間違いではなかったようです。
 こうした体験を通じてみると、昼間であっても、近くに人家があっても、道路の近くであっても潜んでいる事があることが分かりました。またむやみに人を襲う事はなく警戒の唸り声を発する事で自分のテリトリーに入って来るなと言っているような気がする体験でした。
 昔の山伏や修験者が山に入る時に柏手をうち、錫杖という音のなる物を杖代わりに持っていたのも動物との接触を出来るだけ避ける意味があるのかもしれません。
 猟友会の会議のたびにそうした体験を思い出しますが、急にクマに遭遇した場合には『死んだマネ』は絶対やらない方が良いそうです。そして背中を見せて逃げても追って来て襲われるそうですので、じっと見ながら後退りするのが一番との事です。
 クマにとっては私たち人間は宇宙人のような存在で遭ったら怖くて襲ってしまうケースが多いのではないかと思います。
 ただ秋田県のようなケースは人を襲うことを憶えて人が食糧を持っているような事があれば学習能力の高いクマは再びそうした事件を起こす可能性が高まると専門家に聞いた事がありますのでそうした場合は対応しなければなりません。
 長野県はクマとの共生を通じて自然保護をするため、『お仕置き放獣』をして来ましたが、その方針を変えるのかが注目されています。
 猟友会の会合のたびにそんな体験を思い出します。
△大会の様子。挨拶する武居会長さん。


  
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Posted by 大屋誠 at 07:40Comments(0)上松町