2024年05月26日
赤沢を満喫(信州木曽・上松 赤沢森林浴大会)
26日、赤沢自然休養林において第67回赤沢森林浴大会が町観光協会主催で開催され、来賓としてお招きいただき出席しました。
この時期はちょうど梅雨入りの時期で毎年天候が心配されますが、今年は曇り空ながら暑くもなく、寒くもなく心地よい風が園内を吹き抜ける中でに大会となりました。
△参加者の受付風景

今回の参加者は人数は18人と少なかったものの、東京や栃木県などの関東圏から、愛知県からの参加者もおり遠路から参加して頂きました。
△会場には協力頂いている朝日新聞社さんの旗と木曽ひのきの里 上松の横断幕が迎えます。

ちょうど7〜8名程度の班分けとなりましたので、園内をガイドしてもらいながら、分からないことなどを聞くにはちょうど良い人数だったかもしれません。
森林浴大会はこの春の時期と紅葉を迎える年2回行われますが、秋の方が人気があるようです。澄んだ空気を吸い、全身にフィトンチッドを浴びる森林浴は春の新緑の季節も捨てがいものです。
この大会では、普段は立ち入り禁止となっている『千本立(せんぼんだち)、『奥千本』と呼ばれるひのきの美林に木曽森林管理署のご配慮により立ち入れることです。
△開会式が終わり各班に分かれて出発

△森林鉄道に乗車して丸山渡まで行きます。

△途中でガイドさんが普段は見落としそうな植物を説明してくれます。

△途中で天然林に特徴である立派な『根上がりの木』を見つけました。

巨石の上にヒノキの種が落ち、稚樹となって岩全体を覆うように育った木がありました。
△岩を掴む木

約1時間ほどで『奥千本』に着きました。ヒノキが文字どおり林立する様は圧巻です。
△木立を見る参加者

『奥千本』は千本立から少し奥まった所にありますが、ここで昼食となりました。美味しい空気と一緒に食すお弁当は何よりのご馳走です。
△私のお弁当

奥千本は標高1,240mの所にあります。この辺りはかつて伊勢湾台風により風倒木が多く発生した尾根近くにあります。
安土桃山時代から江戸初期にかけて築城、寺社仏閣造営ブームとなった頃、木曽の山が良材という事で“強度の伐採”が行われました。約8割程度伐られてしまったと聞いたことがありますが、江戸の初期に尾張藩の治めるようになってから保護されて今の美林があります。その歴史を紹介する案内板もありました。
△案内板と周辺の伐採跡


約4時間ほどの行程でしたが、ゆっくりと自然を満喫出来た1日でした。
遊歩道にはヒノキやサワラ、アスナロの樹の根が張り、足下に気を付けなければならない場所がありましたが、皆さん怪我もなく無事出発地に帰って来られました。
お疲れ様でした。
追伸)
秋の大会は、10月6日(日)に予定されています。また、前日5日(土)には全国森林鉄道サミットが開かれる予定で準備が進められています。
この時期はちょうど梅雨入りの時期で毎年天候が心配されますが、今年は曇り空ながら暑くもなく、寒くもなく心地よい風が園内を吹き抜ける中でに大会となりました。
△参加者の受付風景

今回の参加者は人数は18人と少なかったものの、東京や栃木県などの関東圏から、愛知県からの参加者もおり遠路から参加して頂きました。
△会場には協力頂いている朝日新聞社さんの旗と木曽ひのきの里 上松の横断幕が迎えます。

ちょうど7〜8名程度の班分けとなりましたので、園内をガイドしてもらいながら、分からないことなどを聞くにはちょうど良い人数だったかもしれません。
森林浴大会はこの春の時期と紅葉を迎える年2回行われますが、秋の方が人気があるようです。澄んだ空気を吸い、全身にフィトンチッドを浴びる森林浴は春の新緑の季節も捨てがいものです。
この大会では、普段は立ち入り禁止となっている『千本立(せんぼんだち)、『奥千本』と呼ばれるひのきの美林に木曽森林管理署のご配慮により立ち入れることです。
△開会式が終わり各班に分かれて出発

△森林鉄道に乗車して丸山渡まで行きます。

△途中でガイドさんが普段は見落としそうな植物を説明してくれます。

△途中で天然林に特徴である立派な『根上がりの木』を見つけました。

巨石の上にヒノキの種が落ち、稚樹となって岩全体を覆うように育った木がありました。
△岩を掴む木

約1時間ほどで『奥千本』に着きました。ヒノキが文字どおり林立する様は圧巻です。
△木立を見る参加者

『奥千本』は千本立から少し奥まった所にありますが、ここで昼食となりました。美味しい空気と一緒に食すお弁当は何よりのご馳走です。
△私のお弁当

奥千本は標高1,240mの所にあります。この辺りはかつて伊勢湾台風により風倒木が多く発生した尾根近くにあります。
安土桃山時代から江戸初期にかけて築城、寺社仏閣造営ブームとなった頃、木曽の山が良材という事で“強度の伐採”が行われました。約8割程度伐られてしまったと聞いたことがありますが、江戸の初期に尾張藩の治めるようになってから保護されて今の美林があります。その歴史を紹介する案内板もありました。
△案内板と周辺の伐採跡


約4時間ほどの行程でしたが、ゆっくりと自然を満喫出来た1日でした。
遊歩道にはヒノキやサワラ、アスナロの樹の根が張り、足下に気を付けなければならない場所がありましたが、皆さん怪我もなく無事出発地に帰って来られました。
お疲れ様でした。
追伸)
秋の大会は、10月6日(日)に予定されています。また、前日5日(土)には全国森林鉄道サミットが開かれる予定で準備が進められています。
2024年05月24日
治水砂防の願い
23日、上京して全国治水砂防協会第88回通常総会、長野県砂防講演会に出席しました。毎年、この時期に開催される総会ですが、能登半島地震において土砂崩れが至る所で発生した事や昨年も豪雨による自然災害が全国で起きた事から市町村長の関心は高いようです。
総会前に東北大学特任教授で元気象庁長官の西出則武氏から『地震津波の警報等について』ー令和6年能登半島を事例としてーと題した講演をお聞きしました。
△西出則武さん講演

日本付近では4枚のプレートが衝突していること、内陸の活断層などにより大地震が繰り返し発生しており、世界に占める陸地はわずか0.25%しか無いのにマグニチュード6.0以上の地震は2割以上が日本付近で発生している事などを改めて聞くと地震国日本がいかにそうしたリスクがあるという事を思い知らされます。
情報・警報等の流れでは、発生から自動発信で緊急地震速報が流れ、約1分半で震度速報、2〜3分で津波警報が発せられるそうです。ここまでは何回か私たちも経験していますので知っていますが、能登半島地震は16時10分頃に発生したという事は報道で聞いていましたが、その約13秒前に同じ場所でM5.9の地震が発生していたそうです。
また今回の震源地が内陸であったのになぜ津波警報が発表されたかということでは、震源地は最初にズレが起こったところを指しているが、実際の断層のズレはもっと大きく佐渡との中間地点まで及んでいた事で津波警報が発せられたとの事でした。
正月で私などゆっくりおせちなどを頂いて過ごして時でも気象庁の皆さんはそうした緊急時に備えていることを改めて知りました。
総会は令和5年度の事業報告、決算そして令和6年度事業計画と予算を原案どおり承認して終了しました。
△総会の様子

午後、県治水砂防協会講演会が引き続きあり参加しました。草野国土交通省砂防部長から『「いのち」と「くらし」と「みどり」を守る砂防』と題して、大野全国治水砂防協会理事長から『近年の土砂災害から学ぶ』と題して講演して頂きました。
草野部長さんからは能登半島地震への対応を中心にいDXを活用した砂防事業の推進など国土交通省が進めている事業について話がありました。また、砂防堰堤を使った小水力発電や観光資源としての活用を進めているとの話がありました。
△草野部長さんの講演

大野理事長さんからは土石流による人的被害が増加傾向にある、明瞭な地すべり地形を有していない箇所でも崩壊性の地すべりが発生しているなど最近の状況を踏まえたお話をお聞きしました。
△大野理事長さんの講演

続いて長野県を管内としている各砂防事務所から本年度の事業も含めた状況等について話題提供という事でお話をお聞きしました。
△木曽南部直轄事業を進めている森下多治見砂防国道事務所長さんです。

これから出水期を迎え土砂災害も危惧されます。自然のパワーには人間は逆らえないかもしれませんが、十分の準備をする事で受け流すことは出来ます。
6月20日には多治見砂防国道事務所と連携しながら大規模災害に対する訓練も計画されています。
総会前に東北大学特任教授で元気象庁長官の西出則武氏から『地震津波の警報等について』ー令和6年能登半島を事例としてーと題した講演をお聞きしました。
△西出則武さん講演

日本付近では4枚のプレートが衝突していること、内陸の活断層などにより大地震が繰り返し発生しており、世界に占める陸地はわずか0.25%しか無いのにマグニチュード6.0以上の地震は2割以上が日本付近で発生している事などを改めて聞くと地震国日本がいかにそうしたリスクがあるという事を思い知らされます。
情報・警報等の流れでは、発生から自動発信で緊急地震速報が流れ、約1分半で震度速報、2〜3分で津波警報が発せられるそうです。ここまでは何回か私たちも経験していますので知っていますが、能登半島地震は16時10分頃に発生したという事は報道で聞いていましたが、その約13秒前に同じ場所でM5.9の地震が発生していたそうです。
また今回の震源地が内陸であったのになぜ津波警報が発表されたかということでは、震源地は最初にズレが起こったところを指しているが、実際の断層のズレはもっと大きく佐渡との中間地点まで及んでいた事で津波警報が発せられたとの事でした。
正月で私などゆっくりおせちなどを頂いて過ごして時でも気象庁の皆さんはそうした緊急時に備えていることを改めて知りました。
総会は令和5年度の事業報告、決算そして令和6年度事業計画と予算を原案どおり承認して終了しました。
△総会の様子

午後、県治水砂防協会講演会が引き続きあり参加しました。草野国土交通省砂防部長から『「いのち」と「くらし」と「みどり」を守る砂防』と題して、大野全国治水砂防協会理事長から『近年の土砂災害から学ぶ』と題して講演して頂きました。
草野部長さんからは能登半島地震への対応を中心にいDXを活用した砂防事業の推進など国土交通省が進めている事業について話がありました。また、砂防堰堤を使った小水力発電や観光資源としての活用を進めているとの話がありました。
△草野部長さんの講演

大野理事長さんからは土石流による人的被害が増加傾向にある、明瞭な地すべり地形を有していない箇所でも崩壊性の地すべりが発生しているなど最近の状況を踏まえたお話をお聞きしました。
△大野理事長さんの講演

続いて長野県を管内としている各砂防事務所から本年度の事業も含めた状況等について話題提供という事でお話をお聞きしました。
△木曽南部直轄事業を進めている森下多治見砂防国道事務所長さんです。

これから出水期を迎え土砂災害も危惧されます。自然のパワーには人間は逆らえないかもしれませんが、十分の準備をする事で受け流すことは出来ます。
6月20日には多治見砂防国道事務所と連携しながら大規模災害に対する訓練も計画されています。
Posted by 大屋誠 at
09:00
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2024年05月23日
木曽郡文化財保護連絡協議会総会研修会
21日、公民館で木曽郡文化財保護連絡協議会総会研修会のご案内を頂き出席しました。参加者の皆さんは午後から当町の文化財である東野阿弥陀堂を訪れて研修され、その後、公民館で研修会総会に参加していました。
△研修会の様子

この日の研修は民俗学の見地からの講演でしたが、私はその前に会議があり、研修の途中で入っていきましたので全部講聴出来ず、民俗学好き、歴史好きの私にとって残念でした。
参加者の皆さんは熱心に聴いておられました。総会の来賓挨拶で私から「文化財には皆さんご承知のとおり有形文化財、無形文化財があり、人口が減少し、若者が居なくなると、とりわけ無形文化財を保護することが難しくなる」、「文化財は私たちに先人が残してくれた想いであることからどうにかして残して行く必要があり、私たちが問われている」と話させて頂きました。
私たちの祖先がどんな思いで暮らして来たのか、その歴史の中で私たちが忘れてしまった事を文化財は問うているのかもしれません。
△研修会の様子

この日の研修は民俗学の見地からの講演でしたが、私はその前に会議があり、研修の途中で入っていきましたので全部講聴出来ず、民俗学好き、歴史好きの私にとって残念でした。
参加者の皆さんは熱心に聴いておられました。総会の来賓挨拶で私から「文化財には皆さんご承知のとおり有形文化財、無形文化財があり、人口が減少し、若者が居なくなると、とりわけ無形文化財を保護することが難しくなる」、「文化財は私たちに先人が残してくれた想いであることからどうにかして残して行く必要があり、私たちが問われている」と話させて頂きました。
私たちの祖先がどんな思いで暮らして来たのか、その歴史の中で私たちが忘れてしまった事を文化財は問うているのかもしれません。
2024年05月21日
幼な子を訪ねて(出産お祝い金等贈呈)
今年度に入って初めてとなる出産祝い金を贈呈に21日ご自宅を訪問しました。Hくんはお父さんの膝で元気よくグイグイと哺乳瓶でお乳を飲んでいました。
横でお兄ちゃんがお母さんにあやされて椅子に座っていましたが、歩き始めて目が離せないそうです。
男の子二人という事で賑やかな雰囲気が家中に伝わってきます。そんな中ですがHくんは泰然自若といった雰囲気でお乳を飲んだら眠ってしまいました。
お父さんとお母さんの馴れ初めは仕事の関係だそうで、二人とも手に資格を持っているそうです。こうした若いカップルが上松で増えて行って頂ければ嬉しい限りです。
今年の現在までの出産を予定されている方は、昨年よりも増える見込みで二桁は超えるとの事です。また最近、移住者の中にもお子さん連れさんの方もちらほらいるという事を聞きました。
昨年は24年振りに人口の社会増があったという事で、少しでも減少曲線が緩やかになればと願うものです。
子どもさんたちに何をやらせたいとお父さんにお尋ねしたところ、バスケットとの事でした。チーム競技がいくつも出来るようになれば良いですね。
△お父さんの大きな手と夢をつかむ小さな手

またお祭りなどでお会い出来る日を楽しみにしています。
私と職員の帰り際にお兄ちゃんが私たちに付いていくと泣き出された時は昔の子育てした時を思い出しました。
大空を泳ぐ鯉のぼりのように、元気よくすくすくと成長することを願う訪問となりました。
横でお兄ちゃんがお母さんにあやされて椅子に座っていましたが、歩き始めて目が離せないそうです。
男の子二人という事で賑やかな雰囲気が家中に伝わってきます。そんな中ですがHくんは泰然自若といった雰囲気でお乳を飲んだら眠ってしまいました。
お父さんとお母さんの馴れ初めは仕事の関係だそうで、二人とも手に資格を持っているそうです。こうした若いカップルが上松で増えて行って頂ければ嬉しい限りです。
今年の現在までの出産を予定されている方は、昨年よりも増える見込みで二桁は超えるとの事です。また最近、移住者の中にもお子さん連れさんの方もちらほらいるという事を聞きました。
昨年は24年振りに人口の社会増があったという事で、少しでも減少曲線が緩やかになればと願うものです。
子どもさんたちに何をやらせたいとお父さんにお尋ねしたところ、バスケットとの事でした。チーム競技がいくつも出来るようになれば良いですね。
△お父さんの大きな手と夢をつかむ小さな手

またお祭りなどでお会い出来る日を楽しみにしています。
私と職員の帰り際にお兄ちゃんが私たちに付いていくと泣き出された時は昔の子育てした時を思い出しました。
大空を泳ぐ鯉のぼりのように、元気よくすくすくと成長することを願う訪問となりました。
Posted by 大屋誠 at
12:09
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2024年05月21日
「木曽ひのきっ子ゆうゆうクラブ」総会
20夜、公民館において一般社団法人木曽ひのきっ子ゆうゆうクラブ総会があり出席しました。総合型スポーツクラブは今では珍しくありませんが、このクラブは2013年に一般社団法人としてスタートしているいわば老舗のクラブです。
〜スポーツ文化を広げよう〜みんなの「笑顔」のために!を合言葉に活動しています。昨年度の事業やイベント等は実に444もの行事日程を数えています。
子どもたちの水泳教室や高齢者の転倒防止など幅広い活動をするとともに、大相撲の御嶽海関、サッカー長野パルセイロの三田選手、プロレスのエイタ選手、更には全国大会出場を決めた当町出身のスポーツ選手への激励を行っています。
△小林治美会長の挨拶

△総会の様子

総会には会員、運営委員の皆さんが集まり開催されましたが、皆さんには様々なイベントにもご協力頂いています。
町の健康で豊かな暮らしを支えていただいている皆さんに心から感謝です。
〜スポーツ文化を広げよう〜みんなの「笑顔」のために!を合言葉に活動しています。昨年度の事業やイベント等は実に444もの行事日程を数えています。
子どもたちの水泳教室や高齢者の転倒防止など幅広い活動をするとともに、大相撲の御嶽海関、サッカー長野パルセイロの三田選手、プロレスのエイタ選手、更には全国大会出場を決めた当町出身のスポーツ選手への激励を行っています。
△小林治美会長の挨拶

△総会の様子

総会には会員、運営委員の皆さんが集まり開催されましたが、皆さんには様々なイベントにもご協力頂いています。
町の健康で豊かな暮らしを支えていただいている皆さんに心から感謝です。
Posted by 大屋誠 at
09:48
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2024年05月21日
町の発掘文化財
20日夜に会議があり公民館に行きました。玄関を直ぐに入って左側の展示室に町内で発掘された縄文式土器やヤジリなどが展示されているのを見つけて入ってみました。
上松町内でも吉野地籍、宮前地籍など多くの遺跡があり、そこからは縄文式土器、ヤジリなどが出土しています。縄文時代にもこの上松に人が住んでいて狩猟生活をしていたと思うと心が躍る気がします。
△町内で発掘された縄文遺跡の数々


また、日本最古のクリといわれるものが出土したという画期的なものもありますが、実物は今回展示されていませんが、それを紹介するポスターがありました。
△日本最古のクリ紹介

今ではクリは珍しいものではありませんが、気候変動によって北上してきたのかは確かではありませんが、発見された中では日本最古だと云います。ヤジリを使った狩猟生活に合わせてクリなどの木の実も食していたかもしれません。
縄文から稲作の始まる弥生の間についてはまだまだ未知のものがあるとの事ですが、この上松にそうした文化が昔からあったということは何か誇らしい気がします。
これらの土器等は普段は公民館の地階に収蔵されています。ご覧になりたい方は公民館にお問い合わせいただきお早めにご覧ください。
上松町内でも吉野地籍、宮前地籍など多くの遺跡があり、そこからは縄文式土器、ヤジリなどが出土しています。縄文時代にもこの上松に人が住んでいて狩猟生活をしていたと思うと心が躍る気がします。
△町内で発掘された縄文遺跡の数々


また、日本最古のクリといわれるものが出土したという画期的なものもありますが、実物は今回展示されていませんが、それを紹介するポスターがありました。
△日本最古のクリ紹介

今ではクリは珍しいものではありませんが、気候変動によって北上してきたのかは確かではありませんが、発見された中では日本最古だと云います。ヤジリを使った狩猟生活に合わせてクリなどの木の実も食していたかもしれません。
縄文から稲作の始まる弥生の間についてはまだまだ未知のものがあるとの事ですが、この上松にそうした文化が昔からあったということは何か誇らしい気がします。
これらの土器等は普段は公民館の地階に収蔵されています。ご覧になりたい方は公民館にお問い合わせいただきお早めにご覧ください。
2024年05月21日
地域おこし協力隊卒隊
地域おこし協力隊として主に公民館活動をして頂いたF隊員が今月末をもって卒対するため3年間を振り返って報告会を行いました。
△報告会の様子です。

Fさんは当町出身ですが、東京でマスコミ関係で働いていてUターンして地域おこし協力隊に応募して頂きました。町としても培った宣伝広報等に活躍を期待した活動をして頂けるものと採用を決定しました。
この3年間のうち2年は新型コロナで、公民館活動という人を集めての活動が思ったように充分出来なかったのかと思いましたが、子どもたちを対象とした“エゴマ栽培”、デイキャンプ、防災キャンプなどを行った“森の寺子屋”事業、寺子屋食堂、身体障がい者、ハンセン病、LGBTなどの人権教育など幅広い活動に携わって頂きました。
特筆すべきは大人向けの講座として『お酒の楽しみ方』など今までに無かったことにチャレンジしていただくとともに、公民館報「ひやま」も内容も一新するような出来栄えで、さすがは元マスコミ宣伝担当者らしい活躍を見せてくれました。
△F隊員の発表

また電動自転車を事業収入で7台購入して町の各所を訪れる「町歩きツアー」も企画してくれ、参加者からは好評であったとの事でした。
公民館という住民の近いところで活躍して頂いたのは、他の隊員にもいい意味で刺激になったかもしれません。
これからも上松町に引き続き住んで活躍していただける事ですので、ご健康で更なる飛躍を祈念いたします。
△報告会の様子です。

Fさんは当町出身ですが、東京でマスコミ関係で働いていてUターンして地域おこし協力隊に応募して頂きました。町としても培った宣伝広報等に活躍を期待した活動をして頂けるものと採用を決定しました。
この3年間のうち2年は新型コロナで、公民館活動という人を集めての活動が思ったように充分出来なかったのかと思いましたが、子どもたちを対象とした“エゴマ栽培”、デイキャンプ、防災キャンプなどを行った“森の寺子屋”事業、寺子屋食堂、身体障がい者、ハンセン病、LGBTなどの人権教育など幅広い活動に携わって頂きました。
特筆すべきは大人向けの講座として『お酒の楽しみ方』など今までに無かったことにチャレンジしていただくとともに、公民館報「ひやま」も内容も一新するような出来栄えで、さすがは元マスコミ宣伝担当者らしい活躍を見せてくれました。
△F隊員の発表

また電動自転車を事業収入で7台購入して町の各所を訪れる「町歩きツアー」も企画してくれ、参加者からは好評であったとの事でした。
公民館という住民の近いところで活躍して頂いたのは、他の隊員にもいい意味で刺激になったかもしれません。
これからも上松町に引き続き住んで活躍していただける事ですので、ご健康で更なる飛躍を祈念いたします。
Posted by 大屋誠 at
08:43
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2024年05月20日
1日でご利益(1社と5社の祭り)
18日の土曜日、町内の二つの例祭にお招きをいただき参列させて頂きました。
昼過ぎから“大山祇神社”の例祭がありました。上松駅の西側に鎮座する小さな祠に祀られています。私の小さな頃からは『山の神』と通称で呼んでいました。
大山祇神社の本社は遠い四国の愛媛県の大三島にありますが、昭和9年皇太子殿下(現上皇后陛下)ご誕生をお祝いするとともに、山仕事や山の安全を祈願してご神札を当時の営林署の職員が奉迎したのが起源だそうです。
△お供物が供えられた祠

昔は山仕事に携わる人が車座になって酒を酌み交わし、踊る様子は娯楽の少なかった時代に大変な仕事、そして危険を伴う仕事をする人たちにとって楽しみにしていたお祭りだった思います。
一つのお祭りの余韻が残る中、夕方、二つ目のお祭りである「五社神社」の例祭に諏訪神社境内に参列しました。
五社は『皇大神宮』、『熱田神宮』、『御嶽神社』、『三嶋大社』『水天宮』の五つの祭神を祭ることから云われています。
水を司る「水天宮」が入っているので、いつもなら入梅時期にも近く雨の日が多いのですが、この日は終日五月晴れに恵まれました。
また、伊勢神宮に祀られている皇大神宮も五社に入っていますので挨拶の中に触れさせていただき、来年に迫った式年遷宮に係る御神木祭に氏子の皆さんに候補木が決まったという事をお知らせしました。
神事の後、例年のとおり上若連による獅子神楽の奉納がありました。
△神事

△獅子神楽『拾弐当(じゅうにとう)様子です。

△獅子狂言『八百屋お七』


ここの神社の直会の御神酒は全て白酒が特徴ですが、ちょっと頂きすぎるとお腹の中で発酵しますので、心して飲む必要があります。
神楽が境内から出て“お練り”をして地区のメイン会場となっている広場で獅子舞や歌舞伎の五人男を披露して盛り上がり上がっていました。
少しずつですが四年前に戻りつつある事を感じた二つのお祭りを楽しんだ一日でした。
昼過ぎから“大山祇神社”の例祭がありました。上松駅の西側に鎮座する小さな祠に祀られています。私の小さな頃からは『山の神』と通称で呼んでいました。
大山祇神社の本社は遠い四国の愛媛県の大三島にありますが、昭和9年皇太子殿下(現上皇后陛下)ご誕生をお祝いするとともに、山仕事や山の安全を祈願してご神札を当時の営林署の職員が奉迎したのが起源だそうです。
△お供物が供えられた祠

昔は山仕事に携わる人が車座になって酒を酌み交わし、踊る様子は娯楽の少なかった時代に大変な仕事、そして危険を伴う仕事をする人たちにとって楽しみにしていたお祭りだった思います。
一つのお祭りの余韻が残る中、夕方、二つ目のお祭りである「五社神社」の例祭に諏訪神社境内に参列しました。
五社は『皇大神宮』、『熱田神宮』、『御嶽神社』、『三嶋大社』『水天宮』の五つの祭神を祭ることから云われています。
水を司る「水天宮」が入っているので、いつもなら入梅時期にも近く雨の日が多いのですが、この日は終日五月晴れに恵まれました。
また、伊勢神宮に祀られている皇大神宮も五社に入っていますので挨拶の中に触れさせていただき、来年に迫った式年遷宮に係る御神木祭に氏子の皆さんに候補木が決まったという事をお知らせしました。
神事の後、例年のとおり上若連による獅子神楽の奉納がありました。
△神事

△獅子神楽『拾弐当(じゅうにとう)様子です。

△獅子狂言『八百屋お七』


ここの神社の直会の御神酒は全て白酒が特徴ですが、ちょっと頂きすぎるとお腹の中で発酵しますので、心して飲む必要があります。
神楽が境内から出て“お練り”をして地区のメイン会場となっている広場で獅子舞や歌舞伎の五人男を披露して盛り上がり上がっていました。
少しずつですが四年前に戻りつつある事を感じた二つのお祭りを楽しんだ一日でした。
Posted by 大屋誠 at
08:29
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2024年05月19日
令和6年木曽郡植樹祭(南木曽町 柿其)
17日午前 、南木曽町柿其(かきぞれ)渓谷の国有林内で『木曽郡植樹祭、長野県植樹祭(木曽会場)』が行われ参加しました。
会場は南木曽町の十二兼の国道19号から30分ほど谷合を登った所で私自身は初めて行く場所でした。
△受付の様子です。

会場は杉の木を伐採した所の一帯で式典と作業が行われました。昨日の夜まで降っていた雨もすっかり止んで気持ちのいい五月晴れの中での式典となりました。
△参加団体のフラッグが気持ち良い風を受けてなびいています。

遠くは木曽広域連合と森林整備連携協定を締結している愛知中部水道企業団の皆様、南木曽小学校みどりの少年団、日頃から森林や自然の事を学び実践しているサークルの皆さん、国・県行政関係や森林組合など関係団体約170人が参加され盛会な植樹祭となりました。
△地元南木曽町向井町長さんの挨拶

△式典演台は木曾五木で作られています。左からひのき、さわら、ねずこ、こうやまき、あすなろです。

この日の植樹作業は杉の幼木を会場周辺に植えていきましたが、みどりの少年団の皆さんも元気に植えていました。
作業は杉の木を植え、上からシカの食害を防ぐ袋をかけて行きます。
△この木が育つ頃には皆さんも立派な大人になっているものと思います。


△記念の標柱を関係団体の代表者で立てました。

携帯電話の電波も届かない所なので、心配された怪我も無く作業を終了することができました。
終わりの会で南木曽小学校みどりの少年団の代表の児童が宣言を読み上げ無事式典は終わりました。
△宣言を読み上げる児童

おまけ)
帰路に着いて林道を走っていると途中ヨーロッパ系の方がグループで歩いていました。車でも約20分かかる道、しかもこの先には何があるのか地元の私たちにも分からない場所です。後から郷原森林管理署長さんにお聞きすると、この先は天然公園から田立の滝に繋がっているとの事、どうしてそんなルート知っているのかと一同びっくりでした。
インバウンドの情報収集力は凄いものと改めて知りました。
会場は南木曽町の十二兼の国道19号から30分ほど谷合を登った所で私自身は初めて行く場所でした。
△受付の様子です。

会場は杉の木を伐採した所の一帯で式典と作業が行われました。昨日の夜まで降っていた雨もすっかり止んで気持ちのいい五月晴れの中での式典となりました。
△参加団体のフラッグが気持ち良い風を受けてなびいています。

遠くは木曽広域連合と森林整備連携協定を締結している愛知中部水道企業団の皆様、南木曽小学校みどりの少年団、日頃から森林や自然の事を学び実践しているサークルの皆さん、国・県行政関係や森林組合など関係団体約170人が参加され盛会な植樹祭となりました。
△地元南木曽町向井町長さんの挨拶

△式典演台は木曾五木で作られています。左からひのき、さわら、ねずこ、こうやまき、あすなろです。

この日の植樹作業は杉の幼木を会場周辺に植えていきましたが、みどりの少年団の皆さんも元気に植えていました。
作業は杉の木を植え、上からシカの食害を防ぐ袋をかけて行きます。
△この木が育つ頃には皆さんも立派な大人になっているものと思います。


△記念の標柱を関係団体の代表者で立てました。

携帯電話の電波も届かない所なので、心配された怪我も無く作業を終了することができました。
終わりの会で南木曽小学校みどりの少年団の代表の児童が宣言を読み上げ無事式典は終わりました。
△宣言を読み上げる児童

おまけ)
帰路に着いて林道を走っていると途中ヨーロッパ系の方がグループで歩いていました。車でも約20分かかる道、しかもこの先には何があるのか地元の私たちにも分からない場所です。後から郷原森林管理署長さんにお聞きすると、この先は天然公園から田立の滝に繋がっているとの事、どうしてそんなルート知っているのかと一同びっくりでした。
インバウンドの情報収集力は凄いものと改めて知りました。
2024年05月19日
5月19日の記事
13日夜、上松町商工会総会のご案内を頂き出席いたしました。会場となった商工会館には多くの皆さんが出席されていました。
本ブログでも何度も取り上げてきましたが、昨年GW明けに新型コロナ感染症類型が見直されて以来、我が国の経済も再始動して来ました。
しかしながら、地方にまでその効果が表れるのはまだまだの感があります。
挨拶の中でそうした状況に加え、世界で起きている戦争や紛争などにより、円滑な物流に支障が出たり、働き方改革により様々な分野、例えば長距離トラック運送、医療機関の医師の働く時間の制限など、加えて諸物価の高騰、賃金の上昇など時代は大きく変わろうとしている。
町の人口は“消滅可能性自治体”と云われた報道があったが、自然減は致し方ないものの、24年振りに社会的な増加があったと報告させて頂き、これを機に社会増が自然増に繋がるように取り組んでいきたいと挨拶させて頂きました。
また、商工業を行政としても連携しながらしっかりと支えて行きたいと考えているのでご理解とご協力をお願いしたいと挨拶させて頂きました。
△来賓として後藤茂之代議士が木曽寮の開所式に続きご出席いただきました。

△山田弘会長他役員の皆さんが再任されて新しい体制でスタートしました。

来年は20年に一度行われる伊勢神宮式年遷宮の御杣始祭が行われますが、それを契機に商工会の皆さんが様々な取り組みに協賛、ご協力して頂けるものと思います。
本ブログでも何度も取り上げてきましたが、昨年GW明けに新型コロナ感染症類型が見直されて以来、我が国の経済も再始動して来ました。
しかしながら、地方にまでその効果が表れるのはまだまだの感があります。
挨拶の中でそうした状況に加え、世界で起きている戦争や紛争などにより、円滑な物流に支障が出たり、働き方改革により様々な分野、例えば長距離トラック運送、医療機関の医師の働く時間の制限など、加えて諸物価の高騰、賃金の上昇など時代は大きく変わろうとしている。
町の人口は“消滅可能性自治体”と云われた報道があったが、自然減は致し方ないものの、24年振りに社会的な増加があったと報告させて頂き、これを機に社会増が自然増に繋がるように取り組んでいきたいと挨拶させて頂きました。
また、商工業を行政としても連携しながらしっかりと支えて行きたいと考えているのでご理解とご協力をお願いしたいと挨拶させて頂きました。
△来賓として後藤茂之代議士が木曽寮の開所式に続きご出席いただきました。

△山田弘会長他役員の皆さんが再任されて新しい体制でスタートしました。

来年は20年に一度行われる伊勢神宮式年遷宮の御杣始祭が行われますが、それを契機に商工会の皆さんが様々な取り組みに協賛、ご協力して頂けるものと思います。
Posted by 大屋誠 at
17:31
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