2024年09月17日
木曽寮敬老会
ちょっと遡っての投稿となりますが、12日、老人ホーム木曽寮の敬老会が行われ、木曽郡の町村長を代表して出席しました。
今年の春に新しい木曽寮が完成し、運営も木曽社会福祉事業協会が指定管理者となって初めての敬老会です。
新型コロナの影響で敬老会には御家族の参加は昨年は出来なかったのですが、今年は一緒に楽しむことが出来ました。
△開会の挨拶をする田上昭彦理事長さん。

この日は最高齢102歳、100歳、そして88歳の米寿、77歳の喜寿の節目を迎えられた8人の方にお祝い状と花束を贈呈しました。
△お祝い状と花束を受けられた皆さん

この日のお祝いのお楽しみ会として諏訪から『みんなで歌おう会』の4人の皆さんが訪問していただき盛り上げてくれました。
“月がとっても青いから”、東京ブギウギ”など昭和初期の歌を中心に歌と踊りで楽しまさせて頂きました。
4人の紹介は「浦島太郎が一人、乙姫ワン、ツー、スリーでやってきました〜」と地元の伝説キャラも交えた紹介でしたが皆さんは普段は舞踊などを教えておられる方だそうです。
△浦島太郎さんと乙姫さんの歌と踊り



私の隣の入所者さんは目を瞑って寝ているかと思っていたら、しっかりとテーブルを指で叩きながらリズムを取っていました。
△こんな感じです。

昨年も行き合った方もおり、手を挙げて気軽に声をかけて頂きました。また帰る時にわざわざ玄関で待っていただいて見送っている方がおり、ちょっと感激しました。私が一杯の元気を頂く敬老会となりました。
ただ、最後に『炭坑節』(月が出た出た〜月が出た〜)を一緒に踊ろうと誘われ、前に出てやりましたが、なかなか手と脚が上手くいかなったのが心残りでしたが、それでも楽しい会となり皆さん笑顔で敬老会を楽しんでいました。
今年の春に新しい木曽寮が完成し、運営も木曽社会福祉事業協会が指定管理者となって初めての敬老会です。
新型コロナの影響で敬老会には御家族の参加は昨年は出来なかったのですが、今年は一緒に楽しむことが出来ました。
△開会の挨拶をする田上昭彦理事長さん。

この日は最高齢102歳、100歳、そして88歳の米寿、77歳の喜寿の節目を迎えられた8人の方にお祝い状と花束を贈呈しました。
△お祝い状と花束を受けられた皆さん

この日のお祝いのお楽しみ会として諏訪から『みんなで歌おう会』の4人の皆さんが訪問していただき盛り上げてくれました。
“月がとっても青いから”、東京ブギウギ”など昭和初期の歌を中心に歌と踊りで楽しまさせて頂きました。
4人の紹介は「浦島太郎が一人、乙姫ワン、ツー、スリーでやってきました〜」と地元の伝説キャラも交えた紹介でしたが皆さんは普段は舞踊などを教えておられる方だそうです。
△浦島太郎さんと乙姫さんの歌と踊り



私の隣の入所者さんは目を瞑って寝ているかと思っていたら、しっかりとテーブルを指で叩きながらリズムを取っていました。
△こんな感じです。

昨年も行き合った方もおり、手を挙げて気軽に声をかけて頂きました。また帰る時にわざわざ玄関で待っていただいて見送っている方がおり、ちょっと感激しました。私が一杯の元気を頂く敬老会となりました。
ただ、最後に『炭坑節』(月が出た出た〜月が出た〜)を一緒に踊ろうと誘われ、前に出てやりましたが、なかなか手と脚が上手くいかなったのが心残りでしたが、それでも楽しい会となり皆さん笑顔で敬老会を楽しんでいました。
Posted by 大屋誠 at
14:26
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2024年09月17日
秋祭りの風景(吉野熊野神社例祭)
二週連続の3連休となりました。その初日の14日、吉野地区の吉野熊野神社の例祭にお招き頂き参列いたしました。
先週の諏訪神社例祭と違い獅子舞とかはなく、氏子の皆さんが集まって神事のみを行い、酒を酌み交わしながらよもやま話しに花を咲かせる昔ながらの素朴なお祭りです。
吉野地区は縄文土器が出土する地域で、上松の中では古くから人が住んでいた所です。
歴史のある神社らしい佇まいで山の麓にある神社はいかにも鎮守の森の神様と言った風情です。
△奥にある社殿の様子。

熊野神社は全国に3000社以上あると云われていますが、元々は三重県、和歌山県境の熊野大社から分祀されたものです。
熊野本宮、熊野速玉、熊野那智大社の三つを合わせて熊野三山と称して昔から京都の貴族らの参詣客で賑わったとの事です。その一つの熊野那智大社は当町の友好姉妹都市である那智勝浦町にあるのも縁を感じます。
△神事の湯立て神楽


拝殿に掲げられている天照大御神の天の岩戸伝説の額を見たら嘉永四年と書いてありました。今から凡そ170年前に奉納された物らしいですが、こうして各地のお祭りに行くとそうした歴史の息吹に触れられるのが良いですね。
△奉納額

ところで、熊野神社の御祭神は神話の国造りに出て来る“イザナミ”イザナギ”の両神だそうです。その子として産まれたのが、天照大御神、須佐之男命、月読命(つくよみのみこと)の三神だそうです。
天照大御神は伊勢神宮の御祭神として祀られており、来年は伊勢神宮式年遷宮の御杣始祭が20年振りに行われます。正式な決定は未だですが、当町では過去に御神木を送り出して来ただけに正式な決定が待たれます。
また、先ほどの額の横に明治頃に挙げられた軍人が礼服で馬に騎乗した額もあったり、弾除け祈願の願掛けがあったりと歴史を物語る興味深い物がありました。
先の大戦後、全国各地にGHQが派遣され、軍国主義に繋がるものは没収されたそうですが、ここまでは捜査が及ばんかったのか、或いは住民が隠したのかは分かりませんが、今では貴重な史料と思いました。
当日は雨模様でしたので、地区の皆さんは稲の刈り取り作業をどうするか気に掛かっていたようでした。
先週の諏訪神社例祭と違い獅子舞とかはなく、氏子の皆さんが集まって神事のみを行い、酒を酌み交わしながらよもやま話しに花を咲かせる昔ながらの素朴なお祭りです。
吉野地区は縄文土器が出土する地域で、上松の中では古くから人が住んでいた所です。
歴史のある神社らしい佇まいで山の麓にある神社はいかにも鎮守の森の神様と言った風情です。
△奥にある社殿の様子。

熊野神社は全国に3000社以上あると云われていますが、元々は三重県、和歌山県境の熊野大社から分祀されたものです。
熊野本宮、熊野速玉、熊野那智大社の三つを合わせて熊野三山と称して昔から京都の貴族らの参詣客で賑わったとの事です。その一つの熊野那智大社は当町の友好姉妹都市である那智勝浦町にあるのも縁を感じます。
△神事の湯立て神楽


拝殿に掲げられている天照大御神の天の岩戸伝説の額を見たら嘉永四年と書いてありました。今から凡そ170年前に奉納された物らしいですが、こうして各地のお祭りに行くとそうした歴史の息吹に触れられるのが良いですね。
△奉納額

ところで、熊野神社の御祭神は神話の国造りに出て来る“イザナミ”イザナギ”の両神だそうです。その子として産まれたのが、天照大御神、須佐之男命、月読命(つくよみのみこと)の三神だそうです。
天照大御神は伊勢神宮の御祭神として祀られており、来年は伊勢神宮式年遷宮の御杣始祭が20年振りに行われます。正式な決定は未だですが、当町では過去に御神木を送り出して来ただけに正式な決定が待たれます。
また、先ほどの額の横に明治頃に挙げられた軍人が礼服で馬に騎乗した額もあったり、弾除け祈願の願掛けがあったりと歴史を物語る興味深い物がありました。
先の大戦後、全国各地にGHQが派遣され、軍国主義に繋がるものは没収されたそうですが、ここまでは捜査が及ばんかったのか、或いは住民が隠したのかは分かりませんが、今では貴重な史料と思いました。
当日は雨模様でしたので、地区の皆さんは稲の刈り取り作業をどうするか気に掛かっていたようでした。
Posted by 大屋誠 at
13:56
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2024年09月16日
秋祭りの風景(諏訪神社例祭 3)
諏訪神社例祭の見ものはやはりお神楽先導によるお神輿の宵祭の渡御と翌日の本祭の還御です。
生まれた子どもが御神輿の下をくぐると元気に育つという事が云われましたが、生まれる子どもが少なくなっているのでそうした風景も失われつつあるのでしょうか?またいつか、そんな風景が多く見られれば良いですね。
ここからは写真で紹介します。道を開く先導でしめ縄を切って行く猿田彦など知っている方は懐かしく見てください。
△お練りの様子



渡御の道中、お囃子をして祭りを盛り上げてくれるのは、だんじり保存会の皆さんです。子どもたちからベテランまで幅広い層の方が懐かしい笛、太鼓を奏でます。
昔はお神楽でお練りする上若連と動く屋台の上でお囃子をする下若連?という組織があって道中が賑わったと亡き父に聞いた事がありますが、残念ながら下若連の屋台は昭和25年の大火で焼失してしまったそうです。
それを形は変えてでも保存し、祭り本番で披露したいと保存会の皆さんが稽古して復活させてくれました。
元々、上松の諏訪神社は長野県の諏訪湖周辺の諏訪大社の由来ではなく、京都にある諏訪神社だそうですのでこうしたお囃子はその名残りかもしれません。
△だんじり囃子保存会の皆さん



町の祭りの古い動画に鳥追い笠を被り三味線持って一軒一軒回って行くのが写っているのがありましたが、どなたかそんな風習があったのか知っている人いたら教えてください。
諏訪神社のお祭りを一部紹介しましたが、本祭りには神楽納めという秘儀?もありますが是非見たい方は来年お越しください。ただし、本祭の翌日まで続きますのでご留意下さい。
ご褒美はカボチャでお粥を作ったカボチャ粥が振る舞われます。
以上、諏訪神社例祭でした。
生まれた子どもが御神輿の下をくぐると元気に育つという事が云われましたが、生まれる子どもが少なくなっているのでそうした風景も失われつつあるのでしょうか?またいつか、そんな風景が多く見られれば良いですね。
ここからは写真で紹介します。道を開く先導でしめ縄を切って行く猿田彦など知っている方は懐かしく見てください。
△お練りの様子



渡御の道中、お囃子をして祭りを盛り上げてくれるのは、だんじり保存会の皆さんです。子どもたちからベテランまで幅広い層の方が懐かしい笛、太鼓を奏でます。
昔はお神楽でお練りする上若連と動く屋台の上でお囃子をする下若連?という組織があって道中が賑わったと亡き父に聞いた事がありますが、残念ながら下若連の屋台は昭和25年の大火で焼失してしまったそうです。
それを形は変えてでも保存し、祭り本番で披露したいと保存会の皆さんが稽古して復活させてくれました。
元々、上松の諏訪神社は長野県の諏訪湖周辺の諏訪大社の由来ではなく、京都にある諏訪神社だそうですのでこうしたお囃子はその名残りかもしれません。
△だんじり囃子保存会の皆さん



町の祭りの古い動画に鳥追い笠を被り三味線持って一軒一軒回って行くのが写っているのがありましたが、どなたかそんな風習があったのか知っている人いたら教えてください。
諏訪神社のお祭りを一部紹介しましたが、本祭りには神楽納めという秘儀?もありますが是非見たい方は来年お越しください。ただし、本祭の翌日まで続きますのでご留意下さい。
ご褒美はカボチャでお粥を作ったカボチャ粥が振る舞われます。
以上、諏訪神社例祭でした。
2024年09月16日
秋祭りの風景(諏訪神社例祭 1)
6日午前8時から諏訪神社例祭の神還しの儀が行われ参列させて頂きました。
拝殿には上若連の他、日頃から町の安全・安心を担って頂いている警察交番、交通安全協会、消防団の皆さんなど100名を超える皆さんが一同に会しての儀式です。
△咳払い一つもない祭事が始まります。

神還しは諏訪神社の大神の使いとして各戸を回るお神楽、獅子を始め、笛、太鼓までお祓いをして分身的な役割を果たすために行われます。
△出番を待つ獅子、近くで見ると、いかつい獅子も可愛い?


△神事の舞として“浦安の舞”が奉納されます。

神還しの後、神社神殿に向かって十二当が奉納されます。
△十二当

この後、神社下にある徳原宮司さんの威徳をしのぶ顕彰碑でも同じ様に奉納され、場所を上町の玉林院のお寺さんを一番最初に各戸を回る悪魔祓い(あくまぱっらい)が始まります。
一番最初にお寺さんというのは、戦国時代に木曽を治めていた木曽氏に由来するもので、お寺を開祖した玉林和尚、上松の地名である“上松蔵人(あげまつくらんど)など歴史から来ていると思います。
上松という地名の場所があったから、上松蔵人と名乗ったのだと思いますが、もっと遡れば地名が付いた当時は松が多かったからなど諸説あるようです。
お祭りはまさに歴史とともに地域に根付いていると感じます。
各戸を回る悪魔祓いは次のブログで紹介します。前後しているかもしれませんが。
拝殿には上若連の他、日頃から町の安全・安心を担って頂いている警察交番、交通安全協会、消防団の皆さんなど100名を超える皆さんが一同に会しての儀式です。
△咳払い一つもない祭事が始まります。

神還しは諏訪神社の大神の使いとして各戸を回るお神楽、獅子を始め、笛、太鼓までお祓いをして分身的な役割を果たすために行われます。
△出番を待つ獅子、近くで見ると、いかつい獅子も可愛い?


△神事の舞として“浦安の舞”が奉納されます。

神還しの後、神社神殿に向かって十二当が奉納されます。
△十二当

この後、神社下にある徳原宮司さんの威徳をしのぶ顕彰碑でも同じ様に奉納され、場所を上町の玉林院のお寺さんを一番最初に各戸を回る悪魔祓い(あくまぱっらい)が始まります。
一番最初にお寺さんというのは、戦国時代に木曽を治めていた木曽氏に由来するもので、お寺を開祖した玉林和尚、上松の地名である“上松蔵人(あげまつくらんど)など歴史から来ていると思います。
上松という地名の場所があったから、上松蔵人と名乗ったのだと思いますが、もっと遡れば地名が付いた当時は松が多かったからなど諸説あるようです。
お祭りはまさに歴史とともに地域に根付いていると感じます。
各戸を回る悪魔祓いは次のブログで紹介します。前後しているかもしれませんが。
2024年09月16日
秋祭りの風景(諏訪神社例祭 2)
神還しの後、氏子の各戸を回る十二当へと上若連(かみわかれん)の若い衆が向かいます。若い衆とは云っても、昔の若い衆を表すピンクのタスキを付けている人は数えるほどです。
私は大老の赤いタスキで、初めて付けた時は『こんな歳じゃない』と多少抵抗があったものの今では板に付いてしまった感があります。
昨年はお祭り直前に若連に新型コロナが出てしまったため、獅子が家の中に入って舞うことが出来ず、玄関口でのお祓いでしたが、今年は家の中で[
舞うのか、玄関口で舞うのか家主さんに確認して悪魔祓いをさせて頂きましたが。
家の中で特にお祓うのは神棚、仏壇、床の間ですが、二階のある家では二段くらい昇ってお祓いをします。
△悪魔払い、十二当の様子
photo:4:center]
お小休みの場所では十二当の他にも獅子狂言をします。昔は個人宅でのもてなしが殆どでしたが、今は地区でもてなしてくれる事も多くなってきました。
△獅子狂言の“八百屋お七”を披露

私の部では介護老人ホームを回りましたが、入所されている方、職員さん全員で温かくお迎え頂きました。
△皆さんの前で

中には同じ地区にいた顔なじみの方もおられました。昔を懐かしんだのか涙ぐむ人もおられましたがこういう時にお祭りって良いよねと思う瞬間ですね。
△このように笛、太鼓で回ります。

宵祭の一日が終わりました。これから大神様を遷御する神楽先導お練りが始まります。
△今日の予定の全戸を巡った確認して、最後に切りの獅子を舞います。

神楽先導お練りは次のブログで紹介します。
私は大老の赤いタスキで、初めて付けた時は『こんな歳じゃない』と多少抵抗があったものの今では板に付いてしまった感があります。
昨年はお祭り直前に若連に新型コロナが出てしまったため、獅子が家の中に入って舞うことが出来ず、玄関口でのお祓いでしたが、今年は家の中で[
舞うのか、玄関口で舞うのか家主さんに確認して悪魔祓いをさせて頂きましたが。
家の中で特にお祓うのは神棚、仏壇、床の間ですが、二階のある家では二段くらい昇ってお祓いをします。
△悪魔払い、十二当の様子
photo:4:center]
お小休みの場所では十二当の他にも獅子狂言をします。昔は個人宅でのもてなしが殆どでしたが、今は地区でもてなしてくれる事も多くなってきました。
△獅子狂言の“八百屋お七”を披露

私の部では介護老人ホームを回りましたが、入所されている方、職員さん全員で温かくお迎え頂きました。
△皆さんの前で

中には同じ地区にいた顔なじみの方もおられました。昔を懐かしんだのか涙ぐむ人もおられましたがこういう時にお祭りって良いよねと思う瞬間ですね。
△このように笛、太鼓で回ります。

宵祭の一日が終わりました。これから大神様を遷御する神楽先導お練りが始まります。
△今日の予定の全戸を巡った確認して、最後に切りの獅子を舞います。

神楽先導お練りは次のブログで紹介します。
2024年09月16日
道路等公共施設の県要望活動
5日、県への要望活動を県庁を訪問し行いました。毎年予算策定が始まる前のこの時期に行っています。
△新田建設部長さんに要望書を提出。代表して向井南木曽町長から手交しました。

各町村長からそれぞれの要望を伝えましたが、当町からは県道上松御岳線改良の早期完成、国道19号木曽川右岸道路アクセス道路の整備について特に要望しました。
この日は、隣接する中津川市も含めた南部の道路関係の県際道路整備の要望もあり、慌ただしい要望活動の一日でした。
△新田建設部長さんに要望書を提出。代表して向井南木曽町長から手交しました。

各町村長からそれぞれの要望を伝えましたが、当町からは県道上松御岳線改良の早期完成、国道19号木曽川右岸道路アクセス道路の整備について特に要望しました。
この日は、隣接する中津川市も含めた南部の道路関係の県際道路整備の要望もあり、慌ただしい要望活動の一日でした。
2024年09月14日
日本遺産木曽路サミットin奈良井
8月末の台風10号の接近以来、諸行事が見合わせる事態となり、すっかりブログアップをご無沙汰しました。久しぶりの投稿となりましたが、その間の出来事を少しずつ紹介して行きます。
9月4日、日本遺産木曽路サミットin奈良井が塩尻市楢川奈良井宿で行われました。木曽路の日本遺産登録は木曽郡6町村に中津川市、塩尻市を加えた8町村の歴史的遺構や街並み、伝統工芸品、森林文化などにより構成されています。
この日は、江戸時代には『奈良井千軒』と隆盛を極めた奈良井宿でのサミットとなりました。オープニングを告げる木曽踊りは木曽町の木曽踊り保存会の皆さんに市町村長も浴衣に着替えての木曽踊りを披露しました。
△こんな風景です。


△浴衣の着付けは保存会の皆さんが手伝ってくれました。

△正調木曽節を生歌で、三味線や太鼓も生での演奏

この日は平日にも関わらず多くの観光客の方がおられました。最後は観光客の皆さんも入って楽しく踊りました。
△見よう見まねで参加。踊り自体は難しいものでないので初めて踊った方も途中からは徐々に慣れてきましたよ

踊りが終わって会場を奈良井会館に移し信州大学新(しん)先生がコーディネーターを務めて頂き各町村の取組みなどを話し合いました。
新先生は、奈良井宿をフィールドに調査研究をされているとのことで、奈良井宿に伝わる『鎮(しずめ)神社』のお祭りをテーマにしてアンケートをやったそうです。
その時の話で興味深いものがありましたので紹介します。お祭りは以前は宿場内の各戸一軒、一軒を回って獅子舞を奉納していたのを大変だからという事で、それを止めて主なところだけにしたそうですが、氏子の皆さんから従来どおりに戻してやろうと言うことでわずか2年で戻したそうです。
何か今は何処にでもあるようなお話ですが、やはり地元に伝えられた伝統文化を大事に思う気持ちが強いのかもしれません。
木曽郡で唯一、消滅可能性自治体に指定されていない木祖村の奥原村長さんが「木祖村はお祭りがあるから消滅しない。小さい子どもの頃から笛を吹き、太鼓叩いているから」の言葉がしみました。
木曽路にはこうしたお祭りが根付いている事が大事な事であり強みなのかもしれません。
9月4日、日本遺産木曽路サミットin奈良井が塩尻市楢川奈良井宿で行われました。木曽路の日本遺産登録は木曽郡6町村に中津川市、塩尻市を加えた8町村の歴史的遺構や街並み、伝統工芸品、森林文化などにより構成されています。
この日は、江戸時代には『奈良井千軒』と隆盛を極めた奈良井宿でのサミットとなりました。オープニングを告げる木曽踊りは木曽町の木曽踊り保存会の皆さんに市町村長も浴衣に着替えての木曽踊りを披露しました。
△こんな風景です。


△浴衣の着付けは保存会の皆さんが手伝ってくれました。

△正調木曽節を生歌で、三味線や太鼓も生での演奏

この日は平日にも関わらず多くの観光客の方がおられました。最後は観光客の皆さんも入って楽しく踊りました。
△見よう見まねで参加。踊り自体は難しいものでないので初めて踊った方も途中からは徐々に慣れてきましたよ

踊りが終わって会場を奈良井会館に移し信州大学新(しん)先生がコーディネーターを務めて頂き各町村の取組みなどを話し合いました。
新先生は、奈良井宿をフィールドに調査研究をされているとのことで、奈良井宿に伝わる『鎮(しずめ)神社』のお祭りをテーマにしてアンケートをやったそうです。
その時の話で興味深いものがありましたので紹介します。お祭りは以前は宿場内の各戸一軒、一軒を回って獅子舞を奉納していたのを大変だからという事で、それを止めて主なところだけにしたそうですが、氏子の皆さんから従来どおりに戻してやろうと言うことでわずか2年で戻したそうです。
何か今は何処にでもあるようなお話ですが、やはり地元に伝えられた伝統文化を大事に思う気持ちが強いのかもしれません。
木曽郡で唯一、消滅可能性自治体に指定されていない木祖村の奥原村長さんが「木祖村はお祭りがあるから消滅しない。小さい子どもの頃から笛を吹き、太鼓叩いているから」の言葉がしみました。
木曽路にはこうしたお祭りが根付いている事が大事な事であり強みなのかもしれません。