2025年04月05日
感謝!感謝!退任式を終えて
4日、まだ日は残っているとばかり思っていたのについにこの日が来てしまいました。
私の任期最後の日、5時半から庁舎大会議室においてほぼ職員全員が集まって退任式をして頂きました。
私からの今までの振り返りと感謝の言葉に加え、公務員生活ちょうど50年を終えることから『公務員の仕事とは住民の皆さんとともに夢を追うこと』とちょっと気恥ずかしい言葉ですが言わさせて頂きました。
また、やり残した事が多くあるが二人三脚、植原教育長と合わせれば3人4脚で仕事を一緒にやって来た村田副町長が町長に就任するので必ずや、やってくれると信じていると話しました。
また、役場の近くに住んでいるのでウオーキングを始めた時に『徘徊』を疑われた時は「大屋さんのおうちはあちらですよ」と優しく声をかけて欲しいとボケを言いましたら職員は笑っていました。
庁舎建設、新型コロナ対応など大変な事や令和3年8月豪雨災害など厳しい状況がある中で本当によく職員の皆さんは応えてくれました。
「皆さんは私をどう思っているか分からないが、50年の公務員生活の中で私にとって皆さんは最高の部下、職員であり、素晴らしい友人でした」と最後に伝えました。
もっと“ウルウル”来るかな〜と思っていましたら、涙腺の前で『心の汗』が止まってくれました。きっとこれから実感して来るものと思います。
最後に職員全員が玄関ホールまで見送っていただきました。
△一人ひとりに挨拶して庁舎を後に




職員皆んなに感謝、そして支えて頂いた町民の皆様、企業・関係者、友好団体の皆様に感謝!!言葉に尽くせぬ思いを胸に退任いたしました。
お知らせ)
先日もお知らせしたとおり、来週からは町ホームページから本ブログはリンクしなくなりますが、引き続き『あげまつ彩時記』でネットで続いて上松や木曽の話題、プライベートでの出来事をお伝えして行きますので引き続き宜しくお願いします。
本日まで閲覧数 23万5402人、ナガブロ20,768ブログ中50位(4月5現在)と多くの皆様に拙ブログ拝見して頂いただいた事に心から厚くお礼申し上げます。
私の任期最後の日、5時半から庁舎大会議室においてほぼ職員全員が集まって退任式をして頂きました。
私からの今までの振り返りと感謝の言葉に加え、公務員生活ちょうど50年を終えることから『公務員の仕事とは住民の皆さんとともに夢を追うこと』とちょっと気恥ずかしい言葉ですが言わさせて頂きました。
また、やり残した事が多くあるが二人三脚、植原教育長と合わせれば3人4脚で仕事を一緒にやって来た村田副町長が町長に就任するので必ずや、やってくれると信じていると話しました。
また、役場の近くに住んでいるのでウオーキングを始めた時に『徘徊』を疑われた時は「大屋さんのおうちはあちらですよ」と優しく声をかけて欲しいとボケを言いましたら職員は笑っていました。
庁舎建設、新型コロナ対応など大変な事や令和3年8月豪雨災害など厳しい状況がある中で本当によく職員の皆さんは応えてくれました。
「皆さんは私をどう思っているか分からないが、50年の公務員生活の中で私にとって皆さんは最高の部下、職員であり、素晴らしい友人でした」と最後に伝えました。
もっと“ウルウル”来るかな〜と思っていましたら、涙腺の前で『心の汗』が止まってくれました。きっとこれから実感して来るものと思います。
最後に職員全員が玄関ホールまで見送っていただきました。
△一人ひとりに挨拶して庁舎を後に




職員皆んなに感謝、そして支えて頂いた町民の皆様、企業・関係者、友好団体の皆様に感謝!!言葉に尽くせぬ思いを胸に退任いたしました。
お知らせ)
先日もお知らせしたとおり、来週からは町ホームページから本ブログはリンクしなくなりますが、引き続き『あげまつ彩時記』でネットで続いて上松や木曽の話題、プライベートでの出来事をお伝えして行きますので引き続き宜しくお願いします。
本日まで閲覧数 23万5402人、ナガブロ20,768ブログ中50位(4月5現在)と多くの皆様に拙ブログ拝見して頂いただいた事に心から厚くお礼申し上げます。
2025年04月01日
退任ご挨拶
木曽郡内の町村及び県・国関係機関に退任挨拶に31日は終日追われました。
お世話になった皆さんもこの日を以って退任される方、転任される方もおり直接お会い出来るかは分かりませんが出来る限り直接お会いするために出掛けましたが、木曽の広さを改めて感じました。
挨拶先の軒先では所々で花が咲き始め、木曽にも春の息吹が感じることが出来る様になりました。
今は梅が主ですが、木祖村では福寿草が顔を出していました。
△梅の花 その1(南木曽町役場)

△その横には御杣始祭の旗が飾られていました。

△梅の花 その2(三岳道の駅)


桜の花はどこもまだ芽も出ていない様な状況でしたが、今後一気に芽が膨らみ開花すると思われます。木曽は今後、約一ヶ月間、サクラ、ヤマザクラ、コブシなどが山々、里など何処かで花見が出来る一番美しい命輝く季節となります。
木曽の魅力を暖かい風に感じつつ挨拶周りをしました。
お世話になった皆さんもこの日を以って退任される方、転任される方もおり直接お会い出来るかは分かりませんが出来る限り直接お会いするために出掛けましたが、木曽の広さを改めて感じました。
挨拶先の軒先では所々で花が咲き始め、木曽にも春の息吹が感じることが出来る様になりました。
今は梅が主ですが、木祖村では福寿草が顔を出していました。
△梅の花 その1(南木曽町役場)

△その横には御杣始祭の旗が飾られていました。

△梅の花 その2(三岳道の駅)


桜の花はどこもまだ芽も出ていない様な状況でしたが、今後一気に芽が膨らみ開花すると思われます。木曽は今後、約一ヶ月間、サクラ、ヤマザクラ、コブシなどが山々、里など何処かで花見が出来る一番美しい命輝く季節となります。
木曽の魅力を暖かい風に感じつつ挨拶周りをしました。
2025年03月22日
お知らせ
拙い本ブログをいつも見て頂いている皆様に感謝します。
平成29年6月からスタートしたブログもお陰様で3月22現在、投稿数1380件を数え、これまでに約23万4千人の方に見ていただきました。
私の所属している長野県を中心に話題を提供しているブログ“ナガブロ”には20,765人のブロガーがいますが、その順位が毎日更新されて発表されます。
現在の順位は何と!!約2万人のうち54位です。
始めた当初は私自身、“いつまで続くやら”、“面白くもない町長の行政報告なんて誰が見る?」と思っていましたが、時折頂く皆さんからの返信のコメントを励みにして投稿して来ました。
この度、4月4日の任期末を以って町長を退任するに当たり、止めようかと思っていましたら「なんで止める」、「ボケる」という天からの声があり、投稿の頻度は少なくなるのか分かりませんが、続けていく事にしました。
引き続きご愛読頂ければ幸いですが、町の公式サイトのリンクからは削除されますので、町のホームページからアクセスして頂いていた方は閲覧出来なくなります。
引き続き“あげまつ彩時記”として上松の話題や行政にリンクしていた事から言えない事、言えなかった秘話なども織り交ぜて発信して上松を盛り上げて行きたいと思っていますので引き続きご愛読頂ければ幸いです。
小学校の夏休みの宿題の日記でさえ、終わりの日に「あの日の天気は〜」など記憶を辿りながらやった貴重な体験を持つ私が1380件も投稿した事自体が奇跡ですが、これもひとえに読者の皆さんの支えがあったこそだと思います。
来週からは在任中お世話になった皆さんへの退任挨拶周りとなりますが、あと少しでも投稿出来たらと思っておりますので最後まで宜しくお願いします。
平成29年6月からスタートしたブログもお陰様で3月22現在、投稿数1380件を数え、これまでに約23万4千人の方に見ていただきました。
私の所属している長野県を中心に話題を提供しているブログ“ナガブロ”には20,765人のブロガーがいますが、その順位が毎日更新されて発表されます。
現在の順位は何と!!約2万人のうち54位です。
始めた当初は私自身、“いつまで続くやら”、“面白くもない町長の行政報告なんて誰が見る?」と思っていましたが、時折頂く皆さんからの返信のコメントを励みにして投稿して来ました。
この度、4月4日の任期末を以って町長を退任するに当たり、止めようかと思っていましたら「なんで止める」、「ボケる」という天からの声があり、投稿の頻度は少なくなるのか分かりませんが、続けていく事にしました。
引き続きご愛読頂ければ幸いですが、町の公式サイトのリンクからは削除されますので、町のホームページからアクセスして頂いていた方は閲覧出来なくなります。
引き続き“あげまつ彩時記”として上松の話題や行政にリンクしていた事から言えない事、言えなかった秘話なども織り交ぜて発信して上松を盛り上げて行きたいと思っていますので引き続きご愛読頂ければ幸いです。
小学校の夏休みの宿題の日記でさえ、終わりの日に「あの日の天気は〜」など記憶を辿りながらやった貴重な体験を持つ私が1380件も投稿した事自体が奇跡ですが、これもひとえに読者の皆さんの支えがあったこそだと思います。
来週からは在任中お世話になった皆さんへの退任挨拶周りとなりますが、あと少しでも投稿出来たらと思っておりますので最後まで宜しくお願いします。
2025年03月15日
伊勢神宮式年遷宮に向けて(御杣始祭 三つ紐合同練習その2)
午前中の伐倒が終わり、午後は化粧掛けを行いました。切り倒した木材の木口に天皇家の紋章である16弁の菊を模した形に斧(ヨキ)一本で整えていきます。
△斧(ヨキ)です。

斧はヒゲが剃れるくらいに研いで行くと聞いていますが、実際に持ってみると重量は相当にズッシリ来ます。
伐倒に当たっては振るっていましたが、今度は慎重に集中してやらなければならない繊細と大胆が要求される作業です。
△始めはこんな木口(こぐち)の感じです。

最初は檜皮の部分を受け継がれて来た寸法にナタで切り落としていきます。
△檜皮の切り落とし

いかついヨキは数ミリの厚さで形作っていきます。
△徐々に16弁の菊の紋章が現れて来ました。

この作業は刃が切れ味が鋭くないとただ当てているだけになってしまうという事は素人の私でも分かります。
化粧掛けの作業だけで2時間近くかかりましたが、皆さんこだわりがあってこの部分はもっと削った方が良いなど話しながら楽しく取り組んでいました。
終わりに橋本杣頭さんから御礼の言葉が述べられ、全員で材の前で挨拶して日程全て無事に終わりました。
△挨拶する現代の杣人たち

当日は木口に白い紙を貼り、御神木には菰を被せて翌日の御神木祭で町内で曳行されます。
「裏木曽の人達との三つ紐の文化的交流、そして後世にもしっかりと伝えて行くために」今回の合同練習会を言い出した一人として、まさかこんなに盛大な事になるなんてと驚きつつも無事終えた事、それまでの間の木曽森林管理署、中部森林管理局の皆さんに感謝するとともに、厚く御礼申し上げます。
興味のある方は6月3日御杣始祭、4日は町内の曳行と御神木祭、5日は駅前での木曽地域に伝わる伝統芸能の披露と物産展、6日の早朝には駅前からの奉送行事が予定されています。
また、普段は通過する特急も臨時停車する予定ですので、詳しくは町観光協会までお問い合わせ下さい。
関係者の皆さんの取組みに改めて感謝申し上げます。
△斧(ヨキ)です。

斧はヒゲが剃れるくらいに研いで行くと聞いていますが、実際に持ってみると重量は相当にズッシリ来ます。
伐倒に当たっては振るっていましたが、今度は慎重に集中してやらなければならない繊細と大胆が要求される作業です。
△始めはこんな木口(こぐち)の感じです。

最初は檜皮の部分を受け継がれて来た寸法にナタで切り落としていきます。
△檜皮の切り落とし

いかついヨキは数ミリの厚さで形作っていきます。
△徐々に16弁の菊の紋章が現れて来ました。

この作業は刃が切れ味が鋭くないとただ当てているだけになってしまうという事は素人の私でも分かります。
化粧掛けの作業だけで2時間近くかかりましたが、皆さんこだわりがあってこの部分はもっと削った方が良いなど話しながら楽しく取り組んでいました。
終わりに橋本杣頭さんから御礼の言葉が述べられ、全員で材の前で挨拶して日程全て無事に終わりました。
△挨拶する現代の杣人たち

当日は木口に白い紙を貼り、御神木には菰を被せて翌日の御神木祭で町内で曳行されます。
「裏木曽の人達との三つ紐の文化的交流、そして後世にもしっかりと伝えて行くために」今回の合同練習会を言い出した一人として、まさかこんなに盛大な事になるなんてと驚きつつも無事終えた事、それまでの間の木曽森林管理署、中部森林管理局の皆さんに感謝するとともに、厚く御礼申し上げます。
興味のある方は6月3日御杣始祭、4日は町内の曳行と御神木祭、5日は駅前での木曽地域に伝わる伝統芸能の披露と物産展、6日の早朝には駅前からの奉送行事が予定されています。
また、普段は通過する特急も臨時停車する予定ですので、詳しくは町観光協会までお問い合わせ下さい。
関係者の皆さんの取組みに改めて感謝申し上げます。
2025年03月09日
上松技術専門校『ひのきの里の技能祭』
6日、上松技術専門校の最大行事である「ひのきの里の技能祭」が行われました。例年ですと9時少し前くらいに着くのですが、10時過ぎの到着となってしまいました。
道路から駐車場への整理は町の交通安全協会の皆さんがボランティアで出ていましたが、臨時駐車場も含めすでに満杯状態でした。
先日、民放で将来の匠を目指す技専のニュースが流れましたので、校長先生と今年は人出が大変じゃないかと話していましたが、その予想を上回る盛況でした。
実習棟に入ると御神木祭をPRする写真も掲示されていました。
△PR幟旗と写真

自分の削り箸を作るコーナーでは、始めてカンナを持つであろう子どもや女性がトライしていました。
△削り箸作成コーナーの様子

展示と即売が行われている体育館に入ると、見学の人と絶対に手に入れたいとする人で溢れていました。
△体育館の様子

写真の位置では少ないような気がしますが、大型の作品展示品コーナーの場所は人数が入れません。写真撮った私の後ろ側は抽選を待つ人で一杯でした。
今年は作品点数は約300点弱と例年と比べれば少ないとの話でしたが、購入したいと思って毎年来訪した方も何年も当たったことがないという方もいるようです。
技能祭らしくカンナや鋸など道具を売るお店も出ていたり、コーナーやスープなどの温かい飲み物もありました。
△道具を売っているお店

道具を売っている方は、自分で木工をやりながら道具も売っているとの事で、私が校長の時の学生さんでした。
来校した人数は、私は最後まで居なかったので分かりませんが、過去最高に近い人数だったのではないでしょうか。
帰り際にアメリカ出身で日本人の奥様とご結婚された方とお話しをお聞きすることができました。彼は卒業後は中国地方の宮大工に修行に行くとの事でした。奥様は名古屋で仕事をしているので、技専校の一年間は新婚で別居生活だったそうですが、これからも少しの間は別居生活で新婚を楽しむそうです。
最後に「技専校の寮生活はどうでしたか?」とお聞きすると、「寮!!最高!!」と雄叫びに近い声で感激して話していました。
13日には修了式が終わり、それぞれの道を歩み出しますが、先輩もいない、後輩もいない、歳も親子ほど違う中での技専の生活はかけがえのないものと思います。
道路から駐車場への整理は町の交通安全協会の皆さんがボランティアで出ていましたが、臨時駐車場も含めすでに満杯状態でした。
先日、民放で将来の匠を目指す技専のニュースが流れましたので、校長先生と今年は人出が大変じゃないかと話していましたが、その予想を上回る盛況でした。
実習棟に入ると御神木祭をPRする写真も掲示されていました。
△PR幟旗と写真

自分の削り箸を作るコーナーでは、始めてカンナを持つであろう子どもや女性がトライしていました。
△削り箸作成コーナーの様子

展示と即売が行われている体育館に入ると、見学の人と絶対に手に入れたいとする人で溢れていました。
△体育館の様子

写真の位置では少ないような気がしますが、大型の作品展示品コーナーの場所は人数が入れません。写真撮った私の後ろ側は抽選を待つ人で一杯でした。
今年は作品点数は約300点弱と例年と比べれば少ないとの話でしたが、購入したいと思って毎年来訪した方も何年も当たったことがないという方もいるようです。
技能祭らしくカンナや鋸など道具を売るお店も出ていたり、コーナーやスープなどの温かい飲み物もありました。
△道具を売っているお店

道具を売っている方は、自分で木工をやりながら道具も売っているとの事で、私が校長の時の学生さんでした。
来校した人数は、私は最後まで居なかったので分かりませんが、過去最高に近い人数だったのではないでしょうか。
帰り際にアメリカ出身で日本人の奥様とご結婚された方とお話しをお聞きすることができました。彼は卒業後は中国地方の宮大工に修行に行くとの事でした。奥様は名古屋で仕事をしているので、技専校の一年間は新婚で別居生活だったそうですが、これからも少しの間は別居生活で新婚を楽しむそうです。
最後に「技専校の寮生活はどうでしたか?」とお聞きすると、「寮!!最高!!」と雄叫びに近い声で感激して話していました。
13日には修了式が終わり、それぞれの道を歩み出しますが、先輩もいない、後輩もいない、歳も親子ほど違う中での技専の生活はかけがえのないものと思います。
2025年03月09日
JR東海要望活動&中部地方整備局訪問
6日、名古屋市のJR東海太閤ビルを訪ねて中央西線のダイヤの改正、駅舎のエレベーター設置などの要望活動を実施しました。
毎年、この時期に実施している要望活動ですが、JR東海からは利用者数の現状や人員配置や車輌の状況があり難しいとの回答を頂いています。しかしながら、地域の高齢者の状況やインバウンドで訪れる外国の方が大きな荷物を持って旅行する姿を見るにつけて少しでも前に進めて欲しいと各首長からは実情を述べて要望活動がされました。
また、沿線ではキャッシュレス決済ができない事で外国から見えた方が降りる際に並んで乗降に影響が出ているなどの話しが出ました。
△原連合長からJR東海中井洋樹営業担当部長さんへ要望書手交

△要望活動の様子

私からは、伊勢神宮式年遷宮御杣始祭と、曳行の御神木祭に当たってJR東海では特急の臨時停車の運行が予定されているとの事、駅舎北側の活用についてご理解をいただいている事への御礼を申し上げました。
要望については、直ぐに前進することは難しい状況にはありますが、現状はご理解頂いたものと思いました。
JR東海要望事項の後、中部地方整備局を訪問し、望月拓郎道路部長さん、吉岡大蔵河川部長さん、大口道路調査官さんを訪ね、今年度お世話になった事について御礼を述べさせて頂きました。
△中部地方整備局の道路や河川関係の幹部の皆さんとの懇談



中部地方整備局への訪問は、私が町長としては最後の訪問となりましたが、在職中には大雨の予報更には宮戸沢土石流の国道通行止めなど危機管理事象が起きた時は大変お世話になりました。
また、道路では現在、JR中央西線と国道19号が交差する笹沢の歩道が、これからも日数が要するので最後のお願いをしてまいりました。
毎年、この時期に実施している要望活動ですが、JR東海からは利用者数の現状や人員配置や車輌の状況があり難しいとの回答を頂いています。しかしながら、地域の高齢者の状況やインバウンドで訪れる外国の方が大きな荷物を持って旅行する姿を見るにつけて少しでも前に進めて欲しいと各首長からは実情を述べて要望活動がされました。
また、沿線ではキャッシュレス決済ができない事で外国から見えた方が降りる際に並んで乗降に影響が出ているなどの話しが出ました。
△原連合長からJR東海中井洋樹営業担当部長さんへ要望書手交

△要望活動の様子

私からは、伊勢神宮式年遷宮御杣始祭と、曳行の御神木祭に当たってJR東海では特急の臨時停車の運行が予定されているとの事、駅舎北側の活用についてご理解をいただいている事への御礼を申し上げました。
要望については、直ぐに前進することは難しい状況にはありますが、現状はご理解頂いたものと思いました。
JR東海要望事項の後、中部地方整備局を訪問し、望月拓郎道路部長さん、吉岡大蔵河川部長さん、大口道路調査官さんを訪ね、今年度お世話になった事について御礼を述べさせて頂きました。
△中部地方整備局の道路や河川関係の幹部の皆さんとの懇談



中部地方整備局への訪問は、私が町長としては最後の訪問となりましたが、在職中には大雨の予報更には宮戸沢土石流の国道通行止めなど危機管理事象が起きた時は大変お世話になりました。
また、道路では現在、JR中央西線と国道19号が交差する笹沢の歩道が、これからも日数が要するので最後のお願いをしてまいりました。
2025年03月09日
JR東海要望活動
6日、名古屋市のJR東海太閤ビルを訪ねて中央西線のダイヤの改正、駅舎のエレベーター設置などの要望活動を実施しました。
毎年、この時期に実施している要望活動ですが、JR東海からは利用者数の現状や人員配置や車輌の状況があり、現状では難しいとの回答を頂いています。しかしながら、地域の高齢者の状況やインバウンドで訪れる外国の方が大きな荷物を持って旅行する姿を見るにつけて少しでも前に進めて欲しいと各首長からは実情を述べて要望活動がされました。
また、沿線ではキャッシュレス決済ができない事で外国から見えた方が降りる際に並んで乗降に影響が出ているなどの話しが出ました。
△原連合長からJR東海中井運輸営業部担当部長さんへ要望書を提出

毎年、この時期に実施している要望活動ですが、JR東海からは利用者数の現状や人員配置や車輌の状況があり、現状では難しいとの回答を頂いています。しかしながら、地域の高齢者の状況やインバウンドで訪れる外国の方が大きな荷物を持って旅行する姿を見るにつけて少しでも前に進めて欲しいと各首長からは実情を述べて要望活動がされました。
また、沿線ではキャッシュレス決済ができない事で外国から見えた方が降りる際に並んで乗降に影響が出ているなどの話しが出ました。
△原連合長からJR東海中井運輸営業部担当部長さんへ要望書を提出

2025年02月02日
名古屋県人会新春懇親会
いよいよ2月となりましたが、この季節に悩まされる事があります。花粉症に毎年悩まされて私にとっては憂鬱な季節となります。
先日、かかりつけの医師に聞いたところ、既に症状が出ている人がいるとか、私もくしゃみが最近出るので薬を処方してもらいました。
特に暖かい所に出張する時は季節が早く来ていますので要注意です。
そんな中ですが、2月の最初の出張で1日に名古屋市で行われる“名古屋長野県人会新春懇親会”に出席のため出張しました。
毎年この時期に行われている行事で私も幾度となく参加させて頂いています。今年は伊勢神宮式年遷宮の御神木祭のPRのためにポスターを持って参加しました。
△急な申し込みでしたが県人会事務局のご配慮によりポスター5枚(他の4枚は他の場所に掲出)貼っていただきました。

会の始まりは県歌『信濃の国』を全員で歌います。毎年、指揮は神田久嗣(神戸市)さんが執ります。
△信濃の国

『信濃の国』はこの会では6番までのフルコーラスで歌いますが、いつもはあまり歌われない曲調が変わる4番の『尋ねまほ〜しき♪♫』の次の詩の部分には上松の寝覚の床と木曽の桟が続いて出て来ます。
△スクリーンに映し出された寝覚の床

県人会長の宮嵜良一さんの挨拶に続き、来賓が紹介されます。
△宮嵜会長挨拶。宮嵜さんは弁護士をしておられます。

△来賓の皆さん挨拶。挨拶は愛知県からの来賓秋田県民総務課長さん。

この日木曽から来ていた町村長は私の他には大桑村の坂家さんだけで、いつもなら4人くらい来るので寂しいなと思っていた所、同席の高橋さんは南木曽の田立出身という事で話が弾みました。
事務局の方が名簿では分からなかった木曽の人が座る「御嶽山」のテーブルまで案内してくれました。そのうち2名の方が上松出身で御神木祭の話や御嶽海関の話題で盛り上がりました。
このテーブルの方は高校の同級生で、木曽西高校で私の3年先輩ということが分かり一層打ち解けてお話しさせて頂きました。
△皆さんと一緒に。(ブログアップは了承して頂きました。

この日は、上田市さんが当番市町村ということで真田十勇士のうち真田幸村、猿飛佐助、筧十蔵(女性)の3人が名古屋まで来られました。お聞きすると名古屋城の武将隊とも交流があるとの事です。
△とても軽妙なお話しや踊りで盛り上げてくれました。


八十二銀行名古屋支店の中村守支店長さんから声をかけられ、御神木祭のポスターを支店内に掲示して盛り上げて行きたいとお話し頂きました。また、金子利治副会長さんはJRのOBの方ですが、何かあれば力になるとお約束してくれました。
帰り際に参加者の方との話の中で「いや〜やっぱり信濃の国は良いよね〜」と話された言葉に見えない絆を見た思いがしました。
先日、かかりつけの医師に聞いたところ、既に症状が出ている人がいるとか、私もくしゃみが最近出るので薬を処方してもらいました。
特に暖かい所に出張する時は季節が早く来ていますので要注意です。
そんな中ですが、2月の最初の出張で1日に名古屋市で行われる“名古屋長野県人会新春懇親会”に出席のため出張しました。
毎年この時期に行われている行事で私も幾度となく参加させて頂いています。今年は伊勢神宮式年遷宮の御神木祭のPRのためにポスターを持って参加しました。
△急な申し込みでしたが県人会事務局のご配慮によりポスター5枚(他の4枚は他の場所に掲出)貼っていただきました。

会の始まりは県歌『信濃の国』を全員で歌います。毎年、指揮は神田久嗣(神戸市)さんが執ります。
△信濃の国

『信濃の国』はこの会では6番までのフルコーラスで歌いますが、いつもはあまり歌われない曲調が変わる4番の『尋ねまほ〜しき♪♫』の次の詩の部分には上松の寝覚の床と木曽の桟が続いて出て来ます。
△スクリーンに映し出された寝覚の床

県人会長の宮嵜良一さんの挨拶に続き、来賓が紹介されます。
△宮嵜会長挨拶。宮嵜さんは弁護士をしておられます。

△来賓の皆さん挨拶。挨拶は愛知県からの来賓秋田県民総務課長さん。

この日木曽から来ていた町村長は私の他には大桑村の坂家さんだけで、いつもなら4人くらい来るので寂しいなと思っていた所、同席の高橋さんは南木曽の田立出身という事で話が弾みました。
事務局の方が名簿では分からなかった木曽の人が座る「御嶽山」のテーブルまで案内してくれました。そのうち2名の方が上松出身で御神木祭の話や御嶽海関の話題で盛り上がりました。
このテーブルの方は高校の同級生で、木曽西高校で私の3年先輩ということが分かり一層打ち解けてお話しさせて頂きました。
△皆さんと一緒に。(ブログアップは了承して頂きました。

この日は、上田市さんが当番市町村ということで真田十勇士のうち真田幸村、猿飛佐助、筧十蔵(女性)の3人が名古屋まで来られました。お聞きすると名古屋城の武将隊とも交流があるとの事です。
△とても軽妙なお話しや踊りで盛り上げてくれました。


八十二銀行名古屋支店の中村守支店長さんから声をかけられ、御神木祭のポスターを支店内に掲示して盛り上げて行きたいとお話し頂きました。また、金子利治副会長さんはJRのOBの方ですが、何かあれば力になるとお約束してくれました。
帰り際に参加者の方との話の中で「いや〜やっぱり信濃の国は良いよね〜」と話された言葉に見えない絆を見た思いがしました。
2025年01月17日
速報!!㊗️御治定
昨日、嬉しいニュースが飛び込んできました。
二十年に一度の第六十三回伊勢神宮式年遷宮に係る御杣始祭が行われる事が正式に天皇陛下の御裁可(御治定[ごじじょう]という)が下されて御杣山(みそま山)として当地が中津川市加子母と一緒に選ばれました。
遡ること8年前に伊勢神宮に当時の野村奉賛会長に同伴して行き、小松大宮司さんらに面会して第62回に続いて当町から御神木を納めたいとお願いした事を懐かしく思い出しました。
既に第63回に向けては奉賛会が立ち上がり準備が進んでいますが、今回の御裁可により6月の本番に向けて拍車がかかると思います。
前回の時と違うのは木曽全体で盛り上げようと各町村からの催し物の準備が進められており、木曽を我が国のみならず世界に発信出来るチャンスであると思いますので是非ともネット情報で確認してお越し下さい。
約1300年の歴史絵巻が木曽の山中で繰り広げられます。また、多くの方が参加する御木曳もありますので楽しみにして下さい。なお、参加する方法等については後日詳細が決定してからとなります。
△ミニ御木曳、こんな様子です。

二十年に一度の第六十三回伊勢神宮式年遷宮に係る御杣始祭が行われる事が正式に天皇陛下の御裁可(御治定[ごじじょう]という)が下されて御杣山(みそま山)として当地が中津川市加子母と一緒に選ばれました。
遡ること8年前に伊勢神宮に当時の野村奉賛会長に同伴して行き、小松大宮司さんらに面会して第62回に続いて当町から御神木を納めたいとお願いした事を懐かしく思い出しました。
既に第63回に向けては奉賛会が立ち上がり準備が進んでいますが、今回の御裁可により6月の本番に向けて拍車がかかると思います。
前回の時と違うのは木曽全体で盛り上げようと各町村からの催し物の準備が進められており、木曽を我が国のみならず世界に発信出来るチャンスであると思いますので是非ともネット情報で確認してお越し下さい。
約1300年の歴史絵巻が木曽の山中で繰り広げられます。また、多くの方が参加する御木曳もありますので楽しみにして下さい。なお、参加する方法等については後日詳細が決定してからとなります。
△ミニ御木曳、こんな様子です。

2025年01月01日
ゆく年くる年(諏訪神社除夜祭 元旦祭)
皆様明けましておめでとうございます。本年もブログをご覧いただきありがとうございます。
さて昨日の大晦日は町内の諏訪神社除夜元旦祭にお招きを頂き参列しました。今年で8回目を迎える年中行事ですが、この4月4日の任期末で次期選挙には出馬しない事を表明しておりますのでこれが最後となります。
夕方に降った雪も一段落した午後10時半頃自宅を出て上松小学校校庭を抜けて諏訪神社に到着しました。境内につながる石段には参詣者の足下を照らすロウソクが灯されていました。
△趣のある灯

△除夜祭を迎える神社

除夜祭は午後11時から行われましたが、今年の出来事を振り返ると能登半島や石川県の皆さんにとっては千年に一度の地震、千年に一度の豪雨災害などがこの一年で起きた事、本当に大変な一年であったと思います。
他にも秋田・山形両県で起きた豪雨災害を始め、全国各地で自然災害が起こりました。そんな年もこうして年を越せる事になりました。
午前零時を迎えると進行役の氏子総代さんの「皆様明けましておめでとうございます」の挨拶から元旦祭が始まりました。
△元旦祭を待つ氏子総代、神楽連の皆さん

例年どおり湯立て神事の舞が奉納されます。
△今年初めての湯立て神事

元旦祭の神事が終わった後の来賓代表の挨拶で「今年は巳年、しめ縄は蛇が絡まったものを表したという一説がある。禍福はあざなう縄の如しの言葉があるが昨年大変な一年であった所は今年は幸せがきっとやって来るし、平穏であったところはいざという時に備える必要がある。そのような時にご協力いただく皆さんと一緒にここで新年を迎えた。本年も宜しくお願いします。」と申し上げました。
本ブログも公式HPでは後もう少しで最終章を迎えようとしていますが、上松の魅力や出来事をお伝えしますので最後まで宜しくお願いいたします。
さて昨日の大晦日は町内の諏訪神社除夜元旦祭にお招きを頂き参列しました。今年で8回目を迎える年中行事ですが、この4月4日の任期末で次期選挙には出馬しない事を表明しておりますのでこれが最後となります。
夕方に降った雪も一段落した午後10時半頃自宅を出て上松小学校校庭を抜けて諏訪神社に到着しました。境内につながる石段には参詣者の足下を照らすロウソクが灯されていました。
△趣のある灯

△除夜祭を迎える神社

除夜祭は午後11時から行われましたが、今年の出来事を振り返ると能登半島や石川県の皆さんにとっては千年に一度の地震、千年に一度の豪雨災害などがこの一年で起きた事、本当に大変な一年であったと思います。
他にも秋田・山形両県で起きた豪雨災害を始め、全国各地で自然災害が起こりました。そんな年もこうして年を越せる事になりました。
午前零時を迎えると進行役の氏子総代さんの「皆様明けましておめでとうございます」の挨拶から元旦祭が始まりました。
△元旦祭を待つ氏子総代、神楽連の皆さん

例年どおり湯立て神事の舞が奉納されます。
△今年初めての湯立て神事

元旦祭の神事が終わった後の来賓代表の挨拶で「今年は巳年、しめ縄は蛇が絡まったものを表したという一説がある。禍福はあざなう縄の如しの言葉があるが昨年大変な一年であった所は今年は幸せがきっとやって来るし、平穏であったところはいざという時に備える必要がある。そのような時にご協力いただく皆さんと一緒にここで新年を迎えた。本年も宜しくお願いします。」と申し上げました。
本ブログも公式HPでは後もう少しで最終章を迎えようとしていますが、上松の魅力や出来事をお伝えしますので最後まで宜しくお願いいたします。