2024年12月31日
寝覚の床安全対策会議
11月3日に寝覚の床において転落事故があり、行方不明となって、その後遺体で発見されるという事案を受けて12月12日、町が警察、広域消防など関係機関に呼びかけて安全対策会議を開催しました。
会議の前に臨川寺において全員で黙祷後、現場となった場所を視察して状況等について説明を受けました。
△床岩までは直ぐ近くに見えるのですが実際河原を歩くと時間もかかり足に結構来ます。


会議は臨川寺をお借りして行いました。関係機関から当日の対応について報告があり、立ち入りについては現状では規制することは法的に出来ないとの基本的な考えを共有しました。そのような中で工夫した分かりやすい看板の設置、インバウンドへの対応など今後具体的な方法を関係機関で検討して行く事になりました。
△観光客の皆さんが目にしたい奇岩、巨岩

会議の前に臨川寺において全員で黙祷後、現場となった場所を視察して状況等について説明を受けました。
△床岩までは直ぐ近くに見えるのですが実際河原を歩くと時間もかかり足に結構来ます。


会議は臨川寺をお借りして行いました。関係機関から当日の対応について報告があり、立ち入りについては現状では規制することは法的に出来ないとの基本的な考えを共有しました。そのような中で工夫した分かりやすい看板の設置、インバウンドへの対応など今後具体的な方法を関係機関で検討して行く事になりました。
△観光客の皆さんが目にしたい奇岩、巨岩

2024年12月31日
叙勲受賞報告
11日、長年消防団活動をしていただいた元団長の古屋恒春さんが受賞報告に来訪されました。
古屋さんは高校を卒業し、その一年後の19才の時に入団しました。現在は建設会社のオペレーターをしていますが、私とは昔から野球を通じて知己があり、大きな声で周りの皆さんを笑顔にしてくれます。
消防団長を務められ38年の団歴を通じて町の安全・安心を支えていただきました。団長経験者が全て叙勲という訳ではなく、経験年数や団や消防協会の職歴などを合わせて対象者となるか審査されます。
また賞罰歴があると外されますので大変名誉な事です。私よりも若いので、これからも健康に留意され地域のためにご活躍ください。
△古屋さんと

古屋さんは高校を卒業し、その一年後の19才の時に入団しました。現在は建設会社のオペレーターをしていますが、私とは昔から野球を通じて知己があり、大きな声で周りの皆さんを笑顔にしてくれます。
消防団長を務められ38年の団歴を通じて町の安全・安心を支えていただきました。団長経験者が全て叙勲という訳ではなく、経験年数や団や消防協会の職歴などを合わせて対象者となるか審査されます。
また賞罰歴があると外されますので大変名誉な事です。私よりも若いので、これからも健康に留意され地域のためにご活躍ください。
△古屋さんと

2024年12月09日
木曽南部直轄砂防の願い
11月25〜26日にかけて木曽南部直轄砂防の要望活動を国会議員、国土交通省、財務省に対して行いました。
国土交通省は所管する砂防部の草野部長さんに現状等について説明し、砂防事業の推進について要望しました。
木曽南部直轄砂防事業は推進協議会を今から47年前に立ち上げた歴史ある協議会で、これまでの先輩たちが築き上げてくれた歴史を引き継いで活動しています。
自然災害による砂防の重要性は全国どこでも重要な課題となっていますが、木曽南部の直轄砂防における崩壊地の侵食は進んでおり、危険性は一層大きくなっって来ています。
今から10年前には南木曽町の梨子沢で中学生が土石流に巻き込まれ亡くなるという悲惨な災害もありました。また、上松においても3年前に宮戸沢において土石流が発生した時の豪雨は滑川の砂防第一堰堤が5万立方の土砂を排石したにも関わらず、約9万立方の土砂が押し寄せて一年かかって排石したのにも関わらずたった一日で埋まってしまったと言う事がありました。
この第一砂防堰堤は10年の歳月をかけ令和元年3月に完成しました。当時は“東洋一の砂防ダム”で50年は大丈夫という触れ込みでしたが、その年の7月豪雨による土石の流出により一日で埋まってしまったという歴史があります。
当時、町民が50年持つと言ったダムが一日で埋まったということで衝撃を与えました。しかしながら、この砂防ダムが無ければ大変な災害が下流部に発生したということは容易に想像できます。
草野部長さんとの懇談の中で、私が中学生の時に見た山容と全く変わって来ていると中学校の校歌のエピソードも加え説明しました。
草野部長さんは幾度となく木曽にも足を運んでいただいており、状況についてはよく理解していただいているだけに本当に真剣に話を聞いていただきました。
△草野部長さんと推進協議会との懇談

全国で砂防災害が起こっているだけに予算を付けて事業を推進するには財務省の理解が何よりも必要ですが、現在の諸物価の高騰による資材類のアップ、人件費のアップなどがあり、今までのような前年対比ベースの予算獲得では事業を進める事が出来ないので計画ベースで予算を確保することを要望しました。
国土交通省は所管する砂防部の草野部長さんに現状等について説明し、砂防事業の推進について要望しました。
木曽南部直轄砂防事業は推進協議会を今から47年前に立ち上げた歴史ある協議会で、これまでの先輩たちが築き上げてくれた歴史を引き継いで活動しています。
自然災害による砂防の重要性は全国どこでも重要な課題となっていますが、木曽南部の直轄砂防における崩壊地の侵食は進んでおり、危険性は一層大きくなっって来ています。
今から10年前には南木曽町の梨子沢で中学生が土石流に巻き込まれ亡くなるという悲惨な災害もありました。また、上松においても3年前に宮戸沢において土石流が発生した時の豪雨は滑川の砂防第一堰堤が5万立方の土砂を排石したにも関わらず、約9万立方の土砂が押し寄せて一年かかって排石したのにも関わらずたった一日で埋まってしまったと言う事がありました。
この第一砂防堰堤は10年の歳月をかけ令和元年3月に完成しました。当時は“東洋一の砂防ダム”で50年は大丈夫という触れ込みでしたが、その年の7月豪雨による土石の流出により一日で埋まってしまったという歴史があります。
当時、町民が50年持つと言ったダムが一日で埋まったということで衝撃を与えました。しかしながら、この砂防ダムが無ければ大変な災害が下流部に発生したということは容易に想像できます。
草野部長さんとの懇談の中で、私が中学生の時に見た山容と全く変わって来ていると中学校の校歌のエピソードも加え説明しました。
草野部長さんは幾度となく木曽にも足を運んでいただいており、状況についてはよく理解していただいているだけに本当に真剣に話を聞いていただきました。
△草野部長さんと推進協議会との懇談

全国で砂防災害が起こっているだけに予算を付けて事業を推進するには財務省の理解が何よりも必要ですが、現在の諸物価の高騰による資材類のアップ、人件費のアップなどがあり、今までのような前年対比ベースの予算獲得では事業を進める事が出来ないので計画ベースで予算を確保することを要望しました。
2024年11月24日
地域の課題を共に考える(その二 長野運輸局)
19日は長野地方気象台長さん来訪の後、北陸信越運輸局長野運輸局の山岸忠政支局長さんが来訪されました。
今回の訪問は主にタクシーの現状について、国の制度や地域の状況について意見交換をするために来訪されました。
国では地方の状況に寄り添った対応をして来ているところで乗用タクシーについて、運転手不足により運行が難しくなっている状況を踏まえて新たに新規に事業を始めたいとする方に事業者の運行管理の下で参入を認めるという制度が出来たと説明を受けました。
これは例えば自治体や個人も含め、営業している事業者が運転手不足に陥っている事実上のタクシー空白地域において新しく会社を立ち上げて事業者とともに連携していくという制度です。
現在、県が中心となって広域公共交通について新しいバス路線について検討がされていますが、町村の乗降場所である結節点に来る足の確保も重要な課題です。それにはタクシーによる運行が重要となって来ます。
現在、上松町では昨年度からデマンドタクシーの試験運行をして来ており、昨年までは特定の地域限定でしたが、今年からは全町を対象として更により良い方向を検討しています。
バスが運行される基幹ルートだけではなく、そこに繋がる支線もしっかりと確保しなければなりません。そのためには公共ライドシェアなども視野に入れなければならないと考えます。
現在、当町ではおんたけタクシー(株)さんが運行していますが、従業員28人の年齢は50歳後半から70歳代ということで、新規採用募集しても入って来ないという状況とお聞きしました。
そうすると、後10年も経てば木曽地域はタクシーの空白地域となってしまうことが容易に想像され、住民の足、観光客への対応、夜を中心とした飲食店の営業などに深刻な影響を与えるものです。
山岸支局長さんと、ざっくばらんなお話をする中で、町では一事業者に頼っていたタクシー運行も自治体の責務として早急の対応が必要と今まで以上に感じました。
各町村によって実態が大きく異なるため、まずは民間事業者さんとの話し合いする場の設置が必要ではと意見を交わしました。
新しいバス運行が予定されていますが、タクシー運行について「今まではこうだったのに・・」という事もあるでしょうが、維持していくためにはどうしたら良いか、住民の皆さんのご理解とご協力が更に必要となってくるものと思います。
△山岸支局長さんと

木曽は木曽広域連合があり、町村も大きな突出した自治体がある訳でなく全国の中山間地域のモデル的なケースとして期待されているのかもしれません。
今回の訪問は主にタクシーの現状について、国の制度や地域の状況について意見交換をするために来訪されました。
国では地方の状況に寄り添った対応をして来ているところで乗用タクシーについて、運転手不足により運行が難しくなっている状況を踏まえて新たに新規に事業を始めたいとする方に事業者の運行管理の下で参入を認めるという制度が出来たと説明を受けました。
これは例えば自治体や個人も含め、営業している事業者が運転手不足に陥っている事実上のタクシー空白地域において新しく会社を立ち上げて事業者とともに連携していくという制度です。
現在、県が中心となって広域公共交通について新しいバス路線について検討がされていますが、町村の乗降場所である結節点に来る足の確保も重要な課題です。それにはタクシーによる運行が重要となって来ます。
現在、上松町では昨年度からデマンドタクシーの試験運行をして来ており、昨年までは特定の地域限定でしたが、今年からは全町を対象として更により良い方向を検討しています。
バスが運行される基幹ルートだけではなく、そこに繋がる支線もしっかりと確保しなければなりません。そのためには公共ライドシェアなども視野に入れなければならないと考えます。
現在、当町ではおんたけタクシー(株)さんが運行していますが、従業員28人の年齢は50歳後半から70歳代ということで、新規採用募集しても入って来ないという状況とお聞きしました。
そうすると、後10年も経てば木曽地域はタクシーの空白地域となってしまうことが容易に想像され、住民の足、観光客への対応、夜を中心とした飲食店の営業などに深刻な影響を与えるものです。
山岸支局長さんと、ざっくばらんなお話をする中で、町では一事業者に頼っていたタクシー運行も自治体の責務として早急の対応が必要と今まで以上に感じました。
各町村によって実態が大きく異なるため、まずは民間事業者さんとの話し合いする場の設置が必要ではと意見を交わしました。
新しいバス運行が予定されていますが、タクシー運行について「今まではこうだったのに・・」という事もあるでしょうが、維持していくためにはどうしたら良いか、住民の皆さんのご理解とご協力が更に必要となってくるものと思います。
△山岸支局長さんと

木曽は木曽広域連合があり、町村も大きな突出した自治体がある訳でなく全国の中山間地域のモデル的なケースとして期待されているのかもしれません。
2024年11月16日
タスキつなぐ(第三回上松町駅伝大会)
16日は心配された雨の予報も熱気あふれる参加者の皆さんのお陰で秋晴れとなる中、上松町駅伝大会が18チーム参加して開催されました。
△駅前のスタートラインにはゲートが設置されていました。

当町の駅伝大会は町政施行100周年と同じ年に始められ、今年で3回目を迎えます。この駅伝を盛り上げようと中学生がポスターを作成してくれました。
△ポスター

参加者の皆さんは、スタート1時間以上前からウオーミングアップに余念がありません。各チームが誰を第一走者にして流れを掴むかなど作戦を立てていました。
中学生は総合学習の時間を使い、ただひたすら走るだけで無く、栄養学的な面や理想的な走法など科学的な面からもアプローチしていました。
△先生と中学生作戦タイム

△各チームミーティング

△神田実行委員長挨

△選手宣誓する中学生

今年の中学生は、サッカー部の新人戦に出場するのを辞退してこの駅伝に同級生と混合して賭けたと聞きましたが、果たして結果はどうなるのでしょうか?
△諸注意を真剣に聞いています。

△スタート前の選手。緊張してアドレナリンが出ている?

△先導車と応援に駆け付けてくれた多くの皆さん。

皆さん声援がひときわ大きくなる駅前付近に来ると一段と大きな拍手で最後の力を振り絞ります。
△力走する選手

コース周辺には多くの皆さんが拍手と「頑張れ〜」と声援があがります。
最後の各チーム第五走者まで全員走り切りました。
今年の優勝は、何とあの中学生チームでした。ワン、ツウー、スリーフィニッシュと圧巻の走りを見せてくれました。しかも記録は昨年よりも1分以上縮めたタイムでした。さすがは若い力で、その走りを見ていると自分も走れるのではと思いましたが、皆さんに迷惑かけてはすみませんので応援に徹しました。
△表彰式の様子。プレゼンターとして私も参加

昨年は中学生はサッカーの大会の日と重なって出場する事が出来ませんでしたが、今年はこの大会に先にエントリーしたため出場となりました。サッカー部監督からは『出る限り絶対優勝しろ‼︎」激励?喝?ハッパ?されたようです。
消防団第三分団も入賞し、いざという時の力をみせてくれたのも頼もしい限りです。
大会を盛り上げてくれ、コースの安全運営に携わって頂いた実行委員の皆さん、安協、警察の皆さん、そして沿道で熱心な声援を送っていただいた皆さんにも厚くお礼申し上げます。
木曽上松も秋が深まって来ました。この大会が風物詩となっていつまでも続くことを願うものです。
△駅前のスタートラインにはゲートが設置されていました。

当町の駅伝大会は町政施行100周年と同じ年に始められ、今年で3回目を迎えます。この駅伝を盛り上げようと中学生がポスターを作成してくれました。
△ポスター

参加者の皆さんは、スタート1時間以上前からウオーミングアップに余念がありません。各チームが誰を第一走者にして流れを掴むかなど作戦を立てていました。
中学生は総合学習の時間を使い、ただひたすら走るだけで無く、栄養学的な面や理想的な走法など科学的な面からもアプローチしていました。
△先生と中学生作戦タイム

△各チームミーティング

△神田実行委員長挨

△選手宣誓する中学生

今年の中学生は、サッカー部の新人戦に出場するのを辞退してこの駅伝に同級生と混合して賭けたと聞きましたが、果たして結果はどうなるのでしょうか?
△諸注意を真剣に聞いています。

△スタート前の選手。緊張してアドレナリンが出ている?

△先導車と応援に駆け付けてくれた多くの皆さん。

皆さん声援がひときわ大きくなる駅前付近に来ると一段と大きな拍手で最後の力を振り絞ります。
△力走する選手

コース周辺には多くの皆さんが拍手と「頑張れ〜」と声援があがります。
最後の各チーム第五走者まで全員走り切りました。
今年の優勝は、何とあの中学生チームでした。ワン、ツウー、スリーフィニッシュと圧巻の走りを見せてくれました。しかも記録は昨年よりも1分以上縮めたタイムでした。さすがは若い力で、その走りを見ていると自分も走れるのではと思いましたが、皆さんに迷惑かけてはすみませんので応援に徹しました。
△表彰式の様子。プレゼンターとして私も参加

昨年は中学生はサッカーの大会の日と重なって出場する事が出来ませんでしたが、今年はこの大会に先にエントリーしたため出場となりました。サッカー部監督からは『出る限り絶対優勝しろ‼︎」激励?喝?ハッパ?されたようです。
消防団第三分団も入賞し、いざという時の力をみせてくれたのも頼もしい限りです。
大会を盛り上げてくれ、コースの安全運営に携わって頂いた実行委員の皆さん、安協、警察の皆さん、そして沿道で熱心な声援を送っていただいた皆さんにも厚くお礼申し上げます。
木曽上松も秋が深まって来ました。この大会が風物詩となっていつまでも続くことを願うものです。
2024年11月10日
B&G“子ども第三の居場所”サミット
8日は上京3日目となりましたが、急に冬の訪れが来た感じで肌寒くなりました。
この日は品川にある東京海洋大学の楽水会館においてB&G財団が主催する“子ども第三の居場所サミット”が開催されたので参加しました。
東京海洋大学という大学名は私自身は聞いたことが無かったのですが、前身は東京水産大学という事を見て納得しました。
△キャンパス入口

到着が少し早かったのでキャンパス内を見学させて頂きましたが、クジラの骨格標本、実際に使われた練習船、クジラの捕鯨に使われた砲撃砲など、海への憧れが人一倍強い山育ちの私にとって興味ある構内でした。
△クジラの骨格標本。とにかくでかいです。

△捕鯨漁で使われた砲撃砲(新型・旧型)

△実習船として使われた『雲鷹(うんよう)丸』、今は文化財として保存されていました。

さて子ども第三の居場所サミットは、今年で2回目を迎えます。全国から首長の本人出席が40名、副市町村長、教育長などを合わせて71名の方が出席しました。
始めに子ども第三の居場所事業について説明があり、日本財団とB&G財団合わせて10月末現在で全国で238拠点が開設済みとのことでした。
また、子どもが抱える課題として100人のうち何らかの課題を抱えているのは延べ34.3人で3人に一人が課題を抱えているとのことでした。
課題として挙げられたのは経済的困難、被虐待、イジメ、不登校、学習面・行動面、日本語の指導が必要などです。
子ども第三の居場所は、子どもたちの孤立しやすい放課後の時間に家庭や学校の場所以外の場で信頼出来る大人や友達と安心して過ごし、将来の自立に向けて『生き抜く力』を育む場所と掲げています。
上松町では学童保育を運営して来た団体に運営を委託していますが、利用施設が約半世紀以上が経過して老朽化して来た時にこのお話を菅原理事長さんから頂き完成しました。また運営費についても助成していただいております。
サミットは主に2部構成のパネルディスカッションで行われました。第一部は行政関係者の「〜つなぐ〜」をテーマとし、第二部は実際に拠点施設を運営している団体の皆さんが実際の取組み事例を含めた「〜みがく〜」をテーマとしたパネルディスカッションでした。
第一部では3人の首長さんがパネラーで参加され、うち2名が長野県内の白馬村と下條村の村長さんでした。
△第一部の様子。立っているのが丸山白馬村長、その左隣が金田下條村長さんです。

白馬村は来月12月に完成するということで現在整備を進めているとのことでした。白馬村からは子育てについてスマホを活用したスマートビレッジ構想を立てて子育てなどに活用しているということでした。
金田下條村町からは、全国から不登校児童、生徒を集めて映画作成を通じた取組みついて紹介されました。個性あふれる作品が全国から15作品(海外からも4作品)の応募があり映画祭を開催したとのことでした。
第二部のパネルディスカッションは、拠点を運営している神奈川県湯河原町、茨城県筑西市、岡山県鏡野町の拠点を運営している皆さんから事例発表がありました。
湯河原町からは多世代の居場所づくりの取り組み、鏡野町からはSNSを活用した地域への協力呼びかけを通じた取組み、筑西市からは子どもが主役の居場所づくりについての取組みの紹介がありました。
そのうち、筑西市の居場所づくりの子どもたちも運営法人の総会に参加している取組みは子供が主役という事を実践しているものと感じました。
パネルディスカッションが終わった後、NPO法人を立ち上げて第三の家族の活動をしている奥村春香さんから自らの体験を通じたお話がありました。
その中から家庭内における課題として「虐待ではないけど」という中に様々な“はざま”、厳しい理想、過干渉、家庭の不和、無理解があるのではという指摘には考えさせられました。
また、「寄り添わない支援」の必要性について、寄り添われると離れていく、寄り添うと人手が足りなくなるという事を聞くと、行政では当たり前に「寄り添う」という事が云われますがその言葉の本質をしっかりと考えて必要があると思います。
最終的には寄り添うためにも、構え方、信頼関係の構築重要だという言葉、皆さんと一緒に考えたいですという言葉にサミットに参加した意味があったと思いました。
△マイクを持っているのが奥村さん。世界を変える30歳未満2023受賞者

この日は品川にある東京海洋大学の楽水会館においてB&G財団が主催する“子ども第三の居場所サミット”が開催されたので参加しました。
東京海洋大学という大学名は私自身は聞いたことが無かったのですが、前身は東京水産大学という事を見て納得しました。
△キャンパス入口

到着が少し早かったのでキャンパス内を見学させて頂きましたが、クジラの骨格標本、実際に使われた練習船、クジラの捕鯨に使われた砲撃砲など、海への憧れが人一倍強い山育ちの私にとって興味ある構内でした。
△クジラの骨格標本。とにかくでかいです。

△捕鯨漁で使われた砲撃砲(新型・旧型)

△実習船として使われた『雲鷹(うんよう)丸』、今は文化財として保存されていました。

さて子ども第三の居場所サミットは、今年で2回目を迎えます。全国から首長の本人出席が40名、副市町村長、教育長などを合わせて71名の方が出席しました。
始めに子ども第三の居場所事業について説明があり、日本財団とB&G財団合わせて10月末現在で全国で238拠点が開設済みとのことでした。
また、子どもが抱える課題として100人のうち何らかの課題を抱えているのは延べ34.3人で3人に一人が課題を抱えているとのことでした。
課題として挙げられたのは経済的困難、被虐待、イジメ、不登校、学習面・行動面、日本語の指導が必要などです。
子ども第三の居場所は、子どもたちの孤立しやすい放課後の時間に家庭や学校の場所以外の場で信頼出来る大人や友達と安心して過ごし、将来の自立に向けて『生き抜く力』を育む場所と掲げています。
上松町では学童保育を運営して来た団体に運営を委託していますが、利用施設が約半世紀以上が経過して老朽化して来た時にこのお話を菅原理事長さんから頂き完成しました。また運営費についても助成していただいております。
サミットは主に2部構成のパネルディスカッションで行われました。第一部は行政関係者の「〜つなぐ〜」をテーマとし、第二部は実際に拠点施設を運営している団体の皆さんが実際の取組み事例を含めた「〜みがく〜」をテーマとしたパネルディスカッションでした。
第一部では3人の首長さんがパネラーで参加され、うち2名が長野県内の白馬村と下條村の村長さんでした。
△第一部の様子。立っているのが丸山白馬村長、その左隣が金田下條村長さんです。

白馬村は来月12月に完成するということで現在整備を進めているとのことでした。白馬村からは子育てについてスマホを活用したスマートビレッジ構想を立てて子育てなどに活用しているということでした。
金田下條村町からは、全国から不登校児童、生徒を集めて映画作成を通じた取組みついて紹介されました。個性あふれる作品が全国から15作品(海外からも4作品)の応募があり映画祭を開催したとのことでした。
第二部のパネルディスカッションは、拠点を運営している神奈川県湯河原町、茨城県筑西市、岡山県鏡野町の拠点を運営している皆さんから事例発表がありました。
湯河原町からは多世代の居場所づくりの取り組み、鏡野町からはSNSを活用した地域への協力呼びかけを通じた取組み、筑西市からは子どもが主役の居場所づくりについての取組みの紹介がありました。
そのうち、筑西市の居場所づくりの子どもたちも運営法人の総会に参加している取組みは子供が主役という事を実践しているものと感じました。
パネルディスカッションが終わった後、NPO法人を立ち上げて第三の家族の活動をしている奥村春香さんから自らの体験を通じたお話がありました。
その中から家庭内における課題として「虐待ではないけど」という中に様々な“はざま”、厳しい理想、過干渉、家庭の不和、無理解があるのではという指摘には考えさせられました。
また、「寄り添わない支援」の必要性について、寄り添われると離れていく、寄り添うと人手が足りなくなるという事を聞くと、行政では当たり前に「寄り添う」という事が云われますがその言葉の本質をしっかりと考えて必要があると思います。
最終的には寄り添うためにも、構え方、信頼関係の構築重要だという言葉、皆さんと一緒に考えたいですという言葉にサミットに参加した意味があったと思いました。
△マイクを持っているのが奥村さん。世界を変える30歳未満2023受賞者

2024年11月09日
中部国道協会促進大会
上京2日目、新霞ヶ関ビルにおいて中部国道協会促進大会が開催され出席しました。今年の能登半島地震や全国各地で起きている豪雨災害の復旧、復興には道路が元通りにならないと緒にも付けません。
中部国道協会は、静岡、三重、愛知、岐阜、そして長野県の5県の自治体で構成する協会です。道路は三遠南信道など県境を挟んで、そして機能をより充実させるためには協力連携しなければなりません。
△中野会長挨拶(浜松市長)

この日は長野県の代表として駒ヶ根市の伊藤市長さんが『長野県南部の「命と暮らしを支える道」整備について』と題して意見発表をされました。木曽の国道19号の整備についても述べていただきました。
△伊藤市長さんの発表の様子

この日の大会に当たって、資材の高騰や賃金上昇を加味した予算の確保など9項目の提言を原副会長(木曽町長)さんが読み上げて大会を閉じ、その後国会議員への要望活動を行いました。
△原副会長さんの提言

中部国道協会は、静岡、三重、愛知、岐阜、そして長野県の5県の自治体で構成する協会です。道路は三遠南信道など県境を挟んで、そして機能をより充実させるためには協力連携しなければなりません。
△中野会長挨拶(浜松市長)

この日は長野県の代表として駒ヶ根市の伊藤市長さんが『長野県南部の「命と暮らしを支える道」整備について』と題して意見発表をされました。木曽の国道19号の整備についても述べていただきました。
△伊藤市長さんの発表の様子

この日の大会に当たって、資材の高騰や賃金上昇を加味した予算の確保など9項目の提言を原副会長(木曽町長)さんが読み上げて大会を閉じ、その後国会議員への要望活動を行いました。
△原副会長さんの提言

2024年10月30日
鎮魂の祈り(県戦没者追悼式)
26日、佐久市にある県立武道館において県戦没者追悼式が行われ参列しました。
県内出身者で先の大戦において犠牲となった約5万5千柱のご冥福をお祈りするとともに、恒久平和を祈る県戦没者追悼式で毎年会場を移動して実施しています。
今年で終戦79年目を迎え、遺族も高齢化するととも、参列する方の世代も孫の世代となっています。
△武道館前の看板

△会場

私が県職員時代に、この式典の担当であった30年前は、出席者は約3000人程を超える方がいましたが、今は郡市の代表者に数人の参加者で、市町村長もほぼ全員が参列していましたが、この日は十数人と隔世の感があります。
長野県の戦争の歴史として他の都道府県と大きく事情が違っている事があります。それは中国の満蒙開拓団に全国一番多い人数を送った事です。
当時の経済不況の中、家族が多い世帯では生活して行くのがやっとで、そのため跡継ぎでない若い人を中心に声をかけて『五族共和』、『王道楽土』の名の下、中国に渡って開拓する事業を行いました。
開拓とは言っても、実際は中国人の土地を奪ってそれを充てていたという事があったようです。そのため、終戦を知った中国人から襲われたこと、その後、中国残留孤児の悲惨な一家離散の悲劇が生まれました。
終戦から36年経って初めての残留孤児の調査が行われましたが、あまりにも時間が経っており残留孤児の身元について知っている養父母も亡くなっているなど調査は困難な状況でした。
私も身元判明調査に立ち会いましたが、必死に記憶辿る孤児の方とご家族の様子を見る時に戦争の悲惨さを改めて思い知らされました。
また、戦傷病者の方とも話す機会も多く、片腕や脚が無い方もいました。その中でいつも明るい方が一緒に風呂に入り裸となった時に寂しく言った言葉が今でも忘れられません。『戦争にあるなんて誰も思っていなかったんだよ、絶対に二度と戦争しちゃいかんよ。大屋くん』、『その結果がこれだよ』と言って無い腕を見せたのでした。
この日は戦没者追悼式でしたので、亡くなられた方は私たちに告げることもできずに逝ってしまったという無念を思うと慰める言葉も見つかりません。
またご遺族の方も大黒柱を失い、愛する家族を失った喪失感から大変なご苦労をされたと思います。
そんな様々な思いを胸に参列させて頂きました。佐久大学の大学生が御霊の安らかなることを念じつつ恒久平和を誓っていました。
今でもウクライナ、中近東で戦争において戦争が行われています。愚かな行為を人間は幾度となく繰り返すのでしょうか?
今は中国から周辺地域への圧力もあり、国内でもこうした動きに対して強硬な手段で対抗すべきと主張する人もいますが、我が国の主権を主張、堅持しながら粘り強く交渉していく必要があると思いました。
△阿部知事式辞

△遺族会長追悼の辞

△献花の様子

県内出身者で先の大戦において犠牲となった約5万5千柱のご冥福をお祈りするとともに、恒久平和を祈る県戦没者追悼式で毎年会場を移動して実施しています。
今年で終戦79年目を迎え、遺族も高齢化するととも、参列する方の世代も孫の世代となっています。
△武道館前の看板

△会場

私が県職員時代に、この式典の担当であった30年前は、出席者は約3000人程を超える方がいましたが、今は郡市の代表者に数人の参加者で、市町村長もほぼ全員が参列していましたが、この日は十数人と隔世の感があります。
長野県の戦争の歴史として他の都道府県と大きく事情が違っている事があります。それは中国の満蒙開拓団に全国一番多い人数を送った事です。
当時の経済不況の中、家族が多い世帯では生活して行くのがやっとで、そのため跡継ぎでない若い人を中心に声をかけて『五族共和』、『王道楽土』の名の下、中国に渡って開拓する事業を行いました。
開拓とは言っても、実際は中国人の土地を奪ってそれを充てていたという事があったようです。そのため、終戦を知った中国人から襲われたこと、その後、中国残留孤児の悲惨な一家離散の悲劇が生まれました。
終戦から36年経って初めての残留孤児の調査が行われましたが、あまりにも時間が経っており残留孤児の身元について知っている養父母も亡くなっているなど調査は困難な状況でした。
私も身元判明調査に立ち会いましたが、必死に記憶辿る孤児の方とご家族の様子を見る時に戦争の悲惨さを改めて思い知らされました。
また、戦傷病者の方とも話す機会も多く、片腕や脚が無い方もいました。その中でいつも明るい方が一緒に風呂に入り裸となった時に寂しく言った言葉が今でも忘れられません。『戦争にあるなんて誰も思っていなかったんだよ、絶対に二度と戦争しちゃいかんよ。大屋くん』、『その結果がこれだよ』と言って無い腕を見せたのでした。
この日は戦没者追悼式でしたので、亡くなられた方は私たちに告げることもできずに逝ってしまったという無念を思うと慰める言葉も見つかりません。
またご遺族の方も大黒柱を失い、愛する家族を失った喪失感から大変なご苦労をされたと思います。
そんな様々な思いを胸に参列させて頂きました。佐久大学の大学生が御霊の安らかなることを念じつつ恒久平和を誓っていました。
今でもウクライナ、中近東で戦争において戦争が行われています。愚かな行為を人間は幾度となく繰り返すのでしょうか?
今は中国から周辺地域への圧力もあり、国内でもこうした動きに対して強硬な手段で対抗すべきと主張する人もいますが、我が国の主権を主張、堅持しながら粘り強く交渉していく必要があると思いました。
△阿部知事式辞

△遺族会長追悼の辞

△献花の様子

2024年10月21日
今年最後の秋祭り(立町 春日神明神社例祭)
19日、浄めの雨と思わせる天気の中、立町地区にある春日神明神社の例祭があり参列しました。
神社境内の直ぐ下にはJR中央西線と国道19号線が走っており、時折り列車の音とトラックの行き交う音が聞こえて来ますが、すぐ横には幅2mほどの旧中山道が通っています。もしかしたら昔は通る旅人が道中の安全を祈願した神社なのかと想像が膨らみます。
上松町では各地でそれぞれの地区でお祭りが行われますが、私がお招きいただくのは諏訪神社の大晦日の除夜祭は別にしてこのお祭りが今年最後のお祭りとなります。
△氏子総代の挨拶から始まります。

△徳原宮司の祝詞奏上

ここのお祭りにも獅子神楽が伝わっていますが、舞や囃し言葉、笛、太鼓などは他の地区とは異なっています。また伝えられ来た獅子頭も少し可愛いというか、細面の優しい感じがします。
△獅子頭


神事終了後、お孫さんの初詣りでお祓いを受けるご家族がいました。こういう事がほのぼのとした雰囲気で、いかにも田舎のお祭りだと思いました。
△湯立て神事のお祓いを受けるご家族。御幸せに

神社を出て各戸にお祓いに出立する前に境内で獅子舞が奉納されます。
△獅子舞

太鼓を叩いている若者は地域おこし協力隊員として当町に移住した方です。
△彼は太鼓だけでなく、獅子も舞うことが出来ます。

各若連は浴衣にそれぞれの紋章を染め抜いており、立町若連は『桐に◯大(まるだい)』だそうですが、粋な浴衣です。
△浴衣

神楽が出立した後、社殿では『浦安の舞』が奉納されました。この舞は一度途絶えていたとの事ものですが、現在の徳原千鶴宮司さんが復活させて以来、地元の小学生に伝えられて来ました。
この日は小学校3年、6年生の4人が初めて合わせて舞うとのことでちょっと緊張気味でしたが無事奉納することが出来ました。
△浦安の舞


装束がよくにあっています。
今年は、正月早々に能登半島地震が発生し、その後も全国各地で豪雨災害が発生しました。当町においても台風10号が伊勢湾台風並の勢力で同じようなルートで近づくと予想され緊張しましたが、幸いにもほとんど影響が無く過ぎて行きました。
また8月には日向灘沖で地震が発生し、南海トラフ緊急地震情報が発出されるなど自然災害と対峙しないければならない事が多い一年でした。
とりわけ、能登半島では地震に続き豪雨災害が起こり、犠牲者が再び出てしまいました。
最近は毎年のように自然災害が起きており、今年も後2カ月と少しとなりましたが、一年の締めくくりまで安寧で平穏にと願う祭礼となりました。
神社境内の直ぐ下にはJR中央西線と国道19号線が走っており、時折り列車の音とトラックの行き交う音が聞こえて来ますが、すぐ横には幅2mほどの旧中山道が通っています。もしかしたら昔は通る旅人が道中の安全を祈願した神社なのかと想像が膨らみます。
上松町では各地でそれぞれの地区でお祭りが行われますが、私がお招きいただくのは諏訪神社の大晦日の除夜祭は別にしてこのお祭りが今年最後のお祭りとなります。
△氏子総代の挨拶から始まります。

△徳原宮司の祝詞奏上

ここのお祭りにも獅子神楽が伝わっていますが、舞や囃し言葉、笛、太鼓などは他の地区とは異なっています。また伝えられ来た獅子頭も少し可愛いというか、細面の優しい感じがします。
△獅子頭


神事終了後、お孫さんの初詣りでお祓いを受けるご家族がいました。こういう事がほのぼのとした雰囲気で、いかにも田舎のお祭りだと思いました。
△湯立て神事のお祓いを受けるご家族。御幸せに

神社を出て各戸にお祓いに出立する前に境内で獅子舞が奉納されます。
△獅子舞

太鼓を叩いている若者は地域おこし協力隊員として当町に移住した方です。
△彼は太鼓だけでなく、獅子も舞うことが出来ます。

各若連は浴衣にそれぞれの紋章を染め抜いており、立町若連は『桐に◯大(まるだい)』だそうですが、粋な浴衣です。
△浴衣

神楽が出立した後、社殿では『浦安の舞』が奉納されました。この舞は一度途絶えていたとの事ものですが、現在の徳原千鶴宮司さんが復活させて以来、地元の小学生に伝えられて来ました。
この日は小学校3年、6年生の4人が初めて合わせて舞うとのことでちょっと緊張気味でしたが無事奉納することが出来ました。
△浦安の舞


装束がよくにあっています。
今年は、正月早々に能登半島地震が発生し、その後も全国各地で豪雨災害が発生しました。当町においても台風10号が伊勢湾台風並の勢力で同じようなルートで近づくと予想され緊張しましたが、幸いにもほとんど影響が無く過ぎて行きました。
また8月には日向灘沖で地震が発生し、南海トラフ緊急地震情報が発出されるなど自然災害と対峙しないければならない事が多い一年でした。
とりわけ、能登半島では地震に続き豪雨災害が起こり、犠牲者が再び出てしまいました。
最近は毎年のように自然災害が起きており、今年も後2カ月と少しとなりましたが、一年の締めくくりまで安寧で平穏にと願う祭礼となりました。
2024年10月19日
吉野小水力発電お披露目式
吉野地区で進めていた小水力発電所で発電された売電が正式に決定したことから地元の皆さんにお披露目をするお披露目式が現地で行われました。
△当日は平日にも関わらず多くの皆さんにお越し頂きました。

この小水力発電事業は平成25年に県営中山間地域総合整備事業の一環として採択され、足掛け11年かけてこの日を迎えました。
当初、国のFIT(固定価格買取制度)を利用しての計画をしていましたが、国のルールが変更になった事から制度を活用した売電を断念しました。
そこで売電先を探していたところ県内トップ企業のセイコーエプソンさんが自社で使う電力を全て再生エネルギーで賄うという事業を進めており、話し合ってきたところ、この度話がまとまったもので、この日のお披露目式となりました。
△木曽地域振興局古畑農地整備課長さん挨拶

△工事を請負った協栄電気さんに感謝状

セイコーエプソンから渡辺常務執行役員さんが式に参列して頂きました。セイコーさんとは今後も自然再生エネルギー推進を進めて行きたいと考えており、パートナーとしては、あまりも大きな企業さんですが町の将来を考える上では大きな力を頂いたものと思います。
△渡辺常務執行役員さんの挨拶

△私から吉野地区住民の皆さん、協栄電気さん、セイコーエプソンさんにそれぞれ謝辞を申し上げました。

施設入口に看板を設置して式は終わりました。
△看板を古畑課長とともに掲げました。

式典終了後、吉野地区の皆さんに機械設備等の説明をしましたが、皆さん熱心に聞いて頂きました。機械操作は役場と協栄電気さんの2箇所でリモートで管理されています。
ここで電力を売った収益は、ランニングコストの運営費と用水、道路など農業施設のインフラ整備に使われます。
△当日は平日にも関わらず多くの皆さんにお越し頂きました。

この小水力発電事業は平成25年に県営中山間地域総合整備事業の一環として採択され、足掛け11年かけてこの日を迎えました。
当初、国のFIT(固定価格買取制度)を利用しての計画をしていましたが、国のルールが変更になった事から制度を活用した売電を断念しました。
そこで売電先を探していたところ県内トップ企業のセイコーエプソンさんが自社で使う電力を全て再生エネルギーで賄うという事業を進めており、話し合ってきたところ、この度話がまとまったもので、この日のお披露目式となりました。
△木曽地域振興局古畑農地整備課長さん挨拶

△工事を請負った協栄電気さんに感謝状

セイコーエプソンから渡辺常務執行役員さんが式に参列して頂きました。セイコーさんとは今後も自然再生エネルギー推進を進めて行きたいと考えており、パートナーとしては、あまりも大きな企業さんですが町の将来を考える上では大きな力を頂いたものと思います。
△渡辺常務執行役員さんの挨拶

△私から吉野地区住民の皆さん、協栄電気さん、セイコーエプソンさんにそれぞれ謝辞を申し上げました。

施設入口に看板を設置して式は終わりました。
△看板を古畑課長とともに掲げました。

式典終了後、吉野地区の皆さんに機械設備等の説明をしましたが、皆さん熱心に聞いて頂きました。機械操作は役場と協栄電気さんの2箇所でリモートで管理されています。
ここで電力を売った収益は、ランニングコストの運営費と用水、道路など農業施設のインフラ整備に使われます。