2025年04月29日

春を告げる上松の風景(その2 三徳様)

 29日は寝覚の臨川寺において恒例の三徳稲荷の例祭が行われたので行きました。
 三徳稲荷には毎年、赤い幟がお寺の檀家の皆さんなどを中心に上げられます。
△お稲荷様


 昨日の雨も上がり、気持ちの良い風が吹き抜ける境内では、福引きやゲームなどが地区の皆さんを中心に行われていました。
△福引きは長蛇の列?




△ゲームコーナーの射的


 子どもたちの人気は魚釣りコーナーですが、ついつい大人の方が夢中になるようです。
△魚釣りコーナー






 いろんな景品をゲットして皆さん満足のようでした。
 寝覚の床には、約30人くらいの方が床岩まで行っていましたが滑らないように気をつけて下さい。
△床岩の様子


 爽やかというよりも、ひんやりとした気持ちの良い風が吹くGWの中盤の初日でした。
  
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Posted by 大屋誠 at 10:49Comments(0)

2025年04月27日

春を告げる上松の風景

 前回のブログでは若宮神社の幟だけ紹介しましたが、幟には“八十八夜祭”と書かれていました。神社の幟とすると「若宮神社」と神社の名前で書かれていることが多いですが、若宮神社のお祭りは今は参加する若連の皆さんの都合により土日に合わせて行われるようになり
 幟は、昔は節分から数えて八十八夜に当たる5月1、2日に本祭が行われていたその名残といえます。
 お祭りに招かれていく途中で若連の皆さんとお神楽が見えましたのでお邪魔しました。
△獅子が舞っていますが、舞手不足から若宮神社では今は女性も加わり、小学生も一緒に各戸を廻っています。




 お神楽の前に付けられた提灯は「白張り提灯」と言いますが、一番上には若宮神社、そして下段には「駒ヶ岳神社」、「大宮神社」の二つの二つの神社の名前があります。
△お神楽正面


 これは昔は駒ヶ岳神社、大宮神社のある東小川と若宮神社のある西小川が深く結びついていたことを表しています。
 5月3日は駒ヶ岳神社の例祭があり、聞いた話しでは、このお神楽を木曽川の渡場から船で渡って駒ヶ岳神社まで行ったこともあるとのことです。
 駒ヶ岳神社は五穀豊穣を願い、農業の神でもありますが、特に養蚕の神としても崇められており、若宮神社のある西小川は養蚕が盛んであった事からこの様な繋がりがあるものと思われます。
 この祭が終わるといよいよ本格的な田植えシーズンとなりますが、西の谷から望む駒ヶ岳には雪形の「蛇頭(じゃがしら)」が今年も姿を現しました。
△蛇頭、駒ヶ岳の左の黒い部分が蛇が口を開けたように見えます?


  
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Posted by 大屋誠 at 20:21Comments(0)プライベート

2025年04月23日

春を告げる祭り

 20、21日と伊勢に出かけていただけなのにウオーキングコース脇の道路には黄色い山吹の花が咲いていました。
△小さい黄色い花


 「山吹」といえば小学校の頃の歴史の本で一番最初の江戸城を築城した太田道灌という武将をいつも思い出します。
 太田道灌は室町幕府後期に関東を中心に活躍した有能な武将ですが、こんな逸話が有名です。
 若い太田道灌が突然に雨が降って来たので、近くの農家に飛び込んで雨具の蓑を借りようとしたところ、農家の娘が山吹の花を差し出し「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだになきぞ悲しき」と歌うだけでした。私の借りたいのは蓑だ‼︎と怒った道灌は城に帰ってから古老にこの話をすると「実の」と「蓑」をかけたもので貧しいので私の家には蓑がないという事を歌に託したのだと古老が諭しました。
 あのような百姓の娘にさえ歌の教養があるのに、と自らを恥じて精進したという有名な話です。
 確かに山吹は綺麗な黄色い花は咲きますが、実を付けることはないという迷信もある様で、実がないということから子孫ができないということで家の中に植えるのは憚られたようです。ただ、一重に咲く種類は実がなるようです。
 そんな小学校の図書館で見た本をいつまでも覚えてるのは凄いと自分で思う一方で、昨日の事や、つい少し前までの事を忘れてしまう自分もいる年頃になって来ました。
 また、ウオーキングコース横には春の祭りを告げる「八十八夜祭」のぼり旗が立てられていました。
△はためく幟



  
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2025年04月23日

答志島の旅

 三重県最大の離島である答志島(とうしじま)に一泊しました。以前、伊勢楽市に来た時に上松と同じように出店していたので気になっていた島です。
 伊勢市駅から近鉄線に乗って約30分ほどで鳥羽駅に着きます。そこから市営定期船に乗船して20分ほどで島に着きます。
△定期船乗り口


 山で育った人間は海に行くと心が躍ります。
△直ぐに島が見えて来ました。定置網がずっと見えていました。


 船から降りると家並みが見えて来ましたが、全ての家の玄関の所には大きく◯が書いてあり、その中には漢数字の『八』が墨で書かれています。これは八幡神社の御印だそうで、健康と家の繁栄を願うものだそうです。個人宅なので写真は遠慮しました。
 御食の国らしい美味しい食事に舌鼓をうち、離島にも関わらず天然温泉が出ているという事(知らなかった)で離島の夜をゆっくり楽しみました。
 翌日、昨日気になっていた『八幡神社』が旅館の近くにあるのでお詣りしました。
△八幡神社


 朝方には漁師さんが既に漁から帰って来て網の手入れをしていましたが、皆さんご夫婦で仲良く作業をしていました。またメカブの処理もしていましたが、メカブそのものをなかなか本物を目にする事が無いのでジッと見ていたら変な人扱いされそうなので写真も撮れませんでした。
 その後、伊勢市に戻り内宮にある神宮司廳を訪問し、松永営林部長さんと面会する事ができ御礼申し上げました。
 司廳の玄関にはひのきの一枚板に『神宮式年造営廳』の真新しい看板が出ていました。
△真新しい看板


 玄関を出てから下った直ぐのところに『大山祇神社』、『子安神社』がありましたのでお詣りして伊勢参拝の旅は終わりました。
△大山祇神社、子安神社




  
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Posted by 大屋誠 at 11:57Comments(0)プライベート

2025年04月23日

伊勢様へ

 20、21日と一泊二日で伊勢神宮に御杣始祭決定の御礼に合わせ、神宮営林部への退任の挨拶を兼ねて神宮にお詣りしました。
 途中、伊勢楽市に出店している町観光協会への激励に訪ねました。私が訪ねた日は雲が多く暑いといってもそれほど厳しいものではなかったですが、前日の19日は、猛暑日で来場者の方も相当まいっていたようです。
△頑張って五平餅を焼く皆さん


△御神木バージョンのお酒を売る仙人(Tさん 本人了解の下、顔出しOK)


 伊勢楽市会場の通りを挟んで直ぐ外宮があります。
入り口には外宮の由来を書いた掲示板があります。
△入り口、下乗(馬を降りる)看板もあります。


 そこを進むと外宮正殿がありますが、前回訪問時には無かったのですが、今回はその横に第63回式年遷宮御敷地という新しい標柱が建っていました。
△正殿横の御敷地


 インバウンドで外国の方も多く見えていました。イスラム教の頭を覆う物を纏った方もいましたが、その方も含め、ほとんどの方は神道の作法に則って鳥居をくぐる前に一礼をしていました。
△反射板の前で


 伊勢神宮への参詣は順序があるそうですが皆さんは知っておられるでしょうか?始めに二見ヶ浦で清めて外宮、内宮の順序でお詣りするのが正式なルートだそうです。
 二見ヶ浦に行く時間がなかったので、ショートカットして今回は外宮から内宮にお詣りする事にしましたが、この日は日曜日とあって凄い混みようでした。
△正殿に向かう途中


 この広い参詣道は正月になると人で埋め尽くされると神宮職員の方が言っておられました。
 手水舎で手を清めて内宮正殿に向かいますが、人ひとでお詣りする人が絶えません。
△お詣りする人、若い人カップル、熟年ご夫婦の方も多くいました。


 写真撮影禁止の場所もあるので中は撮れませんでしたが、外宮同様に第63回式年遷宮御敷地を知らせる標柱がありました。
△内宮御敷地


 帰りに神馬に会いました。本当にキラキラした目がとても綺麗でした。
△神馬


 伊勢神宮は外宮、内宮の正殿しかお詣りしない人がほとんどだと思いますが、実に125ものお社があるそうです。今度は全部周りたいところですが、別宮、摂社なども含める大変な規模です。
 今回は神宮司庁の近くの大山祇神社、子安神社だけお詣りさせて頂きました。お詣りの時は背広着てネクタイ締めて参拝しました。とにかく暑かったです。
 明日は神宮司庁営林部をアポ無しですが訪問する予定ですので、今日は伊勢志摩の先の離島の答志島に宿泊します。答志島は伊勢神宮に御食(みけ)として海の幸のお供え物を進ぜていますので楽しみです。
  
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2025年04月18日

伊勢神宮式年遷宮御杣始祭に向けての講演会(その2)

 宮川清彦さんの講演に続いて地元木曽町日義の倉本豊さんから『奉仕者としての経験談』と題して講演がありました。
△倉本さんの講演


 倉本さんは、木曽町日義(旧日義村)の出身で上松技術専門校建築科を修了して大工となりました。御杣始祭で伐倒する伝統的技法である“三ツ紐伐り”を守る保存会に入るきっかけとなったのは、前々回の時に伝統的な技法が失われるということから保存会を立ち上げてその会員募集が目に留まってからだそうです。
 大工として木に携わっているものの、それは角材であり、他の会員の皆さんは丸太の原木を扱う山林関係者ばかりで最初は『場違いかな〜』と思っていたそうです。
 そして伐倒に使う“斧(ヨキ)”がまず無かったので探して、御柱祭で同じ様に御神木を伐り出す諏訪大社の近くの金物屋さんを訪ねたそうです。
 その話の中で三ツ紐伐りの技法を伝えていく事もむろん大事だが、使う斧を作っている所がほとんど無く、そうした事も受け継いで行かなければならないと話していました。
 また、伐る時には右利きの人は斧の先側を右手に持つ、これは『右ヨキ』、左利きの人は左手を先に持つのが『左ヨキ』という事を実際にヨキを持って熱演してくれました。
△熱のこもった講演


 そして三方向から3人で伐っていくが、同じ方向を向いて伐っていかないと隣の人の脚に当たる危険性があるので注意しなければならない、また、右方向ばかり向いていくとどうしてもヨキが当たる方向が偏ってしまいツルの部分が均一にならないので次は逆方向に切り進んで行かなければならないので杣夫は右でも左でもヨキを使えなければならないと経験者ならではの貴重なお話しをお聞きすることができました。
 また伐採後に行われる株祭りには、参加した一番若い杣夫が伐採後の切株に一番上の枝を刺して祀る。これは、伝統を引き継いでいく事を意味している儀式で、更に切り株は必然的に椀状になって水が一升くらい溜まり、そこにタネが落ちて母樹からの栄養を受けて次の時代に繋がるという事だそうです。
 また、木を伐る方向は谷側には倒さないというのが鉄則だそうで、もし谷側に伐り倒すと勢いが着き過ぎて材が割れてしまうそうで、伐った時には分からなくても製材した時に割れ目が出て来るそうです。
 ウ〜ン!!この辺りになると伊勢神宮最大の祭事ではあるものの、受け継がれて来た思想や技法の深さは現代にも通じるというよりも、日本版SDGSと感心しました。是非とも小中学生、大人の皆さんにも聞いていただきたいと思いました。
△株祭り


 こうした事を知り、伊勢神宮御杣始祭、更にはお木曳きの行事に参加すると楽しいでしょうね。
 皆さんも御杣始祭博士になってはいかがでしょうか?

   
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Posted by 大屋誠 at 15:37Comments(0)プライベート

2025年04月18日

式年遷宮御杣始祭に向けての講演会(その1)

 17日午後、長野県神社庁木曽支部が主催して“第63回伊勢神宮式年遷宮御杣始祭に向けて”と題した講演会があり参加させていただきました。
 講演会の会場には平日午後という時間にも関わらず約70名の方が聴講されました。
 講演の冒頭に、普段の講演とは違い神社庁主催らしく国歌「君が代」斉唱、「敬神生活の綱領」の朗読が行われました。
△様子


△主催者の宮田長野県神社庁木曽支部長さんのご挨拶


 講演は伊勢市在住で伊勢神宮禰宜を務められ、第63回式年遷宮の奉曳団長の宮川清彦さん、木曽町日義で大工をされており、そして伝統的伐採方式を伝える“三ツ紐伐り保存会”会員でもある倉本豊さんの二名の方から講演をいただきました。
 宮川さんからは『ビデオと遷宮概説』と題して講演をいただきました。
△宮川さんの講演


 宮川さんから約1300年続いて来た伊勢神宮の最大行事であるが、戦後の天皇と宗教との関わりの宗教法人化を検討の中で大きな岐路に立った事などがあって現在に至っているとの話がありました。
 その時に、もしかしたら伊勢神宮をお詣りするにも今のように誰もが自由に参拝出来るものではなく、許可を得た方だけがお詣りするものに変わっていたかもしれないとの事でした。そうなれば今の観光客で賑わう伊勢もだいぶ変わったものになったと思いました。
 また5月2日に式年遷宮の最初の祭事である“山口祭”が神宮で行われ、その深夜に二番目となる“木本(きのもと)祭”が行われるそうですが、“木本祭”は今でも秘儀とされているとの事で神宮のビデオも最初の神職がお祓いを受ける場面で終わっていました。
 20年に一回でしかも秘儀とされる木本祭ってどういうお祭りなのか、果たして伝える人(神職)もいるのかなど興味がわきました。
 伊勢神宮式年遷宮に当たっては、三番目となる御杣始祭も含めて33のこうしたお祭りがあるとの事ですが、伊勢神宮というと内宮、下宮に代表されますが、その数は別宮、摂社などを合わせると125社にも及ぶそうです。その一つ一つが20年に一度全て建て替えられるのですから壮大な行事です。
 私たちが御杣始祭を行なって奉送したのは20年前ですが、何と全部の建て替えが終わったのはつい数年前だとか、そして直ぐに今年、第63回式年遷宮に向けて始まります。何とも悠久の時間を感じるお祭りです。
 また宮川さんは式年遷宮は『木のお祭り』でもあると述べられていました。
 今は、政治と宗教は分離していますが、伊勢神宮式年遷宮の始まりは壬申の乱で勝利を収めた天武天皇がご発意し、それを推古天皇の時代に第一回目が行われたという歴史があり、17条の憲法を定めた聖徳太子が生きていた、その時代は日本の中央集権国家としての礎を築いていく時代でもあり、日本という国の歴史を考察していくと、この祭事は日本を象徴するものと言っても良いと思います。
 長くなって来たので二つ目の倉本さんの講演は次回にお伝えします。三ツ紐伐りのとても興味深いお話をお聞きしました。

 
 
   
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Posted by 大屋誠 at 07:23Comments(1)プライベート

2025年04月09日

上松にも桜開花

 梅や水仙の花などが咲いているので、上松の桜は何処かで咲いていないかとウオーキングの途中で注意してあちこち見ていたら、意外や意外!役場から程近い所に咲き始めていました。
△上松市街地1号、開花宣言!!


 明日の天気は雨で雷雨を伴うとか、出来れば長く楽しませて欲しいものです。
 花より団子派。美味しいお酒も酌み交わすのも日本人らしいですね。  
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Posted by 大屋誠 at 20:23Comments(0)プライベート

2025年04月09日

もう直ぐ種まき

 里には梅の花が満開、木曽駒ヶ岳には少しずつ上松に春の農作業の訪れを告げる雪形“蛇頭(じゃがしら)が少しずつ姿を見せてくれています。
△木曽駒ヶ岳の蛇頭はまだ口が開いていません。(左側に雪解けに連れて現れます)


 もう直ぐ農作業が忙しい季節を迎えますが、私の住んでいる駅前通り3丁目は駅前の地区ですが、地区名は田方と書いて“たんぼ”と読みます。昔は田が多かったという事からついた名前と聞いた事があります。
 最近は高齢化と後継者不足で耕されていない昔の田が多く見かけるようになって来ました。春の田には、うじゃうじゃいるカエルの卵から孵ったオタマジャクシが湧いて出るようにいましたが、今はどうしているのでしょうか?
 カエルは両生類ですが、地球温暖化の影響で一番始めに影響を受けて絶滅すると危惧されているのは両生類だそうです。いつまでも雪形が現れ、カエルの声がうるさいくらい響く上松の里の風景であって欲しいと思います。
 そんな悠長な事も言ってられません。コメが無い、そして高い!根本的な問題ではないでしょうか。外国に食料を頼っていた事が輸出品で大きく扱われている自動車部門だけではなく、トランプ課税によって農業も含めて今後あらゆる分野で幅広く影響が出て来るのが怖いです。  
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Posted by 大屋誠 at 06:33Comments(1)プライベート

2025年04月07日

初釣行

 7日は50年振りにネクタイを締めない初めての平日となりました。
 町長としての務めが終わり、ホッとした事もありますが、何からやろうかと思い当たったのは渓流釣りです。
 クマが出て襲われて、翌日、ニュースにでもなれば大変だから、行方不明になったらどうするなどなど、と釣行には反対の天の声があり残念ながら、ムスコ同伴ならの条件付きでしかなかなか行けませんでしたが今日は晴れて単独釣行となりました。
 私のテリトリーはあまり奥山に入る事はなく、民家が見えるいわゆる里の小川ですが、ちょっと入ると林が生い茂っています。
 先に入手した情報では今年は春先から釣り人が結構多いとの事で、「町長来ても釣れないよ」と教えてくれる地元の方もいましたが、その方も釣りをやるので自称名人の私に来させまいという作戦かと勘ぐりながら行きました。
 しかしながら、その情報はガセではありませんでした。期待に胸膨らませて第一投、そして第二投と投げ込みますが全く反応無し。昨年、息子と一緒に来た時は入れる場所のほぼ全てで釣れた場所です。
 少し行くと初魚影、しかしながら餌を見切っている様にプイ‼︎と行ってしまいます。また、投げると同時に逃げて行くお魚さん、どうも私が下手というよりも入釣者が多くスレているようです。
 でも、少し深い岩場でついに今年初めてのイワナと対面しました。
△25センチの良型でした。


 その後、リリースサイズの小さなお魚さんがかかり遊んでくれました。
 家族の人数分3匹を釣って納竿しましたが帰って来て、荷物を下ろそうとしていましたら、いつの間にかご近所のニャンコが私の釣果を覗きに来ていました。
△私の車の魚入れを背伸びして覗くニャンコ


 2時間ほどの楽しい初釣行となりました。  
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Posted by 大屋誠 at 21:54Comments(1)プライベート