2021年12月29日
“おせち”に来年の幸せの願いを込めて
今日は社協が毎年年末にお届けするボランティアの方が調理した正月料理の定番“おせち”を各家庭に配達するボランティアに参加させて頂きました。
△午前中からボランティアの方が作っていただいたおせちです。

縁起物の料理が並んでいます。独り暮らしの方などは作るにも、食べるにも量が難しいものでこうしたボランティアの方々が作った料理を毎年楽しみにしている方もおられます。
△配達する時間に行くと既に配達先の地図と一緒に午前中から調理されたおせちが用意されていました。

今日は全部で68個用意されたとの事で地区別に分かれて配達させて頂きました。私は11個お届けしました。玄関先まで出て来るのも大変な方もいましたが、皆さん喜んで頂きました。
別れ際に「良いお年をお迎えください」と声をかけると「皆さんも大変でした。お互い良いお年を」と応えてくれるご家庭もあり笑顔がとても嬉しいボランティアとなりました。
△午前中からボランティアの方が作っていただいたおせちです。

縁起物の料理が並んでいます。独り暮らしの方などは作るにも、食べるにも量が難しいものでこうしたボランティアの方々が作った料理を毎年楽しみにしている方もおられます。
△配達する時間に行くと既に配達先の地図と一緒に午前中から調理されたおせちが用意されていました。

今日は全部で68個用意されたとの事で地区別に分かれて配達させて頂きました。私は11個お届けしました。玄関先まで出て来るのも大変な方もいましたが、皆さん喜んで頂きました。
別れ際に「良いお年をお迎えください」と声をかけると「皆さんも大変でした。お互い良いお年を」と応えてくれるご家庭もあり笑顔がとても嬉しいボランティアとなりました。
2021年12月27日
歳末夜警始まる
26日夜から町消防団の恒例行事である“年末夜警”が始まりました。昔は年末に犯罪や火災などが発生した事から年も押し迫ったこの時期に行っていますが、昨年末は新型コロナ感染流行を受けて中止となり2年振りの夜警です。
団幹部と消防委員が当番を決めて29日まで4日間行います。例年、夜10時くらいにスタートでしたが、今年は時間を早めて7時半から4つの各分団詰所を激励巡視します。
△この様に当番の消防団員が整列して迎えてくれます。

そういえば昔は夜半過ぎ(朝早く?)まで一年を振り返って話をし、冷え切った身体を温めてくれる飲み物で温め、それを酌み交わしてやっていたな〜と、消防団員だった頃の話を消防委員の方と楽しく会話しながら思い出話しに花を咲かせました。
今年の消防活動で8月豪雨災害で水防警戒に当たっていた消防団員の一報で宮戸沢の土石流を知り、それをリアルタイムで飯田国道事務所長にホットラインで知らせました。その1日後の朝には通行止めとなっていた国道19号が復旧しました。早期の復旧にこうした消防団の活動があった事を忘れてなりません。
消防団の任務が『焼け松町』と揶揄された火災の防火に加え、自然災害への備え、対応が求められる時代に入って来たことを肌で痛切に感じる一年でした。
消防団員の皆様本当に有難うございました。残り5日間よろしくお願いいたします。
団幹部と消防委員が当番を決めて29日まで4日間行います。例年、夜10時くらいにスタートでしたが、今年は時間を早めて7時半から4つの各分団詰所を激励巡視します。
△この様に当番の消防団員が整列して迎えてくれます。

そういえば昔は夜半過ぎ(朝早く?)まで一年を振り返って話をし、冷え切った身体を温めてくれる飲み物で温め、それを酌み交わしてやっていたな〜と、消防団員だった頃の話を消防委員の方と楽しく会話しながら思い出話しに花を咲かせました。
今年の消防活動で8月豪雨災害で水防警戒に当たっていた消防団員の一報で宮戸沢の土石流を知り、それをリアルタイムで飯田国道事務所長にホットラインで知らせました。その1日後の朝には通行止めとなっていた国道19号が復旧しました。早期の復旧にこうした消防団の活動があった事を忘れてなりません。
消防団の任務が『焼け松町』と揶揄された火災の防火に加え、自然災害への備え、対応が求められる時代に入って来たことを肌で痛切に感じる一年でした。
消防団員の皆様本当に有難うございました。残り5日間よろしくお願いいたします。
2021年12月27日
12月恒例
先週末、長野市に出張で出かけた際に駅前のデパート前に人だかりが出来ていました。年末恒例のジャンボ宝くじの売り出しが今日までとあって、「もしかして残り物に福が」と考える私と同じ考えの人が列を成して待っていました。
△こんな感じでした。

そういえば昨年末は人混みを避けるようにと言われて余り盛り上がっていなかったのか、景気が悪いのでせめて宝くじで一攫千金をという事で盛り上がっていたのか何か遠くの記憶のようで覚えていない気がします。
この一年を振り返ってみるのが、年末のこの時期ですが、何故か余りにも『何があった、これもあった』という事の記憶の色が薄くなった感じがします。
何故なのかと自分なりに考えてみると、季節感があまりにもなかった、或いは行事の多くが中止などに追い込まれ、特に伝統的なお祭りなどで感じる事が少なかったせいなのかもしれません。
この2年はずっと連続した時間だけが過ぎてしまったと思うのは私だけなのかもしれませんが、今年もあと5日で終わります。
ジャンボ宝くじが当たれば、思い出深い年の瀬になると思いますが、そうした下心のある人には宝くじの福の神は微笑まないようです。せめて家族が新型コロナに罹らず、大雨による災害にも遭わず暮らせた事が一番の福でしょうか。
△こんな感じでした。

そういえば昨年末は人混みを避けるようにと言われて余り盛り上がっていなかったのか、景気が悪いのでせめて宝くじで一攫千金をという事で盛り上がっていたのか何か遠くの記憶のようで覚えていない気がします。
この一年を振り返ってみるのが、年末のこの時期ですが、何故か余りにも『何があった、これもあった』という事の記憶の色が薄くなった感じがします。
何故なのかと自分なりに考えてみると、季節感があまりにもなかった、或いは行事の多くが中止などに追い込まれ、特に伝統的なお祭りなどで感じる事が少なかったせいなのかもしれません。
この2年はずっと連続した時間だけが過ぎてしまったと思うのは私だけなのかもしれませんが、今年もあと5日で終わります。
ジャンボ宝くじが当たれば、思い出深い年の瀬になると思いますが、そうした下心のある人には宝くじの福の神は微笑まないようです。せめて家族が新型コロナに罹らず、大雨による災害にも遭わず暮らせた事が一番の福でしょうか。
2021年12月18日
学童クラブ「おひさまクラブ」クリスマス会
毎年恒例の学童クラブ「おひさまクラブ」のクリスマス会がひのきの里総合文化センターで行われ、お招きにより参加しました。
△入り口の手づくりの看板です。

この会は、学童クラブ“おひさまクラブ”と障がい者支援団体“ソーレ”に社協などが協力して毎年行っています。
子どもたちのダンスパフォーマンスに始まり、伊那で活躍している“権兵衛さん”のマジックショーなどもあり、時間を忘れるほどのあっという間の1時間半でした。
場内の撮影についてはご遠慮くださいとの事でしたので、撮影は出来ませんでしたが、権兵衛さんのマジックはどうなっているんだろうと子どもたちだけでなく大人も楽しむことが出来ました。
この一年おひさまクラブやソーレのスタッフの皆様には子どもたちや障がい者の皆さんへの支援本当にありがとうございました。
今日は感染対策もしっかり取り組んでの開催でしたが、近隣町村からもお越し頂き概ね100人が集まっての会となりました。
最後に参加者皆んなにプレゼントが渡されました。とても大変な一年でしたが、心和むそして温かい気持ちになれたひと時でした。
△プレゼントです。大人はマスク、シフォンケーキでした。

△入り口の手づくりの看板です。

この会は、学童クラブ“おひさまクラブ”と障がい者支援団体“ソーレ”に社協などが協力して毎年行っています。
子どもたちのダンスパフォーマンスに始まり、伊那で活躍している“権兵衛さん”のマジックショーなどもあり、時間を忘れるほどのあっという間の1時間半でした。
場内の撮影についてはご遠慮くださいとの事でしたので、撮影は出来ませんでしたが、権兵衛さんのマジックはどうなっているんだろうと子どもたちだけでなく大人も楽しむことが出来ました。
この一年おひさまクラブやソーレのスタッフの皆様には子どもたちや障がい者の皆さんへの支援本当にありがとうございました。
今日は感染対策もしっかり取り組んでの開催でしたが、近隣町村からもお越し頂き概ね100人が集まっての会となりました。
最後に参加者皆んなにプレゼントが渡されました。とても大変な一年でしたが、心和むそして温かい気持ちになれたひと時でした。
△プレゼントです。大人はマスク、シフォンケーキでした。

2021年12月17日
みどりの女神来訪
18日、町長室に“2021みどりの女神”の小林優希(ゆうき)さんが表敬訪問されました。
△この方です。マスクを取ったら新垣結衣さんに何となく似ています。顔の大きさは遠近法ではありません。見たままです。

昨年の“みどりの女神”の井戸川百花さんにもお会いしていますので、2年連続して“みどりの女神”とお会いしたことになります。
小林さんは実は“みどりの女神”の他にも“ミス着物”にも選ばれています。確かに着物もとても似合いそうな気品あふれる方でした。
大学では学園祭の実行委員を務められ、本人曰く裏方の仕事が好きで将来もそうしたお仕事に付きたいとのことでした。また幼い頃よりピアノが好きで今でも時折り弾いているとの事でした。
みどりの女神になって機械のオペレーター体験をして楽しかったとおっしゃってましたので、活動的な一面もあるのかと思いました。
△時間も忘れ、木曽の歴史や上松の魅力など話しましたが、受け応えもしっかりしていてとても素敵な女性でした。

新型コロナの影響で活動が制限されますが、みどりの女神としての活躍を祈念いたします。この後、現在は閉園している赤沢自然休養林に出かけましたが、ぜひ今度は森林鉄道に乗って楽しんで下さいと再訪をお願いしました。
△この方です。マスクを取ったら新垣結衣さんに何となく似ています。顔の大きさは遠近法ではありません。見たままです。

昨年の“みどりの女神”の井戸川百花さんにもお会いしていますので、2年連続して“みどりの女神”とお会いしたことになります。
小林さんは実は“みどりの女神”の他にも“ミス着物”にも選ばれています。確かに着物もとても似合いそうな気品あふれる方でした。
大学では学園祭の実行委員を務められ、本人曰く裏方の仕事が好きで将来もそうしたお仕事に付きたいとのことでした。また幼い頃よりピアノが好きで今でも時折り弾いているとの事でした。
みどりの女神になって機械のオペレーター体験をして楽しかったとおっしゃってましたので、活動的な一面もあるのかと思いました。
△時間も忘れ、木曽の歴史や上松の魅力など話しましたが、受け応えもしっかりしていてとても素敵な女性でした。

新型コロナの影響で活動が制限されますが、みどりの女神としての活躍を祈念いたします。この後、現在は閉園している赤沢自然休養林に出かけましたが、ぜひ今度は森林鉄道に乗って楽しんで下さいと再訪をお願いしました。
2021年12月13日
たまにはお出かけ
前日の土曜日にDIYでお風呂の目すき板を息子と一緒に作り、日曜日には特に予定も入っていなかったので、木祖村から上高地に向かうルートで旧奈川村(松本市奈川)に出かけました。
奈川には女工哀史で知られる「野麦峠」もあり、木曽から近くでもめったに行くことがない場所です。
木祖村の境峠付近は今年8月の災害の爪痕が残っており、道路の半分が損壊している箇所をすり抜けながら上松からは1時間ほどのドライブです。
県企業局に勤務の際は、ここの分譲地開発の担当者だった事もあり何回も訪れています。有名なのは「とうじそば」で、小さなおたまの様なザルに蕎麦を入れて食べるのですが、毎回行っても飽きない味です。子どもたちなどにも湯がく作業をして食べる温かい蕎麦はなんとも楽しく、この季節ならではのものです。
以前、美味しいパン屋さんがあったのを思い出し、お店の人に聞くと今はやっていないとの事でした。「製材所のパン屋」があるよと子どもが携帯情報で教えてくれました。でも「製材所のパン屋」ってどういう事?
と思って現地に案内されるがまま行くと確かにありました。駐車場のスペースを示す場所も無く木材が積んであり、確かに製材所だと思いながら看板に導かれ入っていくと4畳半くらいのスペースのこじんまりとした店に品数も多くパンが並んでいました。
この様な所に買いに来る人なんて私たちくらいと思っていましたが、先客がいました。帰り際に大阪ナンバーの方がは入れ替わるように入って行きました。
金土日の3日間の営業で父が経営していた製材所の場所を借りて姉妹で今年8月からやりだしたとの事でした。それにしても「製材所のパン屋」とはなかなかのアイディアウーマンとみました。
「サル払いの花火あげてたらパン焦がしちゃったので持ってて」とざっくばらんな明るい性格が店の雰囲気を醸しだしていました。
異種の取り合わせは時としてインパクトのあるものを生み出すようです。
なお、パンを焼く燃料は製材所に残った木材だそうで、持続可能な地域づくりを実践しているお店でした。
△店の看板

奈川には女工哀史で知られる「野麦峠」もあり、木曽から近くでもめったに行くことがない場所です。
木祖村の境峠付近は今年8月の災害の爪痕が残っており、道路の半分が損壊している箇所をすり抜けながら上松からは1時間ほどのドライブです。
県企業局に勤務の際は、ここの分譲地開発の担当者だった事もあり何回も訪れています。有名なのは「とうじそば」で、小さなおたまの様なザルに蕎麦を入れて食べるのですが、毎回行っても飽きない味です。子どもたちなどにも湯がく作業をして食べる温かい蕎麦はなんとも楽しく、この季節ならではのものです。
以前、美味しいパン屋さんがあったのを思い出し、お店の人に聞くと今はやっていないとの事でした。「製材所のパン屋」があるよと子どもが携帯情報で教えてくれました。でも「製材所のパン屋」ってどういう事?
と思って現地に案内されるがまま行くと確かにありました。駐車場のスペースを示す場所も無く木材が積んであり、確かに製材所だと思いながら看板に導かれ入っていくと4畳半くらいのスペースのこじんまりとした店に品数も多くパンが並んでいました。
この様な所に買いに来る人なんて私たちくらいと思っていましたが、先客がいました。帰り際に大阪ナンバーの方がは入れ替わるように入って行きました。
金土日の3日間の営業で父が経営していた製材所の場所を借りて姉妹で今年8月からやりだしたとの事でした。それにしても「製材所のパン屋」とはなかなかのアイディアウーマンとみました。
「サル払いの花火あげてたらパン焦がしちゃったので持ってて」とざっくばらんな明るい性格が店の雰囲気を醸しだしていました。
異種の取り合わせは時としてインパクトのあるものを生み出すようです。
なお、パンを焼く燃料は製材所に残った木材だそうで、持続可能な地域づくりを実践しているお店でした。
△店の看板

2021年12月11日
年末に逝く
12月に入ると今年彼の世に旅立たれた人の名が報道される。年末近くなって瀬戸内寂聴さん、中村吉右衛門さんなど時代を彩ったそれぞれの世界で活躍した方が亡くなった。
瀬戸内さんはお行き合いした事は無いが小説家として活躍し、奔放な性格であったとの事で、51歳で出家して晩年の方が説法会などを催してその生き方でも注目された。
中村吉右衛門さんも同じくお会いした事は無いが、毎日再放映される「鬼平犯科帳」を観ていたのでとても身近な方の様な気がする。密偵の江戸家猫八さん演ずる“相模の彦十”との掛け合いも味わい深かった気がする。
そんな年末近くになって悲報がもたらされた。私と同い年で上松技術専門校に一緒に勤めたK先生が亡くなったと校関係者が出張中に知らせてくれた。
K先生は別名「カンナの神様」とも称され、その世界では我が国のトップの方でした。若い匠を育てる事一筋に生涯を捧げた人でした。
豪放磊落、そして細かいところまで気を遣う方で、そして奢る事なく、私が今までの人生で行き合った方で、同い年ながら尊敬出来る方でした。
フィンランドから専門校に来客があった折、通訳を交えず英語で話す姿は先生の学びの深さを知りました。
お酒も好きで幾度となく飲みましたが、飲むたびに「何故、日本では尺貫法が使われるのか」、「法隆寺の柱は育って来た山の方向で使われている」など素人の私にひけらかす様な素振りもなく教えてくれました。時間も忘れて聞き入ったものでした。
先生はNHKなど度々テレビにも出演してその技を披露していました。ストッキングの厚さよりも遥かに薄く削る技は伝説となっています。
また、本人は意識してなくても人生訓の様な言葉も聞きました。「カンナの刃が切れても、カンナの台が歪みがあればダメ、土台がしっかりして刃が切れなければ削れない」やはりその道を極めて行った人ならではの含蓄のある言葉です。
不世出の巨匠ともいう方で、定年後にさらに活躍して頂きたいと思っていましたが、退職した数年後に病が見つかり闘病生活となってしまいました。
近況ではとても大事にしていた尺カンナ(約30cm)を始め全ての道具を処分したと聞いていましたが、必ず再起して頂けると思っていただけに残念です。
でも、先生の魂がこもった道具は若手の匠に必ず引き継がれていくものと信じています。
見上げる空の向こうに笑っているK先生の顔が見える気がします。
合掌
△上松技術専門校から先生が見ていた駒ケ岳

瀬戸内さんはお行き合いした事は無いが小説家として活躍し、奔放な性格であったとの事で、51歳で出家して晩年の方が説法会などを催してその生き方でも注目された。
中村吉右衛門さんも同じくお会いした事は無いが、毎日再放映される「鬼平犯科帳」を観ていたのでとても身近な方の様な気がする。密偵の江戸家猫八さん演ずる“相模の彦十”との掛け合いも味わい深かった気がする。
そんな年末近くになって悲報がもたらされた。私と同い年で上松技術専門校に一緒に勤めたK先生が亡くなったと校関係者が出張中に知らせてくれた。
K先生は別名「カンナの神様」とも称され、その世界では我が国のトップの方でした。若い匠を育てる事一筋に生涯を捧げた人でした。
豪放磊落、そして細かいところまで気を遣う方で、そして奢る事なく、私が今までの人生で行き合った方で、同い年ながら尊敬出来る方でした。
フィンランドから専門校に来客があった折、通訳を交えず英語で話す姿は先生の学びの深さを知りました。
お酒も好きで幾度となく飲みましたが、飲むたびに「何故、日本では尺貫法が使われるのか」、「法隆寺の柱は育って来た山の方向で使われている」など素人の私にひけらかす様な素振りもなく教えてくれました。時間も忘れて聞き入ったものでした。
先生はNHKなど度々テレビにも出演してその技を披露していました。ストッキングの厚さよりも遥かに薄く削る技は伝説となっています。
また、本人は意識してなくても人生訓の様な言葉も聞きました。「カンナの刃が切れても、カンナの台が歪みがあればダメ、土台がしっかりして刃が切れなければ削れない」やはりその道を極めて行った人ならではの含蓄のある言葉です。
不世出の巨匠ともいう方で、定年後にさらに活躍して頂きたいと思っていましたが、退職した数年後に病が見つかり闘病生活となってしまいました。
近況ではとても大事にしていた尺カンナ(約30cm)を始め全ての道具を処分したと聞いていましたが、必ず再起して頂けると思っていただけに残念です。
でも、先生の魂がこもった道具は若手の匠に必ず引き継がれていくものと信じています。
見上げる空の向こうに笑っているK先生の顔が見える気がします。
合掌
△上松技術専門校から先生が見ていた駒ケ岳

2021年12月09日
熊本農業調査紀行(2日目)
熊本二日目の新幹線の待ち合わせ時間を利用して熊本城を視察しました。5年前の熊本地震からの復興の現状を見るためでもありますが、私自身としては、凡そ40年ぶりの熊本城でした。天守閣の様子はほぼ以前と同じ外観でしたが、二の丸から一歩足を踏み入れると石垣積みが至るところで崩れていました。
熊本城の天守閣は明治の西南戦争より以前に火災で消失し、昭和35年に鉄筋コンクリートで再建されております、石積みが国の特別史跡に指定されています。
△こんな様子です。ボランティアの方に伺うと石の一つひとつにNo.を入れて慎重に再建していくとのことでしたが、大変な作業です。熊本城は市民にとって復興のシンボルであることを改めて知った気がします。


△昭和35年に再建された天守はその威容を見せていました。12月というのに多くの修学旅行生が見学に来ていました。

熊本城は幾度となく地震に見舞われ、水害にも度々襲われているとの事で、歴史的な学習に加え、防災教育の面でも生きた素材となっているんだと感じました。
△天守閣からは遠く阿蘇中岳が噴煙を上げている様子が見えました。

参勤交代の紹介があり何気なく見ていると、大名行列が通過したルートに中山道があり、そこに木曽街道の記述がありました。今でも本当に遠いのに昔は木曽も通過していたのかと感慨深いものがありました。
△その参勤ルートを紹介した絵です。拡大すると名古屋の上あたりに木曽街道とありました。

熊本城の天守閣は明治の西南戦争より以前に火災で消失し、昭和35年に鉄筋コンクリートで再建されております、石積みが国の特別史跡に指定されています。
△こんな様子です。ボランティアの方に伺うと石の一つひとつにNo.を入れて慎重に再建していくとのことでしたが、大変な作業です。熊本城は市民にとって復興のシンボルであることを改めて知った気がします。


△昭和35年に再建された天守はその威容を見せていました。12月というのに多くの修学旅行生が見学に来ていました。

熊本城は幾度となく地震に見舞われ、水害にも度々襲われているとの事で、歴史的な学習に加え、防災教育の面でも生きた素材となっているんだと感じました。
△天守閣からは遠く阿蘇中岳が噴煙を上げている様子が見えました。

参勤交代の紹介があり何気なく見ていると、大名行列が通過したルートに中山道があり、そこに木曽街道の記述がありました。今でも本当に遠いのに昔は木曽も通過していたのかと感慨深いものがありました。
△その参勤ルートを紹介した絵です。拡大すると名古屋の上あたりに木曽街道とありました。

2021年12月09日
熊本農業調査紀行(1日目)
農業先進地の視察のため、名古屋から空路熊本入りしました。約30年ぶりに双発の飛行機に乗りましたが、時折り揺れる緊張感もあり楽しい空の旅となりました。
約1時間30分で阿蘇熊本空港に着きましたが、九州は暖かいという思い込みで当日の気温は木曽とあまり変わらない感じでした。
△お世話になったANA機

今回の先進地調査は畜産についての現状と課題について把握するためでしたが、近辺の畜産農場が軒並み“豚熱”のため立ち入り禁止となっており、どうにか九州熊本で受け入れてくれるところがあり、そこの農場と所在地の阿蘇小国町への聴き取り調査です。
詳細はこれからまとめる事となりますが、生のお話しを聞けてとても参考になりました。
△新型コロナ対策と同じ様に防護服を着用しての調査です。青い服着ているのが石渕大和(やまと)社長さんです。44歳の気鋭の社長さんです。

△場内の様子です。


小国町の渡邊町長さんほか担当者の皆さんにも貴重なご意見、そして率直に問題に取り組んでいる様子を伺わせて頂きました。
調査の詳細は今後まとめますが、熊本に来て感じたことは、日田に代表される杉の産地ですが、どの山も森林整備されていることに驚きました。また、九重連山の台上には風力、太陽光など自然再生エネルギーへの取り組みが盛んだということがよくわかる光景が広がっていました。
約1時間30分で阿蘇熊本空港に着きましたが、九州は暖かいという思い込みで当日の気温は木曽とあまり変わらない感じでした。
△お世話になったANA機

今回の先進地調査は畜産についての現状と課題について把握するためでしたが、近辺の畜産農場が軒並み“豚熱”のため立ち入り禁止となっており、どうにか九州熊本で受け入れてくれるところがあり、そこの農場と所在地の阿蘇小国町への聴き取り調査です。
詳細はこれからまとめる事となりますが、生のお話しを聞けてとても参考になりました。
△新型コロナ対策と同じ様に防護服を着用しての調査です。青い服着ているのが石渕大和(やまと)社長さんです。44歳の気鋭の社長さんです。

△場内の様子です。


小国町の渡邊町長さんほか担当者の皆さんにも貴重なご意見、そして率直に問題に取り組んでいる様子を伺わせて頂きました。
調査の詳細は今後まとめますが、熊本に来て感じたことは、日田に代表される杉の産地ですが、どの山も森林整備されていることに驚きました。また、九重連山の台上には風力、太陽光など自然再生エネルギーへの取り組みが盛んだということがよくわかる光景が広がっていました。
2021年12月09日
防衛白書を受領
12月に入り何かと慌ただしくなって来ました。新型コロナ感染症が新たなオミクロン株による急速な感染流行が懸念されています。また、先日木曽地域でも震度3の地震が起き、九州トカラ列島を始め、山梨、首都圏、東北と全国各地で地震が発生しています。暮れにも注意が必要です。
ちょっと前に遡りますが、2日、防衛省の自衛隊長野地方協力本部の星川清美本部長さんが来庁され、防衛白書の説明を受けました。
毎年、この説明を受けていますが、今年は宇宙への備えに対応する部隊が創設されたというのが目新しいというか、そんな時代になったのかと思いで説明を受けました。
また、中国の軍事力強化と度重なる我が国近辺への侵犯などので実態について説明を受けましたが、沖縄本島と石垣島の間に横切る形で頻繁に侵入していることを聞き改めて考えさせられました。
「皆さんも毎日緊張で大変ですが、政府は本当に外交をしっかりやらなけれならないですね」などと感想を述べながら懇談しました。
自衛隊は頻発する自然災害にも緊迫した災害現場に出動しています。人命にかかる捜索活動など本当に頭が下がる思いです。
星川さんから「今年は上松町から2名の方に入っていただきました。毎年1〜2人の方がコンスタントに入っていただいており感謝いたします」との話がありました。
その話をお聞きし、町出身ので若い自衛官が元気に、無事に職務を執行してもらいたいと願いました。
△星川さんと

ちょっと前に遡りますが、2日、防衛省の自衛隊長野地方協力本部の星川清美本部長さんが来庁され、防衛白書の説明を受けました。
毎年、この説明を受けていますが、今年は宇宙への備えに対応する部隊が創設されたというのが目新しいというか、そんな時代になったのかと思いで説明を受けました。
また、中国の軍事力強化と度重なる我が国近辺への侵犯などので実態について説明を受けましたが、沖縄本島と石垣島の間に横切る形で頻繁に侵入していることを聞き改めて考えさせられました。
「皆さんも毎日緊張で大変ですが、政府は本当に外交をしっかりやらなけれならないですね」などと感想を述べながら懇談しました。
自衛隊は頻発する自然災害にも緊迫した災害現場に出動しています。人命にかかる捜索活動など本当に頭が下がる思いです。
星川さんから「今年は上松町から2名の方に入っていただきました。毎年1〜2人の方がコンスタントに入っていただいており感謝いたします」との話がありました。
その話をお聞きし、町出身ので若い自衛官が元気に、無事に職務を執行してもらいたいと願いました。
△星川さんと
