2025年02月19日

氷雪の灯祭りin上松

 1月は穏やかな日に恵まれて今冬も雪が降らないのかと思っていたら、2月に入ってからは大雪に見舞われました。
 6〜7日の雪は上松ではそれほどでは無いものの、南木曽町においては1mを越えたところもあったとの事で、南木曽町役場付近も50センチを越えたそうです。
 8、9日に会議とイベントを予定していましたので開催が心配されましたが、両日とも大きな影響もなく開催出来ました。
 少し遅いアップになりましたが、9日に上松町会場で行われた氷雪の灯祭りについてお届けします。
 氷雪の灯祭りは木曽郡下で町村ごとに行われているイベントですが、今回は寝覚においても臨川寺さんを中心に行われました。
 午前11時からは駅前のステージ前において商工会の有志による飲食を提供する“食小屋あげまつ”が開かれました。天気は前々日の大雪が上がったもののどんよりとした曇り空でした。
 こんな天気で人が来るのかと心配していたら、お昼時間頃になったら家族連れ、仲間たちが集まって来ました。ブースによっては並ばなければならない所もあって盛況でした。用意の良い方はコンロを持参してお酒を温めていました。
△こんな様子でした。




 夕方からは寝覚会場が開かれるので移動しました。会場に着くと既に檜流太鼓の皆さんが盛り上げて頂いていました。
△檜流太鼓の皆さん


 旧中仙道から臨川寺に繋がる昔の参詣道にもろうそくが灯され、幻想的な雰囲気に包まれていました。
△臨川寺に灯された灯り


 お寺の本堂にプロジェットマッピングにより中仙道の風景をモチーフとした歴史が繰り返して映し出されていました。
△仏様もビックリ?中には伊勢神宮御神木祭の曳行式の様子(3枚目)もありましたそうです






 今回は寝覚地区の皆さんも多く参加していただき賑やかで楽しいイベントなりました。冬はじっと家の中に籠りがちとなりますが、こうした楽しいイベントを通じて明るく元気に過ごして行くことが長生きの秘訣なのかもしれません。
 今回、多くのロウソクの点灯に協力していただいた皆さま、寒い中お越しいただいた皆さま、企画・運営して頂い祭り実行委員会の皆さんに心からお礼申し上げたいと思います。
 来年も楽しい企画宜しくお願いします。
  
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Posted by 大屋誠 at 12:23Comments(0)

2025年02月07日

卒業式シーズン始まる(シニア大学木曽学部)

 東北や北海道は大雪で朝から連日の雪かき、雪掘り?、雪おろし?で大変です。上松はというと道路にうっすらと積もった程度で済んでますが、隣の大桑村野尻から南は大変な状況になっているとお聞きしました。
 とりわけ南木曽町では約1mに達する大雪となっている地区もあるとか、役場周辺も40〜50センチくらい積もっているとのことです。
 冬期でなければ局地的に豪雨が降っているような感じでしょうか。当町においても水道管の凍結が起きたと報告がありました。
 春の訪れが待ち遠し限りですが、それでも春は確実にやって来ることを行事を通じて知ることが出来ます。
 今日7日は、シニア大学木曽学部の卒業・修了式が木曽合庁で行われましたので出席いたしました。
△合庁入口に卒業式の掲示


 午前10時から始まった式は始めに卒業証書授与から始まります。西垣木曽学部長さんから証書が手渡されます。
△卒業証書授与


 本年度の卒業生は18人(男性8人、女性10人)で平均年齢は72.9歳だそうです。最高齢の方は男性の83歳の方だそうですが、向学心に燃えた皆さんには年齢は関係の無いものとお見受けしました。
△西垣学部長さんの式辞


△阿部(知事)学長さんはビデオレターで祝辞


 町村会を代表して越原王滝村長さんが祝辞を述べました。
△越原さんの挨拶の様子


 1学年代表の湯川里子さんから送辞が贈られ、2学年代表の川内智保子さんが答辞で応えました。
△送辞、答辞




 ここまでは昨年までの次第のとおりでしたが、今回の43回卒業生は自分たちのオリジナルのクラス歌『43クラス讃歌』をギターなどによる生バンド付きで披露してくれました。
△初めてのクラス歌を披露する卒業生


△オリジナル曲譜面


 リーダーの方(真ん中の男性)は大桑村在住の元先生だそうですが、学生が元先生というのもシニア大らしいですね。
 続いて『若者たち』を来賓も含めて歌いました。♬君のゆく道は〜果てしなく遠い〜♬は、久し振りで、とても懐かしく思い出しました。
 最後は例年のごとく『信濃の国』を全員で歌って卒業式が終わりました。
△県歌『信濃の国』


 卒業生の皆さんは二年間培った仲間との絆を更に強くしてそれぞれの地域で健康で益々活躍していただけるものと期待します。
 シニア大学では現在令和7年度学生を募集しているとのことです。興味のある方、仲間づくりをしたいと思っている方は木曽保健福祉事務所福祉課か町村役場まで是非ともご連絡下さい。



 
  
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Posted by 大屋誠 at 15:16Comments(0)

2025年02月06日

国道19号・木曽川右岸道路アクセス道路開設要望活動

 4日、長野県庁を訪れて国道19号線と木曽川右岸道路を結ぶアクセス道路開設について要望活動を実施しました。
 これは木曽川の相互通行できる橋が新小川橋から下流の大桑村和村橋の間の約13km無いことから新たに橋をかけて結ぶアクセス道路を開設して欲しいと要望したものです。
 この間の中間に当たる下河原地籍においては、右岸側には養護老人ホームや障がい者福祉施設があり、左岸側には児童養護施設があるなど木曽地域の福祉施設があり、地籍内の諸原地区は地形上、坪地となっている場所もあり、木曽川が氾濫するとの情報が入ると真っ先に避難を呼びかけなければならない地区となっています。
 ここ数年の豪雨が予想される時は毎年のように避難勧告(今は避難命令)を住民に対して行って来た場所です。令和3年8月の宮戸沢土石流災害の時の復旧に当たっては右岸道路が直ぐに復旧したため、トラックが国道の土石を排出する際は下河原橋(農道橋)を使ったのですが、一車線しかないため立ち往生する場面も幾度となくあり、復旧の支障となりました。
 また、その際には下河原橋自体も木曽川の増水により橋脚がほぼ水に浸かりいつ流出してもおかしくない状況となりました。
 加えて国道19号をそこから北に行くと当町の観光地である寝覚の床があります。木曽川左岸側には木曽山脈西縁断層帯があり国道19号は脆い地層とほぼ並行して走っており、観光地に行くルートも途絶してしまいます。
 令和3年の時は、幸いにも国道19号の通行止めは関係者の御尽力により1日半で復旧しましたので大事に至らなかったのですが、ある意味ここは上松町の中では急所ともいえる場所です。
 昨年5月27日に初めて期成同盟会を立ち上げてスタートした取り組みですが、10年くらい前までは木曽川右岸道路整備の要望活動に入っていた当町にとっては大きな問題で、急に出て来た問題ではありません。
△期成同盟会として初の要望活動。野村弘会長から新田建設部長に要望書を手交


△期成同盟会のメンバー(野村会長、大畑県議(顧問)、永井議長(顧問)と新田建設部長


 参考までに大桑村の取組みを聞いたところ、10年以上かかったとの事でした。長い取り組みになると思いますが、地域の安全・安心を築く上では避けて通れない課題です。粘り強い取組みをしていく必要があります。
  
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Posted by 大屋誠 at 14:50Comments(0)

2025年02月06日

篤志寄付者お礼訪問

 2月3日、老人ホーム“木曽寮”に入所されている方から町に寄付をしたいと申し出があり訪問しました。
 当町出身のKさんから高齢者福祉に役立てて欲しいとの申し出があり、この日受領する事になりました。
 Kさんは木曽寮の敬老会などでいつも気軽に声を掛けて頂いており、昨年も自作の品をプレゼントしてくれました。
 町内で奥様と一緒に住んでおられましたが、奥様に先立たれ一人暮らしになった事から木曽寮での生活となりました。
 「食事は美味しい?」、「職員の皆さんは優しくしてくれる?」などと私が尋ねると、ここでの生活は、「食べる物も美味しいし、皆さん優しい。手を使った手芸など好きな趣味をやっていて楽しいしっかりとした受け応えで話してくれました。
 この日は木曽寮の事業を運営している木曽社会福祉事業協会にも寄付をしたいとの申し出があり、田上理事長さんとともにそのお気持ちをしっかりと受取りました。
△受領する様子


△皆さんと記念撮影

*写真は本人了解済みです。
 いただいた大事なご寄付をこれからの町の高齢者福祉のために有効に活用させて頂きますと伝えるとともに、これからも趣味の手芸も楽しみ、お元気でお過ごしくだいと伝えてお別れしました。


   
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Posted by 大屋誠 at 11:36Comments(0)

2025年02月02日

名古屋県人会新春懇親会

 いよいよ2月となりましたが、この季節に悩まされる事があります。花粉症に毎年悩まされて私にとっては憂鬱な季節となります。
 先日、かかりつけの医師に聞いたところ、既に症状が出ている人がいるとか、私もくしゃみが最近出るので薬を処方してもらいました。
 特に暖かい所に出張する時は季節が早く来ていますので要注意です。
 そんな中ですが、2月の最初の出張で1日に名古屋市で行われる“名古屋長野県人会新春懇親会”に出席のため出張しました。
 毎年この時期に行われている行事で私も幾度となく参加させて頂いています。今年は伊勢神宮式年遷宮の御神木祭のPRのためにポスターを持って参加しました。
△急な申し込みでしたが県人会事務局のご配慮によりポスター5枚(他の4枚は他の場所に掲出)貼っていただきました。


 会の始まりは県歌『信濃の国』を全員で歌います。毎年、指揮は神田久嗣(神戸市)さんが執ります。
△信濃の国


 『信濃の国』はこの会では6番までのフルコーラスで歌いますが、いつもはあまり歌われない曲調が変わる4番の『尋ねまほ〜しき♪♫』の次の詩の部分には上松の寝覚の床と木曽の桟が続いて出て来ます。
△スクリーンに映し出された寝覚の床


 県人会長の宮嵜良一さんの挨拶に続き、来賓が紹介されます。
△宮嵜会長挨拶。宮嵜さんは弁護士をしておられます。


△来賓の皆さん挨拶。挨拶は愛知県からの来賓秋田県民総務課長さん。


 この日木曽から来ていた町村長は私の他には大桑村の坂家さんだけで、いつもなら4人くらい来るので寂しいなと思っていた所、同席の高橋さんは南木曽の田立出身という事で話が弾みました。
 事務局の方が名簿では分からなかった木曽の人が座る「御嶽山」のテーブルまで案内してくれました。そのうち2名の方が上松出身で御神木祭の話や御嶽海関の話題で盛り上がりました。
 このテーブルの方は高校の同級生で、木曽西高校で私の3年先輩ということが分かり一層打ち解けてお話しさせて頂きました。
△皆さんと一緒に。(ブログアップは了承して頂きました。


 この日は、上田市さんが当番市町村ということで真田十勇士のうち真田幸村、猿飛佐助、筧十蔵(女性)の3人が名古屋まで来られました。お聞きすると名古屋城の武将隊とも交流があるとの事です。
△とても軽妙なお話しや踊りで盛り上げてくれました。




 八十二銀行名古屋支店の中村守支店長さんから声をかけられ、御神木祭のポスターを支店内に掲示して盛り上げて行きたいとお話し頂きました。また、金子利治副会長さんはJRのOBの方ですが、何かあれば力になるとお約束してくれました。
 帰り際に参加者の方との話の中で「いや〜やっぱり信濃の国は良いよね〜」と話された言葉に見えない絆を見た思いがしました。


  
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Posted by 大屋誠 at 09:15Comments(0)上松町

2025年02月02日

お疲れ様でした。(村田副町長退任式)

 1月31日付けを以って退任する村田副町長の退任式が行われました。
 村田副町長は、平成29年6月に就任以来、私を支えて頂きました。その間、町としては庁舎建設、100周年行事などが目白押しにあり、また広域連合で進めて来た養護老人施設“木曽寮”建設事業を中心的な役割を果たして進めて来ました。
 また、出張で役場を不在になる事が多い私の代わりに職員を指導・監督し、また職員個人の相談にも親身に乗っていただきました。
 仕事に向かう真摯な姿勢がある一方で 職員の兄貴分のような気さくな人柄は多くの職員から信頼が寄せられていました。
 町役場に昭和51年公務員として奉職以来、住民課を皮切りに教育委員会など様々な仕事を経験し、その後、木曽広域連合に身分移管して地域振興や老人ホーム、クリーンセンターなどを経て平成29年3月総務課長で定年退職を迎えました。
 私が平成29年3月の町長選挙で当選した後、「君しかいない」と私の一年後輩となる村田さんに副町長をお願いしたところ、引き受けて頂いたのが昨日の事のように思い出されます。
 庁舎建設では難しい全体の調整役をこなし、八十二銀行が上松から移転して無くなるという情報があった時には庁舎建設に急きょ変更して入れ込むなど、住民の皆さんが見えないところで尽力しました。
 また、様々な事業推進のための土地の交渉をするような場合もあり、粘り強く地権者と交渉するなど長年の経験で培って来た実力を発揮して頂きました。
 気さくな性格で硬軟使い分けた村田副町長の仕事ぶりを見ていて安心して出張に出かけることが出来た気がします。
 新しい世界に挑戦するということで今回の退任となりましたが、健康にはくれぐれも留意されて大きく飛躍する事を祈念いたします。
 本当にお疲れ様でした。
△村田副町長の挨拶の様子




  
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Posted by 大屋誠 at 07:49Comments(1)

2025年02月02日

お疲れ様でした。(村田副町長退任式)

 1月31日付けを以って退任する村田副町長の退任式が行われました。
 村田副町長は、平成29年6月に就任以来、私を支えて頂きました。その間、町としては庁舎建設、100周年行事などが目白押しにあり、また広域連合で進めて来た養護老人施設“木曽寮”建設事業を中心的な役割を果たして進めて来ました。
 また、出張で役場を不在になる事が多い私の代わりに職員を指導・監督し、また職員個人の相談にも親身に乗っていただきました。
 仕事に向かう真摯な姿勢がある一方で 職員の兄貴分のような気さくな人柄は多くの職員から信頼が寄せられていました。
 町役場に昭和51年7月に公務員として奉職以来、住民課を皮切りに教育委員会など様々な仕事を経験し、その後、木曽広域連合に身分移管して地域振興や老人ホーム、クリーンセンターなどを経て平成29年3月総務課長で定年退職を迎えました。
 私が平成29年3月の町長選挙で当選した後、「君しかいない」と私の一年後輩となる村田さんに副町長をお願いしたところ、引き受けて頂いたのが昨日の事のように思い出されます。
 庁舎建設では難しい全体の調整役をこなし、八十二銀行が上松から移転して無くなるという情報があった時には庁舎建設に急きょ変更して入れ込むなど、住民の皆さんが見えないところで尽力しました。
 また、様々な事業推進のための土地の交渉をするような場合もあり、粘り強く地権者と交渉するなど長年の経験で培って来た実力を発揮して頂きました。
 気さくな性格で硬軟使い分けた村田副町長の仕事ぶりを見ていて安心して出張に出かけることが出来た気がします。
 新しい世界に挑戦するということで今回の退任となりましたが、健康にはくれぐれも留意されて大きく飛躍する事を祈念いたします。
 本当にお疲れ様でした。
△村田副町長の挨拶の様子




  
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Posted by 大屋誠 at 07:49Comments(0)