2020年09月28日

大相撲九月場所終える

 27日、大相撲九月場所が終わりました。新型コロナ感染症流行対策として入場者を制限しての場所となりました。
 いつもなら歓声が飛び交う館内ですが、優勝をかけた正代関と初入幕で優勝を狙う翔猿関の一戦はテレビ桟敷で観ていても力の入った素晴らしい一番でした。
 正代関は熊本県の出身で本人も初、熊本県出身力士でも初めての優勝となりました。合わせて大関への昇進が濃厚となりました。熊本は昨年、今年と豪雨災害に見舞われ、大きな被害を受けています。そんな中での明るい話題に地元は大変な喜びと思います。心から御目出度うございますと言わさせて頂きます。
 さて、当町出身の御嶽海関は8勝7敗と勝ち越しはしましたが、両横綱が不在の中で優勝に絡んで来ると期待されていただけに内容も含め残念でした。
 先日、京都の御嶽海関のファンという方から役場宿直に直接電話があり、「絶対引くな」ということを伝えて欲しいとの事でした。電話番号をお聞きしていたので御礼と今後の応援も宜しくとお伝えしました。
 その方は息子さんのお嫁さんが飯田市の出身というご縁で御嶽海関を毎日応援しているとの事でした。本当にありがたい事です。
 今場所については本人が一番悔しい思いをしたと思いますが、今場所ならではの難しさがあったと私は思っています。
 関取は「稽古が好きでない」と辛口のK解説者に言われていますが、今場所は出稽古もままならず、出羽海部屋の幕下以下の力士との稽古しか出来なかった、調整が全く出来ない環境にあったのが一番で、そのため体重を絞り込む事が出来なかったのではと思っています。
 関脇には残ったものの同世代の朝乃山、貴景勝、そして正代と次々と大関に昇進する中で一番近いと言われた御嶽海関の悔しさをバネした11月場所の奮起を期待したいものです。

△ひのきの里総合文化センター前に翻る幟は来場所の活躍を祈るようにはためいていました。



  
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Posted by 大屋誠 at 11:02Comments(0)御嶽海

2020年09月27日

秋の十五夜祭

 昨夜、上町にある八幡宮で「拾五夜祭」の神事があり参列しました。以前にも書きましたが、今年の町内の伝統的な祭礼は新型コロナ感染症流行防止のため、神事のみというものや或いは奉納の舞を短縮して行うなどの対策が取られました。
 八幡宮の拾五夜祭は毎年諏訪神社例大祭の「上松祭」が終わってひと月以内に行われ、3年に一度は諏訪神社例大祭と同様に獅子狂言を中心に地歌舞伎が披露され、町民の皆さんが楽しみにされています。
 祭りに奉事する上若連では、この祭りを機に祭を取り仕切って来た「頭(かしら)」や「中老委員」と呼ばれる人がその役目を終えて新しい体制となるために総会が開かれます。多くのメンバーが参加するため今年はその総会も代表者だけで終えたとの事でした。
△社殿に供えられた連名簿


 神事も滞りなく終わりましたが、分かっていてもやはり秋の風物詩がないのは寂しい限りです。
△社殿には根の付いた稲や里芋など季節の物が供えられていました。


△徳原宮司による“湯立て”の神事の様子です。釜の中に文字?を書いていますが教えてはくれません。当然です。


 参列された皆さんからは「来年は今年の分も合わせて賑やかな祭をやりましょう」という声が上がっていました。
△神事の笛や太鼓を若連の皆さんが行なってます。



 上松町の無形文化財をこれからもずっと守っていってください。
  
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Posted by 大屋誠 at 10:51Comments(0)上松町

2020年09月26日

遠い三歳の記憶

 最近ショックな通知をいただきました。「高齢者への皆様へ」という宛名がついたもので、高齢者を対象とした肺炎を防止するための注射を公費でみてくれるとの事の通知でした。
 私自身、まだ年度で言えば誕生日が来ていないので現在は64歳という事で“高齢者”と呼ばれるのはまだ先と思っていましたので、誰宛てに来たの?と二度見してしまいました。
 そんな年齢を重ねて来たんだと振り返って思います。その振り返りの中で、今日9月26日の三歳の時の出来事は記憶に鮮明に残っています。1959年9月26日、後に『昭和の三大台風』と呼ばれた“伊勢湾台風”が上陸した日です。
 当時、3歳、本家である我が家に叔父さん家族が避難して来ました。叔父さんの家は高台にあったため、今で言う「自主避難」をして来たのです。同年の従姉妹もおり、子どもだった私は台風が来ているのに何故か楽しかった思いをしていた記憶があります。
 夜になり風雨が徐々に強まって来るのを感じて来ました。そのうち「ガラス窓を押さえろ」「吹き込むと屋根が飛ばされる」と父か誰かが叫ぶままに私も座布団を窓ガラスに当てていました。一枚一枚に一人ずつ付くように皆んなで必死になって押さえました。
 当時はサッシというものは無く木製の窓で、ガラスも風に煽られてたわむように内側に膨らんでいたのを思い出します。
 そんな強風が吹いた時間がどれくらいだったかは今となっては記憶にありませんが、小さい子どもの手も借りないと防ぐ事が出来なかった事は思い出します。
 幸い、我が家も吹き飛ばされずに済みましたが、木曽では大量のヒノキの風倒木が発生し、皮肉にもその処理によりその後、昭和40年代は木曽の木材産業は活況を呈しました。しかしながら、一方では愛知県、三重県を中心に5千人を超える死者・行方不明者を出すという明治以降最悪の台風災害をもたらしました。
 上松ではそうした実際に災害を体験した人は年々少なくなっています。伊勢湾台風は895hpaという、今でいう「スーパー台風」というべきものでしたが、近年はそうした台風が頻発するようになりました。
 「備あれば憂いなし」は、言い古された言葉ではありますが、今でも通じる言葉です。町から配布されたハザードマップを見ていざという時の行動を確認する事が自分の命を守ることに繋がります。
 この9月26日にそうした事を思い出して欲しいと思います。
△伊勢湾台風の被害(フリー素材より)


△当時の天気図( 〃 )まだ発達する前のようです。




   
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Posted by 大屋誠 at 04:57Comments(0)

2020年09月24日

国道19号整備促進陳情➕リニア現場視察

 4連休が終わり、再始動の日に相応しい一日中忙しい幕開けとなりました。国道19号の整備促進に係り飯田市にある飯田国道事務所、名古屋市にある国土交通省中部整備局を訪れ、整備の促進について要望活動を実施いたしました。
 この日は木曽郡の全首長と議長が参加した要望活動でしたが、新型コロナ感染症拡大防止のため、なかなかこうした機会が開かれずにいましたので久々の活動です。
 木曽から飯田、そして名古屋、最後に中津川市のリニア駅建設予定地の視察をプラスしての一日中のタフな日程でしたが無事終えることができました。
 国道19号の整備については、雨量規制を解除するための対応や交差点改良など、国道19号が走っていない王滝村を除いた5町村からそれぞれの要望箇所について説明をして理解を求めました。
 上松からは国道とJRが交差する市街地から”桟“地区へ通じる笹川地籍の歩道整備を要望しました。最初に「交通死亡事故ゼロを一昨年2000日達成でき、現在も継続中である。これも幹線道路の交通安全対策が出来たことが大きい」とお礼を述べさせて頂きました。要望内容は「同地は歩道がなく、万が一の時に木曽川左岸側の住民の方が避難路として使うのに危険である事、近年歩く人が増えて危険があることなどを説明しました。飯田国道事務所の今井所長さんから「JRとの協議を引き続き進めており、工法などその調整が出来れば進むことが出来る」と回答をいただきました。
△今井飯田国道事務所長さんへの要望書提出



 午後、名古屋市にある国土交通省中部整備局を訪れ、松居道路部長さんに同様の要望書を提出しました。
△松居部長さんへの要望活動



 移動して今度は中津川市の美濃坂本駅でリニア新幹線の岐阜県駅の進捗状況を中津川市リニア周辺整備課の金澤さんから説明を受けました。
△説明を受けている首長と議長さん達


 リニア新幹線は2027年に品川〜名古屋駅間の開通予定でしたが、静岡県の大井川の水量への影響などを巡る調整が難航しており、それよりは遅れる見込みとなっています。
 しかしながら、美濃坂本駅周辺では既に家の立退きが始まるなど、家があった場所の撤去した跡地を見て実感しました。美濃坂本駅と新駅は直接距離で110m程の距離があります。
 駅周辺では飛騨高山地方と結ぶ濃飛横断自動車道の整備やリニア中央新幹線唯一の工場機能を持つ総合車両基地の整備に向けた動きが加速しています。
 長野県には飯田市に駅が出来ますが、アクセスからみるとこの岐阜県駅を先ずは視野に入れた戦略を取っていく必要があるものと思います。
 今後は、在来線との連絡や定期的な中長距離バスの運行などを検討してJRや中津川市岐阜県とも連携していく重要性を肌で感じた視察でした。
△リニアの線路も言うべき、ガードウエイを作成する資材置き場です。今はのどかな田園風景です。



  
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Posted by 大屋誠 at 08:59Comments(0)上松町

2020年09月21日

ご注意!(熊出没)

 今年は人家の近くの熊の出没情報が相次いでいます。秋は実りの秋でもあり、山にも山ぶどうやドングリなどが実ってそれを冬の備えにする熊は山中で活動しています。
 でも、今年は様子がだいぶ違うようです。7月豪雨が過ぎ去り、ようやく雨が上がった時、役場から100mも離れていないスーパーの横を熊が闊歩して警察も出て大騒ぎになりました。
 それは記録的な長雨と豪雨により餌を求めてきたと思われますが、その後、南木曽町では熊ではないかと推測される獣に襲われ、散歩中の男性が亡くなりました。
 最近では、木曽町においても襲われて負傷する事件が発生しています。また町内においても出没情報が相次いでおり、連日のように職員が出動しています。一日に複数頭の目撃情報が寄せられる日もあります。
 隣の大桑村では一日に4頭を捕獲したとの情報が寄せられています。熊が増えているとの見方もありますが実際のところ分かりません。
 人家の近くに出没した時はドラム缶状の檻を仕掛けますが、先日撮影された熊は折に入ったようですが、上手に餌だけ食べて出て行来ました。
 また、今年の熊が例年と違っているのは、人家の近くに来て、小屋や倉庫の戸を破って侵入している手荒い手口とのことです。保存されている味噌、梅漬けなどを食べたようですが、「熊が味噌を食べるんだ〜?」と私が職員に聞くと「好物ですよ」との回答でした。
 先日話題にした山のナラ枯れが影響してなければ良いがとも思いますが、そうだとすればここ数年はこんな状態に気をつけなければならないことになります。
 昔、県自然保護研究所の研究員に聞いたことがありますが、熊は餌が無いと受胎調整をして子どもを産まないようにするとのことです。
 これから美味しいキノコを取りに山中に入る方も多いと思いますし、山の実りが少ないと里の実りを求めて出没する可能性があります。
 家の近くに取り残した畑の野菜、残飯を置いたり、捨てたりしないこと、遭遇する危険のある早朝、夕方は注意を払い、鈴など鳴り物を携帯するなど相手に先に気付かせることなど自分で出来ることで身を守ってください。
 私は4回(一回は声のみ)ほど熊に行き合ってますが、鈴の音を聞いて熊が気付いて相手が先に逃げて行きました。まだ闘った事はありませんが、あったら眼をそらさず、後ろ向きに下がって行くのがベストだそうです。
 子連れの熊は要注意です。可愛い子熊ですが、決して近づいてはいけません。子熊は犬のような声で『キャン!キャン!という声で鳴きますが(自分が聞いた声です)、山の中で聞いたら要注意です。
 熊も人を襲いたくて来ているのではありませんが、人間が注意する事で防げることもできます。

△注意看板です。



   
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Posted by 大屋誠 at 07:21Comments(0)上松町

2020年09月18日

敬老行事(町の元気な百歳を祝う)

 9月21日の敬老の日を前に町内の百歳以上の方のお二人の長寿を祝いにご自宅を訪問させていただきました。
 一人目は今年102歳を迎えられた倉上さん。今でも畑に出て作業をし、教えていた書道を日課としているとの事です。耳も不自由な事なく、自分でほとんどの事はできるとの事でした。
 居間に行くとお茶を振る舞ってくれました。お茶とは言っても本格的な茶道の抹茶です。随行した職員も102歳の方が入れてくれたものですので、緊張しながら美味しく頂きました。
 お世話をする息子さんが自動車を買ってナンバーを『105』としたとのことで、母に「何で105にしたか分かる」と聞いたそうです。それは105歳までは元気でいて欲しいとの事でした。
 長寿は家族の愛も必要と思わせてくれるエピソードでした。
△お祝いを受け取る倉上さん



 二人目は越さん100歳です。越さんは昔私の生まれた地区で住んでおられたことがあり、昔話に華が咲きました。「関東大震災の時に上松も揺れて大変だった」などの話を聞くと生きてきた歴史を感じます。
 また、越さんは本家の姉さんに対して「姉さんが居なきゃ、ここでこんなに長く暮らせなかった」と感謝していました。その理由は「昔、私がここに来たときには『街から来た』というようなこと言われ、馴染むのに本家の姉さんが分かってくれた」と亡くなった本家の姉さんを懐かしむように話し、ちょうど来ていた今の本家のお嫁さんに「今はこの人が母代わり」などと歳下の本家のお嫁さんに冗談を言っておられました。
△越さんの様子



 訪問させていただいたお二人は二年前にも訪問させていただきましたが、その時と同じで全然お変わりなくお元気でした。
 『やっとかめ』は上松の方言で、“ご無沙汰していました。お久しぶりです。”というような意味ですが、次にお二人にお会いする特に『やっとかめ』と挨拶出来ることを楽しみにしたいと思います。

注)今回は許可を得て本人が映った画像をお送りしています。  
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Posted by 大屋誠 at 07:25Comments(0)上松町

2020年09月18日

災害査定

 17日、7月豪雨災害で路肩が崩れた町道高山線の馬留地籍先の現場で災害査定の現地調査が行われました。
 現場は現在通行止めの措置が取られていますが、馬留地区から大木地区方面へ抜ける東奥地区内を結ぶ生活路線でもあります。郵便配達、宅配便などが行き交う道路であり、地区内での回覧など情報を伝える道路でもあります。
 国道交通省の検査官と財務省の立会官(りっかいかん)の二人一組の査定班ですが、現場の説明を受け、状況を把握して復旧方法が適正か、過大な見積もりが無いかなどをその場で判断して行きます。
△説明を受ける災害査定3班の二人です。現場到着して挨拶も早々に説明を受け、次々と質問が担当者に飛びます。



これによって災害復旧の予算確保が出来るかの鍵を握ることになるので担当者も説明に懸命です。この日の災害査定には町の他、県建設部・建設事務所、木曽広域連合の職員も加わっての現場となりました。
△現場は地層に支持層がないため、H鋼を打っての復旧となる旨説明しています。




△現場の崩落した路肩の様子です。土はいわゆるサバ土で、脆い土質です。延長23m崩落しました。



 計画や復旧に要する経費についても了解が得られて担当者もホッとしていました。
 私も初めて災害査定に立ち会いしましたが、派遣されてきた方の的確で素早い質問や動きに、全国の数々のこうした現場を調査されてきたのだと感じました。
 査定の最後に「東奥の地区内を結ぶ道であるので、ご理解を頂き一刻も早い復旧をお願いしたい」と遠路からの来訪と合わせて御礼申し上げました。




   
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Posted by 大屋誠 at 06:16Comments(0)上松町

2020年09月17日

今朝の珍客

 朝、30分から40分ほど出勤前に歩いています。
 職場のウオーキングのアプリを入れて毎日「今日は何歩歩いたかな?」と結果を見るのも楽しみの一つですが、途中に同じくウオーキングしている常連さんとの会話も楽しみです。
 今日は、仲良しの女性二人組と毎日ご夫婦で歩いている方と行き合いました。
 女性二人組は服装もしっかりウオーキング仕様で、「おはようございます」と声を掛けると、「町長さん毎日歩いてる?」と聞くので「コースを変えながら30分ちょっと歩いています」と答えて直ぐに別れましたが、ちょっとした事で朝が楽しくなります。
 ご夫婦連れは毎朝行き合いますが、先を歩く旦那さんが今日は棒を持って歩いていました。「熊が出なんだ?」と聞くので、「近くに出ているらしいが、この時間は車の往来があるので大丈夫じゃないかな」と会話を交わして別れました。
 それでも、もしかしたらと思い、高校時代の応援歌を思い出しながら歌っていくと前方に『何か生物が‼︎」ビクッ!と身体が反応しました。
 そこには微動だにしない身の丈が20センチくらいのガマガエルが道路に出てきていました。道路ばたでしたので轢かれることはないと思いましたが、思わぬ珍客にこれは朝から良い出会いがあったと、気持ちのいい一日のスタートが切れました。

△珍客のガマガエルです。私が過去に見たので一番大きなのは赤沢での30センチくらいのものです。この3倍以上で、しかも蛇に脚をくわえられていましたが、くわえた蛇の方が困っているようでした。自然は驚きです。


  
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Posted by 大屋誠 at 16:51Comments(0)プライベート

2020年09月17日

税についてを“著す”“表す”

 16日、木曽郡租税教育推進協議会が主催する『税についての作文・税に関するポスター』の令和2年度受賞作品の選考会が木曽合庁で行われました。
 作文は予めノミネートされた15作品、ポスターは86作品から選考されます。今年はコロナ禍の影響で新年度から通常のカリキュラムを変更して授業を行っており、また、夏休みが例年より短いなど大きな制約がある中での開催で作品が集まるか心配でしたが、学校の協力もありここまでこぎつけました。
 作文は『租税教室』を通じて感じたことや税について普段感じたりしている事を中学生ならではの感覚で著していました。また、ポスターは小学生が思い描いた税について消費税など自分の将来に向けた作品に仕上がっていました。
 2022年には18歳以上が成年年齢となります。今の中学生はあっという間に大人の仲間入りをしますが、自分が負担する税について考えることが自分が責任を持って考え、行動する事に結びついてくれればと思います。
 作品の一つひとつを読み、絵を拝見して考えると『私はこんなに大人だったのかなあ』と感じました。
△会長として挨拶しました。



△会場に並べられた作品の数々と選考委員の皆さん


  
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Posted by 大屋誠 at 14:02Comments(0)上松町

2020年09月15日

小(匠 しょう)学校木工作品コンクール審査

 14日午後、上松小学校において夏休みに児童が作った木工作品コンクールの審査会が行われました。
 町木材工業協同組合の役員の皆さんと一緒に審査しましたが、子どもたちがアイディアを考えて木片から形にしていくもの、一生懸命に削って加工したものなどどれも力作でした。
 今年はコロナ禍で夏休みも短く、作品が出揃うか役員の皆さんは心配だったようですが、全学年から99点の作品が出展されました。
 木のそのままの色を生かした作品や細かい細工がされたものなどがあり、題名と合わせて子どもたちの感性が感じられました。
 木片は地元の企業さんが提供してくれたものとの事ですが、その木が持った素材の色や形、そして子どもらしい自由な発想を生かしたもので、中信や県の上部団体に推薦する11点を決めるには毎年苦労します。
 夏休みになると「ゲームばっかりやって」と言うお母さんやお父さんのいう声をよく聞きますが、上松の子供たちには、もう一つの「匠(しょう)学校」があって良かったと思いました。

△全作品です。













△審査員も近くに寄ったり、遠くで見たりと大変です。



  
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Posted by 大屋誠 at 09:17Comments(0)上松町