2020年02月26日
コロナウイルスいよいよ身近に
昨日県内松本保健所管内で新型コロナウイルス感染症の患者が初めて確認されました。覚悟していたとはいえ、対策を講じて何としても抑え込む事に努めなければなりません。
行政が対応すること、個人・家族レベルで対応すること、企業団体で対応することなど、それぞれが責任をもってやらなければいけない事があります。
今日、町では本日から3月17日までの間、町が主催する集会・イベントなどを中止或いは延期とする措置をとりました。エゴマ講習会も本日予定していましたが、中止といたしました。
いろいろな事を楽しみに方もおられと思いますがどうぞご理解ください。
状況は刻一刻と変わりますが、情報の収集や住民への周知などに努め、変わる状況を的確に捉えて対応して参りますのでご理解とご協力をお願いします。
行政が対応すること、個人・家族レベルで対応すること、企業団体で対応することなど、それぞれが責任をもってやらなければいけない事があります。
今日、町では本日から3月17日までの間、町が主催する集会・イベントなどを中止或いは延期とする措置をとりました。エゴマ講習会も本日予定していましたが、中止といたしました。
いろいろな事を楽しみに方もおられと思いますがどうぞご理解ください。
状況は刻一刻と変わりますが、情報の収集や住民への周知などに努め、変わる状況を的確に捉えて対応して参りますのでご理解とご協力をお願いします。
2020年02月24日
杞憂と想像力と創造力
この所、連日のように新型コロナウイルスの話題がトップニュースで出ています。国の対応の遅れとか対処の仕方とかテレビのコメンテーターに様々な指摘する声があります。
国全体を預かる政府としての評価はちょっと横に置いて私なりに考えてみました。私がウイルスについて一番最初に関心を持ったのは県立木曽病院に勤務した時のことです。
どういう流れでその話題になったかのかは忘れてしまいましたが、当時の県立病院機構の勝山理事長(元信州大学病院院長)さんとの会話の中で鳥インフルエンザウイルスの話になり、勝山さんが「大屋さんウイルスと言ったて、人類の知っている種類なんてその中の一握りにもならないんだよ。野生の動物には未知の物がほとんど、しかも、ウイルスは変異すんだから把握するだけでも難しい」と言った内容でした。
それを聞いたときに私は中国の“杞憂”という故事を思いだしました。杞憂は「無用な心配をする事」、「取り越し苦労」と言った意味で使われます。元々は古代中国の“杞”の国の人が天が落ちてきたり、地が崩れるのではということを本気でいつも考えていて夜も眠れなかったという故事です。
第一次世界大戦も鳥インフルエンザの一種のスペイン風邪で戦争継続が出来なくなって終戦の一因となったことは知られていますが、目に見えないウイルスが引き起こす脅威は科学が発達した今でも同じと云えます。
世界的な大流行によるものは“パンデミック”と呼ばれています。そうしたことが引き起こされ無いように政府は対応して貰いたいと思います。
また、私も自治体を預かるものとして住民への注意喚起、そして個人情報に配慮しつつ出来る限りの情報を伝えていかなければなりません。
今回の国の対応として大きな問題点の一つとして情報発信が国民にきちんとされたかという事があると思います。各自治体の発表の仕方にも差があり、時間を追うごとに対応が目まぐるしく変わって行くことはやむ得ない面もあるかもしれませんが、新型インフルエンザなどは10〜40年に一度は起こるといわれている中、もっと問題点を論議し、具体的な対応を講じておく必要があったのではないかと思います。
危機管理の難しさは後の検証でいくらでも云えますが、事態が動いている時にはもっと先を考えておくことが求められる事です。武漢を始め、恐らく医師、看護師、検査技師など医療現場は本当に戦場のような様子だと断片的な情報の中で思います。
自らの命を守り、そして住民の命が託されているという使命と責任という精神論だけでは対応出来ないと思います。今、現実に立ち向かっている各国の医療現場、対策本部の皆さんに心から感謝とエールを贈りたいと思います。
指導者の皆さんは是非“杞憂”ではない現実を思う“想像力”とそれに対応する“創造力を持って対応をするようお願いします。
追記 19日に町では対策本部を立ち上げました。当面は、情報収集と住民への周知、公的施設出入り口の消毒のお願い、職員に高熱者が出た時の対応の注意喚起などです。
△上松の空は、今日もいい碧でした。

国全体を預かる政府としての評価はちょっと横に置いて私なりに考えてみました。私がウイルスについて一番最初に関心を持ったのは県立木曽病院に勤務した時のことです。
どういう流れでその話題になったかのかは忘れてしまいましたが、当時の県立病院機構の勝山理事長(元信州大学病院院長)さんとの会話の中で鳥インフルエンザウイルスの話になり、勝山さんが「大屋さんウイルスと言ったて、人類の知っている種類なんてその中の一握りにもならないんだよ。野生の動物には未知の物がほとんど、しかも、ウイルスは変異すんだから把握するだけでも難しい」と言った内容でした。
それを聞いたときに私は中国の“杞憂”という故事を思いだしました。杞憂は「無用な心配をする事」、「取り越し苦労」と言った意味で使われます。元々は古代中国の“杞”の国の人が天が落ちてきたり、地が崩れるのではということを本気でいつも考えていて夜も眠れなかったという故事です。
第一次世界大戦も鳥インフルエンザの一種のスペイン風邪で戦争継続が出来なくなって終戦の一因となったことは知られていますが、目に見えないウイルスが引き起こす脅威は科学が発達した今でも同じと云えます。
世界的な大流行によるものは“パンデミック”と呼ばれています。そうしたことが引き起こされ無いように政府は対応して貰いたいと思います。
また、私も自治体を預かるものとして住民への注意喚起、そして個人情報に配慮しつつ出来る限りの情報を伝えていかなければなりません。
今回の国の対応として大きな問題点の一つとして情報発信が国民にきちんとされたかという事があると思います。各自治体の発表の仕方にも差があり、時間を追うごとに対応が目まぐるしく変わって行くことはやむ得ない面もあるかもしれませんが、新型インフルエンザなどは10〜40年に一度は起こるといわれている中、もっと問題点を論議し、具体的な対応を講じておく必要があったのではないかと思います。
危機管理の難しさは後の検証でいくらでも云えますが、事態が動いている時にはもっと先を考えておくことが求められる事です。武漢を始め、恐らく医師、看護師、検査技師など医療現場は本当に戦場のような様子だと断片的な情報の中で思います。
自らの命を守り、そして住民の命が託されているという使命と責任という精神論だけでは対応出来ないと思います。今、現実に立ち向かっている各国の医療現場、対策本部の皆さんに心から感謝とエールを贈りたいと思います。
指導者の皆さんは是非“杞憂”ではない現実を思う“想像力”とそれに対応する“創造力を持って対応をするようお願いします。
追記 19日に町では対策本部を立ち上げました。当面は、情報収集と住民への周知、公的施設出入り口の消毒のお願い、職員に高熱者が出た時の対応の注意喚起などです。
△上松の空は、今日もいい碧でした。

2020年02月12日
上松の冬(氷雪の灯祭り)
11日、木曽地域全体で行なわれている“氷雪の灯祭り”のイベントの一環としておこなれている子ども相撲、お菓子の福巻き、アイスキャンドル点灯などが駅前広場で行われました。
子ども相撲ではエントリーした保育園生、小学生27人が熱戦を繰り広げました。
△取り組みにはお母さんに抱かれながら取る子どももいて微笑ましい取り組みがありました。

△見合って見合って

△高校相撲で活躍するエイトくんとの取り組みと表彰式です。皆んな木製のメダルかけてもらって喜んでます。



△お菓子の入った福巻き

△アイスキャンドル点灯です。観光協会で作製し、商工会青年部の皆さんが点灯します。保育園の子どもたちが描いた思い思いの絵が光とともに浮かびあがります。


△キッチンカーでの出店もありました。上松の牛乳を使ったお菓子も有りました。上松町から出て初めて故郷の牛乳の美味しさ知りましたと店主さんは仰ってました。

子ども相撲ではエントリーした保育園生、小学生27人が熱戦を繰り広げました。
△取り組みにはお母さんに抱かれながら取る子どももいて微笑ましい取り組みがありました。

△見合って見合って

△高校相撲で活躍するエイトくんとの取り組みと表彰式です。皆んな木製のメダルかけてもらって喜んでます。



△お菓子の入った福巻き

△アイスキャンドル点灯です。観光協会で作製し、商工会青年部の皆さんが点灯します。保育園の子どもたちが描いた思い思いの絵が光とともに浮かびあがります。


△キッチンカーでの出店もありました。上松の牛乳を使ったお菓子も有りました。上松町から出て初めて故郷の牛乳の美味しさ知りましたと店主さんは仰ってました。

2020年02月07日
卒業式シーズン始まる(長野県シニア大学木曽学部卒業式修了式)
今日、卒業式シーズンのトップを切って長野県シニア大学木曽学部卒業式が木曽合同庁舎で執り行われました。
卒業を迎えた20名の皆さんは2年の課程を終えて、地域にいても全く顔を知らなかった人と友人になり、当町の赤沢自然休養林など地域を歩いて学びました。
上松町からは3名の方が卒業されました。きっかけは様々だと思いますが、それぞれ充実した2年間を送られたのではないでしょうか。
卒業生代表で答辞を読まれた田代さんからこれからも「39(サンキュー)会」と名付けて一同活動していきたいとの話がありました。
これから学んだことや楽しい仲間たちとともに、共に地域を明るく元気にしてくれる事が期待できる皆さんの旅立ちの式となりました。
△西垣木曽学部長から卒業証書が授与されます。

△西垣木曽学部長の式辞

△原木曽町町長(町村会代表)来賓祝辞

△答辞

△卒業生が「believe 」を歌います。小・中学校の卒業式でも歌われます曲ですが「たとえば君が傷ついて挫けそうになった時は・・・」の歌は世代を超えた相手を思いやる心が伝わります。

卒業を迎えた20名の皆さんは2年の課程を終えて、地域にいても全く顔を知らなかった人と友人になり、当町の赤沢自然休養林など地域を歩いて学びました。
上松町からは3名の方が卒業されました。きっかけは様々だと思いますが、それぞれ充実した2年間を送られたのではないでしょうか。
卒業生代表で答辞を読まれた田代さんからこれからも「39(サンキュー)会」と名付けて一同活動していきたいとの話がありました。
これから学んだことや楽しい仲間たちとともに、共に地域を明るく元気にしてくれる事が期待できる皆さんの旅立ちの式となりました。
△西垣木曽学部長から卒業証書が授与されます。

△西垣木曽学部長の式辞

△原木曽町町長(町村会代表)来賓祝辞

△答辞

△卒業生が「believe 」を歌います。小・中学校の卒業式でも歌われます曲ですが「たとえば君が傷ついて挫けそうになった時は・・・」の歌は世代を超えた相手を思いやる心が伝わります。

2020年02月04日
上松町新庁舎建設工事安全祈願祭
立春も過ぎ春らしい穏やかな雲ひとつない晴れ渡った晴天の中、上松町新庁舎建設工事安全祈願祭が執り行われました。
工事関係者を始め、議員、旧建設検討委員、近隣住民の代表者さんが参列して工事中の安全を願いました。
現庁舎は建設から今年69年を迎え、来年の新庁舎竣工時にはちょうど70年という節目の年となります。大火の後、壊滅的な被害から力強く立ち直った町を見続けてきた庁舎ですが、その役目に終わりを告げる事となります。
私は挨拶の中で、これまで建設検討委員や様々な方のご理解ご協力に感謝し、上松町の皆さんの知恵と思いの詰まった庁舎が事故等もなく安全に竣工されますことを工事関係者の皆さんにお願いしました。
△神事の様子です。

△四方を浄めます。

△鍬入れの儀


△挨拶の様子

工事関係者を始め、議員、旧建設検討委員、近隣住民の代表者さんが参列して工事中の安全を願いました。
現庁舎は建設から今年69年を迎え、来年の新庁舎竣工時にはちょうど70年という節目の年となります。大火の後、壊滅的な被害から力強く立ち直った町を見続けてきた庁舎ですが、その役目に終わりを告げる事となります。
私は挨拶の中で、これまで建設検討委員や様々な方のご理解ご協力に感謝し、上松町の皆さんの知恵と思いの詰まった庁舎が事故等もなく安全に竣工されますことを工事関係者の皆さんにお願いしました。
△神事の様子です。

△四方を浄めます。

△鍬入れの儀


△挨拶の様子

2020年02月04日
尾張藩連携事業協定
3日、檜の香る名古屋城本丸御殿で尾張藩連携事業の協定締結があり、その趣旨に賛同し出席しました。
今回の事業は、河村たかし名古屋市長が呼びかけたもので、旧尾張藩の縁で木曽郡6町村と塩尻市、名古屋市などを加えて12市町村と国内外の交通事業者が参画したものです。
河村市長は「本物を求める地域連携」という趣旨での挨拶があり、名古屋城天守を木曽ひのきを使ったものにしたいと語っていました。
来賓として来られた尾張藩徳川第22代当主の徳川義崇(よしたか)徳川黎明会会長さんが挨拶に立ち、「単に地域連携をするという事でなく、地域に鉄道がなければ作る、バスが走っていなければ走らせるくらいの気持ちで取り組んでいって欲しい」と力強い激励の言葉が贈られました。
△河村市長の挨拶

△皆さんが詰印した趣意書を読み上げる河村市長、向かって右隣は青山中津川市長さん、左は徳川義崇さんです。詰印は指を刃物で切って血で押すものですが、当然痛いので今日は朱肉です。

△皆さんで趣意書を囲み記念撮影です。なおこの陣羽織の家紋は何故か三つ葉葵でなく織田木瓜(おだもっこう)でした。でも尾張英傑ですから良いですかね。


△最後は原木曽町町長さんが武将らしく“エイエイオー”で締めました。

今回の事業は、河村たかし名古屋市長が呼びかけたもので、旧尾張藩の縁で木曽郡6町村と塩尻市、名古屋市などを加えて12市町村と国内外の交通事業者が参画したものです。
河村市長は「本物を求める地域連携」という趣旨での挨拶があり、名古屋城天守を木曽ひのきを使ったものにしたいと語っていました。
来賓として来られた尾張藩徳川第22代当主の徳川義崇(よしたか)徳川黎明会会長さんが挨拶に立ち、「単に地域連携をするという事でなく、地域に鉄道がなければ作る、バスが走っていなければ走らせるくらいの気持ちで取り組んでいって欲しい」と力強い激励の言葉が贈られました。
△河村市長の挨拶

△皆さんが詰印した趣意書を読み上げる河村市長、向かって右隣は青山中津川市長さん、左は徳川義崇さんです。詰印は指を刃物で切って血で押すものですが、当然痛いので今日は朱肉です。

△皆さんで趣意書を囲み記念撮影です。なおこの陣羽織の家紋は何故か三つ葉葵でなく織田木瓜(おだもっこう)でした。でも尾張英傑ですから良いですかね。


△最後は原木曽町町長さんが武将らしく“エイエイオー”で締めました。

2020年02月04日
御嶽海関凱旋(御嶽海関を囲む会)
2日、大相撲御嶽海関が故郷上松に帰ってきました。上松元気会さんが主催したイベントが町社会体育館で開かれ招かれたものです。
御嶽海関だけでなく、上松出身者の若者でスポーツで活躍している中高生にも激励金が渡されました。
会場は400人を超える方々が昨年9月場所で幕内優勝し、凱旋した関取を一目見ようと熱気が伝わってくるイベントとなりました。
△会場に入場する御嶽海関です。何か更にひと回り大きくなった気がします。

△スポーツで活躍する中高生に激励金が手渡されます。

△当町出身の元Jリーガーの今井昌太さん*右端(現:松本山雅スタッフ)とのトークショーもありました。

直ぐに大阪場所が始まりますが、御嶽海関は再起を期す決意を新たにしていました。
御嶽海関だけでなく、上松出身者の若者でスポーツで活躍している中高生にも激励金が渡されました。
会場は400人を超える方々が昨年9月場所で幕内優勝し、凱旋した関取を一目見ようと熱気が伝わってくるイベントとなりました。
△会場に入場する御嶽海関です。何か更にひと回り大きくなった気がします。

△スポーツで活躍する中高生に激励金が手渡されます。

△当町出身の元Jリーガーの今井昌太さん*右端(現:松本山雅スタッフ)とのトークショーもありました。

直ぐに大阪場所が始まりますが、御嶽海関は再起を期す決意を新たにしていました。
2020年02月02日
名古屋で輝く長野県人(名古屋長野県人会新春懇親会)
早いもので1月も終わりました。今年のこれまでの冬は「暖冬」ならぬ『大暖冬』ということだそうです。
2月に入って初日、名古屋市で名古屋長野県人会の新春懇談会が開催され出席しました。昨年のブログでも紹介したと記憶してますが、名古屋長野県人会は明治30年(1897年)に創立され、名古屋にある他都道府県の県(道・府)人会の先駆けで133年の歴史があります。
愛知県や周辺の岐阜県などに長野県出身者がたくさん就職しており、故郷を懐かしく想いそしていつも心配してくれている皆さんです。
最初に神戸市在住の神田久嗣さんの指揮で“信濃の国”をフルコーラスで全員で歌います。さすが6番まで歌うと息も上がります。
今年の会の冒頭において名古屋長野県人会が台風19号の被災後、直ぐに県へ支援をしてくれたということで長野県知事から感謝状が贈呈されました。
△太田寛長野県副知事から感謝状が太田宏次会長に贈呈されました。


△今年は大村秀章愛知県知事(写真中央)も駆けつけてくれました。

△貴舟大桑村長と向井南木曽町長と太田副知事、大村愛知県知事と記念撮影させていただきました。

これから進めて行く交流事業の糸口を探しに毎年参加していますが、過去2年は町出身者がおらず寂しい感もありました。しかしながら、今年は新しい会員として何と私と同じ地区出身のYさんが出席してくれてました。Yさんは昭和25年の大火で上松を離れたそうですが、昔のローカルな話に花が咲き、私が「名古屋で町人会の様な組織を創って交流事業を進めていきたい」と話をすると協力すると言ってくれました。
また、この会は名古屋で活躍する県内企業のトップも来てくれます。向こうからお声をかけていただき、「何か協力出来る事があれば何でも言ってください」と約束しました。
こんな時にやはり大相撲御嶽海関の話で盛り上げられる事は嬉しい限りです。最後に協賛された皆さんから贈られたプレゼントが抽選で行われましたが、何と目玉の大相撲ペア観戦チケットが私に当たってしまい、辞退して再抽選というおまけもつきました。
△アトラクションとして南木曽町の与川の獅子舞が披露されました。悪魔払いに加え子宝に恵まれる為の要素が入った楽しい獅子舞です。



2月に入って初日、名古屋市で名古屋長野県人会の新春懇談会が開催され出席しました。昨年のブログでも紹介したと記憶してますが、名古屋長野県人会は明治30年(1897年)に創立され、名古屋にある他都道府県の県(道・府)人会の先駆けで133年の歴史があります。
愛知県や周辺の岐阜県などに長野県出身者がたくさん就職しており、故郷を懐かしく想いそしていつも心配してくれている皆さんです。
最初に神戸市在住の神田久嗣さんの指揮で“信濃の国”をフルコーラスで全員で歌います。さすが6番まで歌うと息も上がります。
今年の会の冒頭において名古屋長野県人会が台風19号の被災後、直ぐに県へ支援をしてくれたということで長野県知事から感謝状が贈呈されました。
△太田寛長野県副知事から感謝状が太田宏次会長に贈呈されました。


△今年は大村秀章愛知県知事(写真中央)も駆けつけてくれました。

△貴舟大桑村長と向井南木曽町長と太田副知事、大村愛知県知事と記念撮影させていただきました。

これから進めて行く交流事業の糸口を探しに毎年参加していますが、過去2年は町出身者がおらず寂しい感もありました。しかしながら、今年は新しい会員として何と私と同じ地区出身のYさんが出席してくれてました。Yさんは昭和25年の大火で上松を離れたそうですが、昔のローカルな話に花が咲き、私が「名古屋で町人会の様な組織を創って交流事業を進めていきたい」と話をすると協力すると言ってくれました。
また、この会は名古屋で活躍する県内企業のトップも来てくれます。向こうからお声をかけていただき、「何か協力出来る事があれば何でも言ってください」と約束しました。
こんな時にやはり大相撲御嶽海関の話で盛り上げられる事は嬉しい限りです。最後に協賛された皆さんから贈られたプレゼントが抽選で行われましたが、何と目玉の大相撲ペア観戦チケットが私に当たってしまい、辞退して再抽選というおまけもつきました。
△アトラクションとして南木曽町の与川の獅子舞が披露されました。悪魔払いに加え子宝に恵まれる為の要素が入った楽しい獅子舞です。


