2024年01月31日

新しい安全・安心の拠点(木曽警察署竣工式)

 1月31日、木曽警察署の新庁舎が完成し、関係者が参会して竣工式が執り行われました。
 新庁舎は令和2年12月に着工し、この1月に完成しました。主要構造は鉄筋コンクリートですが、内部材には壁などに木材がふんだんに使われています。
 また太陽光発電設備を備えており、使用電力量の40%を賄っているそうです。1階から4階までは吹き抜け空間を設け、天然の通風や採光を確保するなど工夫されています。
△式典の様子や内部については業務上支障があるとの事で撮影は出来ませんでしたが、JRからも見る事が出来る庁舎の外観は落ち着いた雰囲気です。


 木曽警察署は私が高校生の頃現在の地に移転されて来ました。あれから約半世紀が経つのかと感慨深いものがあります。
 式典後、テレビの刑事物でしか見た事がない穴の空いたアクリル板がある面談室や留置場なども拝見させて頂きましたが、警察署らしい色々な工夫がされている事に興味深く拝見させて頂きました。
 二代前の署長さんの時、確か6年くらい前に面会に行った所、今時珍しいダルマストーブで暖を取っていました。その時、署長さんに「今時これで暖を取っているのは警察の署長室くらいじゃないですか?」と軽口を言った事を思い出しました。その署長さんの時に確か改築が決定したので、今日の完成の日は感慨ひとしおでした。
 これからも地域住民の皆さんの暮らしを守る安全・安心の拠点として、また、署員の皆さんが快適な環境で職務を遂行する拠点として、その機能を発揮していただけるものなる事に期待いたします。

  
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Posted by 大屋誠 at 16:03Comments(0)

2024年01月31日

能登半島地震災害対応支援職員からの報告

 21〜27日まで能登半島地震災害への支援のために石川県羽咋市に派遣された職員から報告を受けました。
△職員から説明を聞く


 羽咋市は能登半島の付け根の所にあり、先端にある震度7強と被害の大きかった輪島市や珠洲市などと比べると震度も5強と小さかったことやコンビニも開いているという事を聞いていたことから派遣するに当たっても、私自身少し気が楽な部分があった事もありました。
 しかしながら、派遣された職員からは『正直行かなきゃわからん』という生の言葉を聞き、羽咋市の被災地の状況を知りました。庭先の液状化現象でめくれた駐車場、ひび割れがそこから家の中まで続き、突き抜けて反対側に出ている生々しい写真を見せられました。
 またチームナガノでともに派遣された皆さんとの生活の様子など実際に行ってみないと分からない様子もお聞きしました。
 その中で職員が実際自分が行って感じたことは“ストレス耐性”が必要と感じたと報告がありました。今後、若い職員を経験も含め派遣を優先してと考えていましたが、そうした面も考慮していく必要があるものと思いました。実際に派遣された職員の中には異様にテンションの高い人もいたようです。
 当初は罹災証明書の発行などの事務を行う予定でしたが、実際はその前段の申請の受付を市役所内で行なったとのことでした。
 固定資産税の事務の経験があれば良いが、被災状況をまとめるフォームがパソコンにあったとの事で誰でも対応可能であるとの事でした。これは前もって起きた連続して起こった地震の時に備えてあったと報告を受けました。これにより迅速な被災状況の把握と復旧に向けた事務が出来るもので、今後の大規模な災害への対策として検討していかなければならないものと思いました。
 これから第2、3次と派遣が検討されていますが、先発で派遣された職員の経験が生きて来るものと思います。また支援内容も変わって来るものと思いますが、適宜、適時対応して行きます。
 派遣期間中も何度か余震はあったようですが、元気に帰庁した姿を見てホッとしました。
 羽咋市は浜辺の砂浜をドライブできる千里浜ドライブウエーに家族で行ったことがありますが、とても綺麗な砂浜でした。聞いたところでは災害ゴミが集まって来ているとの事でしたが、早くあの綺麗な砂浜が一刻も早く戻り、羽咋の皆様、能登半島の皆様がこの震災を乗り越えられることを祈念いたします。
  
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2024年01月26日

新“木曽寮”内覧会

 26日午前、木曽広域連合の事業として進めていた老人ホーム“木曽寮”が完成したため、町村長や木曽保健福祉事務所など関係者が招待され内覧会が行われました。
 今までの木曽寮は築50年以上が経過し、老朽化が進むとともに、一部が急傾斜地の警戒区域に指定されていることから今回の建設となりました。
 正式には2月9日に竣工式がありますので、詳報は後日に譲りたいと思いますが、当町が担った土地の取得や賃貸契約では紆余曲折もあり、担当した職員は大変でしたが出来上がってみると改めて感慨ひとしおです。
△玄関です。


 新木曽寮はオール電化でバイオマスエネルギーによる冷暖房、太陽光発電などで、今求められているものとなっています。
 また利用者が誤って外出しないような工夫もされており、至る所に老人ホームとしての機能が備えているものと思いました。
 厨房施設はこれから準備に入るので見学できるのは今回が最後だそうですので写真で少しだけお見せします。
△電気コンロ、大型冷蔵庫など他厨房内の様子





  
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Posted by 大屋誠 at 12:43Comments(0)

2024年01月25日

新しい町民お祝い(出産祝金贈呈)

 今日は嬉しい一日となりそうです。昨年11月に生まれたニュー町民のご家庭に出産祝金をお届けにご自宅を訪ねました。
 お母さんに招き入れられるとベビーベッドでちょうど起きたところでした。その横で2歳になるお姉ちゃんが元気で遊んでいます。
△保健師に抱かれたSちゃんです。


 私も恐る恐る抱かせて頂きましたが、泣かれないように気を付けました。赤ちゃんの柔らかい温もりは何とも言えません。
 今年度、当町で生まれた、或いは予定も含めても10人くらいと保健師が言っていましたが、本当に少なくなっています。これは近隣他町村も同様の状況のようですが、国全体も少子化が進んでいます。
 この子たちが大きくなった時にこの町、この地域、この国はどの様な姿を見せているのでしょうか。私たちにはしっかりとバトンを渡す責務があります。  
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Posted by 大屋誠 at 11:57Comments(0)

2024年01月24日

B&G全国サミット』

 23日上京して『第16回B&G全国サミット』に参加しました。毎年この時期に行われる全国の市町村長が参加するB&Gの大会ですが、この日は東北、上越、北陸新幹線が架線事故のため参加出来ない方もおられたようです。
△会場の様子


△入口にはB&Gの支援を受けている自治体が貼り出されています。上松町の名前がありました。


 この日のサミットは冒頭から『能登半島地震』のB&Gの支援活動一色という感じでした。先日紹介した上松町のスライドダンプ貸出しも紹介がありました。
△司会を担当する職員は一年間市町村から派遣された職員です。


△前田会長、菅原理事長の挨拶




 特別基調講演では笹川日本財団会長が『日本の将来どうあるべきか』と題して約一時間半近く講演されました。笹川会長はハンセン病問題についてライフワークとして取り組んでいるそうで、WHO(世界保健機関)ハンセン病制圧大使、日本政府ハンセン病人権啓発大使を務めています。
 笹川会長は『我が国にはイノベーションは起こらない、何故なら責任を持ったリーダーがいない』、『経団連と連合が官邸に呼ばれて賃上げを要請されるという事があったが本来おかしな話』など自らの考えを話されました。
 また現在の偏差値教育についても、生活に困らない経済的に豊かな都会の子どもがお金がかからない大学に進み、豊かとは言えない田舎の子が高い授業料を親が苦しい中で払っているという矛盾があると指摘されました。このため、財団では個人の能力を伸ばすというZEN大学を立ち上げて安価で学べるようにしたいと現在文部科学省に申請していると抱負を語られていました。
 歴史的な観点からの見方、アメリカの大統領選、国際的な面から見た若者の意識など多岐に亘る話でしたが、85歳というにも年齢に関わらない活動には頭が下がる思いでお聞きしました。
 最後に「この国を動かして行くのは、住民の悩みを直接知っているここにいる皆さん(市町村長)なんです!」と激励の言葉を頂きました。
△笹川会長特別基調講演


 この日は役員改選もあり、全国サミットの会長に富山県大野市の石山市長が会長に選出され、副会長には本県の白馬村丸山村長も選出されました。
△役員の皆さん




  
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Posted by 大屋誠 at 09:42Comments(0)

2024年01月22日

懐かしい想い

 年賀状については先日郵便局のお年玉付き年賀状の当選番号が発表されました。このお年玉付き年賀状の発想は郵便局(いわゆる“官”)だと思っていましたが、民間人の方が考えられたと調べたらありました。
 初の売り出しが1949年で翌1950年の正月からそれぞれの家に届けられたもので、1956年生まれの私にとっては生まれてからあった伝統的なものとして当たり前の風物詩でした。
 先日のブログにも掲載しましたが、近頃はメールやSNSなどのICTの進展によりめっきり少なくなってきたとの事です。
 お年玉の歴史では初回が『ミシン』であったというのも、今ではミシンそのものが無い家庭も多いのでは思いますので時の流れを感じさせます。
 年賀状の良いところは、昔お世話になっ方にご無沙汰している事を伝え、近況をお伝えする事もあります。また、手づくりの賀状には、その人らしさを感じることが出来る味わい深いものがあり、思わず吹き出してしまうものがあったりと、それがメールなどと違い趣きがあると思うのは私だけでしょうか?
 近況をお知らせするという事を言いましたが、『今年で最後とさせて頂きます。長い間ありがとうございました。』というものもいくつかありましたが、来年からは郵便料金も上がる様ですので致し方無いと思う反面残念です。
 また、賀状の代わりに昨年末に亡くなった方は正月明けのこの頃ご家族の方から「寒中見舞い」を頂き悲報に接します。
 昨日、私の20代の時に大変お世話になった方が12月30日にお亡くなりになったとご家族からご連絡を頂きお参りに行かさせて頂きました。
 とても実直で仕事ができ、性格もとても温和で、私も将来歳を重ねて行くとすればあの様な方になりたいと尊敬の念を抱いていました。
 奥様のお話をお聞きすると、齢87歳を迎え少し記憶に障害があったとのことで、最近はよく昔の話をされていた様です。
 また、奥様と思い出話をする中で「大屋君は元気か?」という事を奥様に尋ねると、奥様は「上松で町長やってられますよ」と応えると「ああそうだったな」などと会話したそうです。
 県立高校の事務一筋の方で、蘇南高校など県立4校の事務長さんを務め、定年退職後67歳まで松本市の私立高校で事務長を勤められたとの事でした。
 息子さんが見せてくれた写真はとても整理されていて人柄が偲ばれしたが、5つの高校で事務長を経験されたその中で一番話していたのは蘇南高校の時の事だと奥様が話しておられました。
 最近、『今日は蘇南で会議があるから行かなければ』などと奥様と話していたとの事をお聞きすると自然と涙が溢れて来ました。
 御仏前で深々と頭を下げ生前の想い出を写真を見上げながら語りながらお礼をしてまいりました。昨年末にはこの他にもお世話になった方が他界されました。 人は亡くなった後は仏教でもキリスト教でも他の宗教でも天に昇ると言いますが、きっと高い所で私達を見て頂いているのでしょうか。
△上京した時甲府で見た雲




   
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2024年01月19日

森林の力のエビデンス

 19日は上京して『森林浴健康増進等に関する調査研究委員会』が東京で開催されるため上京しました。
 この委員会は森林浴が人の健康に与える効果を医学的見地(エビデンス)から公益財団法人車両競技公益資金財団が支援して調査をしているものです。
 昨年は森林浴の場所として当町の赤沢自然休養林、市街地の場所として伊那市内の対照試験地として調査を行ったと永年に亘り森林浴の効果を医学的な見地から研究している日本医科大学付属病院の李卿(りきょう)先生から発表がありました。
 調査結果は学界に未発表ですので詳らかには言えませんが、採血などもありますので、こうした調査研究には病院の倫理委員会に諮った上での承認が必要です。
△李先生の発表の様子です。


 森林浴効果がこうした医学的エビデンスの積み重ねにより裏付けられると赤沢自然休養林への期待が高まるものと思います。(エビデンス=医療用語、学術用語で『根拠』『裏付け』というものを指します)
 この研究により『森林浴』が最終的に未病対策や現在大きな社会的問題となっている「うつ病」などへの対策に役立つことが実証されて保険適用になれば実証地としての“森林浴発祥の郷”赤沢自然休養林に注目が集まることに期待したいと思います。
 赤沢自然休養林には最近インバウンドの外国の方が訪れていますが、韓国からの来訪者が約65%と急激に増えています。国が積極的に予算を付けて支援をしているとの事です。
 我が国も長い視点でそうした所にもっと目を向けて欲しいと思う委員会でした。

   
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Posted by 大屋誠 at 20:53Comments(0)

2024年01月19日

能登半島地震への支援(職員派遣)

 21日から能登半島地震への支援のために派遣する職員の“出発の会”を18日夕方開催しました。
 派遣する職員は2人、何れも若手2人の職員で県からの要請で構成した『罹災証明書を発行した経験がある者』、『税務経験のある者』から選抜されました。
 派遣場所は石川県羽咋市で主として罹災証明書を発行する業務との事です。おそらく被災した家屋などの現場にも実際に行って調査する事にもなると思いますが、余震が今なお続く中で危険と隣り合わせの業務となるものと予想されます。
 日常業務終了後に職員の多くが集まって皆さんで激励する出発式となりました。今後も長い支援が必要となるものと思います。
 贈る言葉として「被災地の皆さんは声を上げることさえ出来ない人がいる。その方達に対してどの様な励ましの言葉が出来るか職員自身も考えて欲しい」、「その時に長野県の木曽から来ました。私たちも全力で応援します」と言えばそれは『頑張って下さい』の言葉よりも、遠い所にいる私たちも付いているというメッセージで大きな力となるのではないか」と話しました。
 また、町民の中にも今にも駆け付けて支援したいと考えている人もいるが、現状ではそうしたボランティア者制限されており、派遣職員はそうした皆さんの気持ちも背負っていって欲しいと挨拶しました。
 現地はとても冷え込んでいるとの情報もあり、また余震がずっと続いているとの事、更に感染症も心配されます。
 派遣した若い職員が所期の目的を達成して多くの教訓を学んできて欲しいと願う出発式となりました。
△職員からの激励を受ける派遣職員




△職員会から激励の気持ちを贈りました。


追伸)先にB&Gざ  
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Posted by 大屋誠 at 08:22Comments(0)

2024年01月18日

東京天文台木曽観測所長さん来訪(地球防衛隊?)

 18日、上松町才児地区(正確には木曽町、王滝村と跨っています)にある“東京大学木曽観測所の小林尚人所長さん他2人の先生方が挨拶に来られました。
 木曽観測所は1974年に創立されて今年で50周年を迎えるそうです。東大唯一の国内天文台で、世界で3台しかない1.05mシュミット望遠鏡を有しており、特長は広い視野だそうです。
 小林所長さんから「夜空は私達から見ると動いていない様に見えるが、実際は物凄い速さで動いており、木曽観測所が発見した小惑星“トモエゴゼン”を通じて、それを観測している」との事です。
 地球には毎日多くの星のチリなどが落ちて来ており、途中で燃え尽きて消えてしまうものや、地球環境に影響のある小惑星もあり、そうした小惑星は出来る限り早い(遠い)段階で見つける事が必要との事です。
 YouTubeなどでロシアに落ちた火球の様子などを例に挙げ、「それでは皆さんは“地球防衛隊”にような役割をしているんですね」という私の愚問にもお付き合いいただきました。
 現在、小惑星『トモエゴゼン』を動画で観測しており、その膨大なデータは概略だけにして処理して送信していたものをいたものが木曽広域で導入した光CATVを利用して即時に素データで送ることができるようになり、千葉県柏市にあるデータセンターにそのまま蓄積出来るようになったとの事で、こうした超高速学術ネットワークは世界でも、ここだけで木曽広域連合の協力に感謝すると話されました。
△小林所長さん他森先生、新納先生


 こうした地道な研究は私たちの未来にどの様な恩恵をもたらしてくれるのか楽しみです。

 悩んだり、苦しんだりした時に空(宇宙)を見てホッと小さな存在の自分に気が付くことは皆さんもあるとあると思いますが、木曽観測所で自分で見る夜空は御嶽山をバックにとても綺麗です。是非とも一度ご覧ください。
   
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Posted by 大屋誠 at 11:28Comments(0)

2024年01月16日

能登半島地震への支援

 今朝、能登半島地震災害への支援としてB&G財団から配備された資機材を届けるようにとの財団からの要請を受けて3人の職員が被災地に向けて出発しました。
 これは昨年の2月に配備されたダンプなど緊急時のための資機材の活用を含めた協定締結の一環としての支援活動です。
 被災地に当町職員として初めて現地入りしますので激励したかったのですが、出張のため見送ることができませんでした。
 まさか、こんなに早くこの様な事態が起きるとは夢にも思いませんでしたが、協定に基づきスライドダンプを貸し出すことになりました。
△協定締結時の菅原B&G財団理事長さん。


 被災地に近づくと周りの様子が一変してくると思いますが、派遣した職員には無事当初の目的を達成してダンプを届けて欲しいと思います。
 来週には『チームながの』として県から要請のあった職員が出発する予定で準備が進められています。  
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Posted by 大屋誠 at 13:19Comments(0)