2024年01月22日

懐かしい想い

 年賀状については先日郵便局のお年玉付き年賀状の当選番号が発表されました。このお年玉付き年賀状の発想は郵便局(いわゆる“官”)だと思っていましたが、民間人の方が考えられたと調べたらありました。
 初の売り出しが1949年で翌1950年の正月からそれぞれの家に届けられたもので、1956年生まれの私にとっては生まれてからあった伝統的なものとして当たり前の風物詩でした。
 先日のブログにも掲載しましたが、近頃はメールやSNSなどのICTの進展によりめっきり少なくなってきたとの事です。
 お年玉の歴史では初回が『ミシン』であったというのも、今ではミシンそのものが無い家庭も多いのでは思いますので時の流れを感じさせます。
 年賀状の良いところは、昔お世話になっ方にご無沙汰している事を伝え、近況をお伝えする事もあります。また、手づくりの賀状には、その人らしさを感じることが出来る味わい深いものがあり、思わず吹き出してしまうものがあったりと、それがメールなどと違い趣きがあると思うのは私だけでしょうか?
 近況をお知らせするという事を言いましたが、『今年で最後とさせて頂きます。長い間ありがとうございました。』というものもいくつかありましたが、来年からは郵便料金も上がる様ですので致し方無いと思う反面残念です。
 また、賀状の代わりに昨年末に亡くなった方は正月明けのこの頃ご家族の方から「寒中見舞い」を頂き悲報に接します。
 昨日、私の20代の時に大変お世話になった方が12月30日にお亡くなりになったとご家族からご連絡を頂きお参りに行かさせて頂きました。
 とても実直で仕事ができ、性格もとても温和で、私も将来歳を重ねて行くとすればあの様な方になりたいと尊敬の念を抱いていました。
 奥様のお話をお聞きすると、齢87歳を迎え少し記憶に障害があったとのことで、最近はよく昔の話をされていた様です。
 また、奥様と思い出話をする中で「大屋君は元気か?」という事を奥様に尋ねると、奥様は「上松で町長やってられますよ」と応えると「ああそうだったな」などと会話したそうです。
 県立高校の事務一筋の方で、蘇南高校など県立4校の事務長さんを務め、定年退職後67歳まで松本市の私立高校で事務長を勤められたとの事でした。
 息子さんが見せてくれた写真はとても整理されていて人柄が偲ばれしたが、5つの高校で事務長を経験されたその中で一番話していたのは蘇南高校の時の事だと奥様が話しておられました。
 最近、『今日は蘇南で会議があるから行かなければ』などと奥様と話していたとの事をお聞きすると自然と涙が溢れて来ました。
 御仏前で深々と頭を下げ生前の想い出を写真を見上げながら語りながらお礼をしてまいりました。昨年末にはこの他にもお世話になった方が他界されました。 人は亡くなった後は仏教でもキリスト教でも他の宗教でも天に昇ると言いますが、きっと高い所で私達を見て頂いているのでしょうか。
△上京した時甲府で見た雲
懐かしい想い




 

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Posted by 大屋誠 at 12:02│Comments(0)
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