2019年01月29日

地域の働き手確保への取組み

本日29日、木曽地域の働く人材を確保し、就業促進、働き方改革への取り組みについて検討する「木曽地域 就業促進・働き方改革戦略会議」の第2回会議が木曽文化公園で行われました。
この会議は昨年6月に初めて行われ、地元への就業について国・県・町村などの行政機関に企業、高校、中学校などの教育機関関係者、加えて看護学校、林大、技専校など様々な分野の方が参画しています。
座長である増田振興局長から昨年からの経緯や今回の会議は来年度に向けての協議の場となるという挨拶がありました。
オブザーバーとして参加した村上淳県議から、「働きやすい環境の整備が建設工事入札の条件としても求められている」など最近の状況も含めて挨拶がありました。
働きやすい魅力ある職場や地域を創って行く事はこれから木曽地域が持続発展する上で必要不可欠なものです。木曽地域での最近の有効求人倍率は1.91で企業の人手不足が継続し、いわゆる売り手市場となっているとの事です。
前回の時に「魅力が無いと就職しない」、「仕事があるのに学生や保護者に知られていない」などの意見が出た結果、具体的な取り組みとして[木曽地域における「魅力」と「働く場」がある事の情報発信」に取り組んだという報告がありました。
少し紹介しますと、進学を希望する人への企業説明会、これは大学卒業後に戻ってきてほしいという長い地道な取り組みです。そして建設工事現場での実習、これはそうした体験を通じて関心を持ってもらうなど、色々なアプローチで取り組んでいるとの事例発表がありました。
働く人がいるという事は経済や地域が活性化するのはもちろん、持続しながら発展可能な社会に向けた地域づくりに繋がっていきます。
自分らしい生き方を求める若者が多くなっているということが言われていますが、ここで暮らしている私たち自身が故郷を愛し、誇りに思えるような地域も合わせて創っていく事が本当に重要だと改めて感じました。
△会議の様子です。





  
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Posted by 大屋誠 at 17:33Comments(0)上松町

2019年01月27日

初セリの声響く(全市連国産材需要拡大製材品特別展示大会)

26日土曜日に今年に入って初となる製材品の競り市が開催されました。
昨夜、今年初めて積もった雪が外に残る中、競りが行われる場内にも凛とした空気感がありました。開会式では宮澤中部森林管理局長から「最近は薄く合板して似せたものがある。木材でヒノキの天然林は貴重なもの、また、人工林で育ったものも劣らないものがある。どちらも遜色はない。本物の木材を使って欲しい。」という挨拶がありました。
式の中で優良な製材品を出品した製材業者さんに対して林野庁長官賞、長野県知事賞表彰等が贈呈されました。木目の活かし方など評価する点について野村木曽官材理事長から講評がありました。
木材は当たり前ですが、一本として同じものは有りません。その材をどう活かすかは製材業さんの長年の経験によるものと思いますが、そうしたものも繋げていって欲しい日本の技と思います。

△宮澤中部森林管理局長の挨拶



△表彰状授与



△全国から仲買人さんが集まって頂きました。



△式終了後、直ぐセリが始まりました。




  
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Posted by 大屋誠 at 11:49Comments(0)上松町

2019年01月23日

御嶽海、怪我を押しての相撲

このブログでエールを送った直後の6日目に妙義竜関との一戦で左足を負傷した御嶽海関が復帰戦で見事10戦全勝で来ていた横綱白鵬関を一気の押し相撲で破りました。
復帰してくれて元気な顔見せてくれるだけで良いと私も含め多くの方々が思っていたかもしれませんが、そんな事を含めて感動する一番でした。
彼はほとんど手足を固定するサポーターをしませんが、その事について尋ねた事があります。「関取は両手首に絆創膏程度にテーピングしてるけど、手や足や膝にほとんどしていないのは、自分としての相撲に対する気持ちの表れ なんですか?」と聞いたところ、にこやかな表情から一変し、キリッとした顔で「はいそうです。」と応えてくれました。
彼の相撲に対しての強い思いを見た瞬間でした。今日は、怪我をしているので、テーピングしての一戦でしたが早く良くなって万全の状態で相撲が取れるようになってください。
▽御嶽海関応援の幟


  
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Posted by 大屋誠 at 18:15Comments(0)上松町御嶽海

2019年01月17日

御嶽海後半戦へ

大相撲初場所が始まりました。楽しみに待っておられた方も多いのではないでしょうか?
初日の稀勢の里関に土をつけ、続いて横綱鶴竜関にも本来の相撲で勝ちました。また、ライバルと目される貴景勝にも素晴らしい相撲で押し切りました。今場所の勝ち方を見ていると自分の型を見つけ、それにはまった力強いものとなって来ていることは皆さんも感じているのではないでしょうか。
横綱の稀勢の里関は引退ということになりましたが、大相撲の世界に着実に新しい時代が近づいている事を感じさせてくれる序盤戦の取り組みでした。
その筆頭にいるのは間違いなく御嶽海関です。これから中盤戦に入りますが、昨年の優勝した経験を生かして自分らしい戦い方をして欲しいと思います。

▽駅前にはためく幟も先場所よりも元気そうでした。


  
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Posted by 大屋誠 at 19:46Comments(0)御嶽海

2019年01月17日

厄落し参詣

14日、松本市の厄落としのお寺として有名な「牛伏寺」に家族で出かけました。今年は子どもが厄年に当たりますので、今年一年の無事を祈ってのお寺詣りです。
神社仏閣で引く“おみくじ”は楽しみですが、私は今まで生きている中で一度だけ[大凶]なるものを引いたのがこのお寺さんのおみくじでした。
幸いにして特に大きな災いも起きず一年無事にすみましたが、神社とかお寺さんでは大吉、中吉などや「凶」、「大凶」の割合が違うということを聞いたことがあります。厄落としの神社仏閣は凶、大凶の割合が多いようです。
まあ、もし凶や大凶引いても、一年気をつけてください程度に御本尊や神様が注意を呼びかけていると思った方が良いと思います。因みに今年私の引いたのは「大吉」でした。「もしかして宝くじが」、「もしかして・・」そういうのは信じてみたくなるのが人間として常でしょうか。
▽牛伏寺山門です。昔はずっと麓からのお参りで大変でした。


▽今年も牛さんがお迎えしてくれました。



  
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Posted by 大屋誠 at 13:09Comments(0)プライベート

2019年01月17日

お祝い

ブログの写真の整理が出来ず久し振りの書き込みとなりました。
三連休の真ん中13日の日曜日に樽、桶の作製で卓越した技能が認められ表彰された伊藤今朝雄さんの受賞祝賀会が開催され出席しました。
伊藤さんは私の同級生でもあり、また飲み友達でもあります。飲むとお互いに歯に衣を着せずにいつも話しています。
飾らないところと、時に彼が発する言葉の重みに驚かされる事があります。祝辞の中でそのエピソードを披露させて頂きました。
ある時に彼の工場に行った際に壁一面にある道具を見て、「ここに有るの全部使うの?」と聞いたところ、「そこにあるのは先代の物、自分の技はそこまでに至ってないので、恐れ多くて使えない」と応えました。
先代への敬意と彼の技を追求する気持ちにちょっと?尊敬の念を抱きました。今は匠(たくみ)くんという心強い後継者が出来嬉しそうに仕事に勤しんでいますが、弟子と師匠が逆転するくらいな感じでしっかりとした息子さんです。
これからもよい作品を世に送り出すとともに、息子さんにもしっかりと伝えていって欲しいと思います。

▽いつもと勝手が違い、ちょっと緊張気味な伊藤さんです。


▽花束贈呈ですが、少しにやけた顔でしたが、照れ笑い?


  
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Posted by 大屋誠 at 12:00Comments(0)上松町

2019年01月13日

お日待行事

昨日、私の住む田方(たんぼ)地区に伝わるお日待ち行事が行われました。
昔は小正月行事の行事として成人の日の1月15日に行われていましたが、最近は成人式の日を含む三連休の住民の皆さんの都合に合わせて実施されるようになりました。
我が区は20戸あまりの町内でも小さな区で、高齢者が占める割合は町内で最も高い地区だと思います。こうした行事への参加者も少なくなって来たことから、時代に合わせて総会も含め二日間に亘ってやっていたものを半日で済ますようになりました。
しかしながら、皆さんお元気で今年も無事行事を終えることができ、お楽しみの新年会でカラオケなどを楽しみました。
▽徳原禰宜の神事です。町内でもこうした祭壇を設けてやっている地区は他にもあるとの事でした。


▽地区住民の皆さんの玉串奉天です。


▽神事終了後に正月のお飾りを焼く「どんど焼き」です。


▽新年会前に高田整骨院の高田先生による健康づくりの講座がありました。今年一年健康でお過ごしください。


  
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Posted by 大屋誠 at 12:37Comments(0)上松町

2019年01月12日

本当に凄い人(その2)

伊能忠敬と言う人物を知るのは教科書で始めてという方が多かったのではないでしょうか。最近は歴史上の埋もれた人物をテレビ番組で紹介されているので、歴史好きな方は知っていると思いますが、彼は現在の千葉県出身で商家を継ぎ、隠居後、50歳から測量技術を学びました。
55歳から全国を歩き、後に『大日本沿海輿地(よち)図』という日本全国の詳細な地図を大成させました。足かけ17年の大変な事業でしたが、彼は完成前に没し、弟子たちが偉業を継いだとの事です。
彼は意図したかは別にし、彼が成し遂げたことが現在の日本の礎を築いたといっても良い出来事が伝えられています。明治維新から昨年で150年という記念すべき節目の年を迎えましたが、維新前の開国という時代を大きく動かした出来事にペリー来航があります。
「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四杯で夜も眠れず」と詠まれた言葉が表す通り、当時の江戸の庶民は大きく驚いたと言われています。
ペリーの来航の目的は鯨の遠洋漁業の補給のための開国を迫ったということが言われておりますが、もう一つの目的は日本の土地の測量にあったとも伝えられています。
ペリーが伊能忠敬が作成した地図を見てその精度に驚き、当時、欧米列強は植民地争いを続けていましたが、日本の技術に驚いて植民地化を諦めたということも言われています。
坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟など、その後明治維新を成し遂げた偉人として伝えられている人はいますが、伊能忠敬が成し遂げた事はそれに勝るとも劣らないものでもっと評価されても良い人だと思います。
伊能は他にも数々の名言を残しています。「人間は夢を持ち前を歩き続ける限り余生はいらない」、「夢追うのに早い遅いは無い、追うかどうかだ」「歩け歩け続けることの大切さ」何れの言葉も一つの事を成し遂げた人の重みのある言葉であると思います。
高齢化だ、子どもが少なくなって地域がなくなってしまうと将来を悲観的に捉える風潮がありますが、今だからこそ日本人が忘れかけている伊能忠敬の精神を大事にしていく必要があるのではと思います。
伊能忠敬が遺してくれた地図を大事にしながら中山道の上松宿の復元に取り組んでいきたいと思う出来事でした。
▽木曽の桟(県歌“信濃の国”にも歌われていますが、観光客の多くは赤い橋をそうだと思っていますが、左岸側の道下にその遺構があり、山づたい沿いに架けられていました。)



▽旧中山道上松宿上町附近(この一帯は大火も逃れました)



▽中山道があったと伝えられる下町付近の小学校への通学路です。)




  
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Posted by 大屋誠 at 07:13Comments(0)上松町プライベート

2019年01月12日

本当に凄い人(その1)

先日、信濃毎日新聞に中山道についての記事が掲載されました。私は、小さい頃から桟から町に繋がる旧国道が“旧中山道”と思い込んでいました。恐らく町民の皆さんもそう思っていた方がほとんどであったのではなかろうかと思います。
上松にとって、一昨年の「日本最古のクリ」の発見以来の歴史的なものの発見であり、昨年の御嶽海優勝以来の嬉しい出来事だと思います。
新聞記事を見た方は知っておられると思いますが、上松市街地への北側入り口の笹沢地籍から新茶屋の間、約500メートルの山道、といっても普段はほとんど誰も通る道ではありません。
上松の市街地に北から歩いて入る場合、現在ネックとなっているのが、国道バイパスとJRが交差する所に歩道が無く、歩くと危険であるということが指摘されておりました。
今回報じられた内容は、その道が江戸時代に日本全国を測量して歩いた伊能忠敬の測量図と一致したというもので、その意味で本当の中山道を発見したというものです。
その地図を現在の町の状況と照らし合わせると桟から町の旧中山道と伝えられている上町から見帰、寝覚そして木曽八景の一つ小野の滝、倉本まで実にそのままでした。
この事実を見つけた 観光協会のM事務局長の嬉しそうにその事を話してくれました。私もその踏査に同行したかったのですが、都合がつかず残念でした。
新聞報道後、県内はもとより北海道の伊能忠敬を研究している方などから問い合わせがあるなど反響があったとの事です。測量して全国を歩いた伊能忠敬のその測量精度の高さは時間を経た今でも高く評価されています。
本当に凄い人伊能忠敬については、その2で綴りたいと思います。
▽笹沢から上松宿を望む。桟の難所を抜けて来た旅人はきっとこの風景を見てホッとしたものと思います。


  
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Posted by 大屋誠 at 06:49Comments(0)上松町プライベート

2019年01月11日

新春懇談

10日、長野市に郡内の各町村長とともに、県庁で阿部知事、太田、中島副知事、中部森林管理局で宮澤局長と懇談をしました。
阿部知事から「木曽は昨年災害が発生したが、その復旧に向けて全力で取り組む」、そしてJR東日本のダイヤ改正で塩尻駅停車が少なくなる事について、「先日もしっかりと長野支社長に強く申し入れた」などと県の取り組みについて話がありました。
太田副知事は以前に木曽地方事務所長として勤務されていることから木曽地域の事は大変詳しいのですが、「10年以上経っているが、官公署の人だけでなく民間の人が今でも訪ねて来ていただいている。これも人情溢れる木曽の人達の表れ」と和やかに懇談が出来ました。
中島副知事はフォレストバレー構想に触れ木曽地域の特色を活かした取り組みに期待するとの話がありました。
その後、中部森林管理局に宮澤局長を訪ねて懇談しました。環境譲与税についての取り組みや各地域のウオーキングガイドする冊子の紹介などの話があり、和やかな雰囲気で懇談することが出来ました。

△阿部知事との懇談



△太田副知事との懇談



△宮澤局長との懇談




  
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Posted by 大屋誠 at 11:58Comments(0)上松町