2022年09月21日
対峙、退治?
台風前、ウオーキングしていると前方のガードレールの上に黒い物体発見!クマにしては小さい少しづつ近づいていくとサルがこちらをジッと見ている。
近づいて行けば逃げていくだろうと思って10m程の距離に来た時、逃げるどころか彼(?)は逆に威嚇するような眼で迫って来る。
目をそらすと危ないと思うと同時にこんな所でサル相手に喧嘩してもしょうがないと思いジリジリと後退する。そんな時、一台の軽トラがその緊張感を破るように通過した時すぐ横の崖を登って彼(大きいので恐らくオス)は山中に逃げて行った。
今まで何回もサルには遭っているが、今回のように迫って来るというのは初めての体験、噛みつかれたり、引っ掻かれたりすれば野生の動物はどんな危険が待っているかわからない。
それよりも翌朝の新聞に『町長サルには襲われる!!』といった言った記事になることの方がと頭をかすめました。
女性や子どもに向かって来るという事は聞きましたが、私のようなものにまで来るとはこれからは気を付けなければならないと思う朝の一コマでした。
△軽トラが過ぎ去った後、悠々と道路を渡るサル

△すぐ横の擁壁を軽々とジャンプし掴める場所が無いところを平然と登っていき山中へ

近づいて行けば逃げていくだろうと思って10m程の距離に来た時、逃げるどころか彼(?)は逆に威嚇するような眼で迫って来る。
目をそらすと危ないと思うと同時にこんな所でサル相手に喧嘩してもしょうがないと思いジリジリと後退する。そんな時、一台の軽トラがその緊張感を破るように通過した時すぐ横の崖を登って彼(大きいので恐らくオス)は山中に逃げて行った。
今まで何回もサルには遭っているが、今回のように迫って来るというのは初めての体験、噛みつかれたり、引っ掻かれたりすれば野生の動物はどんな危険が待っているかわからない。
それよりも翌朝の新聞に『町長サルには襲われる!!』といった言った記事になることの方がと頭をかすめました。
女性や子どもに向かって来るという事は聞きましたが、私のようなものにまで来るとはこれからは気を付けなければならないと思う朝の一コマでした。
△軽トラが過ぎ去った後、悠々と道路を渡るサル

△すぐ横の擁壁を軽々とジャンプし掴める場所が無いところを平然と登っていき山中へ

2022年09月21日
未来に木工の匠目指して
13日、小学生の木工作品コンクールの審査が上松小学校であり審査員として参加しました。子どもたちが夏休みに作った71点の作品が学年別に並んだ審査会場に一点一点慎重に審査して札を置いていきます。
木の良さを活かして乗り物や風景、怪獣など子どもたちの思い思いの個性あふれる作品です。
△審査の様子です。

△作品の一つ(審査結果とは関係ありません)


最近は道具を使って手づくりする事が少なくなって来ている一方で興味を示す若い人も多くなっていると思います。
不器用な私は上手くいかなくても味のある作品に出来たと自分で満足出来るのも手づくりの良さと思って納得していたのを思い出しました。
木の良さを活かして乗り物や風景、怪獣など子どもたちの思い思いの個性あふれる作品です。
△審査の様子です。

△作品の一つ(審査結果とは関係ありません)


最近は道具を使って手づくりする事が少なくなって来ている一方で興味を示す若い人も多くなっていると思います。
不器用な私は上手くいかなくても味のある作品に出来たと自分で満足出来るのも手づくりの良さと思って納得していたのを思い出しました。
2022年09月12日
寿ぐ(木曽寮敬老会)
12日、老人ホーム木曽寮で“敬老会”があり出席しました。今年の白寿、卒寿、喜寿の特別感謝状は偶然にも上松町出身の3人の方でした。
白寿を迎えたKさん、卒寿を迎えたMさん、そして喜寿を迎えたGさんの三人は車椅子の方もいましたが、卒寿を迎えられたMさんは感謝の言葉をしっかりと述べられていました。
△お礼の言葉を述べるMさんです。プライバシー保護のためお顔は伏せてありますがとてもお元気でした。

新型コロナが施設内で発生しましたが、嘱託医師や木曽病院、保健所の皆さんのご協力により短期間で収束できた事は本当に感謝です。
「再来年春には新しい『木曽寮』が完成します。皆さん楽しみしていて下さい。」と挨拶させて頂きました。
白寿を迎えたKさん、卒寿を迎えたMさん、そして喜寿を迎えたGさんの三人は車椅子の方もいましたが、卒寿を迎えられたMさんは感謝の言葉をしっかりと述べられていました。
△お礼の言葉を述べるMさんです。プライバシー保護のためお顔は伏せてありますがとてもお元気でした。

新型コロナが施設内で発生しましたが、嘱託医師や木曽病院、保健所の皆さんのご協力により短期間で収束できた事は本当に感謝です。
「再来年春には新しい『木曽寮』が完成します。皆さん楽しみしていて下さい。」と挨拶させて頂きました。
2022年09月12日
受賞を祝う(藤原忠彦氏「旭日重光章」)
9月11日、長野市内で県町村前会長で全国町村会長も4期7年務められた藤原忠彦氏の『旭日重光章』の受賞を祝う会に招かれて出席しました。
藤原さんは川上村長を8期32年の長きに亘り務められました。その間、全国的に知られるレタスを始めとした高原野菜の栽培や赤字バス路線を村営バスで黒字化、村内全戸をネットワークしたCATVなど次々と先見性のある事業を立ち上げました。
私は今回は長野県土地改良連合会理事として招待されましたが、藤原さんは村長を退任された後も連合会の理事長を務められています。他にも県社会福祉協議会長、県森林組合連合会長などを務められています。
先日、土地改良連合会の役員引継ぎの折に同席させて頂きましたが、飾らず屈託のない笑顔はとても魅力的で素敵な方だと思いました。
これからも色々な面でご教示いただく機会がある事を楽しみにしています。
△羽田健一郎実行委員長の挨拶

△阿部知事挨拶。この日は国会議員、町村長、普段から交友のある約100名を超える皆さんが集まりました。

△謝辞を述べる藤原さん。隣は和子夫人、内助の功でご苦労は並々ならぬものがあったと思います。

藤原さんは川上村長を8期32年の長きに亘り務められました。その間、全国的に知られるレタスを始めとした高原野菜の栽培や赤字バス路線を村営バスで黒字化、村内全戸をネットワークしたCATVなど次々と先見性のある事業を立ち上げました。
私は今回は長野県土地改良連合会理事として招待されましたが、藤原さんは村長を退任された後も連合会の理事長を務められています。他にも県社会福祉協議会長、県森林組合連合会長などを務められています。
先日、土地改良連合会の役員引継ぎの折に同席させて頂きましたが、飾らず屈託のない笑顔はとても魅力的で素敵な方だと思いました。
これからも色々な面でご教示いただく機会がある事を楽しみにしています。
△羽田健一郎実行委員長の挨拶

△阿部知事挨拶。この日は国会議員、町村長、普段から交友のある約100名を超える皆さんが集まりました。

△謝辞を述べる藤原さん。隣は和子夫人、内助の功でご苦労は並々ならぬものがあったと思います。

2022年09月10日
写真を通じて(山口勝廣さんに感謝)
9日、木曽を愛して約40年近く風景や御嶽山信仰、里の祭りを撮って来た山口勝廣さんが作品103点を木曽広域連合に寄贈していただいた事から感謝状贈呈式が行われました。
△贈呈式の様子

△山口さんのお礼の言葉

△作品の一つ一つの説明を聞く

△上松の祭り

山口先生は1940年生まれの82歳になります。 昨年、交通事故に遭われ現在リハビリをやっているとのことですが、順調に回復しており、更なる撮影に意欲を述べておられました。
木曽とのご縁は島崎藤村の作品の“夜明け前”の『木曽路はすべて山の中にある』に魅せられて約40年近く撮られたとの事です。
御嶽、駒ケ岳の山岳信仰の写真を撮らせていただいた時は神が降りて来た先達の様子は神聖なものであるので、最初は「講」の皆さんとの距離が難しかったと思い出されていました。「何度も行って徐々に距離を近づけて行ってようやく撮れた写真です」と思い返されるように話されていました。
日本写真家協会の副会長、日本旅行写真家協会の会長を務めながら、木曽ふるさと大使として全国各地で木曽を紹介する作品展を開催していただいています。
作品を見ながら説明する先生からは作品一点一点への愛情が感じられました。
現在、木曽文化公園リニューアルオープン記念として『御嶽信仰と里の祭り』を開催中です。懐かしい顔も見える写真があるかもしれません。
木曽地域が育んで来た文化の奥深さを感じる写真展ですので是非ご鑑賞ください。
△贈呈式の様子

△山口さんのお礼の言葉

△作品の一つ一つの説明を聞く

△上松の祭り

山口先生は1940年生まれの82歳になります。 昨年、交通事故に遭われ現在リハビリをやっているとのことですが、順調に回復しており、更なる撮影に意欲を述べておられました。
木曽とのご縁は島崎藤村の作品の“夜明け前”の『木曽路はすべて山の中にある』に魅せられて約40年近く撮られたとの事です。
御嶽、駒ケ岳の山岳信仰の写真を撮らせていただいた時は神が降りて来た先達の様子は神聖なものであるので、最初は「講」の皆さんとの距離が難しかったと思い出されていました。「何度も行って徐々に距離を近づけて行ってようやく撮れた写真です」と思い返されるように話されていました。
日本写真家協会の副会長、日本旅行写真家協会の会長を務めながら、木曽ふるさと大使として全国各地で木曽を紹介する作品展を開催していただいています。
作品を見ながら説明する先生からは作品一点一点への愛情が感じられました。
現在、木曽文化公園リニューアルオープン記念として『御嶽信仰と里の祭り』を開催中です。懐かしい顔も見える写真があるかもしれません。
木曽地域が育んで来た文化の奥深さを感じる写真展ですので是非ご鑑賞ください。
2022年09月04日
お祭り二日目
いや〜天気の心配していたら暑いくらいの天気となりました。先日お伝えした諏訪神社のお祭りも本祭りを迎えました。
昨日に続き拾弐当の獅子舞に参加しました。いつもより短時間で終わりにするため各戸には家の中に入らず玄関前で、獅子舞も短くしての悪魔祓いとなりました。
上若連の連中の皆さんは新入りから若い人はピンク襷、頭(かしら)は青襷、中老は黄色、大老は赤襷となっています。
今日は同行したピンク襷の若者が獅子を舞いたいと志願してくれてデビューしました。実際に舞うと大変さが分かりますが、氏子の皆さまに感謝していただけるのを肌で感じるのが魅力です。
△デビューした若者。私も50戸余り一人で連続で舞った事がありますが、トランス状態になります。

△最後に『切り上げの獅子』を舞って拾弐当は無事終了しました。


昨日に続き拾弐当の獅子舞に参加しました。いつもより短時間で終わりにするため各戸には家の中に入らず玄関前で、獅子舞も短くしての悪魔祓いとなりました。
上若連の連中の皆さんは新入りから若い人はピンク襷、頭(かしら)は青襷、中老は黄色、大老は赤襷となっています。
今日は同行したピンク襷の若者が獅子を舞いたいと志願してくれてデビューしました。実際に舞うと大変さが分かりますが、氏子の皆さまに感謝していただけるのを肌で感じるのが魅力です。
△デビューした若者。私も50戸余り一人で連続で舞った事がありますが、トランス状態になります。

△最後に『切り上げの獅子』を舞って拾弐当は無事終了しました。


2022年09月04日
上松祭り始まる(諏訪神社例大祭)
3日から別名“上松祭り”とも言われる諏訪神社例大祭が翌日4日まで行われます。
昨年、一昨年と新型コロナの影響で神輿渡御、お神楽は出ず、今年こそはと期待していましたが、オミクロンBA5の感染拡大を受けてそれも無くなりました。残念‼︎
しかしながら、獅子が各戸を舞ってお祓いをする『拾弐当』は家の中では舞わず玄関先で、舞も短くなど制限はあるものの出来ました。
決定までには宮司や氏子総代の皆さん、上若連(かみわかれん)の頭(かしら)や中老委員の皆さんの間で大変な議論があった上での決定と伺いました。
それでも3年振りに獅子が来たという事で氏子の皆さんには温かく迎えて頂きました。「ました。」と書きましたのは私自身も連中の一員として獅子を舞わさせて頂いたからです。
戸数は減ったとはいえ数十軒も獅子を舞うとヘトヘトになってしまいますし、何しろ獅子を舞う人の人数も限られますので『若い人がいないなら』という条件で、老体に鞭打っての参加です。
頭からの通知に「上若連の浴衣を着ての飲酒はしない事」という条件での参加です。約半世紀もの長い間活動していますが、酒の出ないお祭りは初めてです。しかしながら、参加した皆さんは不満ひとつ漏らさず従っていました。
△八幡宮に集まった皆さん。大老を代表して挨拶したHさんは感極まった挨拶をされ、集まった皆さんからは大きな拍手が送られました。

△八幡宮に三年振りに舞われる獅子舞

△諏訪神社の神事等の様子。日頃、町の安全・安心を支えて頂いている関係者の皆さんも参列。

△獅子頭もお祓いを待ちます。

△神事。浦安の舞、玉串奉奠と続きます。


△湯立て神楽を舞う徳原宮司

△宵祭りの渡御の様子。天狗の面を着けた『猿田彦』がしめ縄を切って進みます。

台風11号の影響で天候が心配でしたが、一日目は大雨など大きな崩れも無く終わりました。
昨年、一昨年と新型コロナの影響で神輿渡御、お神楽は出ず、今年こそはと期待していましたが、オミクロンBA5の感染拡大を受けてそれも無くなりました。残念‼︎
しかしながら、獅子が各戸を舞ってお祓いをする『拾弐当』は家の中では舞わず玄関先で、舞も短くなど制限はあるものの出来ました。
決定までには宮司や氏子総代の皆さん、上若連(かみわかれん)の頭(かしら)や中老委員の皆さんの間で大変な議論があった上での決定と伺いました。
それでも3年振りに獅子が来たという事で氏子の皆さんには温かく迎えて頂きました。「ました。」と書きましたのは私自身も連中の一員として獅子を舞わさせて頂いたからです。
戸数は減ったとはいえ数十軒も獅子を舞うとヘトヘトになってしまいますし、何しろ獅子を舞う人の人数も限られますので『若い人がいないなら』という条件で、老体に鞭打っての参加です。
頭からの通知に「上若連の浴衣を着ての飲酒はしない事」という条件での参加です。約半世紀もの長い間活動していますが、酒の出ないお祭りは初めてです。しかしながら、参加した皆さんは不満ひとつ漏らさず従っていました。
△八幡宮に集まった皆さん。大老を代表して挨拶したHさんは感極まった挨拶をされ、集まった皆さんからは大きな拍手が送られました。

△八幡宮に三年振りに舞われる獅子舞

△諏訪神社の神事等の様子。日頃、町の安全・安心を支えて頂いている関係者の皆さんも参列。

△獅子頭もお祓いを待ちます。

△神事。浦安の舞、玉串奉奠と続きます。


△湯立て神楽を舞う徳原宮司

△宵祭りの渡御の様子。天狗の面を着けた『猿田彦』がしめ縄を切って進みます。

台風11号の影響で天候が心配でしたが、一日目は大雨など大きな崩れも無く終わりました。
2022年09月01日
30年の時を超えて(タイムカプセル開封)
100周年記念事業の一環として『町制施行70周年』を記念して埋められたタイムカプセルの開封式が行われました。
午前10時からの予定でしたが、強い雨のため30分繰り下げられて開式しましたが、当時幼稚園、小学校、中学校の園児・児童・生徒さんの作文や絵で未来の上松や自分の事など思いの詰まったものが入っているとの事で、集まった当時の関係者の皆さんは記憶を辿っているようでした。
△タイムカプセルが30年の時を超えて出されます。



△今は上松小学校に統合された「旧荻原小学校」の文集も入っていました。

△上松中学校の秋山校長先生は30年前に上松小学校の6年生の担任だったそうです。不思議な巡り合わせです。当時の教え子たちと出席してくれていました。

△当時の自分が書いた文集や絵を披露しています。


△秋山校長先生も照れながら30年前の自分で書いた思いも披露していました。

この文集や絵などは明日から役場の正面玄関入り口で披露されます。
余談ですが、この中に当時の役場職員が30年後にお互い元気な姿で会おうという事でウヰスキーを入れたそうです。時を経て無事回収されたそうですが、中身は無事でしたが若干量が減っていたそうです。30年の時が少しずつ飲んで行ったものと思われます。表書きには『これを開封する時は必ず「〇〇と、〇〇に連絡すること」とあったそうです。
埋めた時の仲間が100周年の再会を楽しみにしていた姿が目に浮かぶようです。
午前10時からの予定でしたが、強い雨のため30分繰り下げられて開式しましたが、当時幼稚園、小学校、中学校の園児・児童・生徒さんの作文や絵で未来の上松や自分の事など思いの詰まったものが入っているとの事で、集まった当時の関係者の皆さんは記憶を辿っているようでした。
△タイムカプセルが30年の時を超えて出されます。



△今は上松小学校に統合された「旧荻原小学校」の文集も入っていました。

△上松中学校の秋山校長先生は30年前に上松小学校の6年生の担任だったそうです。不思議な巡り合わせです。当時の教え子たちと出席してくれていました。

△当時の自分が書いた文集や絵を披露しています。


△秋山校長先生も照れながら30年前の自分で書いた思いも披露していました。

この文集や絵などは明日から役場の正面玄関入り口で披露されます。
余談ですが、この中に当時の役場職員が30年後にお互い元気な姿で会おうという事でウヰスキーを入れたそうです。時を経て無事回収されたそうですが、中身は無事でしたが若干量が減っていたそうです。30年の時が少しずつ飲んで行ったものと思われます。表書きには『これを開封する時は必ず「〇〇と、〇〇に連絡すること」とあったそうです。
埋めた時の仲間が100周年の再会を楽しみにしていた姿が目に浮かぶようです。
2022年09月01日
30年の時を超えて(タイムカプセル開封)
100周年記念事業の一環として『町制施行70周年』を記念して埋められたタイムカプセルの開封式が行われました。
午前10時からの予定でしたが、強い雨のため30分繰り下げられて開式しましたが、当時幼稚園、小学校、中学校の園児・児童・生徒さんの作文や絵で未来の上松や自分の事など思いの詰まったものが入っているとの事で、集まった当時の関係者の皆さんは記憶を辿っているようでした。
△タイムカプセルが30年の時を超えて出されます。



△今は上松小学校に統合された「旧荻原小学校」の文集も入っていました。

△上松中学校の秋山校長先生は30年前に上松小学校の6年生の担任だったそうです。不思議な巡り合わせです。当時の教え子たちと出席してくれていました。

△当時の自分が書いた文集や絵を披露しています。


△秋山校長先生も照れながら30年前の自分で書いた思いも披露していました。

この文集や絵などは明日から役場の正面玄関入り口で披露されます。
余談ですが、この中に当時の役場職員が30年後にお互い元気な姿で会おうという事でウヰスキーを入れたそうです。時を経て無事回収されたそうですが、中身は無事でしたが若干量が減っていたそうです。30年の時が少しずつ飲んで行ったものと思われます。表書きには『これを開封する時は必ず「〇〇と、〇〇に連絡すること」とあったそうです。
埋めた時の仲間が100周年の再会を楽しみにしていた姿が目に浮かぶようです。
午前10時からの予定でしたが、強い雨のため30分繰り下げられて開式しましたが、当時幼稚園、小学校、中学校の園児・児童・生徒さんの作文や絵で未来の上松や自分の事など思いの詰まったものが入っているとの事で、集まった当時の関係者の皆さんは記憶を辿っているようでした。
△タイムカプセルが30年の時を超えて出されます。



△今は上松小学校に統合された「旧荻原小学校」の文集も入っていました。

△上松中学校の秋山校長先生は30年前に上松小学校の6年生の担任だったそうです。不思議な巡り合わせです。当時の教え子たちと出席してくれていました。

△当時の自分が書いた文集や絵を披露しています。


△秋山校長先生も照れながら30年前の自分で書いた思いも披露していました。

この文集や絵などは明日から役場の正面玄関入り口で披露されます。
余談ですが、この中に当時の役場職員が30年後にお互い元気な姿で会おうという事でウヰスキーを入れたそうです。時を経て無事回収されたそうですが、中身は無事でしたが若干量が減っていたそうです。30年の時が少しずつ飲んで行ったものと思われます。表書きには『これを開封する時は必ず「〇〇と、〇〇に連絡すること」とあったそうです。
埋めた時の仲間が100周年の再会を楽しみにしていた姿が目に浮かぶようです。
Posted by 大屋誠 at
11:14
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