2019年01月12日
本当に凄い人(その2)
伊能忠敬と言う人物を知るのは教科書で始めてという方が多かったのではないでしょうか。最近は歴史上の埋もれた人物をテレビ番組で紹介されているので、歴史好きな方は知っていると思いますが、彼は現在の千葉県出身で商家を継ぎ、隠居後、50歳から測量技術を学びました。
55歳から全国を歩き、後に『大日本沿海輿地(よち)図』という日本全国の詳細な地図を大成させました。足かけ17年の大変な事業でしたが、彼は完成前に没し、弟子たちが偉業を継いだとの事です。
彼は意図したかは別にし、彼が成し遂げたことが現在の日本の礎を築いたといっても良い出来事が伝えられています。明治維新から昨年で150年という記念すべき節目の年を迎えましたが、維新前の開国という時代を大きく動かした出来事にペリー来航があります。
「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四杯で夜も眠れず」と詠まれた言葉が表す通り、当時の江戸の庶民は大きく驚いたと言われています。
ペリーの来航の目的は鯨の遠洋漁業の補給のための開国を迫ったということが言われておりますが、もう一つの目的は日本の土地の測量にあったとも伝えられています。
ペリーが伊能忠敬が作成した地図を見てその精度に驚き、当時、欧米列強は植民地争いを続けていましたが、日本の技術に驚いて植民地化を諦めたということも言われています。
坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟など、その後明治維新を成し遂げた偉人として伝えられている人はいますが、伊能忠敬が成し遂げた事はそれに勝るとも劣らないものでもっと評価されても良い人だと思います。
伊能は他にも数々の名言を残しています。「人間は夢を持ち前を歩き続ける限り余生はいらない」、「夢追うのに早い遅いは無い、追うかどうかだ」「歩け歩け続けることの大切さ」何れの言葉も一つの事を成し遂げた人の重みのある言葉であると思います。
高齢化だ、子どもが少なくなって地域がなくなってしまうと将来を悲観的に捉える風潮がありますが、今だからこそ日本人が忘れかけている伊能忠敬の精神を大事にしていく必要があるのではと思います。
伊能忠敬が遺してくれた地図を大事にしながら中山道の上松宿の復元に取り組んでいきたいと思う出来事でした。
▽木曽の桟(県歌“信濃の国”にも歌われていますが、観光客の多くは赤い橋をそうだと思っていますが、左岸側の道下にその遺構があり、山づたい沿いに架けられていました。)

▽旧中山道上松宿上町附近(この一帯は大火も逃れました)

▽中山道があったと伝えられる下町付近の小学校への通学路です。)

55歳から全国を歩き、後に『大日本沿海輿地(よち)図』という日本全国の詳細な地図を大成させました。足かけ17年の大変な事業でしたが、彼は完成前に没し、弟子たちが偉業を継いだとの事です。
彼は意図したかは別にし、彼が成し遂げたことが現在の日本の礎を築いたといっても良い出来事が伝えられています。明治維新から昨年で150年という記念すべき節目の年を迎えましたが、維新前の開国という時代を大きく動かした出来事にペリー来航があります。
「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四杯で夜も眠れず」と詠まれた言葉が表す通り、当時の江戸の庶民は大きく驚いたと言われています。
ペリーの来航の目的は鯨の遠洋漁業の補給のための開国を迫ったということが言われておりますが、もう一つの目的は日本の土地の測量にあったとも伝えられています。
ペリーが伊能忠敬が作成した地図を見てその精度に驚き、当時、欧米列強は植民地争いを続けていましたが、日本の技術に驚いて植民地化を諦めたということも言われています。
坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟など、その後明治維新を成し遂げた偉人として伝えられている人はいますが、伊能忠敬が成し遂げた事はそれに勝るとも劣らないものでもっと評価されても良い人だと思います。
伊能は他にも数々の名言を残しています。「人間は夢を持ち前を歩き続ける限り余生はいらない」、「夢追うのに早い遅いは無い、追うかどうかだ」「歩け歩け続けることの大切さ」何れの言葉も一つの事を成し遂げた人の重みのある言葉であると思います。
高齢化だ、子どもが少なくなって地域がなくなってしまうと将来を悲観的に捉える風潮がありますが、今だからこそ日本人が忘れかけている伊能忠敬の精神を大事にしていく必要があるのではと思います。
伊能忠敬が遺してくれた地図を大事にしながら中山道の上松宿の復元に取り組んでいきたいと思う出来事でした。
▽木曽の桟(県歌“信濃の国”にも歌われていますが、観光客の多くは赤い橋をそうだと思っていますが、左岸側の道下にその遺構があり、山づたい沿いに架けられていました。)

▽旧中山道上松宿上町附近(この一帯は大火も逃れました)

▽中山道があったと伝えられる下町付近の小学校への通学路です。)
