2024年10月30日

鎮魂の祈り(県戦没者追悼式)

 26日、佐久市にある県立武道館において県戦没者追悼式が行われ参列しました。
 県内出身者で先の大戦において犠牲となった約5万5千柱のご冥福をお祈りするとともに、恒久平和を祈る県戦没者追悼式で毎年会場を移動して実施しています。
 今年で終戦79年目を迎え、遺族も高齢化するととも、参列する方の世代も孫の世代となっています。
△武道館前の看板
鎮魂の祈り(県戦没者追悼式)


△会場
鎮魂の祈り(県戦没者追悼式)


 私が県職員時代に、この式典の担当であった30年前は、出席者は約3000人程を超える方がいましたが、今は郡市の代表者に数人の参加者で、市町村長もほぼ全員が参列していましたが、この日は十数人と隔世の感があります。
 長野県の戦争の歴史として他の都道府県と大きく事情が違っている事があります。それは中国の満蒙開拓団に全国一番多い人数を送った事です。
 当時の経済不況の中、家族が多い世帯では生活して行くのがやっとで、そのため跡継ぎでない若い人を中心に声をかけて『五族共和』、『王道楽土』の名の下、中国に渡って開拓する事業を行いました。
 開拓とは言っても、実際は中国人の土地を奪ってそれを充てていたという事があったようです。そのため、終戦を知った中国人から襲われたこと、その後、中国残留孤児の悲惨な一家離散の悲劇が生まれました。
 終戦から36年経って初めての残留孤児の調査が行われましたが、あまりにも時間が経っており残留孤児の身元について知っている養父母も亡くなっているなど調査は困難な状況でした。
 私も身元判明調査に立ち会いましたが、必死に記憶辿る孤児の方とご家族の様子を見る時に戦争の悲惨さを改めて思い知らされました。
 また、戦傷病者の方とも話す機会も多く、片腕や脚が無い方もいました。その中でいつも明るい方が一緒に風呂に入り裸となった時に寂しく言った言葉が今でも忘れられません。『戦争にあるなんて誰も思っていなかったんだよ、絶対に二度と戦争しちゃいかんよ。大屋くん』、『その結果がこれだよ』と言って無い腕を見せたのでした。
 この日は戦没者追悼式でしたので、亡くなられた方は私たちに告げることもできずに逝ってしまったという無念を思うと慰める言葉も見つかりません。
 またご遺族の方も大黒柱を失い、愛する家族を失った喪失感から大変なご苦労をされたと思います。
 そんな様々な思いを胸に参列させて頂きました。佐久大学の大学生が御霊の安らかなることを念じつつ恒久平和を誓っていました。
 今でもウクライナ、中近東で戦争において戦争が行われています。愚かな行為を人間は幾度となく繰り返すのでしょうか?
 今は中国から周辺地域への圧力もあり、国内でもこうした動きに対して強硬な手段で対抗すべきと主張する人もいますが、我が国の主権を主張、堅持しながら粘り強く交渉していく必要があると思いました。
△阿部知事式辞
鎮魂の祈り(県戦没者追悼式)


△遺族会長追悼の辞
鎮魂の祈り(県戦没者追悼式)


△献花の様子
鎮魂の祈り(県戦没者追悼式)





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Posted by 大屋誠 at 18:13│Comments(0)上松町
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