2024年09月14日
日本遺産木曽路サミットin奈良井
8月末の台風10号の接近以来、諸行事が見合わせる事態となり、すっかりブログアップをご無沙汰しました。久しぶりの投稿となりましたが、その間の出来事を少しずつ紹介して行きます。
9月4日、日本遺産木曽路サミットin奈良井が塩尻市楢川奈良井宿で行われました。木曽路の日本遺産登録は木曽郡6町村に中津川市、塩尻市を加えた8町村の歴史的遺構や街並み、伝統工芸品、森林文化などにより構成されています。
この日は、江戸時代には『奈良井千軒』と隆盛を極めた奈良井宿でのサミットとなりました。オープニングを告げる木曽踊りは木曽町の木曽踊り保存会の皆さんに市町村長も浴衣に着替えての木曽踊りを披露しました。
△こんな風景です。


△浴衣の着付けは保存会の皆さんが手伝ってくれました。

△正調木曽節を生歌で、三味線や太鼓も生での演奏

この日は平日にも関わらず多くの観光客の方がおられました。最後は観光客の皆さんも入って楽しく踊りました。
△見よう見まねで参加。踊り自体は難しいものでないので初めて踊った方も途中からは徐々に慣れてきましたよ

踊りが終わって会場を奈良井会館に移し信州大学新(しん)先生がコーディネーターを務めて頂き各町村の取組みなどを話し合いました。
新先生は、奈良井宿をフィールドに調査研究をされているとのことで、奈良井宿に伝わる『鎮(しずめ)神社』のお祭りをテーマにしてアンケートをやったそうです。
その時の話で興味深いものがありましたので紹介します。お祭りは以前は宿場内の各戸一軒、一軒を回って獅子舞を奉納していたのを大変だからという事で、それを止めて主なところだけにしたそうですが、氏子の皆さんから従来どおりに戻してやろうと言うことでわずか2年で戻したそうです。
何か今は何処にでもあるようなお話ですが、やはり地元に伝えられた伝統文化を大事に思う気持ちが強いのかもしれません。
木曽郡で唯一、消滅可能性自治体に指定されていない木祖村の奥原村長さんが「木祖村はお祭りがあるから消滅しない。小さい子どもの頃から笛を吹き、太鼓叩いているから」の言葉がしみました。
木曽路にはこうしたお祭りが根付いている事が大事な事であり強みなのかもしれません。
9月4日、日本遺産木曽路サミットin奈良井が塩尻市楢川奈良井宿で行われました。木曽路の日本遺産登録は木曽郡6町村に中津川市、塩尻市を加えた8町村の歴史的遺構や街並み、伝統工芸品、森林文化などにより構成されています。
この日は、江戸時代には『奈良井千軒』と隆盛を極めた奈良井宿でのサミットとなりました。オープニングを告げる木曽踊りは木曽町の木曽踊り保存会の皆さんに市町村長も浴衣に着替えての木曽踊りを披露しました。
△こんな風景です。


△浴衣の着付けは保存会の皆さんが手伝ってくれました。

△正調木曽節を生歌で、三味線や太鼓も生での演奏

この日は平日にも関わらず多くの観光客の方がおられました。最後は観光客の皆さんも入って楽しく踊りました。
△見よう見まねで参加。踊り自体は難しいものでないので初めて踊った方も途中からは徐々に慣れてきましたよ

踊りが終わって会場を奈良井会館に移し信州大学新(しん)先生がコーディネーターを務めて頂き各町村の取組みなどを話し合いました。
新先生は、奈良井宿をフィールドに調査研究をされているとのことで、奈良井宿に伝わる『鎮(しずめ)神社』のお祭りをテーマにしてアンケートをやったそうです。
その時の話で興味深いものがありましたので紹介します。お祭りは以前は宿場内の各戸一軒、一軒を回って獅子舞を奉納していたのを大変だからという事で、それを止めて主なところだけにしたそうですが、氏子の皆さんから従来どおりに戻してやろうと言うことでわずか2年で戻したそうです。
何か今は何処にでもあるようなお話ですが、やはり地元に伝えられた伝統文化を大事に思う気持ちが強いのかもしれません。
木曽郡で唯一、消滅可能性自治体に指定されていない木祖村の奥原村長さんが「木祖村はお祭りがあるから消滅しない。小さい子どもの頃から笛を吹き、太鼓叩いているから」の言葉がしみました。
木曽路にはこうしたお祭りが根付いている事が大事な事であり強みなのかもしれません。