2024年05月18日

養護老人ホーム“木曽寮”新たな歴史刻む

 先月19日に予定されていた老人ホーム“木曽寮”の開所式セレモニーが入所者に風邪が流行った事から中止となりましたが、後藤茂之衆議院議員(元経済再生大臣)が訪問するという事から茶話会も兼ねて行うので地元町長として出席をと木曽社会福祉事業協会から連絡があり急遽駆け付けました。
 茶話会が行われた食堂には入所者の皆さんが集まり、流行っていた風邪も収まり元気な様子でした。
 環境が変わったので、新しい寮生活に馴染むのかなどに一抹の不安もありましたが、皆さん元気な様子でホッとしました。
 利用者には、私の知り合いの方もおり「奥さんによろしく」など声をかけて頂きました。後藤代議士も一緒に撮影して欲しいとの依頼に気軽に応じ、臨時『撮影会』のような雰囲気で和やかな茶話会となりました。
△挨拶の様子。中央が後藤代議士、向かって右側が田上昭彦理事長さんです。




  
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Posted by 大屋誠 at 06:03Comments(0)上松町

2024年05月18日

能登へ(第三次 支援チーム派遣)

 当町から能登半島地震災害対応支援チームとして第三次となる二人の職員を派遣する事なり、それに当たって激励しました。
 既に発生から5ヶ月半となり、通常なら復旧から復興への道筋を示す段階に入ってくる時期ですが瓦礫の撤去も進んでいないと聞きました。
 何故そんなに遅いのか不思議に思っていたところ、一つの例ではそれぞれの建物の鉄骨の処理量が確定できていないために瓦礫の撤去が出来ないでいると聞きました。
 本当?と思わず突っ込んで聞きたくなるような事です。どうも緊急事態にも関わらず平時の対応で事が進んでいるのかと思いました。
 瓦礫の中で避難生活を余儀なくされている皆さんにとって1月1日の当日のままの町の姿を毎日見て暮らすことの辛さに心が痛みます。
 そんな中に若い二人の職員を送り出しますが、二人にはしっかりと被災地の現状を見て住民に長野県の木曽上松町も支援している事を伝えて欲しいと言葉を伝えました。
 また、地震発生から5ヶ月以上経っているが、余震にも十分気を付け、長距離の往復の運転にも気を付けてと激励の言葉を送りました。
△激励の様子


 若い職員にとって貴重な体験になるものと思いますが、無事初期の目的を果たして元気に帰って来てください。
 玄関から職員の拍手に見送られ、二人は元気に出発しました。


   
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Posted by 大屋誠 at 05:33Comments(0)上松町

2024年05月14日

大火記念日行事(模擬火災訓練)

 昭和25年5月13日夜に発生した、後に“上松大火”と呼ばれる火災は折からの強い北寄りの風により瞬く間に役場、郵便局などの官公署を含む615戸が焼失した上松町史史上最大の災害となりました。
 これだけの大きな災害であったものの死者は出なかった事が幸いでした。しかしながら、当時の記録映像を見ると焼け跡に立ち尽くした町民の絶望的な姿は察するに余りある光景でした。
 あれから74年の歳月が流れました。町ではこの教訓を忘れないようにするため、5月14日を『大火記念日』と定めて模擬火災訓練を毎年実施してきました。近年は消防団員の仕事の関係もあるので、その日近くの日曜日に行われています。
 12日、その訓練が実施されました。訓練場所は下河原地籍に新しく完成した老人ホーム「木曽寮」の付近でした。
 下流の諸原橋の木曽川から取水してホース延長していくのには大変な労力が必要です。
△諸原橋の取水


△貯水槽に一旦水を貯めて一方で放出して送ります。


 道沿いに延長したホースを見ると先が遠い所にあることが分かります。手際よく延長するにはホースの持っていく先が自分の足で何歩で行くかなども考えて延長して行く必要があります。
△延長したホース


 また、機械操作者との連携、相手が見えないところで無線での円滑な情報提供収集、そして指示が的確でなければなりません。
△出動した消防車


 延長したホースの先では火先担当の団員が放水していました。
△黒い消防服は広域消防の皆さんです。今年も参加して頂きました。広域消防も女性署員を募集しており、この日は一名が出動していました。


 訓練後、諏訪神社で“鎮火祭”が行われました。挨拶の中で先の能登半島地震の際の輪島市の火災に触れ、消防設備や機材が近代化してきても、何が起こるか分からない事がある。そうした事態に対応するのが今日のような訓練であることと編成式で新たな団員となった方、また幹部として任命された方にとってもこの時期の訓練は有意義なものであると話させて頂きました。
 公民館の駐車場では火災の煙体験テントがありました。出てきた皆さんは口々に『本当に何も見えなかった』と云っていました。
 私も以前に体験したことはありましたが、久し振りにと思い、入りましたが本当に見えませんでした。煙は甘い良い匂いがしていましたが、これが実際の火災ではビニールや化学品の焼けるものとなるので改めてその怖さを知りました。
△体験テント




 今年こそは無火災でと気持ちを新たにする訓練となりました。
 明日からはポンプ操法訓練が始まります。消防団員の皆さんには体調管理には気をつけてください。
  
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Posted by 大屋誠 at 07:21Comments(0)上松町

2024年05月11日

伊勢楽市

 伊勢の出張も2日目を迎えました。今日は観光協会が出店しているので職員の激励と楽市の様子、そして上松と同様にNOTEさんが民泊事業を進めている昨年お世話になった河崎町商人館を訪問しました。
△市が始まる前の様子。上松ブースです。


 その前に外宮に参拝しましたが、おかげ横丁がある内宮と違って人も集中しておらず気持ち良く参拝させて頂きました。
△外宮の様子


 外宮には第62回式年遷宮を記念して『せんぐう館』があります。ジオラマなどの他、実物大の社殿がありその大きさを実感出来るように展示されています。
 写真撮影は出来ないので残念ですが、木曽ひのきが使われているのは嬉しい限りです。
 外宮お参りの後、楽市の会場に行くと人が集まって来ていました。外宮は神前に上げる御饌(みけ)を司る豊受大神宮が祀られており、それだけに市が食べ物に関しては盛り上がりを見せています。
 市が始まるに連れて徐々に人が集まって来ましたが、一番並んでいたのが答志島のチリメンジャコのブースでした。
△こんな感じです。


 後で訪れた河崎町商人館で聞いたところによると、答志島のチリメンジャコはとても美味しいとの事で、買えなかったのが残念です。
 伊勢楽市を後にして河崎町の商人館に高橋理事長をお訪ねしました。冒頭の紹介どおり昨年NOTEさんが手がけている民泊を進めようとしている団体です。
 高橋理事長との挨拶だけと思いましたら、伊勢市で若き女性経営者として活躍する村田さんにもお越し頂き歓談をすることが出来ました。
 村田さんは前回、前々回と式年遷宮に神宮側の重責を担って活躍された方とお聞きしました。前々回は大学時代にお父さんの秘書的な役割だったそうで、右も左も分からないうちに関わったと懐かしそうに話しておられました。
 河崎町は勢田川の水害で被害を受けた後にまちづくりを進めて来ました。対岸側が新しいまちづくりが進む中、古いお店が残り、それを活用する道を探るべき現在まちづくりを進めており、内宮のおかげ横丁などとは違う視点で伊勢の発展を進めており、当町としても参考になる試みだと思います。
△伊勢河崎商人館と周辺の様子




 商人が行き来した商家を改造したところで売っていた木工品に目が留まりました。聞くところ、伊勢の春慶塗りですが、下地の木は、木曽上松で作ったものですと紹介されました。こうした出会いは嬉しい限りです。
△木工品




 伊勢への2日に亘る旅は木曽との縁を感じる旅となりました。

おまけ)


 帰路、伊勢市駅の近くで地区住民に知らせるこのような貼り紙がありました。次回の第63回伊勢神宮式年遷宮に関するものですが、伊勢の皆さんの思いが伝わって来ました。


  
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Posted by 大屋誠 at 15:32Comments(0)

2024年05月10日

伊勢神宮三ツ紐切り保存会同行記

 9日は雲ひとつ無い澄み切った青空の下、三ツ紐切り保存会の皆さんが伊勢において技術講習を行うという事で同行しました。
△途中、恵那SAで望む御嶽山


 保存会はこれまでも伊勢神宮の神宮林でこうした講習会を行ってきており、その度に日程調整ができず残念でしたがようやく念願が叶いました。
 今日は中津川市付知の裏木曽の保存会の皆さんと一緒の講習会で、木材を提供してくれる伊勢神宮のご配慮に心から感謝申し上げます。
 この講習会は7年前と記憶していますが、当時の小松大宮司さんに御杣始祭を再度木曽上松、裏木曽の中津川でという事でお願いしてきた際に地元の熱意を伝えるために御杣始祭で用いられる伐倒方法の三ツ紐切り(三ツ緒切りともいう)を若い人が保存会を創って活動している事を伝えました。
 その時、伊勢神宮備林を使って中津川市とともに講習会みたいなものが出来ればと話した事があり、それが伊勢の地で実現したものです。
 伊勢の集合場所である土場に着きました。伊勢神宮所有の土場は一町步(3000坪、約9900㎡)という広い面積に財が積まれていました。木材は一般に売り出されているそうです。
△土場の様子


 今日の実習地である神宮林は距離的には内宮のすぐ近くにありましたが、土場から30分程度かかる山中でした。
△始まりの会


 いよいよ斧入れです。皆さんの斧(杣はヨキと云います)は刀の刃のような白光りした手入れのほどが伺える代物です。
△手入れした斧


△移動する時などは刃から安全を確保するため麻で作られた保護用に編んだものを被せます。


 今日は杣頭を中心に4班に分かれての実技です。杣頭、前回もやっている方の斧の入れ方は流石というか腰の入り方が違います。
△少しずつ斧が入ります。




 下段の写真は同行した町職員です。未来のソマになれる?
 一時間と少し経過してようやく三方からの穴が通じるようになりました。
△空いた様子




 杣頭が伐倒方向を最終的に確認して追いヅルを切る準備に入ります。


 「大山の神〜左ヨキ横山一本寝るぞ〜!いよいよ寝るぞ〜」の声とともに追いヅルを切ります。
△寝かせられるひのき




 御神木は敬う念を込めて切る、伐るという言葉ではなく『寝る』と云います。昔の人の自然に対する気持ちが表れている言葉だと思います。
 明日も実技が続きます。怪我の無いように安全に当初の目的を達成してください。
 私は外宮周辺で開催されている“伊勢楽市”に出店している上松ブースを周り以前お世話になった高崎町の商人館を訪れる予定です。
 


  
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Posted by 大屋誠 at 11:18Comments(0)

2024年05月09日

観光地域づくり計画事業報告会・説明会

 9日、観光を通じて持続可能な地域づくりを模索する『観光地域づくり計画事業報告会・説明会』が役場大会議室で行われ参加しました。
 昨年1月に全国31地区で民泊事業を展開するNOTEさんと関西電力の子会社であるKANSOさんとの間で三者による包括連携協定が結ばれました。
 今日は、令和5年度において観光地域づくり計画の策定に向けて基礎調査などを行ってきた結果の報告と令和6年度の計画策定の説明がありました。
 また、藤原社長さんから『上松町における今後のまちづくりの方向性』と題し、京都の丹波篠山市の取組み事例の紹介がありました。
△藤原社長の話


 『危機感ありますか?』、『最後のチャンスかもしれない』というインパクトのある言葉は恐らく社長さんがその覚悟を求めたものと思います。この日は行政職員がほとんどでしたので、職員に向けての言葉として捉えた人が多かったかもしれませんが、今後“地域づくり開発会社”を立ち上げていく際には、観光協会、商工会、金融機関、地域業者、建物所有者など町全体で取り組む必要がある事から町全体に投げ掛けられたものと思いました。
 丹波篠山もそうですが、20〜30年かけての長年の取り組みが実を結んで現在があります。上松町の未来をかけたプロジェクトとなります。  
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Posted by 大屋誠 at 16:00Comments(0)上松町

2024年05月06日

猟友会上松支部総会

 GWもあっという間に残すところ2日となった5月5日、午後から木曽猟友会上松支部通常総会があり、ご案内を頂いたので出席しました。
 猟友会の皆さんには有害鳥獣被害対策実施隊などで御協力を頂いています。クマの出没時などには緊急で出動して頂くことに加え、銃器を扱い時には襲われる危険性もあります。
 人口が少なくなり鳥獣への圧力が減る中で、年によっては山に主食となる木の実が不作の場合には人家近くに出没するケースがあります。
 人家に出没するや目撃情報が増えたことが即、個体数が増えたと考えることは出来ないと研究者の方に聞いた事があります。
 昨年、秋田県を中心とした東北地方で人が襲われた事件が多発したことは以前のブログでも紹介しましたが、人が生息地である山に山菜取り等で入ることによって起こる事件、エサとなる木の実などが無い時期や不作の年にエサを求めて人里に来て遭遇して起こす事件などケースは様々です。
 子連れのクマは一番危険である事は聞いた方もあると思いますが、私自身も実際に体験した事があります。と云ってもクマの姿は見え無かったのですが、逆にそれが一番危ないケースです。
 家族とキノコ取りに出かけて、人家が直ぐ近くにある場所に入ってキノコ取りに夢中になっていた時、左から20〜30メートルくらいの所から「キャン、キャン」という犬の鳴き声らしきものが聞こえました。『こんな山に子犬でも連れて来たのかな〜?』と思っていたところ、今度は反対の右から「グ〜!グ〜!」と地の底から響くような唸り声が聞こえて来ました。
 クマだ!と直感した私、しかも子連れ!芸人さんではありませんが、『ヤバいよ、ヤバいよ』と心で叫びながら同行した人の名前を大声で呼びながらその場を後にしようとしたところ、唸り声と犬の声はいつの間にか無くなっていました。
 慌てて去ろうとしたので、木の股に引っかかって抜けなくなり気はせくもののやっとの思いで抜いてすぐ近くの道路に出てきたという苦い思い出があります。
 姿を見てないからクマじゃなかったんじゃないと思う方もいると思いますが、何年か後になって同じような唸り声を聞いた時にはクマの黒光りするお尻をハッキリと見たので間違いではなかったようです。
 こうした体験を通じてみると、昼間であっても、近くに人家があっても、道路の近くであっても潜んでいる事があることが分かりました。またむやみに人を襲う事はなく警戒の唸り声を発する事で自分のテリトリーに入って来るなと言っているような気がする体験でした。
 昔の山伏や修験者が山に入る時に柏手をうち、錫杖という音のなる物を杖代わりに持っていたのも動物との接触を出来るだけ避ける意味があるのかもしれません。
 猟友会の会議のたびにそうした体験を思い出しますが、急にクマに遭遇した場合には『死んだマネ』は絶対やらない方が良いそうです。そして背中を見せて逃げても追って来て襲われるそうですので、じっと見ながら後退りするのが一番との事です。
 クマにとっては私たち人間は宇宙人のような存在で遭ったら怖くて襲ってしまうケースが多いのではないかと思います。
 ただ秋田県のようなケースは人を襲うことを憶えて人が食糧を持っているような事があれば学習能力の高いクマは再びそうした事件を起こす可能性が高まると専門家に聞いた事がありますのでそうした場合は対応しなければなりません。
 長野県はクマとの共生を通じて自然保護をするため、『お仕置き放獣』をして来ましたが、その方針を変えるのかが注目されています。
 猟友会の会合のたびにそんな体験を思い出します。
△大会の様子。挨拶する武居会長さん。


  
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Posted by 大屋誠 at 07:40Comments(0)上松町

2024年05月03日

里の春を彩る祭り(その4 駒嶽神社例祭)

 5月3日、国の選択無形文化財、県指定無形文化財の太々神楽が一子相伝で伝えられている駒嶽神社例祭にお招き頂いたので出かけました。
 このブログでも何回か紹介し、アップしていますのでご承知の方もいると思いますが、神社は東里地区にあり、上松にある5神社の内で最も古く格式が高い神社と云われています。
 安土桃山時代には豊臣秀吉が行ったとされる『醍醐の花見』の様な里人の山遊びにも通じる事があったので、我が家もそうでしたが、春になるとこの日が来ることを大変待ち遠しい住民がいました。
 そのため駒ヶ嶽神社を呼ぶときに「古宮」は「降る宮」に通じるということからそうした読み方をしてはならないと親からも云われるくらいでした。
 神社につながる参詣道を進むと修験者が修行した巨石、講の皆さんが建立した霊神碑が迎えてくれました。
△修行した巨石と霊神碑群




△例祭に当たり宮司がお祓いをします。


△神事にお供え物を神前に捧げます。慎重に5人の神官が務めます。一番初めは宝剣です。




 奉納する神楽は十三座ありますが、扇や鈴、刀、鉾などの道具を使うものから、衣装を使いながら舞う『御神入の舞』などがあります。何と云っても緩やかな笛と太鼓の音に合わせた舞は優雅な爪先から入る足運びが特長といえます。
△爪先からの足運び


 舞の中には田植えの所作が入っているもの、必ず四方を払うためそれぞれ回って舞うものなどいろいろですが、平安時代の世を彷彿とさせる舞いです。
 良い天気にも恵まれ紫、緑などの古式豊かな狩衣の衣装が映えるお祭りです。
 上松に伝わる伝統行事が今年も繋げていただいたことの感謝です。
 最後に観る人を惹きつける「四神五返拝」(通称 天狗の舞)、「三剣の舞」をお送りします。















  
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Posted by 大屋誠 at 09:40Comments(0)

2024年05月02日

赤沢自然休養林オープン視察

 4月27日にオープンした観光協会が主催した赤沢自然休養林の開園式とその前に行われた安全祈願祭に出席出来なかったため、GWの中日となる2日に視察に出かけました。
 途中の姫宮神社に立ち寄りました。姫渕から少し奥まった所に鎮座する神社はひっそりと変わらず佇んでいました。
△入口の鳥居が目印です。


 吊橋を渡ると程なくして神社に着きますがうっそうとした檜の木立に囲まれて祀られています。平安時代末期の平家全盛時に京都から追われた兄を尋ねて平家の追手を逃れてきた姫君がこの地で追手から逃れられないと知り入水したという伝説が残っています。
 また、この近くには姫が身に付けていた麝香の袋を落とした小さな川が“麝香沢”という名前を付けられて残っています。
 その姫を哀れと思った里人が霊を慰めるために建立したと伝えられていますが、神社の元のあった場所はこの近くの高倉地区にあったものを分祀したと先代の徳原宮司さんに聞いた事があります。
△静寂な木立の中に祠はあります。




 この場所には檜の合体木(近接する二つの別々の木が成長するに連れてあたかも一つの木となるもの)があります。
△合体木


 安全祈願祭ではこの他伊勢神宮の皇大神宮と豊受大神を祀る祠と山仕事で犠牲となった皆さんを慰霊している慰霊碑をお参りします。
 実は4年前まではこうした赤沢自然休養林内にある社などでの安全祈願祭はやっていなかったのですが、毎年災害が起きたことや熊による人身事故が起きたことから観光協会からやった方が良いのかと話があり、観光協会主催で木曽森林管理署と町の関係者で安全祈願祭を行うようになりました。
 神頼みではないですが、実はそれ以来台風接近での事前の道路通行止等は除き、大禍なく赤沢は開園できています。
△伊勢神宮を祀った祠。町民でも知らない人が多いスポットです。以前の式年遷宮の御杣始祭に奉仕した皆さんが中心となって建立したものと思いますが今では謂れを知る人はいません。




 その横には現在の上皇陛下が赤沢に宿泊された時の去来荘の警備用の鉄塔が錆もなく立っています。
△鉄塔です。この二つは町民の多くが知らない穴場スポットといえます。


△慰霊碑は森林鉄道乗り場の入口にあります。


 この日はGWの間の平日ということで混雑しておらず、また前日までの雨が上がって気持ちの良い空気を全身に浴びてまさに森林浴日和となりました。
 途中、森林鉄道に従事する皆さんやNPO、更には営業している皆さんとお話させて頂きました。
 森林鉄道、御杣始祭の御神木伐採跡地、そして小川に沿ってピンクに咲く『アカヤシオ』など素晴らしい赤沢の自然を堪能して来ました。
△森林鉄道


△御神木伐採跡地の株は三方から斧入れした様子が分かります。


△ボランティアの皆さんが各コースに敷き詰めたウッドチップの柔らかな感触は歩く人には優しい。またひのきの根を傷めません。


△渓流沿いに自生するアカヤシオのピンクの花は例年でしたら終っている時期ですが今年は遅い開花でGW期間中ギリギリ咲いています。




 今年も森林浴大会などのイベントの他、体験者に好評の清流とサウナを交互に行き交うテントサウナも計画されています。オーバーツーリズムにならないよう静かに自然を満喫したい方、最近心が疲れているな〜と思われている方にはぜひお薦めです。
 ご来園をお待ちしています。木曽森林管理署のスタンプラリーもやっています。
 


   
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Posted by 大屋誠 at 18:37Comments(0)

2024年05月01日

木曽建設労働組合上松支部総会

 GWも中休みの30日午後6時30分からひのきの里総合文化センターにおいて木曽建設労働組合上松支部の総会が開催されご案内を頂いたので出席しました。
 昨年新型コロナの感染症類型が見直されたのがGW後であったため、組合員が一堂に会しての総会は4年ぶりということです。
 建設労働組合と言っても、企業や官公庁にある組合とは違っており、構成する組合員の皆さんはいわゆる建設業に関わる個人経営者であったり、小さな事業所に勤める皆さんです。
 業種の国民健康保険を扱ったり、福利厚生や健康管理事業を独自に行っており、更には建設業で必要とされる資格の取得にも取り組んでいます。
 建設業の個人経営者といえば、いわゆる『一人親方』と言ってもいいと思いますが、建設業に関わる大工さんであったり、設備関係であったり、或いは内装や畳の専門家であったりと職種は様々です。
△総会の様子


 組合活動にご尽力いただいた吉野さんに感謝状が贈呈されました。
△感謝状贈呈


 地震や自然災害が発生し、復旧から復興に繋げて行くのはこうした皆さんの力が結集する中で成し遂げられるものと思います。そして何よりも皆さんが健康で活躍する地域社会を創っていくことが求められており、大会において皆さんに期待するエールを送らさせて頂きました。
 その後の反省会で、地域の歴史や言い伝えなど大工さんや職人さんが知っている昔の事を興味深く聞かせて頂きました。

   
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Posted by 大屋誠 at 14:02Comments(0)