2025年03月26日
桜の花びら既に満開
24日から25日にかけては林業公社、林業コンサルタント協会、土地改良事業団体連合会の役員会、総会が長野市であり最後にお世話になった役員の皆さんへの挨拶もあり出席しました。
27日には林業センターの理事会もありますので、26日はそのまま上京し、国会議員や林野庁、国土交通省、関係機関などを訪問し退任の挨拶をさせて頂きました。
後藤茂之衆議院議員さんとは国会での活動が忙しい中、お会いする事が出来ました。思い出話や現在の国会の状況などお話しをお聞きしました。秘書の皆さんにも関係省庁へのアポイントを取って頂いたりと大変お世話になりました。
次にB&G財団をお訪ねしました。虎ノ門にある本部森ビル35号棟の9階に行くと以前来た時と同様に歓迎のメッセージが貼り出されていました。
△メッセージ板

B&G財団さんには子ども第三の居場所づくり、災害拠点づくりなどで支援して頂いています。今年もプール濾過器の更新に当たって多額の支援をいただいています。
在職した八年間、菅原理事長さん以下職員の皆様には大変お世話になりました。この日は菅原理事長さんとは会えなかったのですが、4月2日には忙しい中わざわざ上松にお越し頂けると連絡があり、最後にお会い出来るのが楽しみです。
△最後に朝日田常務さん(私の右側)、岩井常務さんと並んで

虎ノ門を出て歩いて林野庁に向かう途中、つい先日「開花宣言」したばかりの桜が既に満開となっていました。桜の花はパッと咲き直ぐに散る運命でこの季節の出会いと別れを象徴していると思いながら歩きましたが“暑い”、とにかく“暑い”東京でした。
△経済産業省横の桜と道路を挟んだ所の桜

林野庁長官との面会にちょっと時間あったので入館してから見ていたら、レクリエーションの森の啓発コーナーを見つけました。赤沢自然休養林のパンフレットも置いて頂いてありました。
△紹介コーナー


27日には林業センターの理事会もありますので、26日はそのまま上京し、国会議員や林野庁、国土交通省、関係機関などを訪問し退任の挨拶をさせて頂きました。
後藤茂之衆議院議員さんとは国会での活動が忙しい中、お会いする事が出来ました。思い出話や現在の国会の状況などお話しをお聞きしました。秘書の皆さんにも関係省庁へのアポイントを取って頂いたりと大変お世話になりました。
次にB&G財団をお訪ねしました。虎ノ門にある本部森ビル35号棟の9階に行くと以前来た時と同様に歓迎のメッセージが貼り出されていました。
△メッセージ板

B&G財団さんには子ども第三の居場所づくり、災害拠点づくりなどで支援して頂いています。今年もプール濾過器の更新に当たって多額の支援をいただいています。
在職した八年間、菅原理事長さん以下職員の皆様には大変お世話になりました。この日は菅原理事長さんとは会えなかったのですが、4月2日には忙しい中わざわざ上松にお越し頂けると連絡があり、最後にお会い出来るのが楽しみです。
△最後に朝日田常務さん(私の右側)、岩井常務さんと並んで

虎ノ門を出て歩いて林野庁に向かう途中、つい先日「開花宣言」したばかりの桜が既に満開となっていました。桜の花はパッと咲き直ぐに散る運命でこの季節の出会いと別れを象徴していると思いながら歩きましたが“暑い”、とにかく“暑い”東京でした。
△経済産業省横の桜と道路を挟んだ所の桜

林野庁長官との面会にちょっと時間あったので入館してから見ていたら、レクリエーションの森の啓発コーナーを見つけました。赤沢自然休養林のパンフレットも置いて頂いてありました。
△紹介コーナー


Posted by 大屋誠 at
12:37
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2025年03月22日
お世話になった方にお礼の訪問
21日、保育園の卒園式を終えると、町長在職の8年間お世話になった皆さんに御礼行脚に出かけました。
最初に木曽合庁を訪問し、片桐剛木曽建設事務所長さんを訪ね、上松の県事業にひとかたならぬご尽力をいただいた事に感謝いたしました。
片桐所長さんには、西小川に続く島地区と小田野地区を結ぶクランク状の県道改良についてご尽力頂きました。片桐所長さんとは同じ課で昔背中合わせに仕事した事があり、旧知の中です。また、下河原地籍のアクセス道路開設の要望活動について県建設部と間を取り持って頂きました。
渡辺振興局長さんは会議中のためお会いすることが叶わなかったのですが、木曽地域公共交通の関係で、また、木曽地域の医療の関係でも大変お世話になりました。
その後、木曽を出発し愛知県に向かいました。小島プレス元社長で、上松電子の元社長でもあり、更には御嶽海後援会の初代会長を務めていただきました小島洋一郎上松町名誉町民さんを訪問し、退任の挨拶をさせて頂きました。
小島さんはつい先日、視察先の福島で思わぬ怪我をされたとの事で松葉杖を突いての面会となりました。
怪我にもめげずにお話しは雄弁でこちらが圧倒される感がありました。
△福島の第一原発の復興に向けた話しをする小島さん。

小島さんは現在職場の事には一線を引き、直接にあまり関わっていないとの事ですが、愛知県の経済界の事で活躍されているとの事です。
怪我をされた視察先の福島の復興には40年かかるなど、そのエネルギッシュな話しぶりには圧倒されます。
小島さんには伊勢神宮司庁から「縁故のある方に贈ってください」と言われた色紙をお贈りました。
△色紙とともに記念撮影

また、前回の式年遷宮の際は、小島さん自ら内宮に白い石を一つひとつ持って納める一日神領民として『お白石持ち』行事に参加したエピソードや豊田自動車の会長さんが第61、62回と全国の伊勢神宮式年遷宮奉賛会長を務めた事など貴重なお話をお聞きする事ができました。
名残の尽きないお話をして御礼をしてお別れしましたが、小島さんは怪我を治して是非とも御杣始祭には駆け付けたいと言って頂きました。
次は豊明市に小浮市長さんを訪ねしようと名鉄に乗ろうとしたところ、乗換えの所で普通電車に乗るのを間違えて特急に乗ってしまいアポを取った時間に間に合わないという大失態を犯してしまいました。
その旨市長に連絡して駅に20分遅れで着いたところ、駅の改札で小浮市長さん自らニコニコと駅の改札口でお出迎えしてくれました。(いや〜本当に恐縮です。汗、汗、)
その後、市役所に入りましたが、職員の皆さんは電話応対している方以外、スクッと立って直立不動でお迎えして頂きました。その光景は以前も経験していますが本当に訪れた方を大事にする気持ちがあふれたおもてなしの心が溢れていました。
土屋副市長さんはこの年度末を以って退任されるという事で挨拶をして頂きました。
小浮市長さんには、町が始めた生まれた子どもたちへの贈り物としてのウッドスタート事業に協力して頂いたり、町政施行百周年や様々なイベントにも参加頂きました。
市長は優しい面持ちですが、京大相撲部出身という異色の面も併せ持ち、御嶽海関の話では大いに盛り上がった事を覚えています。
素晴らしいお人柄と懐の深い方としてお付き合いさせて頂きました。
△伊勢神宮神宮司庁からの色紙をお贈りしました。

名鉄電車に乗るためにお別れしようと市役所を出る時に応接を出たら、お迎えと同様に職員の皆さん直立不動で送って頂きました。素晴らしいおもてなしをして頂き感謝です。
そして市役所を後にしようと思いましたら、小浮市長さん自ら駅まで送って頂きました。そして駅で二人の記念写真を撮りました。
△前後駅でツーショット

本当にご迷惑をお掛けしたにも関わらず温かいおもてなし有難うございました。
最初に木曽合庁を訪問し、片桐剛木曽建設事務所長さんを訪ね、上松の県事業にひとかたならぬご尽力をいただいた事に感謝いたしました。
片桐所長さんには、西小川に続く島地区と小田野地区を結ぶクランク状の県道改良についてご尽力頂きました。片桐所長さんとは同じ課で昔背中合わせに仕事した事があり、旧知の中です。また、下河原地籍のアクセス道路開設の要望活動について県建設部と間を取り持って頂きました。
渡辺振興局長さんは会議中のためお会いすることが叶わなかったのですが、木曽地域公共交通の関係で、また、木曽地域の医療の関係でも大変お世話になりました。
その後、木曽を出発し愛知県に向かいました。小島プレス元社長で、上松電子の元社長でもあり、更には御嶽海後援会の初代会長を務めていただきました小島洋一郎上松町名誉町民さんを訪問し、退任の挨拶をさせて頂きました。
小島さんはつい先日、視察先の福島で思わぬ怪我をされたとの事で松葉杖を突いての面会となりました。
怪我にもめげずにお話しは雄弁でこちらが圧倒される感がありました。
△福島の第一原発の復興に向けた話しをする小島さん。

小島さんは現在職場の事には一線を引き、直接にあまり関わっていないとの事ですが、愛知県の経済界の事で活躍されているとの事です。
怪我をされた視察先の福島の復興には40年かかるなど、そのエネルギッシュな話しぶりには圧倒されます。
小島さんには伊勢神宮司庁から「縁故のある方に贈ってください」と言われた色紙をお贈りました。
△色紙とともに記念撮影

また、前回の式年遷宮の際は、小島さん自ら内宮に白い石を一つひとつ持って納める一日神領民として『お白石持ち』行事に参加したエピソードや豊田自動車の会長さんが第61、62回と全国の伊勢神宮式年遷宮奉賛会長を務めた事など貴重なお話をお聞きする事ができました。
名残の尽きないお話をして御礼をしてお別れしましたが、小島さんは怪我を治して是非とも御杣始祭には駆け付けたいと言って頂きました。
次は豊明市に小浮市長さんを訪ねしようと名鉄に乗ろうとしたところ、乗換えの所で普通電車に乗るのを間違えて特急に乗ってしまいアポを取った時間に間に合わないという大失態を犯してしまいました。
その旨市長に連絡して駅に20分遅れで着いたところ、駅の改札で小浮市長さん自らニコニコと駅の改札口でお出迎えしてくれました。(いや〜本当に恐縮です。汗、汗、)
その後、市役所に入りましたが、職員の皆さんは電話応対している方以外、スクッと立って直立不動でお迎えして頂きました。その光景は以前も経験していますが本当に訪れた方を大事にする気持ちがあふれたおもてなしの心が溢れていました。
土屋副市長さんはこの年度末を以って退任されるという事で挨拶をして頂きました。
小浮市長さんには、町が始めた生まれた子どもたちへの贈り物としてのウッドスタート事業に協力して頂いたり、町政施行百周年や様々なイベントにも参加頂きました。
市長は優しい面持ちですが、京大相撲部出身という異色の面も併せ持ち、御嶽海関の話では大いに盛り上がった事を覚えています。
素晴らしいお人柄と懐の深い方としてお付き合いさせて頂きました。
△伊勢神宮神宮司庁からの色紙をお贈りしました。

名鉄電車に乗るためにお別れしようと市役所を出る時に応接を出たら、お迎えと同様に職員の皆さん直立不動で送って頂きました。素晴らしいおもてなしをして頂き感謝です。
そして市役所を後にしようと思いましたら、小浮市長さん自ら駅まで送って頂きました。そして駅で二人の記念写真を撮りました。
△前後駅でツーショット

本当にご迷惑をお掛けしたにも関わらず温かいおもてなし有難うございました。
Posted by 大屋誠 at
18:26
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2025年03月22日
お知らせ
拙い本ブログをいつも見て頂いている皆様に感謝します。
平成29年6月からスタートしたブログもお陰様で3月22現在、投稿数1380件を数え、これまでに約23万4千人の方に見ていただきました。
私の所属している長野県を中心に話題を提供しているブログ“ナガブロ”には20,765人のブロガーがいますが、その順位が毎日更新されて発表されます。
現在の順位は何と!!約2万人のうち54位です。
始めた当初は私自身、“いつまで続くやら”、“面白くもない町長の行政報告なんて誰が見る?」と思っていましたが、時折頂く皆さんからの返信のコメントを励みにして投稿して来ました。
この度、4月4日の任期末を以って町長を退任するに当たり、止めようかと思っていましたら「なんで止める」、「ボケる」という天からの声があり、投稿の頻度は少なくなるのか分かりませんが、続けていく事にしました。
引き続きご愛読頂ければ幸いですが、町の公式サイトのリンクからは削除されますので、町のホームページからアクセスして頂いていた方は閲覧出来なくなります。
引き続き“あげまつ彩時記”として上松の話題や行政にリンクしていた事から言えない事、言えなかった秘話なども織り交ぜて発信して上松を盛り上げて行きたいと思っていますので引き続きご愛読頂ければ幸いです。
小学校の夏休みの宿題の日記でさえ、終わりの日に「あの日の天気は〜」など記憶を辿りながらやった貴重な体験を持つ私が1380件も投稿した事自体が奇跡ですが、これもひとえに読者の皆さんの支えがあったこそだと思います。
来週からは在任中お世話になった皆さんへの退任挨拶周りとなりますが、あと少しでも投稿出来たらと思っておりますので最後まで宜しくお願いします。
平成29年6月からスタートしたブログもお陰様で3月22現在、投稿数1380件を数え、これまでに約23万4千人の方に見ていただきました。
私の所属している長野県を中心に話題を提供しているブログ“ナガブロ”には20,765人のブロガーがいますが、その順位が毎日更新されて発表されます。
現在の順位は何と!!約2万人のうち54位です。
始めた当初は私自身、“いつまで続くやら”、“面白くもない町長の行政報告なんて誰が見る?」と思っていましたが、時折頂く皆さんからの返信のコメントを励みにして投稿して来ました。
この度、4月4日の任期末を以って町長を退任するに当たり、止めようかと思っていましたら「なんで止める」、「ボケる」という天からの声があり、投稿の頻度は少なくなるのか分かりませんが、続けていく事にしました。
引き続きご愛読頂ければ幸いですが、町の公式サイトのリンクからは削除されますので、町のホームページからアクセスして頂いていた方は閲覧出来なくなります。
引き続き“あげまつ彩時記”として上松の話題や行政にリンクしていた事から言えない事、言えなかった秘話なども織り交ぜて発信して上松を盛り上げて行きたいと思っていますので引き続きご愛読頂ければ幸いです。
小学校の夏休みの宿題の日記でさえ、終わりの日に「あの日の天気は〜」など記憶を辿りながらやった貴重な体験を持つ私が1380件も投稿した事自体が奇跡ですが、これもひとえに読者の皆さんの支えがあったこそだと思います。
来週からは在任中お世話になった皆さんへの退任挨拶周りとなりますが、あと少しでも投稿出来たらと思っておりますので最後まで宜しくお願いします。
2025年03月22日
別れの季節(上松保育園卒園式)
21日、上松保育園の卒園式が行われ出席しました。
園には運動会で使われた入場門が卒園式を告げていました。
△入り口

小学校入学の新しい服を着て“きりん組”の20名の卒園児が入場します。お家のお父さんお母さん、先生や来賓の皆さんに見守られ、ちょっと恥ずかしげな様子ですが、何となく誇らしい顔です。見つめる保護者の皆さんは成長した我が子をじっと見つめていました。
今年の卒園児は上松保育園での保育は短い方は一年、長い方は6年の保育でした。上松では私が町長就任してから未満児保育も含め、希望する方は全員受入れをしていますが、その影で牧野園長先生以下、保育園の先生方には大変なご苦労をおかけしたと思います。
△入場する卒園児

開式に当たり園歌『どろんこと太陽』を元気よく唄います。
△歌に合わせてオー!と元気よく手を上げる園児たち

牧野園長先生から『運動会頑張りましたね』など園の思い出の言葉を添えて一人ひとりに卒園証が渡されました。
△卒園証を受け取る園児

受け取った園児は卒園証を頭の上に上げて皆んなに向かって小学校に行ったらやりたい事を大きな声で発表していました。
△夢を話す卒園児

牧野園長先生から式辞がありましたが、牧野先生もこの3月末を以って御退職となります。いつも冷静沈着に先生方をまとめ、優しく温かく園児たちに接して頂いた先生も園、幼な子の思い出を思い返しているような式辞でした。
△最後の式辞を読む牧野園長先生

来賓として参列した上松小学校の川上校長先生から「小学校のお兄さん、お姉さんも皆さんの入学を待ってますよ」と挨拶がありました。
卒園児から「ありがとう こころをこめて」の歌がありました。この辺りになるとじっと見つめていたお母さんの涙腺が弱くなってきた方もいました。恐らく入園した時にお家の人と離れたくないと泣きじゃくっていた我が子を思い出したのかもしれませんね。
△卒園の歌を歌う園

保護者代表から卒園に当たって園への記念品の贈呈とお礼の言葉が述べられました。
△保護者代表あいさつ

最後に園児がお別れの歌『さよならぼくたちの保育園』を唄いましたが、一番、二番の歌詞の中の最後に「・・桜の花びらふるころはランドセルの一年生」、「・・この次遊びに来るときはランドセルの一年生」というフレーズがありました。夢膨らむ楽しい小学校生活にきっとなるものと思いました。
△お別れの歌を歌う園児

最後に保護者と一緒に式場を後にします。
△皆んなお母さんと一緒に退場

私もこの卒園式が町長として町民の皆さんとお会いする事が出来る最後の公式行事となりました。初めて卒園式に出た子どもたちも、いつの間にか高校生となっています。
月日の流れを感じる卒園式となりましたが、私自身の卒園の式でもありました。
卒園児の皆さんの夢が花開く事を信じています。町民の皆さんも若い世代をいつまでも温かく見守ってください。
園には運動会で使われた入場門が卒園式を告げていました。
△入り口

小学校入学の新しい服を着て“きりん組”の20名の卒園児が入場します。お家のお父さんお母さん、先生や来賓の皆さんに見守られ、ちょっと恥ずかしげな様子ですが、何となく誇らしい顔です。見つめる保護者の皆さんは成長した我が子をじっと見つめていました。
今年の卒園児は上松保育園での保育は短い方は一年、長い方は6年の保育でした。上松では私が町長就任してから未満児保育も含め、希望する方は全員受入れをしていますが、その影で牧野園長先生以下、保育園の先生方には大変なご苦労をおかけしたと思います。
△入場する卒園児

開式に当たり園歌『どろんこと太陽』を元気よく唄います。
△歌に合わせてオー!と元気よく手を上げる園児たち

牧野園長先生から『運動会頑張りましたね』など園の思い出の言葉を添えて一人ひとりに卒園証が渡されました。
△卒園証を受け取る園児

受け取った園児は卒園証を頭の上に上げて皆んなに向かって小学校に行ったらやりたい事を大きな声で発表していました。
△夢を話す卒園児

牧野園長先生から式辞がありましたが、牧野先生もこの3月末を以って御退職となります。いつも冷静沈着に先生方をまとめ、優しく温かく園児たちに接して頂いた先生も園、幼な子の思い出を思い返しているような式辞でした。
△最後の式辞を読む牧野園長先生

来賓として参列した上松小学校の川上校長先生から「小学校のお兄さん、お姉さんも皆さんの入学を待ってますよ」と挨拶がありました。
卒園児から「ありがとう こころをこめて」の歌がありました。この辺りになるとじっと見つめていたお母さんの涙腺が弱くなってきた方もいました。恐らく入園した時にお家の人と離れたくないと泣きじゃくっていた我が子を思い出したのかもしれませんね。
△卒園の歌を歌う園

保護者代表から卒園に当たって園への記念品の贈呈とお礼の言葉が述べられました。
△保護者代表あいさつ

最後に園児がお別れの歌『さよならぼくたちの保育園』を唄いましたが、一番、二番の歌詞の中の最後に「・・桜の花びらふるころはランドセルの一年生」、「・・この次遊びに来るときはランドセルの一年生」というフレーズがありました。夢膨らむ楽しい小学校生活にきっとなるものと思いました。
△お別れの歌を歌う園児

最後に保護者と一緒に式場を後にします。
△皆んなお母さんと一緒に退場

私もこの卒園式が町長として町民の皆さんとお会いする事が出来る最後の公式行事となりました。初めて卒園式に出た子どもたちも、いつの間にか高校生となっています。
月日の流れを感じる卒園式となりましたが、私自身の卒園の式でもありました。
卒園児の皆さんの夢が花開く事を信じています。町民の皆さんも若い世代をいつまでも温かく見守ってください。
Posted by 大屋誠 at
06:02
│Comments(0)
2025年03月19日
別れの季節(上松中学校卒業式)
19日、令和6年度上松中学校卒業証書授与式が行われ出席しました。
当日は、町部にも久し振りに10センチを越えるまとまった雪が降り、早朝から雪かきで大変でした。この時期の特有の重い湿った雪で除雪するにも大変な労力を要しました。
中学校に着くと昇降口では既に卒業生と保護者の皆さんが登校していました。
△卒業式の看板のある生徒昇降口の雪降る風景

△玄関入り口には国旗が時ならぬ雪に舞っていました。

今年の卒業生は30人です、卒業後の進路は県外の高校にも行く生徒さんもいるとの事でした。
△担任の先生の先導で入場

式の一番初めは『国歌斉唱』、『校歌合唱』です。昨日の小学校の児童の声と比べると、声変わりの年代でもあり少し低い美しい声が重厚に響きます。
△国歌斉唱

卒業生の胸には“ひのきの削り華”で作った花飾りを付けていました。
△生徒の胸に

今日の卒業式の卒業生の晴れの姿を一番楽しみにしていた高本誠二郎校長先生は体調不良により欠席となったため、急きょ池田教頭先生から卒業生一人ひとりに卒業証書が授与されます。
△授与の様子

高本校長先生の式辞を池田教頭先生が代読をしましたが、私の来賓席からは教育委員会告示の植原教育長についても、お祝いの花で見えなかったので撮影できませんでした。
私は来賓を代表して挨拶し、今日、校長室にあった卒業生から高本校長先生に贈られた机上の色紙に「校長講話面白かったです」、「とても良い謎解きでした」などのエピソードを記した感謝の言葉が寄せらていたことについて校長先生と生徒の繋がりを感じたと述べ、先生方に改めてお礼の言葉を述べました。
また、卒業生は小学校5、6年生の最高学年の時に新型コロナ感染拡大により制約を受けたが、中学校に入りクラブ活動など思い切った活動が出来たことに触れ、習字や美術での受賞、更には昨年11月に総合学習の時間を利用して皆んなで取り組んだ町駅伝大会での活躍など卒業生の思い出として友だちと皆んなで取組み、結果3チームでワン、ツー、スリーフィニッシュを飾った事について素晴らしい学校生活を送ったと伝えました。
また、昨日開幕したアメリカ大リーグで活躍する大谷選手が作ったとする『目標到達シート』を紹介し、皆さんも早く作って目標に向かって頑張って欲しい、例え目標が変わろうとも皆さんには『時間』という宝があるとエールを伝えました
また、故郷“上松”の誇りを胸にいつまでも上松を愛して欲しい、そして出来れば木曽で、上松で活躍して欲しいとお願いしました。
結びに卒業生の未来が輝き、そしていつの日か社会人の一人として立派に成長して活躍することを祈念すると述べました。
△式歌を歌う卒業生

式典中は終始静寂に包まれ、厳粛な雰囲気で終わりました。
△成長した我が子を見る保護者の皆さん

いよいよ卒業生が中学校の学舎を旅立ちます。それぞれの夢に向かって胸を張って頑張ってと願い、拍手の中、送り出しました。
△退場する卒業生

△最後の二人が深々と頭を下げ後にしました。

式典後、会議室で転退職する講師の先生方の紹介がありました。新しい勤務地での活躍に期待します。
4人の先生方は、南木曽小学校などに赴任するそうです。子どもたちのために向き合っていただいた先生方、本当にありがとうございました。
△紹介される先生方

当日は、町部にも久し振りに10センチを越えるまとまった雪が降り、早朝から雪かきで大変でした。この時期の特有の重い湿った雪で除雪するにも大変な労力を要しました。
中学校に着くと昇降口では既に卒業生と保護者の皆さんが登校していました。
△卒業式の看板のある生徒昇降口の雪降る風景

△玄関入り口には国旗が時ならぬ雪に舞っていました。

今年の卒業生は30人です、卒業後の進路は県外の高校にも行く生徒さんもいるとの事でした。
△担任の先生の先導で入場

式の一番初めは『国歌斉唱』、『校歌合唱』です。昨日の小学校の児童の声と比べると、声変わりの年代でもあり少し低い美しい声が重厚に響きます。
△国歌斉唱

卒業生の胸には“ひのきの削り華”で作った花飾りを付けていました。
△生徒の胸に

今日の卒業式の卒業生の晴れの姿を一番楽しみにしていた高本誠二郎校長先生は体調不良により欠席となったため、急きょ池田教頭先生から卒業生一人ひとりに卒業証書が授与されます。
△授与の様子

高本校長先生の式辞を池田教頭先生が代読をしましたが、私の来賓席からは教育委員会告示の植原教育長についても、お祝いの花で見えなかったので撮影できませんでした。
私は来賓を代表して挨拶し、今日、校長室にあった卒業生から高本校長先生に贈られた机上の色紙に「校長講話面白かったです」、「とても良い謎解きでした」などのエピソードを記した感謝の言葉が寄せらていたことについて校長先生と生徒の繋がりを感じたと述べ、先生方に改めてお礼の言葉を述べました。
また、卒業生は小学校5、6年生の最高学年の時に新型コロナ感染拡大により制約を受けたが、中学校に入りクラブ活動など思い切った活動が出来たことに触れ、習字や美術での受賞、更には昨年11月に総合学習の時間を利用して皆んなで取り組んだ町駅伝大会での活躍など卒業生の思い出として友だちと皆んなで取組み、結果3チームでワン、ツー、スリーフィニッシュを飾った事について素晴らしい学校生活を送ったと伝えました。
また、昨日開幕したアメリカ大リーグで活躍する大谷選手が作ったとする『目標到達シート』を紹介し、皆さんも早く作って目標に向かって頑張って欲しい、例え目標が変わろうとも皆さんには『時間』という宝があるとエールを伝えました
また、故郷“上松”の誇りを胸にいつまでも上松を愛して欲しい、そして出来れば木曽で、上松で活躍して欲しいとお願いしました。
結びに卒業生の未来が輝き、そしていつの日か社会人の一人として立派に成長して活躍することを祈念すると述べました。
△式歌を歌う卒業生

式典中は終始静寂に包まれ、厳粛な雰囲気で終わりました。
△成長した我が子を見る保護者の皆さん

いよいよ卒業生が中学校の学舎を旅立ちます。それぞれの夢に向かって胸を張って頑張ってと願い、拍手の中、送り出しました。
△退場する卒業生

△最後の二人が深々と頭を下げ後にしました。

式典後、会議室で転退職する講師の先生方の紹介がありました。新しい勤務地での活躍に期待します。
4人の先生方は、南木曽小学校などに赴任するそうです。子どもたちのために向き合っていただいた先生方、本当にありがとうございました。
△紹介される先生方

Posted by 大屋誠 at
12:13
│Comments(0)