2019年12月11日
師走に入って
師走に入ってめっきり投稿が少なくなってしまったと反省してます。なかなか筆(入力)が進まない。書くならたくさんの出来事があったので、一年の総まとめでもと思うが、何故か進まない。
何故かという理由を考えたら、年号が変わったことで様々な事が気持ちを切り替えてと前を向くのが普通かなと思うが、やはり自然災害の事が気にかかる。
今なお多くの方が避難所生活を余儀なくされており、恐らく年末年始はそこで迎える。また、生活基盤がひっくり返る様な事が起こってしまって切り替える事が出来ない方もいる現実がある。
こうしたことの記憶を風化させる事が無い様に先人は言い伝えを口伝や碑に残している。
私は災害への対応は文化だと最近ずっと言い続けている。上松にも昭和25年の大火を忘れないようにとの事で火元に近い十王沢の橋に「復興橋」と名付けている。また、その近くには消防団で水防警備に当たっていて殉職された団員を悼む碑が建っている。
また、寝覚の吉野地区に行くカツラの木には土石流で上流から流れて来たという伝説を伝えている。南木曽町には「悲しめる乙女の像」や5年前の梨子沢の土石流により犠牲となった碑が建てられた。
何れも後世の人に教訓として、戒めとして遺してくれた私達の祖先に感謝しなければならないと思います。
一年の総括までにはまだ2週間と少しありますが、その様な事を思う師走です。
△復興橋

△古澤班長さんの慰霊碑

何故かという理由を考えたら、年号が変わったことで様々な事が気持ちを切り替えてと前を向くのが普通かなと思うが、やはり自然災害の事が気にかかる。
今なお多くの方が避難所生活を余儀なくされており、恐らく年末年始はそこで迎える。また、生活基盤がひっくり返る様な事が起こってしまって切り替える事が出来ない方もいる現実がある。
こうしたことの記憶を風化させる事が無い様に先人は言い伝えを口伝や碑に残している。
私は災害への対応は文化だと最近ずっと言い続けている。上松にも昭和25年の大火を忘れないようにとの事で火元に近い十王沢の橋に「復興橋」と名付けている。また、その近くには消防団で水防警備に当たっていて殉職された団員を悼む碑が建っている。
また、寝覚の吉野地区に行くカツラの木には土石流で上流から流れて来たという伝説を伝えている。南木曽町には「悲しめる乙女の像」や5年前の梨子沢の土石流により犠牲となった碑が建てられた。
何れも後世の人に教訓として、戒めとして遺してくれた私達の祖先に感謝しなければならないと思います。
一年の総括までにはまだ2週間と少しありますが、その様な事を思う師走です。
△復興橋

△古澤班長さんの慰霊碑

Posted by 大屋誠 at 19:37│Comments(0)