2020年04月10日

見えないものと見えない力

 春は生物が地中から様々に蠢いて出て来る季節です。福寿草や水仙などの花々、梅や桜、そしてコブシなども水を吸い上げて咲き誇ります。
 また、蝶や小さな虫たちが飛び、それを捕食する南からやって来たツバメが飛び交います。
 そうした生物の春の連環に目が行きにくい毎日となっています。
 見えないウイルスとの戦いは今に始まったことではありません。人類は幾度となくそうしたことに直面して生き残って来ました。その結果が今生きている証なのだと思います。
 昔の人はそうした禍いが起きたときに心の拠り所として宗教的な行事を行うなどして鎮めて来た歴史があります。それが伝統的なお祭りという形で各地域に残っています。
 まさにそれは「見えない災い」と見えない『神通力、法力』ともいうべきものの戦いであったと思います。科学が発達した現在はその見えない神通力、法力がエビデンスとして実証されて進んできたことで私達が安心して暮らすことが出来るのだと思います。
 しかしながら、見えない敵は劇的に姿を変えて時代を経て何度も襲いかかってくることを忘れてはなりません。
 この春、町のいくつもの楽しいお祭り、例祭が中止となって来ました。以前のブログでも“例祭”という意味「いつもの事」、「毎年の事」というような意で訳しましたが、実は我が国の先人たちが猛々しい見えぬものを恐れる事を忘れるなという警鐘の意味でお祭りがあるのでは思うようになりました。
 科学的なものを示しても(今は示すことはできていないですが)、人の動きはそれだけでは理解できないのかもしれません。
 その日をどう暮らして良いか、苦境にある皆さんへ一刻も速く支援策を講じていく必要がありますが、基本となる国の具体的支援が見えてこない現状で小さな自治体では動きが取れない状況です。
 昔の「一億円やるから自治体で工夫して支援して欲しい」というようなこと言ってくれる政治家がいて欲しいと思うのは私だけでしょうか?

△久しぶりに会議「緑化推進会議」がありました。3密に配慮した配席でした。
見えないものと見えない力





  • LINEで送る


Posted by 大屋誠 at 12:23│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。