2020年06月04日

ご先祖さまからの教え

 明治32年、駒ヶ根村(合併する前の上松町旧名)赤痢発生患者65人 死亡15人、明治35年腸チフス発生患者12人 死亡2人、明治36年 腸チフス発生患者8人 死亡2人、明治37年赤痢 患者3人、明治44年赤痢患者11人 死亡2人、昭和8年腸チフス発生患者1人・・。
 
 いきなり変な歴史年表を載せてしまいました。これは町誌(歴史編)の年表に掲載されている疫病について記載のあるものを抜粋したものです。

 科学や医療が発達する前は原因が何であるか分からなかった疫病が、明治以降の開国により西洋医学が多く伝えられるようになる中で現在のような病名が付けられるなど、原因が明らかになって歴史の表舞台に出て来たともいえます。

 江戸時代にも流行病の症状の似たものを総称して「コロリ」(漢字表記“虎狼痢”)とか。「コロっ!」と死ぬからそうした表現で表したらしいと書いてあるが、医学史や民俗学の研究者でもないので正確かどうかは差し置いて、その怖さを昔の人も感じていたことと思います。

 何故、冒頭に訳の分からないような年表を載せたかというと、明治30年代の記載はあるのに何故か私の祖母が亡くなったと聞いた大正時代初期のスペイン風邪が流行した1918年頃の記載が全くないことに気が付きました。

 戦時中の事だから国外にそうした事が知られないようにするために軍事機密として扱われ、歴史の闇として葬られたのか、若しくは昭和25年の上松町大火で史料が焼失してしまったのか分かりませんが、それ以前の明治時代のものが人数も詳細に記入されているのと比べると不思議に感じます。

 自然災害や疫病など人の生活を一変させる様な出来事が起こった時、体験した人は後世に警告を発するために、地名や言い伝えなどで何らかの痕跡を遺します。

 今回の新型コロナ禍において、議事録がある、ないというような議論もありますが、私たちの責任として後世に伝えるべきものをしっかりと伝えていくのが私たちの責任ではないかと思います。
 それが、この疫病で亡くなられた方の声なき声に応える事だと思いますがいかがでしょうか。

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Posted by 大屋誠 at 14:12│Comments(0)
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