2023年05月17日
防火の誓い新たに
13日、昭和25年5月に起きた後に“上松大火”と呼ばれる街の中心街の殆どを灰燼に期した大火災を教訓とした『大火記念行事』が行われました。
当町の火災の歴史については幾度となく本ブログで取り上げて来ましたが、町誌に残る一番古いものでは江戸時代の明暦からの記述があります。
昭和25年には650戸が焼失という記述がありますが、その前の終戦の年に当たる昭和20年にも190戸という大火を経験しています。
その経験から当町においては“上松町連合防火会”という組織を住民と行政が話し合って組織しました。以来、約80年近く防火意識の向上と各戸への啓発活動、消火器の配布などに努めて来ました。
しかしながら、近年連合防火会の役員もそれまで消防団幹部退職者が主に担って来ましたが、消防団の活動を支援する『機能別消防団員』制度が発足するとともに災害が火災も含め自然災害が頻発し、地区役員の在り方も含めて新たな住民防災・減災体制を模索する中で地区活動を重視した新たな体制を構築していくことで決定し、連合防火会の組織を本年度末を以て解散する事で決定しました。
新たな体制については現在検討中ですが、自治地区のリーダーとなる人材が求められています。一部の地区では出来上がっていますが、未だ多くの地区で出来上がっていない防災マップの作成、避難訓練時の対応、研修を通じた防災意識の向上、緊急時の行政との連絡調整などが検討されてくるものと思います。
今まで連合防火会で活動して頂いた多くの皆様に感謝を申し上げます。
大火記念行事として社会体育館で「鎮火祭」、続いて小学校を火点とした模擬火災訓練が行われました。10年振り以上前に実施した夕方から夜間にかけての訓練でしたが、消防団員の皆さんは一つひとつ手順を確認しながら消化訓練に臨んでいました。
実際の暗い中での活動は、情報が錯綜することが予想され、また1日が24時間とすると3分の2が夕方から夜間そして朝方の未明ということになります。今回の訓練が有意義な訓練であったと感じました。
参加された団員の皆さん、訓練にご協力頂いた木曽広域消防署、警察交番所、業者の皆さんに御礼申し上げます。
△小学校グランドから火点を望む

△本部の様子

△訓練の後の反省会


当町の火災の歴史については幾度となく本ブログで取り上げて来ましたが、町誌に残る一番古いものでは江戸時代の明暦からの記述があります。
昭和25年には650戸が焼失という記述がありますが、その前の終戦の年に当たる昭和20年にも190戸という大火を経験しています。
その経験から当町においては“上松町連合防火会”という組織を住民と行政が話し合って組織しました。以来、約80年近く防火意識の向上と各戸への啓発活動、消火器の配布などに努めて来ました。
しかしながら、近年連合防火会の役員もそれまで消防団幹部退職者が主に担って来ましたが、消防団の活動を支援する『機能別消防団員』制度が発足するとともに災害が火災も含め自然災害が頻発し、地区役員の在り方も含めて新たな住民防災・減災体制を模索する中で地区活動を重視した新たな体制を構築していくことで決定し、連合防火会の組織を本年度末を以て解散する事で決定しました。
新たな体制については現在検討中ですが、自治地区のリーダーとなる人材が求められています。一部の地区では出来上がっていますが、未だ多くの地区で出来上がっていない防災マップの作成、避難訓練時の対応、研修を通じた防災意識の向上、緊急時の行政との連絡調整などが検討されてくるものと思います。
今まで連合防火会で活動して頂いた多くの皆様に感謝を申し上げます。
大火記念行事として社会体育館で「鎮火祭」、続いて小学校を火点とした模擬火災訓練が行われました。10年振り以上前に実施した夕方から夜間にかけての訓練でしたが、消防団員の皆さんは一つひとつ手順を確認しながら消化訓練に臨んでいました。
実際の暗い中での活動は、情報が錯綜することが予想され、また1日が24時間とすると3分の2が夕方から夜間そして朝方の未明ということになります。今回の訓練が有意義な訓練であったと感じました。
参加された団員の皆さん、訓練にご協力頂いた木曽広域消防署、警察交番所、業者の皆さんに御礼申し上げます。
△小学校グランドから火点を望む

△本部の様子

△訓練の後の反省会


Posted by 大屋誠 at 10:11│Comments(0)