2024年02月25日
信州農村歌舞伎を観て
25日はプライベートで雪が舞う中、権兵衛峠を越えて伊那文化会館で『信州農村歌舞伎』を観させて頂きました。
今年は南木曽町、大鹿村そして下條村の3町村の保存会が参加しての興行となりました。上松町も過去に上若連が参加したことがあります。
南木曽町は『絵本太閤記十段目 尼ヶ崎閑居の段』、大鹿村は『鎌倉三代記 三浦別れの段』、下條村は『非人景清日向島 人丸恩愛の段』の演目で演じられました。
地歌舞伎の多くは江戸時代の中期から後期に江戸から伝えられていますが、当時の幕府の禁政策で興行としては出来なかったので、奉納歌舞伎として伝えられて来ました。
△入口の案内

△雪降りだったので観客少ないかと思いましたがほぼ満席でした。

披露された演目を演じた役者さんも見事でしたが、三味線を弾く太夫さん、舞台の影の進行を助ける黒子さんなど一体となった晴れの舞台となりました。
△太夫さん

指先、足の捌きなどとても素人とは思えないもので毎回感激して帰ります。後継者の問題もありますが、若い人に繋げて欲しい文化です。是非次の機会も楽しみにしたいと思います。
△熱演の風景



地歌舞伎の紹介コーナーで上松町に上若連の『佐倉惣五郎 子別れの段』も紹介されていました。
今年は南木曽町、大鹿村そして下條村の3町村の保存会が参加しての興行となりました。上松町も過去に上若連が参加したことがあります。
南木曽町は『絵本太閤記十段目 尼ヶ崎閑居の段』、大鹿村は『鎌倉三代記 三浦別れの段』、下條村は『非人景清日向島 人丸恩愛の段』の演目で演じられました。
地歌舞伎の多くは江戸時代の中期から後期に江戸から伝えられていますが、当時の幕府の禁政策で興行としては出来なかったので、奉納歌舞伎として伝えられて来ました。
△入口の案内

△雪降りだったので観客少ないかと思いましたがほぼ満席でした。

披露された演目を演じた役者さんも見事でしたが、三味線を弾く太夫さん、舞台の影の進行を助ける黒子さんなど一体となった晴れの舞台となりました。
△太夫さん

指先、足の捌きなどとても素人とは思えないもので毎回感激して帰ります。後継者の問題もありますが、若い人に繋げて欲しい文化です。是非次の機会も楽しみにしたいと思います。
△熱演の風景



地歌舞伎の紹介コーナーで上松町に上若連の『佐倉惣五郎 子別れの段』も紹介されていました。
Posted by 大屋誠 at 15:09│Comments(0)