2024年08月26日

懐かしい仲間と(宮島喜文さん叙勲祝う会)

 24日、松本市で前参議院議員で日本臨床衛生検査技師会長を務めた宮島喜文さんの叙勲(旭日中受賞)を祝う会があり出席しました。
 宮島さんは木曽病院で3回勤務したことがあり、うち2回は私と一緒の期間勤めました。一番最初の時は私が業務係長で勤めた26年前の平成10年4月から4年間、二回目は14年前の平成22年に私が事務部長時代に2年間一緒に仕事させて頂きました。
 一回目の勤務の時は当時の小口壽夫院長(現 諏訪日赤名誉病院長)の下、長年の赤字経営からの脱却を目指していた頃で、今の電子カルテの前身のシステムである“オーダリングシステム”導入に向けて病院職員が一丸となって努めていた時です。
 二回目の時は、県立病院が独立行政法人化するタイミングで私が事務部長、宮島さんは副院長兼医療技術部長という事で当時の人材不足を解消するために職員採用に努めました。
 ちょうど定年退職するタイミングで日本臨床衛生検査技師会長に若手会員に推されて出馬して当選されました。
 その後、中央社会保険医療協議会専門部会に実務の経験と実績を買われて社会保険診療報酬の決定などに参画しました。
 また、その後、検査技師会長として活躍する姿がある委員会の国会議員の目に留まり2017年8月の参議院選挙に推されて出馬して見事当選の栄に浴して1期6年務められました。
 参議院議員時代には予算委員会での質問や代表質問を行うなど積極的な活動をされました。
 また、議員活動と並行して検査技師会長もやっていましたので、新型コロナ感染症拡大を受けてアジアにおいて日本の代表として学会に出席するなど、我が国だけでなく世界を相手に本当に大変な時を過ごされました。
 そうしているうちに財務政務官に抜擢され、それまでの医療だけで無く国全体の予算に関わるようになり、まさに八面六臂の活躍をされました。
 私ども首長が木曽から財務省に陳情に上がった時には、快く広い広い政務官室に案内して頂き、普段はなかなか会えない財務省主計官と面会することが出来たのも宮島さん御配慮のおかげです。
 この日の祝賀会は当時の小口院長先生が代表発起人で開催され、60余名の方々が参加しました。宮島さん叙勲から4回の祝賀会が行われたそうですが、皆さん一緒に働いた方ばかりですので和気あいあいとと昔話に話が咲きました。
△小口先生の挨拶
懐かしい仲間と(宮島喜文さん叙勲祝う会)


△浜野現院長の挨拶
懐かしい仲間と(宮島喜文さん叙勲祝う会)


 祝辞は浜野院長先生と不詳私が述べさせていただきましたが、昔の検査課の部下から「普通の挨拶じゃなくてイジって良いから」との言葉に励まされて参議院議員に立候補する時に新橋のガード下でその話を聞いて「奥様に話したの?」と聞いたら「話してないのよ〜困ったよ〜」などの会話のエピソードも含めて隠れた話も含め毒舌の挨拶をさせて頂きました。宮島さん大変失礼いたしました。
△宮島さんと奥様に記念品贈呈
懐かしい仲間と(宮島喜文さん叙勲祝う会)


△宮島さんの挨拶
懐かしい仲間と(宮島喜文さん叙勲祝う会)


 奥様も阿南や駒ヶ根などの県立病院の看護師として活躍して頂きました。勤務先が伊那谷と木曽の事が多く別居生活も長くて大変だったと思います。今回の会は『宮島喜文さんをたたえる会』とありましたが、本当にたたえるのは「ご本人もそうですが、何と言っても奥様です!!」と祝辞を述べさせて頂きました。
 これから地元の下伊那泰阜村に帰って益々お元気で活躍されますことを祈っております。
 久し振りに行き合った皆さん、それぞれの良い歳を重ねていることを感じる祝う会となりました。
 
 

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Posted by 大屋誠 at 13:51│Comments(0)
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