2024年08月15日
二十歳のつどい
早いものであっという間に旧のお盆も明日には送り火となります。15日、二十歳を迎えた若者たちが集まり、『二十歳のつどい』が木曽ひのきの里総合文化センターで行われました。
今年の対象者は男性20人、女性18人の合わせて38人です。
△開会を告げる植原教育長

△式辞は森山公民館長

来賓祝辞として私から「皆さんは高校時代に新型コロナ感染症拡大のパンデミックの中にあって激動の時であったこと、『試練』を乗り越えて来た強さがあるこれから起きる事に迎える強さがある」とエールを送りました。
△私のお祝いの言葉

△永井議長さんの祝辞

△恩師を代表して平中先生のお祝いの言葉

△出席者の代表者として高柳さんが謝辞

私語もなく厳粛な中で行われた式は増沢先生の万歳の締めで第一部が終わりました。
△万歳

第一部に続き、第二部として檜流太鼓の皆さんがお祝いに駆けつけてくれ盛り上げてくれました。
△檜流太鼓の演奏の様子



檜流太鼓のメンバーには二十歳にはまだまだ時間のある子供たちも迫力ある演奏を披露してくれました。
今日の会のアナウンス、進行などは上松中学校の皆さんが手伝ってくれました。
△中学生の皆さん


全てが終わった後、皆んなで記念の写真撮影を行いました。今にも降りそうな天気のため気が気でない中でしたが無事終わりました。
△記念写真撮影の様子。

今は上松を離れている方もいますが、いつの日にか地元で活躍して欲しいとお祝いの言葉に添えてお願いしました。
頑張れ!!二十歳の若者!!
今年の対象者は男性20人、女性18人の合わせて38人です。
△開会を告げる植原教育長

△式辞は森山公民館長

来賓祝辞として私から「皆さんは高校時代に新型コロナ感染症拡大のパンデミックの中にあって激動の時であったこと、『試練』を乗り越えて来た強さがあるこれから起きる事に迎える強さがある」とエールを送りました。
△私のお祝いの言葉

△永井議長さんの祝辞

△恩師を代表して平中先生のお祝いの言葉

△出席者の代表者として高柳さんが謝辞

私語もなく厳粛な中で行われた式は増沢先生の万歳の締めで第一部が終わりました。
△万歳

第一部に続き、第二部として檜流太鼓の皆さんがお祝いに駆けつけてくれ盛り上げてくれました。
△檜流太鼓の演奏の様子



檜流太鼓のメンバーには二十歳にはまだまだ時間のある子供たちも迫力ある演奏を披露してくれました。
今日の会のアナウンス、進行などは上松中学校の皆さんが手伝ってくれました。
△中学生の皆さん


全てが終わった後、皆んなで記念の写真撮影を行いました。今にも降りそうな天気のため気が気でない中でしたが無事終わりました。
△記念写真撮影の様子。

今は上松を離れている方もいますが、いつの日にか地元で活躍して欲しいとお祝いの言葉に添えてお願いしました。
頑張れ!!二十歳の若者!!
Posted by 大屋誠 at
16:06
│Comments(0)
2024年08月15日
お盆に若い力炸裂!!
14日は当町のお盆の恒例行事『町民親睦野球大会』が下河原グラウンドで開催されました。
この大会は町史によると昭和26年から始められました。昭和26年というと、前年の昭和25年は“上松町大火”という未曾有の災害があり、町民が復興に向けて立ち上がった時期です。
恐らくそうした時だからこそ、町民の親睦を図って企画された野球大会ではないとか思います。以前は二日間かけてやらないと試合が組めないほどチーム数がありましたが、今回の大会は6チームの参加となりました。
地区で編成した5チームに加え、中学生を中心としたオール木曽の少年野球チームの参加です。
開会式の様子は撮影できなかったので決勝戦の様子でも撮影しようと会場グランドに行きましたが、準決勝の中学生のオール木曽と第一ブロックの試合が長引いていました。
ちょうど観に行くと、3-8でオール木曽が5点のビハインドを最終回に同点に追い付いたところでした。中学生の俊敏な動きと対照的に暑い中の連戦でバテバテ気味の第一ブロックの選手の皆さん、結果はその姿で感じました。
最終回が長引きそうで公務があったため、準決勝、決勝の結果を観ずに帰りましたが中学生チームがその後の決勝も3対1で勝利して少年チームとして初優勝を飾ったと担当者から報告を受けました。
若い力がはつらつとして活躍する姿は頼もしく感じました。
暑い中、皆さん本当に暑い中お疲れ様でした。少年チームはジュースで、他の各地区のチームは美味しい冷たいものでお互いの健闘と昔話、近況に華を咲かせたものと思います。
こうしたお盆の野球大会は郡内でも多くの町村でやっていたようですが、近年はめっきり少なくなって来たようです。「上松ではまだ出来ているんですね」と先日他の首長さんと旧盆の行事について話題となった時に羨ましい感じで話されたのが印象的でした。
来年には74回目を迎える行事ですが親睦を深める行事として残っていって欲しい行事です。
△大人に挑む若い中学生たちと応援する保護者の皆さん


おまけ情報)
優勝旗に『昭和60年 優勝 正島地区』を見つけました。40年近く経っても忘れないピッチャーで3試合近く投げ、決勝戦で10球以上粘った上でのサヨナラタイムリーツーベースを打った感覚が忘れる事が出来ません。
心は今でも動きますが、身体は・・・です。
私が自慢出来る唯一のスポーツヒストリーです。
この大会は町史によると昭和26年から始められました。昭和26年というと、前年の昭和25年は“上松町大火”という未曾有の災害があり、町民が復興に向けて立ち上がった時期です。
恐らくそうした時だからこそ、町民の親睦を図って企画された野球大会ではないとか思います。以前は二日間かけてやらないと試合が組めないほどチーム数がありましたが、今回の大会は6チームの参加となりました。
地区で編成した5チームに加え、中学生を中心としたオール木曽の少年野球チームの参加です。
開会式の様子は撮影できなかったので決勝戦の様子でも撮影しようと会場グランドに行きましたが、準決勝の中学生のオール木曽と第一ブロックの試合が長引いていました。
ちょうど観に行くと、3-8でオール木曽が5点のビハインドを最終回に同点に追い付いたところでした。中学生の俊敏な動きと対照的に暑い中の連戦でバテバテ気味の第一ブロックの選手の皆さん、結果はその姿で感じました。
最終回が長引きそうで公務があったため、準決勝、決勝の結果を観ずに帰りましたが中学生チームがその後の決勝も3対1で勝利して少年チームとして初優勝を飾ったと担当者から報告を受けました。
若い力がはつらつとして活躍する姿は頼もしく感じました。
暑い中、皆さん本当に暑い中お疲れ様でした。少年チームはジュースで、他の各地区のチームは美味しい冷たいものでお互いの健闘と昔話、近況に華を咲かせたものと思います。
こうしたお盆の野球大会は郡内でも多くの町村でやっていたようですが、近年はめっきり少なくなって来たようです。「上松ではまだ出来ているんですね」と先日他の首長さんと旧盆の行事について話題となった時に羨ましい感じで話されたのが印象的でした。
来年には74回目を迎える行事ですが親睦を深める行事として残っていって欲しい行事です。
△大人に挑む若い中学生たちと応援する保護者の皆さん


おまけ情報)
優勝旗に『昭和60年 優勝 正島地区』を見つけました。40年近く経っても忘れないピッチャーで3試合近く投げ、決勝戦で10球以上粘った上でのサヨナラタイムリーツーベースを打った感覚が忘れる事が出来ません。
心は今でも動きますが、身体は・・・です。
私が自慢出来る唯一のスポーツヒストリーです。
Posted by 大屋誠 at
09:01
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