2022年06月07日
いよいよ梅雨入り
昨日、関東甲信地方が梅雨入りしたと気象庁が発表しました。何となく気分は憂うつなものになりがちですが、こんな時こそ雨を楽しむことができればと思います。
♫ぴちぴちジャブジャブらんらん♫などと傘を指すのも楽しむ事が出来たのは幼い時の思い出ですが、最近は“ぴちぴち”ではなく、先日の関東地方に降った雹の様にバキバキ?ザーザー?表現が難しい降り方です。
九州地方や東北地方などに先駆けて梅雨入りするのは初めてだそうですが、これから気を引き締めなければならない季節となりました。
雨は一方で農作物に恵みをもたらしてくれます。昨日の報道では今年はもしかしたら渇水が心配されるとのことでしたが、さてどうなる事やらです。
我が家の前に植えた花に水を与えてやる機会は減ると思いますが、花は水道の水よりも自然の水が一番なのでしょうか?
△通学路沿いの我が家に植えた花ですが、枯れてしまうものもあり、生き物を育てる難しさを知ります。

♫ぴちぴちジャブジャブらんらん♫などと傘を指すのも楽しむ事が出来たのは幼い時の思い出ですが、最近は“ぴちぴち”ではなく、先日の関東地方に降った雹の様にバキバキ?ザーザー?表現が難しい降り方です。
九州地方や東北地方などに先駆けて梅雨入りするのは初めてだそうですが、これから気を引き締めなければならない季節となりました。
雨は一方で農作物に恵みをもたらしてくれます。昨日の報道では今年はもしかしたら渇水が心配されるとのことでしたが、さてどうなる事やらです。
我が家の前に植えた花に水を与えてやる機会は減ると思いますが、花は水道の水よりも自然の水が一番なのでしょうか?
△通学路沿いの我が家に植えた花ですが、枯れてしまうものもあり、生き物を育てる難しさを知ります。

2022年06月06日
これも3年振り(町消防ポンプ操法大会)
4日午後6時から下河原グラウンドで町消防団ポンプ操法大会が行われました。この大会も新型コロナ感染拡大の影響で3年振りの開催となりました。
大火記念行事が終わった5月16日以来、実に3週間の訓練を経ての大会です。皆さん仕事が終わった後に集まっての訓練本当にお疲れ様でした。
私は「こうして大会が開催された事を嬉しく思う。分団の誇りと名誉をかけて楽しみましょう!」と挨拶させて頂きました。
△澤木団長の挨拶

△選手以外の皆さんも自団の応援で参加

△審査員の打ち合わせ

△競技の風景

△審査員も全力疾走

△グラウンドの周りにはお父さんの雄姿、後輩団員を見ようとギャラリーが来てました。多くの人が見つめる中での競技は緊張しますが、終わった後同僚から声かけられてホッとした様子が窺えました。

△優勝は四分団チームでした。また明日から二週間を経て5月19日に木祖村で行われる郡大会に喇叭隊とともに出場します。健闘を祈ります。

大火記念行事が終わった5月16日以来、実に3週間の訓練を経ての大会です。皆さん仕事が終わった後に集まっての訓練本当にお疲れ様でした。
私は「こうして大会が開催された事を嬉しく思う。分団の誇りと名誉をかけて楽しみましょう!」と挨拶させて頂きました。
△澤木団長の挨拶

△選手以外の皆さんも自団の応援で参加

△審査員の打ち合わせ

△競技の風景

△審査員も全力疾走

△グラウンドの周りにはお父さんの雄姿、後輩団員を見ようとギャラリーが来てました。多くの人が見つめる中での競技は緊張しますが、終わった後同僚から声かけられてホッとした様子が窺えました。

△優勝は四分団チームでした。また明日から二週間を経て5月19日に木祖村で行われる郡大会に喇叭隊とともに出場します。健闘を祈ります。

2022年06月04日
御霊に追悼
6日土曜日、町戦没者慰霊祭が遺族会と町の共催で観音地区にある慰霊碑の前で遺族会の皆さんや普段から慰霊碑を護ってくれている関係者が参会しての7年ぶりの慰霊祭となりました。
△慰霊碑の様子です。昨年まで碑に覆い被さっていた樹木を切ってすっかり明るくなりました。

△この日はボランティアで中学生が周囲の清掃と献花のお手伝いに来てくれました。

△征矢会長さんから、それぞれの地区の方が献花をします。厳粛な雰囲気の中慰霊祭が終了しました。


今回の慰霊祭、戦後77年を迎え関係者が高齢化は否めない面がありますが、戦争の犠牲となった戦没者、ご遺族の思いや平和を希求する会に活動など、ロシアによるウクライナ侵攻が起こっている中でどう伝えて行くかこれも町としての大きな責任だと改めて思いました。
慰霊祭の後、公民館で遺族会総会が行われました。総会の挨拶で戦後処理で担当していた県社会部厚生課恩給援護係でのシベリア抑留死され方(父)の遺骨が日本の遺族に帰ってきた日と中国残留孤児(娘)さんの一家が日本に帰ってきた日が戦後44年経った同じであったという偶然であったという話をさせて頂きました。その日が本当の意味でそのご家族の終戦の日となったのではと戦争で引き裂かれた家族の事を話させて頂きました。
ご遺族の方には今日ボランティアとして協力してくれた若い世代に『語り部』としていつまでもお元気にお過ごしくださいと挨拶させて頂きました。
△慰霊碑の様子です。昨年まで碑に覆い被さっていた樹木を切ってすっかり明るくなりました。

△この日はボランティアで中学生が周囲の清掃と献花のお手伝いに来てくれました。

△征矢会長さんから、それぞれの地区の方が献花をします。厳粛な雰囲気の中慰霊祭が終了しました。


今回の慰霊祭、戦後77年を迎え関係者が高齢化は否めない面がありますが、戦争の犠牲となった戦没者、ご遺族の思いや平和を希求する会に活動など、ロシアによるウクライナ侵攻が起こっている中でどう伝えて行くかこれも町としての大きな責任だと改めて思いました。
慰霊祭の後、公民館で遺族会総会が行われました。総会の挨拶で戦後処理で担当していた県社会部厚生課恩給援護係でのシベリア抑留死され方(父)の遺骨が日本の遺族に帰ってきた日と中国残留孤児(娘)さんの一家が日本に帰ってきた日が戦後44年経った同じであったという偶然であったという話をさせて頂きました。その日が本当の意味でそのご家族の終戦の日となったのではと戦争で引き裂かれた家族の事を話させて頂きました。
ご遺族の方には今日ボランティアとして協力してくれた若い世代に『語り部』としていつまでもお元気にお過ごしくださいと挨拶させて頂きました。
2022年06月01日
銀座ナガノへ
今日から6月、鬱陶しい梅雨の時期に本格的に入りました。昨年は5月、8月と相次いで豪雨災害に見舞われましたが、6月は比較的平穏だった気がします。
上京して3日目となりました。今日はリサーチも兼ねてアポを予め取っておいた銀座ナガノを訪問しました。地域おこし協力隊が作った木製万年筆とボールペンを持参しての営業のような形での訪問です。
銀座ナガノには昔一緒に仕事をした職員もおり、気軽に訪問させて頂きましたが、すぐ入り口の所に御嶽海関のグッズが売っていました。
△こんな感じです。


売っているセクションの代表者の方にお聞きすると、関係で売れる物を提供しようと探したが見つからなかったとの事で、現在は関取の姿を浮かび上がらせたグラスを売っているとの事でした。
地域おこし協力隊が作った製品を見せながら、都会の方のニーズをリサーチをしながら少しでも販路が広まればと話しをさせて頂きました。
一階、二階は販売ブースで一階は食品中心、二階には工芸品などが売っていました。ここには交流スペースがあるので、「上松の日」と称して体験イベントなども考えてはなどのご提案をいただきました。
山浦所長さんも上松に所縁のある方であり打ち解けた中で、木製の名刺入れやスマホ入れなどがあれば良いなど話が弾みました。やはり現場を見ることは大事だと感じました。
△開店時間前にも関わらず既に待っている方がいました。

上京して3日目となりました。今日はリサーチも兼ねてアポを予め取っておいた銀座ナガノを訪問しました。地域おこし協力隊が作った木製万年筆とボールペンを持参しての営業のような形での訪問です。
銀座ナガノには昔一緒に仕事をした職員もおり、気軽に訪問させて頂きましたが、すぐ入り口の所に御嶽海関のグッズが売っていました。
△こんな感じです。


売っているセクションの代表者の方にお聞きすると、関係で売れる物を提供しようと探したが見つからなかったとの事で、現在は関取の姿を浮かび上がらせたグラスを売っているとの事でした。
地域おこし協力隊が作った製品を見せながら、都会の方のニーズをリサーチをしながら少しでも販路が広まればと話しをさせて頂きました。
一階、二階は販売ブースで一階は食品中心、二階には工芸品などが売っていました。ここには交流スペースがあるので、「上松の日」と称して体験イベントなども考えてはなどのご提案をいただきました。
山浦所長さんも上松に所縁のある方であり打ち解けた中で、木製の名刺入れやスマホ入れなどがあれば良いなど話が弾みました。やはり現場を見ることは大事だと感じました。
△開店時間前にも関わらず既に待っている方がいました。
