2022年06月04日
御霊に追悼
6日土曜日、町戦没者慰霊祭が遺族会と町の共催で観音地区にある慰霊碑の前で遺族会の皆さんや普段から慰霊碑を護ってくれている関係者が参会しての7年ぶりの慰霊祭となりました。
△慰霊碑の様子です。昨年まで碑に覆い被さっていた樹木を切ってすっかり明るくなりました。

△この日はボランティアで中学生が周囲の清掃と献花のお手伝いに来てくれました。

△征矢会長さんから、それぞれの地区の方が献花をします。厳粛な雰囲気の中慰霊祭が終了しました。


今回の慰霊祭、戦後77年を迎え関係者が高齢化は否めない面がありますが、戦争の犠牲となった戦没者、ご遺族の思いや平和を希求する会に活動など、ロシアによるウクライナ侵攻が起こっている中でどう伝えて行くかこれも町としての大きな責任だと改めて思いました。
慰霊祭の後、公民館で遺族会総会が行われました。総会の挨拶で戦後処理で担当していた県社会部厚生課恩給援護係でのシベリア抑留死され方(父)の遺骨が日本の遺族に帰ってきた日と中国残留孤児(娘)さんの一家が日本に帰ってきた日が戦後44年経った同じであったという偶然であったという話をさせて頂きました。その日が本当の意味でそのご家族の終戦の日となったのではと戦争で引き裂かれた家族の事を話させて頂きました。
ご遺族の方には今日ボランティアとして協力してくれた若い世代に『語り部』としていつまでもお元気にお過ごしくださいと挨拶させて頂きました。
△慰霊碑の様子です。昨年まで碑に覆い被さっていた樹木を切ってすっかり明るくなりました。

△この日はボランティアで中学生が周囲の清掃と献花のお手伝いに来てくれました。

△征矢会長さんから、それぞれの地区の方が献花をします。厳粛な雰囲気の中慰霊祭が終了しました。


今回の慰霊祭、戦後77年を迎え関係者が高齢化は否めない面がありますが、戦争の犠牲となった戦没者、ご遺族の思いや平和を希求する会に活動など、ロシアによるウクライナ侵攻が起こっている中でどう伝えて行くかこれも町としての大きな責任だと改めて思いました。
慰霊祭の後、公民館で遺族会総会が行われました。総会の挨拶で戦後処理で担当していた県社会部厚生課恩給援護係でのシベリア抑留死され方(父)の遺骨が日本の遺族に帰ってきた日と中国残留孤児(娘)さんの一家が日本に帰ってきた日が戦後44年経った同じであったという偶然であったという話をさせて頂きました。その日が本当の意味でそのご家族の終戦の日となったのではと戦争で引き裂かれた家族の事を話させて頂きました。
ご遺族の方には今日ボランティアとして協力してくれた若い世代に『語り部』としていつまでもお元気にお過ごしくださいと挨拶させて頂きました。
Posted by 大屋誠 at 19:03│Comments(0)
│上松町