2017年08月16日

夏に想う

昨日、72回目の終戦記念日を迎えました。県職員として勤務した折、戦傷病者、戦没者ご遺族、そして中国からの帰国者への支援の仕事に携わったことがあります。

戦地で傷ついたり、過酷な環境で病気になったりした戦傷病者の皆様は、"傷痍軍人会"、"傷痍軍人妻の会"いうちょっと厳(いか)めしい名称の会でしたが、ちょうど私が子供のような世代でしたので、皆さん気の優しい隣近所のおじさん、おばさんといった雰囲気の方々で優しく接しさせて頂きました。
その一人で中信のYさんの言葉が忘れられません。お風呂に一緒に入り「大屋君、戦争は絶対にやっちゃいけない、当時、誰も戦争が起きるとは思っていなかった。戦争はいつの間にか始まったんだよ。そしてその結果がこれだよ」といつも優しいYさんが真顔で無くなった右腕を叩いて見せました。

戦没者のご遺族の皆様とは、毎年、8月15日に全国戦没者追悼式に参列するためのお手伝いをさせて頂きました。当時においても遺族の高齢化が言われていましたが、今は、世代交代が言われています。時の流れとはいえ、戦没者の声なき声を伝えていくことやご遺族の哀しみをどう伝えていくかが問われており、機会を捉えて多くの皆さんに伝えていきたい。

中国からの帰国者の皆様には、筆舌に尽くせぬ過酷な苦しい体験が待ち受けていました。前述で終戦記念日が8月15日と書きましたが、満州開拓や新しい夢を持って中国に行っていた方は、それからが地獄のような日々が待っていたのです。ソ連参戦による逃避行が始まり、ソ連軍によりシベリアへの強制的に連行される軍人、劣悪な環境下で伝染性の病気になる幼い子供や女性、攻撃に耐えられなくて手榴弾を渡され自決する開拓団の方々、子供を守るために致し方なく中国人に預ける方など、多くのことがその後の戦後処理の問題に繋がってくるのです。関係者の皆さんにとって8月15日は終わりの日ではなく、始まりの日であった事を直接話しを聞いた私が少しでも伝えて行かなければならないと思っております。
私自身、 顔も見ることのなかった父方の叔父も九州沖で還らぬ人となっている。
尊い礎となって現在の我が国を築いてくれた皆様が今にも戦争が起きそうな朝鮮半島の情勢を見てどのように思われるのか、その声を聞いてみたい。

今年も多くの御霊がお盆来てそして帰って行く。
(送り火 その1)



(送り火 その2 今年は小雨の中での送り火でした)


  
  • LINEで送る


Posted by 大屋誠 at 21:13Comments(0)上松町プライベート