2018年02月14日
あれから20年(その1)
平昌オリンピックが始まりました。長野でのオリンピックから早いもので20年が経ちます。当時、長野市に住んでいた私もボランティアで輸送スタッフとして各国からのオリンピックファミリーの送迎の運転に当たりました。
最初は、運営が徹底していなかったせいか、なかなか出番が回って来ず、ずっと待機が続き「これなら仕事するか、家でゴロゴロしていた方が良かった」なと思っていた矢先、やっと飯綱のモーグルコースに行ってくれとの指令が出て、オランダから来たファミリーを乗せて現地に到着しました。
到着した途端に会場方向から、大きな歓声が湧き起こり、ラジオを入れると電波の受信状況が悪くよく聞こえず、周りの人から聞くと、どうやら日本人がメダルを獲得したらしいとのこと。
そして、その後モーグル競技で里谷多英さんが金メダルを獲得したということを知り、同じ会場にいたという感激に酔いしれました。
そして、送迎したオランダ人(名前忘れましたが、確かスケート競技で金メダリストの人が同じ名前の方がいました)から両手を出せと言われ、出したところ両手に余るくらいのピンバッジをもらいました。
当時は、競技場や駅前何処でもピンバッジ交換が行われており、中にはプレミアム価格で売買されるものもありました。
平昌でも同じ様な光景があるのでしょうか?何処のマスコミもあまり報じませんが懐かしく思い出されます。
当時、6歳の私の息子に「ピンバッジ、ピンバッジ」とうるさくせがまれたことが昨日の様です。息子も26歳を迎えますが覚えているでしょうか?
最初は、運営が徹底していなかったせいか、なかなか出番が回って来ず、ずっと待機が続き「これなら仕事するか、家でゴロゴロしていた方が良かった」なと思っていた矢先、やっと飯綱のモーグルコースに行ってくれとの指令が出て、オランダから来たファミリーを乗せて現地に到着しました。
到着した途端に会場方向から、大きな歓声が湧き起こり、ラジオを入れると電波の受信状況が悪くよく聞こえず、周りの人から聞くと、どうやら日本人がメダルを獲得したらしいとのこと。
そして、その後モーグル競技で里谷多英さんが金メダルを獲得したということを知り、同じ会場にいたという感激に酔いしれました。
そして、送迎したオランダ人(名前忘れましたが、確かスケート競技で金メダリストの人が同じ名前の方がいました)から両手を出せと言われ、出したところ両手に余るくらいのピンバッジをもらいました。
当時は、競技場や駅前何処でもピンバッジ交換が行われており、中にはプレミアム価格で売買されるものもありました。
平昌でも同じ様な光景があるのでしょうか?何処のマスコミもあまり報じませんが懐かしく思い出されます。
当時、6歳の私の息子に「ピンバッジ、ピンバッジ」とうるさくせがまれたことが昨日の様です。息子も26歳を迎えますが覚えているでしょうか?