2018年04月11日
名誉町民 小島繚二郎氏を偲ぶ会
昨日10日、名古屋市で名誉町民の小島繚二郎氏(小島プレス前会長)を偲ぶ会が行われ参列させていただきました。
氏は、昭和3年に名古屋市熱田に生まれ、22歳の若さで父濱吉氏から社業を受け継いだそうです。その当時は社員数も20名余りの会社でしたが、トヨタ自動車の発展とともに、会社を大きくして今ではグループ企業26社、社員数も6,000名を超える企業へと成長させ、海外まで進出しました。
また、企業人としてだけではなく、昭和46年には企業内保育所を開所し、その後、障がい者が働く工場を創るなど時代を見透す力量を発揮され地域社会へも貢献されました。
上松町には、雇用の場として前身の木曽工業から上松電子へと開業するに当たり、言葉に言い表せないほどのお力添えを頂いたという事をお聞きしております。
私が木曽地方事務所で福祉の仕事を担当している時に一度はその事業所を視察し、氏からお話しをお聞きしたかったのですが、都合が付かずお会いできなかったのが今でも心遺りです。
心からご冥福をお祈りいたしますとともに、生前の上松町に寄せられましたご厚情に厚く御礼申し上げ献花を捧げました。
▼祭壇(温和な顔です)

▼献花の様子です。(中国、韓国の大使館からも参列されていました)

▼氏が遺した功績を写真で辿ります

氏は、昭和3年に名古屋市熱田に生まれ、22歳の若さで父濱吉氏から社業を受け継いだそうです。その当時は社員数も20名余りの会社でしたが、トヨタ自動車の発展とともに、会社を大きくして今ではグループ企業26社、社員数も6,000名を超える企業へと成長させ、海外まで進出しました。
また、企業人としてだけではなく、昭和46年には企業内保育所を開所し、その後、障がい者が働く工場を創るなど時代を見透す力量を発揮され地域社会へも貢献されました。
上松町には、雇用の場として前身の木曽工業から上松電子へと開業するに当たり、言葉に言い表せないほどのお力添えを頂いたという事をお聞きしております。
私が木曽地方事務所で福祉の仕事を担当している時に一度はその事業所を視察し、氏からお話しをお聞きしたかったのですが、都合が付かずお会いできなかったのが今でも心遺りです。
心からご冥福をお祈りいたしますとともに、生前の上松町に寄せられましたご厚情に厚く御礼申し上げ献花を捧げました。
▼祭壇(温和な顔です)

▼献花の様子です。(中国、韓国の大使館からも参列されていました)

▼氏が遺した功績を写真で辿ります

Posted by 大屋誠 at 19:04│Comments(0)
│上松町