2018年06月05日

"尾張名古屋は城で持つ"名古屋城本丸御殿完成

"伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ"と謳われた名古屋市のシンボル名古屋城の本丸御殿が完成し、名古屋城内の能楽堂でその完成式典が開催され出席いたしました。

木曽ヒノキを使ったご縁でご招待を受けたものですが、10年に及ぶ復元計画という事で、第1期から3期までに及ぶ息の長い計画により、この度完成したものです。本丸御殿は藩主の住居兼政庁(仕事の場)として慶長20年(1615年)に徳川家康の命によって建造されたものですが、先の大戦の末期、昭和20年5月の空襲によって灰燼と帰しました。

冒頭に謳われた様に名古屋市だけでなく広く尾張の皆さんにとって親しみのあったお城であっただけにその落胆ぶりは察するに余りあるものであったと思います。その時の想い出を河村名古屋市長はお母さんの想い出と共に挨拶で述べられておりました。
市長曰く、「この事業は務めとしてやらなければならない事、これから千年後にも遺して行かなければならない」と述べましたが、木曽ヒノキがこうした所に使われたことに誇らしく思いました。

建築や屏風絵、木彫りの欄間、釘隠しの彫物、和釘など本丸御殿に施された我が国が誇る"匠の技"の数々は是非多くの皆さんに見ていただきたいと思います。
継承されて行くことが難しくなっている伝統的な技を伝えて行く意味でも、この御殿の復元は大きな価値を持っていると思います。
そうしたものを後世に伝えて行くためにも平和の世界をつくって行かなければならないとの市長のメッセージは戦争で失われたものを復元する意味の重さを感じた式典でした。

▽河村市長挨拶
"尾張名古屋は城で持つ"名古屋城本丸御殿完成



▽上段の間(将軍が謁見する所)の次の間
"尾張名古屋は城で持つ"名古屋城本丸御殿完成



▽上段の間に繋がる廊下の上の欄間
"尾張名古屋は城で持つ"名古屋城本丸御殿完成



▽湯殿書院(現代のサウナ風呂)
"尾張名古屋は城で持つ"名古屋城本丸御殿完成



▽飾り金具(造ることができる職人さんが少なくなって来て、全国から一流の職人さんが集められたとの事です)
"尾張名古屋は城で持つ"名古屋城本丸御殿完成



▽上段の間の重厚な襖です。(将軍かお殿様が出てくる雰囲気がありますね)
"尾張名古屋は城で持つ"名古屋城本丸御殿完成



▽木造建築として蘇る予定の天守閣とのマッチング。間もなく取り壊され見られなくなります。
"尾張名古屋は城で持つ"名古屋城本丸御殿完成





6月8日から一般公開されます。是非、一度見ていただきヒノキの香りを楽しんで下さい。









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Posted by 大屋誠 at 21:23│Comments(0)上松町
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