2018年10月27日
市町村長特別セミナー(その2 応仁の乱と現代を考える)
市町村長特別セミナー講義のその2です。「応仁の乱と現代日本〜英雄なき時代を考える〜」と題して国際日本文化研究センター助教の呉座勇一(ござゆういち)さんから1時間半の講義を受けました。
応仁の乱というと小学校の社会科で教えられる室町時代末期の全国各地で繰り広げられた戦いで畠山氏、斯波氏などの有力大名が山名宗全率いる西軍と細川勝元率いる東軍に分かれて長期に亘って戦さををしたというものです。
呉座先生によれば最近の研究でそうした見方が違って来ているとの事。しかも、応仁の乱の時の様相と第一次世界大戦に共通点があるとの話で、応仁の乱の時の覇権勢力は細川氏で、大戦ではイギリス、新興勢力は山名氏で、大戦ではドイツであり、またきっかけとなった事件は応仁の乱では畠山氏の内紛で、大戦ではロシア皇太子が襲われたサラエボ事件だそうです。
両方に共通するのが、双方とも短期決戦を志向するものの戦線が膠着して長期戦になったとの事で、戦争の継続を断念したのが結局のところ補給路を断たれた方が断念したという事です。つまり勝者無き戦争であったと分析されていました。
また、我が国の歴史の中で地方自治が萌芽した時期がこの政治秩序が乱れた時から始まったと考えられるとの事で、その地方自治は明治維新まで続いたとの話でした。江戸時代は幕藩体制で徳川将軍家が実権は持っていたものの、実際の統治は各藩がそれぞれ行なっていたから中央集権ではないとの話で歴史好きな私としては成る程と納得して聞かせて頂きました。
8代将軍義政は、トランプ米国大統領と似ている?との下りでは、義政は政治的に対して無関心であったとの通説があるが、これは逆で政治的意欲は強く、強い将軍の指導力で衰退した幕府の立て直しを目指した。大名家の家督争いで判断が二転三転し、大名家の衰退により相対的に将軍権力が浮上したが、かく乱戦法を得意としながら主導権を握ったが長期戦略がないため、結果として長期的には威信が低下した。これが今のトランプ氏に似ているとの話しでした。
また応仁の乱では皆んなが直ぐに終わるであろう、本当は戦いたくなかった、京都での戦さはひとつくらいで小競り合いはあったものの大きな戦さはほとんど無かった、総大将は山名宗全、細川勝元ではなかったなど新しい歴史の見方をお聞きしました。
当時のリーダーが読み違えた結果として長期化し、長期戦になって参加目的の違いが表面化した結果、総帥の求心力が低下し、少数の戦争継続派に引きずられた形で継続していったとの事でした。
応仁の乱は、リーダーとして失敗例の宝庫であり、失敗に学ぶ「失敗の歴史学」を学ぶ必要性があるとの事でした。
応仁の乱を通じて現在を考えると アメリカの動き、中国、ロシアの動き、EUとイギリスなど世界的にも情勢が混沌としてきており、長期的な広い視野を持つリーダーが今こそ求められているんだと考えさせられました。
△講師の先生の撮影ビデオは出来ませんのでアカデミーの様子をお伝えします。

応仁の乱というと小学校の社会科で教えられる室町時代末期の全国各地で繰り広げられた戦いで畠山氏、斯波氏などの有力大名が山名宗全率いる西軍と細川勝元率いる東軍に分かれて長期に亘って戦さををしたというものです。
呉座先生によれば最近の研究でそうした見方が違って来ているとの事。しかも、応仁の乱の時の様相と第一次世界大戦に共通点があるとの話で、応仁の乱の時の覇権勢力は細川氏で、大戦ではイギリス、新興勢力は山名氏で、大戦ではドイツであり、またきっかけとなった事件は応仁の乱では畠山氏の内紛で、大戦ではロシア皇太子が襲われたサラエボ事件だそうです。
両方に共通するのが、双方とも短期決戦を志向するものの戦線が膠着して長期戦になったとの事で、戦争の継続を断念したのが結局のところ補給路を断たれた方が断念したという事です。つまり勝者無き戦争であったと分析されていました。
また、我が国の歴史の中で地方自治が萌芽した時期がこの政治秩序が乱れた時から始まったと考えられるとの事で、その地方自治は明治維新まで続いたとの話でした。江戸時代は幕藩体制で徳川将軍家が実権は持っていたものの、実際の統治は各藩がそれぞれ行なっていたから中央集権ではないとの話で歴史好きな私としては成る程と納得して聞かせて頂きました。
8代将軍義政は、トランプ米国大統領と似ている?との下りでは、義政は政治的に対して無関心であったとの通説があるが、これは逆で政治的意欲は強く、強い将軍の指導力で衰退した幕府の立て直しを目指した。大名家の家督争いで判断が二転三転し、大名家の衰退により相対的に将軍権力が浮上したが、かく乱戦法を得意としながら主導権を握ったが長期戦略がないため、結果として長期的には威信が低下した。これが今のトランプ氏に似ているとの話しでした。
また応仁の乱では皆んなが直ぐに終わるであろう、本当は戦いたくなかった、京都での戦さはひとつくらいで小競り合いはあったものの大きな戦さはほとんど無かった、総大将は山名宗全、細川勝元ではなかったなど新しい歴史の見方をお聞きしました。
当時のリーダーが読み違えた結果として長期化し、長期戦になって参加目的の違いが表面化した結果、総帥の求心力が低下し、少数の戦争継続派に引きずられた形で継続していったとの事でした。
応仁の乱は、リーダーとして失敗例の宝庫であり、失敗に学ぶ「失敗の歴史学」を学ぶ必要性があるとの事でした。
応仁の乱を通じて現在を考えると アメリカの動き、中国、ロシアの動き、EUとイギリスなど世界的にも情勢が混沌としてきており、長期的な広い視野を持つリーダーが今こそ求められているんだと考えさせられました。
△講師の先生の撮影ビデオは出来ませんのでアカデミーの様子をお伝えします。

Posted by 大屋誠 at 12:35│Comments(0)
│上松町