2022年11月07日
町制施行100年式典
11月3日、上松町町制施行100周年式典をひのきの里総合文化センターで執り行いました。
上松町は、大正11年9月1日に旧“駒ヶ根村”から上松町として産声を上げ、今年でちょうど百年の大きな節目の年を迎えました。
その間、林業や木材加工を主産業とした町から、加えて自動車部品製造の企業誘致を進めて来ました。また、優良材で知られる木曽ひのきの産地として伊勢神宮式年遷宮御杣始祭を4回行い、御神木を伊勢神宮に納める栄誉を頂いております。
そのような明るい話題がある一方で、終戦間もない昭和25年には、後に“上松大火”と呼ばれる大火災により町の中心街をほとんど焼き尽くす大災害が起きています。また、台風災害で今でも語り継がれる“伊勢湾台風”が昭和34年に襲来して60戸を超える家屋が全壊するなど甚大な被害が出ました。
そうした多くの試練から立ち上がり、現在の町づくりを支えて頂いた歴代町長さんを始め先輩方、全ての皆さんに心から御礼を申し上げます。
式典は公務多忙のおりの中、遠路から後藤茂之経済再生担当大臣、姉妹友好都市の堀那智勝浦町長さん、小浮豊明市長さんなど多くの御来賓をお迎えして無事行うことが出来ました。
当日は、駅前で『ギネスに挑戦 木馬引き大会』や寝覚の床駐車場では上松技術専門校OB、OGが集まって木工、クラフトなどの出店『凱旋者』(がいせんもん)のイベントがありました。
そうしたイベントに加え、JR東海さんがウオーキングイベントをして頂いたため、多くの皆さんをお迎えする事が出来ました。
当日は、接待等で写真はあまり撮ることが出来ませんでしたが一部ご紹介いたします。
△式典会場も準備万端整いました。木の町らしく木製の飾りが招待者をお迎えします。


△村田副町長の開式の辞

△式典後、後藤大臣は出店のブースを回って百周年を祝って頂きました。SPの皆さんもお疲れ様でした。

△ギネスに挑戦(木馬引き)の一コマ


△桐蔭横浜大学のチアリーディングの皆さんも応援に駆け付けてくれました。小学生とのコラボはウエブで練習したそうです。


△式典後、寝覚の床ブースの『凱旋者』の様子も見に行きました。当日は700人を超える方々が来場されたとの事です。


上松町は、大正11年9月1日に旧“駒ヶ根村”から上松町として産声を上げ、今年でちょうど百年の大きな節目の年を迎えました。
その間、林業や木材加工を主産業とした町から、加えて自動車部品製造の企業誘致を進めて来ました。また、優良材で知られる木曽ひのきの産地として伊勢神宮式年遷宮御杣始祭を4回行い、御神木を伊勢神宮に納める栄誉を頂いております。
そのような明るい話題がある一方で、終戦間もない昭和25年には、後に“上松大火”と呼ばれる大火災により町の中心街をほとんど焼き尽くす大災害が起きています。また、台風災害で今でも語り継がれる“伊勢湾台風”が昭和34年に襲来して60戸を超える家屋が全壊するなど甚大な被害が出ました。
そうした多くの試練から立ち上がり、現在の町づくりを支えて頂いた歴代町長さんを始め先輩方、全ての皆さんに心から御礼を申し上げます。
式典は公務多忙のおりの中、遠路から後藤茂之経済再生担当大臣、姉妹友好都市の堀那智勝浦町長さん、小浮豊明市長さんなど多くの御来賓をお迎えして無事行うことが出来ました。
当日は、駅前で『ギネスに挑戦 木馬引き大会』や寝覚の床駐車場では上松技術専門校OB、OGが集まって木工、クラフトなどの出店『凱旋者』(がいせんもん)のイベントがありました。
そうしたイベントに加え、JR東海さんがウオーキングイベントをして頂いたため、多くの皆さんをお迎えする事が出来ました。
当日は、接待等で写真はあまり撮ることが出来ませんでしたが一部ご紹介いたします。
△式典会場も準備万端整いました。木の町らしく木製の飾りが招待者をお迎えします。


△村田副町長の開式の辞

△式典後、後藤大臣は出店のブースを回って百周年を祝って頂きました。SPの皆さんもお疲れ様でした。

△ギネスに挑戦(木馬引き)の一コマ


△桐蔭横浜大学のチアリーディングの皆さんも応援に駆け付けてくれました。小学生とのコラボはウエブで練習したそうです。


△式典後、寝覚の床ブースの『凱旋者』の様子も見に行きました。当日は700人を超える方々が来場されたとの事です。


Posted by 大屋誠 at 09:50│Comments(0)
│上松町