2020年08月14日

迎え盆

 13日迎え盆を迎えましたが、一年に一度ご先祖さまが家に帰ってくるという我が国伝統の行事で都会などから故郷に多くの人が帰省で帰る時です。
 今年のお盆の様子を見ると私たちが暮らす此岸に来てご先祖様もビックリという状況で声も出ないでしょう。最も霊は声は発することが出来ませんが。
 国や都府県知事の呼びかけで帰省についても慎重に検討してというメッセージが出ています。
 霊は喋って伝えることは出来ませんが、言葉には魂が乗りうつるという『言霊』(ことだま)というものがあります。
 コロナ禍で感染が始まってから、国や自治体から多くのメッセージで危機を訴えて伝えて来ましたが、心に響くものを聞くことはなかったような気がします。こうして発する私自身もその一人です。
 行政を預かる者としてどう伝えて行くか、そこに住民の皆さんと共有出来る感覚を持つ言葉をどうやって発して行くか難しい課題です。
 コロナで苦しむ私たちを見てご先祖様が何と言いたいのか興味があります。「頑張れ」「前を見ろ」「こっちで待ってる」など、最後の言葉はちょっと頂けませんが、きっと励ましてくれるんではないかと思います。
 今年のお盆は私たちにこれからの生き方を問う特別なものになるのではないかと思います。

△我が家の迎火



   
  • LINEで送る


Posted by 大屋誠 at 09:05Comments(0)プライベート

2020年08月12日

語り継ぐ

 夏が来ると恩給援護係に勤務していた頃に担当業務として覚えた「戦傷病者」「戦没者」「中国残留孤児・婦人」などの言葉を思い出します。
 今は恩給援護係という係も無くなり、地域福祉課に自立支援・援護係というところが所管してます。戦後75年が経ち、戦争がもたらした悲惨さを語り継ぐ人が鬼籍に入り、少なくなっています。
 8月15日がポツダム宣言を受諾して我が国が敗戦国として歴史に刻まれた日としては知られていますが、満州開拓団の人たちにとって8月9日を忘れることができない日でしょう。ソ連が日ソ間で結ばれた不可侵条約を破棄して一気に中国東北部の満洲に侵攻して来たのです。
 守ってくれる当時の関東軍は一早く情報を得て直ぐに退却し、満州開拓団で入植した皆さんは全く知らされないまま流れてくる噂話から得た情報で逃避行を続けました。
 そして、その逃避行は終戦記念日と云われる8月15日を過ぎた9月7日頃まで続きました。その間、親子バラバラになったり、途中でチフスなどの病気に罹り亡くなるなど悲惨な過酷な運命を辿りました。
 長野県は当時全国で最も多く開拓団を出した都道府県(約7%)という事は知られていますが、開拓団の中には中学生くらいの若者もおり、募集し、派遣した恩師の中には終戦後、悔いの言葉を残しています。
 私は東京代々木で対面の場に立ち会った事がありますが、孤児の皆さん、関係者の皆さんが戦後40年以上前の記憶を埋めようと真剣に聞き取りに応じている姿を目の当たりにしました。もう少し早ければもっと判明していたかもしれません。『時』は心を癒してくれるときもあり、残酷な結果となってしまうことがあります。
 未判明孤児の皆さんは、残留孤児の調査が始まった当時は、帰国する道はありませんでしたが、その後、特別身元引受人制度ができて新しい戸籍を得ることが出来帰国することが出来ました。
 身元判明調査が終わり、誰も関係者と名乗って来ない方もおりました。中国へ帰途する際、本当に悲しそうな顔を忘れることが出来ません。
 この事業を国に何度も何度も働きかけて実現した方がいます。自身のお子さんが残留孤児だった阿智村の故山本慈照さんです。
 この方がいなければ国は動く気配すらなかったと思います。詳しいことを知りたければ阿智村にある満蒙開拓記念館を訪ねてみてください。
 戦後の歴史の中で“戦後”という言葉がなかった人たちがいることを私たちは忘れない不断の努力が必要です。75年という歳月を経て、年老いた語り部の声に耳を傾けることが、次の世代に誤った方向に向かわないようにする私たちができることです。
 勇ましい言葉に惑わされない力を持つことが最近の世界情勢を見ていると必要と強く感じます。
 
   
  • LINEで送る


Posted by 大屋誠 at 13:18Comments(0)

2020年08月11日

夏の交通安全

 8日、夏の交通安全運動として町交通安全協議会の皆さんや木曽警察署、交通機動隊木曽分駐隊の皆さんとともに街頭で交通安全を呼びかけしました。
 例年ならば、赤沢自然休養林で開催している活動ですが、今年は、赤沢が7月豪雨の影響で通行止めになっているので、場所を変えての活動となりました。
 都市部での新型コロナ感染症が再度流行の兆しをみすせており、関係都道府県が自粛を呼びかけている中ですので、さすがに他県の方の訪れはいつもよりずっと少なく感じました。
 例年ですと、赤沢で冷えたキュウリと上松特産品の味噌を往来する皆さんにプレゼントするのですが、行来の激しい19号線ではそうも行きません。
 それでも、運転に眠くなる午後3時近くにこうした活動が眠気を覚ますものものとなってくれれば嬉しいです。
△当日は木曽警察署、交通機動隊木曽分駐隊と安協の皆さんと一緒に人波作戦で活動しました。





  
  • LINEで送る


Posted by 大屋誠 at 20:35Comments(0)上松町

2020年08月07日

嬉しいような、恥ずかしいような(ナイター野球初戦)

 6日夜、ナイター野球初戦が行われました。私は“”オールエラーズ“というチームに所属しております。就職して少し経った頃、今は亡き義兄に誘われて入ったので球歴は今年で46年間やってます。
 途中、長野に転勤した後も職場の仲間でやっていました。ポジションはピッチャー、キャッチャー、ショートなど、加えて外野と、要はどこでも出させて貰えれば良いということです。

△試合前の練習風景です。野球が出来る雰囲気皆さんを楽しんでいます。


 さて、今年の当町のナイター野球もコロナの影響で予定されていた開会式は行わず、最近になって試合のみが始まりました。その光景として変わったのは、以前は試合前に審判の前で整列して挨拶を行うのが、新しい生活様式ならぬ皆んなベンチの前に並んで挨拶した事です。
△プレーが始まりました。



 私も10番DHで登録され、打席に立ったのですが、2ボールの後、3球目を狙って打ちました。その結果、ピッチャーにも届かないゴロでした。その結果よりもショックだったのは走り出そうとした時よろめいて足が出ずに転んだことです。
 昨年のシーズン終わりからずっとしまっておいた塵が付いたグローブとバット、靴を慌てて出して来た結果といえば当然と言えば当然です。
 幸い怪我は無かったものの、若かった時のイメージとのギャップに愕然、そして審判やっているのが役場の職員だったのが輪をかけて恥ずかしい。昔、長打を打ってランニングホームランと本塁を狙った時に頭から滑り込んで後10センチ足らずに本塁前でアウトになったという苦い恥ずかしい私の球史の次に刻まれるプレーとなりました。
 役場チームとやるときはもっとコンディション整えて、職員の範となれるよう努めたいと思います。
 試合後、野球が出来る喜びを皆んなと共有できたことに感謝したいと思いました。

 追伸)
 試合中、大声を出すことも躊躇われます。私のような「口野球(くち野球)」でやるようなプレイヤーには難しいと思いました。ヤジを飛ばすのも野球の面白さですよね。  
  • LINEで送る


Posted by 大屋誠 at 10:43Comments(0)プライベート

2020年08月05日

支え合い商品券

 新型コロナウイルス感染症に対する経済的支援のため各家庭には既に「上松町地域ささえあい商品券」が書留で郵送されていますが、施設に入所されている方々に今日持参して各施設の代表者にお配りしました。
 介護保険・高齢者施設、障がい者施設、児童養護施設など町内にある各施設を回りましたが、新型コロナで落ち込んでいる町の経済を立て直し、地元のお店を使って町民の皆さんに元気を出してもらうための商品券です。
 ある施設では皆んなで美味しいもの食べたいねなどと話しておられました。使い道はそれぞれ自由ですので、有効期限内に使って欲しいと思います。
 
△児童養護施設の宮木園長さんにお渡ししました。



 宮木園長さんとの懇談の中で、ねざめ学園の改築について建設業者が決定したという話になり、学園が呼びかけたクラウドファンディング(注)が400万円を超えたという話がありました。
 当初は、集まっても150万円位かなという予想もしていたようですが、到達目標は500万円としたそうです。予想外の反響に驚くとともに、地元地区の皆さんや卒園生が協力してくれた事に本当に感謝したいと述べておられました。
 児童養護施設「ねざめ学園」が地元の皆さんと紡いできた絆がこうした形で結ばれている事を改めて感じました。「懐かしい学園の園舎が無くなるのは寂しいけど」と言いつつOB、OGが数万円単位で多額の寄付をしてくれたケースもあったとお聞きしました。
 学園ではこの寄附金で、何か上松町に相応しく残るものを記念として活用したいと話していました。目標にもう少しですが、まだ受け付けているとのことですので、ご協力頂ける方がおられましたらHPご覧ください。
 夏休みに入った園生が元気に挨拶してくれました。
(注)
クラウドファンディング
クラウド(群衆)とファンディング(資金調達)を合わせた造語。不特定多数の人が主にインターネット経由で寄付を呼びかけて財源の提供や協力を呼びかけること。*ウイキペディアより
   
  • LINEで送る


Posted by 大屋誠 at 11:56Comments(0)上松町

2020年08月04日

もう少しで再開園

 先の7月豪雨災害により、不通となっている赤沢自然休養林へ通じる道路について通行止め解除に係る打ち合わせがあるとの事なので現地に行ってきました。
 被災翌日から国有林を管理する木曽森林管理署や中部森林管理局に対応をお願いしてきました。また、復旧のために重機等機材が入れないので、そこに繋がる上松御岳線の幅の津地籍の道路復旧についても木曽建設事務所にお願いして早期に復旧する事が出来ました。
 しかしながら、崩落現場上部から湧出する水があり、通行するには安全をしっかり確認してからでないと出来ないため、現在まで通行止めを継続しています。現場の様子は職員から聞いていましたが、まだ湧水がずっと流れ出る状況が続いていました。

△赤沢と黒沢分岐から500m地点の現場です。土嚢の下部に湧水が見えます。


 森林管理署で土嚢を積んで頂いています。町がこの上に更に土嚢を積み上げ、安全対策を講じます。つい先日まで雨が降っていたので、復旧工事も湧水の状況を見ながらやっていました。
 今週末の3連休までには開通をと願っていましたが、現場の湧水が落ち着かなければ安全が図れないということで、この3連休に休日返上で対応し、確認後、お盆前の再開園をする様に準備しています。
 「夏の赤沢に遊びに来て」と言いたいのですが、この頃の新型コロナ感染症の状況ではなかなか声高く言えないのが現状です。
 でも、町内の方、県内の方など免疫力を高めるという赤沢の森林浴を少しでも楽しんで頂けたらと思います。
 なお、再開園については町の広報、観光協会のHPでお知らせしますので、お越しの際は是非確認の上お願いします。
 他に一箇所、土砂が道路に出て来ているところがありましたが、それもすっかり除去されていました。
△現場の様子です。



△赤沢自然休養林の園地は、あの災害が嘘のように、いつものとおり透き通った水が流れる様子を見せていました。



 ひのきに守られた森林は豪雨にも負けない強さを見せてくれました。

  
  • LINEで送る


Posted by 大屋誠 at 06:58Comments(0)上松町

2020年08月01日

盾と矛

 長かった〜、本当に長かった〜、そして九州から東北、全国津々浦々まで大きな被害をもたらした令和2年7月豪雨と名付けられた梅雨も今日8月に入ってようやく梅雨明けとなりました。
 その一方で、新型コロナウイルス感染症患者が全国各地で急激に増えています。

 国の危機を叫ぶ言葉として「内憂外患」という言葉がありますが、世界的な流行もみれば内憂外患プラスαというべき状況なのではないかと思います。プラスαはの意味は紛争、戦争では時として勝者や敗者がいるのに対して、勝者も敗者も、その存在が無いというのが今回の状況だからだと思います。
 世界のリーダーの真の力量が試されるときに、選挙事情などで自分のやったことに対して自分で賛辞を贈るという事があまりにも多いのではないかと感じています。
 また、毎日感染者数等が更新されますが、数値が本当の事なのか、隠されてしまう事がないのかなど国の体制によって大きく異なっており、そうしたことが一番怖いと思います。
 以前に取り上げた事がありますが、コロナ対策の難しさとしてアクセルとブレーキを同時に踏んでいる中で対応しなければならないという難しさの中で対応していく必要があると掲載した事があります。
 今、国では感染症流行への対策と経済の復興を同時並行にやっています。go to トラベルキャンペーンもその一つですが、タイミングの問題など様々な議論があります。
 私自身、そうしたことにこれが正解だと言えるものはありませんが、やはり正確な情報を出していただくことと、危機管理の一番重要なこととして、最悪のケースを想定して対応する事が必要と思います。
 ワクチンが数ヶ月で出来るということや何千万人に用意したとかは高病原性鳥インフルエンザ、いわゆる新型インフルエンザにおいても、以前、流行した事で話題となったマーズやサーズにおいても現状では残念ながら臨床までの段階に至っていないのが現実と聞いています。
 恐怖を煽ることだけでは何も解決出来ない事です。今はまさに中国の故事による盾と矛、いわゆる矛盾の中で一人ひとりが出来る事を確実にやることしかないのかと思います。
△今年も住民に知らせてくれた警報の役目を果たす木曽川の蛙(かわず)岩も少し小休止です。


 昔は岩の周辺にはアワブチと呼ばれた淵がありましたが、今では昭和58年災害の折だと記憶していますが埋まっています。また、蛙岩も少し上流側を向いていました。これも歴史です。
 
   
  • LINEで送る


Posted by 大屋誠 at 21:59Comments(0)上松町