2023年11月09日
上京シーズン始まる(その2 B&G子ども第三の居場所サミット)
7日、B&G財団が主催する「子ども第三の居場所づくり第一回サミット」が東京都神田で開催され出席しました。
この日は「子ども第三の居場所づくり」を進めている全国58市町村から首長他3役以上の方が出席しました。
日本財団の笹川会長から自らの生い立ちにも触れながら子どもの居場所がなくなって来ている事や開国時に外国から来た方が子どもを大事にする文化に驚き今ではそうした事が失われて来た。B&Gが国の先駆けとして行って来ており、まだまだ居場所づくりを進めていきたいと熱く語っておられました。
△笹川日本財団会長

また特別基調講演として前明石市長泉房穂氏が子どもを中心に据えた日本を創っていかなければならないと自らの市長時代の経験も踏まえて一時間の講演を速射砲にように熱く語って頂きました。
△泉房穂さんの講演

また、この日は第一回という事で、会長、副会長を選出しました。
レセプションでは財団の外部理事をしている皆さんから挨拶があり、上松町にもお越しいた頂いた事があるシドニー五輪の銀メダリスト競泳の中村真衣さんが自らがお母さんが一人で育ててくれた事にも触れながら「この様な居場所が子どもの時にあったら、でも競泳があって友人に出会えた」など話されました。
中村さん本人に紹介の承諾を得に行った時、久し振りにも関わらず覚えて頂いており快諾して頂きました。
△中村さん。今は大阪に活動拠点を構えて活躍されています。

この日は「子ども第三の居場所づくり」を進めている全国58市町村から首長他3役以上の方が出席しました。
日本財団の笹川会長から自らの生い立ちにも触れながら子どもの居場所がなくなって来ている事や開国時に外国から来た方が子どもを大事にする文化に驚き今ではそうした事が失われて来た。B&Gが国の先駆けとして行って来ており、まだまだ居場所づくりを進めていきたいと熱く語っておられました。
△笹川日本財団会長

また特別基調講演として前明石市長泉房穂氏が子どもを中心に据えた日本を創っていかなければならないと自らの市長時代の経験も踏まえて一時間の講演を速射砲にように熱く語って頂きました。
△泉房穂さんの講演

また、この日は第一回という事で、会長、副会長を選出しました。
レセプションでは財団の外部理事をしている皆さんから挨拶があり、上松町にもお越しいた頂いた事があるシドニー五輪の銀メダリスト競泳の中村真衣さんが自らがお母さんが一人で育ててくれた事にも触れながら「この様な居場所が子どもの時にあったら、でも競泳があって友人に出会えた」など話されました。
中村さん本人に紹介の承諾を得に行った時、久し振りにも関わらず覚えて頂いており快諾して頂きました。
△中村さん。今は大阪に活動拠点を構えて活躍されています。

Posted by 大屋誠 at
10:45
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2023年11月09日
桃山発電所100周年
上松町倉本地区にある“関西電力桃山発電所”がこの度建設から100周年を迎えたということで記念式典がありお招きを頂いたので参列しました。
発電所の名前の『桃山』の由来は木曽川の電力開発を進めた福澤桃介の“桃”に由来するとの事で、木曽地域で4番目に建設されたそうです。
建設に当たっては当町の名勝である寝覚の床の上流地点も検討されたそうですが、景観などを考え下流のこの地に決定したとの事を初めてお聞きしました。
上流に建設されていれば今の寝覚の床の水量は少なく全く違った様相となっていたのは必然です。今では景観や環境などが大きくクローズアップされますが、当時の関係者の皆さんに感謝です。
そして、関西電力さんが行って来た電源開発は木曽地域の歴史と切っても切り離せません。木曽川の水利を使って優良材の木曽ヒノキを伊勢湾まで流して全国の寺社仏閣に使っていた時代から近代化を告げる電力開発に代わり、産業を支え、人々の暮らしを一変させました。
その歴史の中に、この桃山発電所があり、そして今でも現役で稼働している姿、そして持続可能な社会づくりという現在の時代にあってその先端として活躍している事は大変意義深いものだと思います。そうしたことに触れながら挨拶させて頂きました。
この発電所の姿はネオゴシック様式の物だということで、設計者はヨーロッパのライン川を木曽川に、更に中世の古城をこの桃山発電所を見立てたという事を初めてお聞きし、昔、オランダからドイツに行った時に見たお城の風景がいやに懐かしく思ったのはそのせいかと納得しました。
ほぼ上松町と同じ時代を経た貴重な財産であり、これからも現役で稼働している桃山発電所がいつまでも愛される施設として更に歴史を重ねて頂きたいと思いました。
△100周年を記念して作成されたパネル

発電所の名前の『桃山』の由来は木曽川の電力開発を進めた福澤桃介の“桃”に由来するとの事で、木曽地域で4番目に建設されたそうです。
建設に当たっては当町の名勝である寝覚の床の上流地点も検討されたそうですが、景観などを考え下流のこの地に決定したとの事を初めてお聞きしました。
上流に建設されていれば今の寝覚の床の水量は少なく全く違った様相となっていたのは必然です。今では景観や環境などが大きくクローズアップされますが、当時の関係者の皆さんに感謝です。
そして、関西電力さんが行って来た電源開発は木曽地域の歴史と切っても切り離せません。木曽川の水利を使って優良材の木曽ヒノキを伊勢湾まで流して全国の寺社仏閣に使っていた時代から近代化を告げる電力開発に代わり、産業を支え、人々の暮らしを一変させました。
その歴史の中に、この桃山発電所があり、そして今でも現役で稼働している姿、そして持続可能な社会づくりという現在の時代にあってその先端として活躍している事は大変意義深いものだと思います。そうしたことに触れながら挨拶させて頂きました。
この発電所の姿はネオゴシック様式の物だということで、設計者はヨーロッパのライン川を木曽川に、更に中世の古城をこの桃山発電所を見立てたという事を初めてお聞きし、昔、オランダからドイツに行った時に見たお城の風景がいやに懐かしく思ったのはそのせいかと納得しました。
ほぼ上松町と同じ時代を経た貴重な財産であり、これからも現役で稼働している桃山発電所がいつまでも愛される施設として更に歴史を重ねて頂きたいと思いました。
△100周年を記念して作成されたパネル

Posted by 大屋誠 at
09:30
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