2023年11月22日

エイタ‼️エイタ‼️(上松出身プロレスラー 再度凱旋)

 11月18日、上松町出身でプロレス界で活躍する“エイタ”選手が2019年に続き再び上松の地に凱旋しました。
 2019年に凱旋を果たして以来、実に4年振りの凱旋帰郷となりました。前回の時の最後のマイクパフォーマンスで『俺は二度とこんな小さな町には帰って来んぞ‼️』と言っていましたが、今回は本人の熱い思いもあり、有志で結成するアミーゴ会の皆さんの実行委員会を組織して招致に至ったものです。
 今回、前回と違った点はエイタ選手が所属する団体が“ドラゴンゲート”からNOAHという団体に変わったことです。ドラゴンゲートも人気団体でしたが、NOAHは新日本プロレスから二代目タイガーマスクして知られる故三沢光晴さんが起こした老舗の大手団体です。
△試合が始まる前の会場に飾られた花籠の数々


△ゴング横で選手紹介をするリングアナ


 どこかで見た人なんだけど全然思い出せん。と思っていたら、タレントのセインカミュさんだと帰ってから家人から教えてもらいました。
 会場には40を数える花が綺麗に飾られていましたが、この後、メインイベントで粉砕されました。
△ゴングが私の横にあり鳴るたびにビックリ


 試合が始まると技の掛け合いの速さになかなか着いて行けません。
△会場の観客を煽るレスラー


△鍛えられたレスラーの技の応酬


 最後のメインイベント6人タッグマッチでエイタ選手がコールされると館内の声援のボルテージはヒートアップし、エイタコールが止みません。館内には遠く広島や首都圏、千葉県など遠方から見えられている方もおり熱狂的なファンがいるようです。
 私も実行委員会からフラワープレゼンターを頼まれ、同級生らと一緒に贈呈させて頂きました。
△記念の一枚


 この後、直ぐに私たちはリングの外に出たのですが、自席に戻る前には花束で対戦相手がエイタ選手側に殴り掛かるという暴挙(恒例のパフォーマンス?)に出ました。
 また、レフリーにも襲いかかりレフリーも場外に投げ出され、うずくまったままダウン、その間約3分にも満たない時間でリングアナが相手側の『反則負け』を宣告しました。
 意気揚々と帰るヒール役の3人が入場口に消えて、エイタ選手もダウンしたまま、プロレスはショー的な要素がありますが、この展開の行方をハラハラして見ているとエイタ選手が『こんな事で俺の凱旋を終わらせるか〜』と入場口に消えた三人を追って消える見えない所でガタガタ言った後にエイタ選手が一人の首根っこを腕に挟んでリング上に戻ってきました。
 いつの間にか代わりのレフリーもリング上におり、試合が再開されましたが、相手の攻撃がエイタ選手に集中するハラハラの展開となり、リング外に飛ばされると安全用に敷いてあるマットをわざわざ剥いで体育館の床に直接叩き付けるという、思わず『痛っ』と叫んでしまいました。
 そして場外にも飾ってあった花にも容赦無く粉砕していきました。少し前まではエイタ選手もヒール(憎まれ悪役)をやっていたとの事ですが、その迫力はいくら鍛えていても一歩間違えば大怪我に繋がります。
 最後はリング下で疲労困憊の様子であったエイタ選手が復活してリングに上がり、スリーカウントでの勝利という理想的な展開で試合は終わりました。
 最後のマイクパフォーマンスでエイタ選手は「上松町で有名なプロ選手は三田陽介(J3長野パルセイロ)か!、御嶽海か!違う‼️この俺だ!」叫ぶと会場は割れんばかりの拍手に包まれました。
 三田君は上松中学校卒業の一学年下で、御嶽海も同じく上松小学校卒業の一学年下です。競技は違うとはいえプロ3人が活躍しているのは町を明るく元気にしてくれます。
 お父さんが私の近くで観戦しており、試合中、じっと心配して祈るように見つめている様子がとても印象的で、試合が終わった後のホッとした気持ちが伝わってきました。お母さんは子どもが熱を出したという事で看病で途中でお父さんと交代という事でしたが、観ていたら卒倒して気絶したんかもしれないと思ったくらい迫力満点の試合でした。
 エイタ選手は最後に4年後の再々凱旋を宣言して去って行きましたので、怪我の無いように更に大きくなって上松に帰ってきて下さい。
 年齢を重ねるとこうしたドキドキ感を忘れていたような気がします。久し振りにストレス発散できました。
 
  
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Posted by 大屋誠 at 16:42Comments(0)

2023年11月22日

上京シーズン2(その4 木曽南部直轄砂防要望)

 上京の大会の合間を縫って木曽南部直轄砂防推進協議会の要望活動を実施しました。
 木曽南部直轄砂防推進協議会は木曽南部の砂防事業を推進するため組織され、毎年この上京シーズンの時期に合わせて国土交通省、財務省、関係団体に中央要望活動を実施しています。
 推進協議会と木曽南部土砂防災ネットワーク議員連盟が共同しての要望活動で10月27日に実施した中部地方整備局、多治見砂防国道事務所への要望活動に繋がるものです。
 16日には全国治水砂防協会を訪問し大野理事長さんに要望書を手交しました。
△私の横の真ん中が大野理事長さん、左側永井議長の横が岡本副会長さんです。


 17日には国会議員、財務省を訪れました。地元国会議員の後藤茂之衆議院議員には大変お忙しい中、時間をとって頂き要望書を提出しました。
△後藤衆議院議員を囲んで。


 その後、財務省に出向き主計局の尾崎主計官に面談して要望書を手交しました。
△尾崎主計官を囲んで。


 私からは事業を早期に推進するためにも、現場の職員数の充実が必要であり、多治見砂防国道事務所上松出張所の1名体制から更なる充実をお願いしたいと特に要望しました。
 木曽南部直轄砂防の事業地は木曽山脈の西側に位置し、近年花崗岩の風化が著しく、危険なためできる限り早い着工と竣工をお願いしたいと現状を訴えて要望活動を終了しました。
 これで本年度の要望活動は全て終了しました。先週は夏日で、木曽に帰ったら寒い、そして再度上京した時も同じような状況であるとともに、加えて地下鉄や施設内は暖かく、外に出たら寒いという事の繰り返しで非常に体調のコントロールが難しいと思っていたら、案の定、熱は36度前後で、発熱は無いものの鼻づまりの風邪から少し経って咽喉が痛むなどの症状が出てダウンまではいかないものの2〜3日少し不調でした。
 現在はすっかり復調しましたが、皆さんこれからはそうした寒暖の差が激しくなりますのでご自愛ください。

  
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Posted by 大屋誠 at 16:13Comments(0)

2023年11月22日

上京シーズン2(その3 全国治水砂防促進大会)

 16日、全国治水砂防協会が主催する「全国治水砂防促進大会」が開催され出席しました。
 毎年全国から市町村長が参加しますが、長野県からの参加者は一番多いそうです。それだけ急峻な地形に加え、砂防の有する重要性を一番感じている県だからこそと感じます。
 大会の特別講演では静岡大学防災総合センター牛山副センター長さんが『洪水・土砂災害は起こりうることが、起こりうる場所で』と題して講演がありました。
 また、講演として国土交通省草野砂防部長さんから「『いのち』と『くらし』と『みどり』を守る砂防」と題して令和5年の土砂災害の現況について死者8名、負傷者17名、家屋全壊23戸など説明がありました。
 また、平成29年以降に砂防施設として整備した砂防堰堤が19箇所で効果を発揮した事例の紹介もありました。
 被災地の意見発表として福岡県朝倉市林裕二市長さん、長野県茅野市今井敦市長さんから発表がありました。
 今井茅野市長さんからは『下馬沢川土石流災害における避難対応について』発表があり、令和3年9月に発生した土石流災害において一人の犠牲者も出さなかったことにも触れ、子どもたちも巻き込んだ普段からの訓練の重要性について説いておられました。
△大会の様子


△今井市長の意見発表


 大会後、それぞれの地域の出身国会議員に要望書を提出しました。  
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Posted by 大屋誠 at 12:09Comments(0)

2023年11月22日

上京シーズン2(その2 危機管理トップセミナー)

 全国町村長大会を午前中に終え、次に総務省消防庁主催の『全国防災・危機管理トップセミナー』に参加しました。
 このトップセミナーは主として災害時等の危機管理における首長の対応について実際に被災した方々からその体験談を生の声で聞くことができる貴重な機会です。
 災害時、或いはそれが起きる前の市町村長の責任・心構えについてはこのセミナーでしっかりと研修させていただきました。
 今でも出張時の背中のバッグには全町の地図と木曽郡の地図を持ち歩いており、私の不在時に緊急事態が発生した場合、『災害対策本部は立ち上げを了承したか』、『災害対策本部の設置時刻の指示または確認を行なったか』など10項目の指示すべき事項を記したメモを免許証に挟んでいて、いざという時に備えています。
 幸い未だにそれらは使われた事はありませんが、いつ何が起きるか分からないのが現実です。
 そう言えば、このセミナーを始めて受けた7年前の町長就任直後、北朝鮮からミサイルが発射され、始めてJアラートが全国に発した時に、当町でJアラートが作動しなかった事がありました。その時に思い出したのはこのセミナーでの危機管理に当たっては、『先ずは首長が直接住民に語ることが重要』という言葉を思い出したから直ぐにアナウンスしました。
 その時のセミナーの一番最後にJアラートについての説明がありましたが、「それで私はどうすりゃいいの??」という疑問を抱えたままで帰って来ました。
 その1〜2週間後に起きたJアラート事件で、NHKニュースの全国版で作動しなかった町村として3市町村が実名で報道され、当町が取り上げられ報道各局が一斉に集まって大変でしたが、住民に直ぐ町長が呼びかけたということが逆に評価されての取り上げ方でしたのでホッとした事を今でも覚えています。
 危機管理は対応が一度遅れれば、後手後手となってしまうという事となり、重要な事実関係よりもそれ自体が問題となり得ます。
 今回のトップセミナーでは千葉県鋸南町の白石町長さんが令和元年15号台風災害時を通じて感じた事を講演していただきました。
 白石町長さんは災害を通じて“町長として感じたこと”として大きく4つの事を挙げておられました。
 『情報の重要性』町長としての強い意志と明確な指示、『全員でやる、全員がやる、全員にやらせる』チーム感、一体感の醸成、『積極的に外部の力を活用』、『不安は大敵』町長は明朗、鷹揚に構えるという事でした。
 示唆に富む話があり、いざという時に役立てるよう、私自身も更に研鑽しなければと感じたセミナーでした。
△トップセミナーの様子。白石町長さんの講演



 
  
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Posted by 大屋誠 at 11:23Comments(0)