2024年05月26日

赤沢を満喫(信州木曽・上松 赤沢森林浴大会)

 26日、赤沢自然休養林において第67回赤沢森林浴大会が町観光協会主催で開催され、来賓としてお招きいただき出席しました。
 この時期はちょうど梅雨入りの時期で毎年天候が心配されますが、今年は曇り空ながら暑くもなく、寒くもなく心地よい風が園内を吹き抜ける中でに大会となりました。
△参加者の受付風景


 今回の参加者は人数は18人と少なかったものの、東京や栃木県などの関東圏から、愛知県からの参加者もおり遠路から参加して頂きました。
△会場には協力頂いている朝日新聞社さんの旗と木曽ひのきの里 上松の横断幕が迎えます。


 ちょうど7〜8名程度の班分けとなりましたので、園内をガイドしてもらいながら、分からないことなどを聞くにはちょうど良い人数だったかもしれません。
 森林浴大会はこの春の時期と紅葉を迎える年2回行われますが、秋の方が人気があるようです。澄んだ空気を吸い、全身にフィトンチッドを浴びる森林浴は春の新緑の季節も捨てがいものです。
 この大会では、普段は立ち入り禁止となっている『千本立(せんぼんだち)、『奥千本』と呼ばれるひのきの美林に木曽森林管理署のご配慮により立ち入れることです。
△開会式が終わり各班に分かれて出発


△森林鉄道に乗車して丸山渡まで行きます。


△途中でガイドさんが普段は見落としそうな植物を説明してくれます。


△途中で天然林に特徴である立派な『根上がりの木』を見つけました。


 巨石の上にヒノキの種が落ち、稚樹となって岩全体を覆うように育った木がありました。
△岩を掴む木


 約1時間ほどで『奥千本』に着きました。ヒノキが文字どおり林立する様は圧巻です。
△木立を見る参加者


 『奥千本』は千本立から少し奥まった所にありますが、ここで昼食となりました。美味しい空気と一緒に食すお弁当は何よりのご馳走です。
△私のお弁当


 奥千本は標高1,240mの所にあります。この辺りはかつて伊勢湾台風により風倒木が多く発生した尾根近くにあります。
 安土桃山時代から江戸初期にかけて築城、寺社仏閣造営ブームとなった頃、木曽の山が良材という事で“強度の伐採”が行われました。約8割程度伐られてしまったと聞いたことがありますが、江戸の初期に尾張藩の治めるようになってから保護されて今の美林があります。その歴史を紹介する案内板もありました。
△案内板と周辺の伐採跡




 約4時間ほどの行程でしたが、ゆっくりと自然を満喫出来た1日でした。
 遊歩道にはヒノキやサワラ、アスナロの樹の根が張り、足下に気を付けなければならない場所がありましたが、皆さん怪我もなく無事出発地に帰って来られました。
 お疲れ様でした。
 追伸)
 秋の大会は、10月6日(日)に予定されています。また、前日5日(土)には全国森林鉄道サミットが開かれる予定で準備が進められています。


  
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Posted by 大屋誠 at 19:03Comments(0)上松町

2024年05月23日

木曽郡文化財保護連絡協議会総会研修会

 21日、公民館で木曽郡文化財保護連絡協議会総会研修会のご案内を頂き出席しました。参加者の皆さんは午後から当町の文化財である東野阿弥陀堂を訪れて研修され、その後、公民館で研修会総会に参加していました。
△研修会の様子


 この日の研修は民俗学の見地からの講演でしたが、私はその前に会議があり、研修の途中で入っていきましたので全部講聴出来ず、民俗学好き、歴史好きの私にとって残念でした。
 参加者の皆さんは熱心に聴いておられました。総会の来賓挨拶で私から「文化財には皆さんご承知のとおり有形文化財、無形文化財があり、人口が減少し、若者が居なくなると、とりわけ無形文化財を保護することが難しくなる」、「文化財は私たちに先人が残してくれた想いであることからどうにかして残して行く必要があり、私たちが問われている」と話させて頂きました。
 私たちの祖先がどんな思いで暮らして来たのか、その歴史の中で私たちが忘れてしまった事を文化財は問うているのかもしれません。
  
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Posted by 大屋誠 at 08:41Comments(0)上松町

2024年05月21日

町の発掘文化財

 20日夜に会議があり公民館に行きました。玄関を直ぐに入って左側の展示室に町内で発掘された縄文式土器やヤジリなどが展示されているのを見つけて入ってみました。
 上松町内でも吉野地籍、宮前地籍など多くの遺跡があり、そこからは縄文式土器、ヤジリなどが出土しています。縄文時代にもこの上松に人が住んでいて狩猟生活をしていたと思うと心が躍る気がします。
△町内で発掘された縄文遺跡の数々




 また、日本最古のクリといわれるものが出土したという画期的なものもありますが、実物は今回展示されていませんが、それを紹介するポスターがありました。
△日本最古のクリ紹介


 今ではクリは珍しいものではありませんが、気候変動によって北上してきたのかは確かではありませんが、発見された中では日本最古だと云います。ヤジリを使った狩猟生活に合わせてクリなどの木の実も食していたかもしれません。
 縄文から稲作の始まる弥生の間についてはまだまだ未知のものがあるとの事ですが、この上松にそうした文化が昔からあったということは何か誇らしい気がします。
 これらの土器等は普段は公民館の地階に収蔵されています。ご覧になりたい方は公民館にお問い合わせいただきお早めにご覧ください。

  
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Posted by 大屋誠 at 09:29Comments(0)上松町

2024年05月19日

令和6年木曽郡植樹祭(南木曽町 柿其)

 17日午前 、南木曽町柿其(かきぞれ)渓谷の国有林内で『木曽郡植樹祭、長野県植樹祭(木曽会場)』が行われ参加しました。
 会場は南木曽町の十二兼の国道19号から30分ほど谷合を登った所で私自身は初めて行く場所でした。
△受付の様子です。


 会場は杉の木を伐採した所の一帯で式典と作業が行われました。昨日の夜まで降っていた雨もすっかり止んで気持ちのいい五月晴れの中での式典となりました。
△参加団体のフラッグが気持ち良い風を受けてなびいています。


 遠くは木曽広域連合と森林整備連携協定を締結している愛知中部水道企業団の皆様、南木曽小学校みどりの少年団、日頃から森林や自然の事を学び実践しているサークルの皆さん、国・県行政関係や森林組合など関係団体約170人が参加され盛会な植樹祭となりました。
△地元南木曽町向井町長さんの挨拶


△式典演台は木曾五木で作られています。左からひのき、さわら、ねずこ、こうやまき、あすなろです。


 この日の植樹作業は杉の幼木を会場周辺に植えていきましたが、みどりの少年団の皆さんも元気に植えていました。
 作業は杉の木を植え、上からシカの食害を防ぐ袋をかけて行きます。
△この木が育つ頃には皆さんも立派な大人になっているものと思います。




△記念の標柱を関係団体の代表者で立てました。


 携帯電話の電波も届かない所なので、心配された怪我も無く作業を終了することができました。
 終わりの会で南木曽小学校みどりの少年団の代表の児童が宣言を読み上げ無事式典は終わりました。
△宣言を読み上げる児童



 おまけ)
 帰路に着いて林道を走っていると途中ヨーロッパ系の方がグループで歩いていました。車でも約20分かかる道、しかもこの先には何があるのか地元の私たちにも分からない場所です。後から郷原森林管理署長さんにお聞きすると、この先は天然公園から田立の滝に繋がっているとの事、どうしてそんなルート知っているのかと一同びっくりでした。
 インバウンドの情報収集力は凄いものと改めて知りました。

  
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Posted by 大屋誠 at 17:54Comments(0)上松町

2024年05月18日

養護老人ホーム“木曽寮”新たな歴史刻む

 先月19日に予定されていた老人ホーム“木曽寮”の開所式セレモニーが入所者に風邪が流行った事から中止となりましたが、後藤茂之衆議院議員(元経済再生大臣)が訪問するという事から茶話会も兼ねて行うので地元町長として出席をと木曽社会福祉事業協会から連絡があり急遽駆け付けました。
 茶話会が行われた食堂には入所者の皆さんが集まり、流行っていた風邪も収まり元気な様子でした。
 環境が変わったので、新しい寮生活に馴染むのかなどに一抹の不安もありましたが、皆さん元気な様子でホッとしました。
 利用者には、私の知り合いの方もおり「奥さんによろしく」など声をかけて頂きました。後藤代議士も一緒に撮影して欲しいとの依頼に気軽に応じ、臨時『撮影会』のような雰囲気で和やかな茶話会となりました。
△挨拶の様子。中央が後藤代議士、向かって右側が田上昭彦理事長さんです。




  
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Posted by 大屋誠 at 06:03Comments(0)上松町

2024年05月18日

能登へ(第三次 支援チーム派遣)

 当町から能登半島地震災害対応支援チームとして第三次となる二人の職員を派遣する事なり、それに当たって激励しました。
 既に発生から5ヶ月半となり、通常なら復旧から復興への道筋を示す段階に入ってくる時期ですが瓦礫の撤去も進んでいないと聞きました。
 何故そんなに遅いのか不思議に思っていたところ、一つの例ではそれぞれの建物の鉄骨の処理量が確定できていないために瓦礫の撤去が出来ないでいると聞きました。
 本当?と思わず突っ込んで聞きたくなるような事です。どうも緊急事態にも関わらず平時の対応で事が進んでいるのかと思いました。
 瓦礫の中で避難生活を余儀なくされている皆さんにとって1月1日の当日のままの町の姿を毎日見て暮らすことの辛さに心が痛みます。
 そんな中に若い二人の職員を送り出しますが、二人にはしっかりと被災地の現状を見て住民に長野県の木曽上松町も支援している事を伝えて欲しいと言葉を伝えました。
 また、地震発生から5ヶ月以上経っているが、余震にも十分気を付け、長距離の往復の運転にも気を付けてと激励の言葉を送りました。
△激励の様子


 若い職員にとって貴重な体験になるものと思いますが、無事初期の目的を果たして元気に帰って来てください。
 玄関から職員の拍手に見送られ、二人は元気に出発しました。


   
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Posted by 大屋誠 at 05:33Comments(0)上松町

2024年05月14日

大火記念日行事(模擬火災訓練)

 昭和25年5月13日夜に発生した、後に“上松大火”と呼ばれる火災は折からの強い北寄りの風により瞬く間に役場、郵便局などの官公署を含む615戸が焼失した上松町史史上最大の災害となりました。
 これだけの大きな災害であったものの死者は出なかった事が幸いでした。しかしながら、当時の記録映像を見ると焼け跡に立ち尽くした町民の絶望的な姿は察するに余りある光景でした。
 あれから74年の歳月が流れました。町ではこの教訓を忘れないようにするため、5月14日を『大火記念日』と定めて模擬火災訓練を毎年実施してきました。近年は消防団員の仕事の関係もあるので、その日近くの日曜日に行われています。
 12日、その訓練が実施されました。訓練場所は下河原地籍に新しく完成した老人ホーム「木曽寮」の付近でした。
 下流の諸原橋の木曽川から取水してホース延長していくのには大変な労力が必要です。
△諸原橋の取水


△貯水槽に一旦水を貯めて一方で放出して送ります。


 道沿いに延長したホースを見ると先が遠い所にあることが分かります。手際よく延長するにはホースの持っていく先が自分の足で何歩で行くかなども考えて延長して行く必要があります。
△延長したホース


 また、機械操作者との連携、相手が見えないところで無線での円滑な情報提供収集、そして指示が的確でなければなりません。
△出動した消防車


 延長したホースの先では火先担当の団員が放水していました。
△黒い消防服は広域消防の皆さんです。今年も参加して頂きました。広域消防も女性署員を募集しており、この日は一名が出動していました。


 訓練後、諏訪神社で“鎮火祭”が行われました。挨拶の中で先の能登半島地震の際の輪島市の火災に触れ、消防設備や機材が近代化してきても、何が起こるか分からない事がある。そうした事態に対応するのが今日のような訓練であることと編成式で新たな団員となった方、また幹部として任命された方にとってもこの時期の訓練は有意義なものであると話させて頂きました。
 公民館の駐車場では火災の煙体験テントがありました。出てきた皆さんは口々に『本当に何も見えなかった』と云っていました。
 私も以前に体験したことはありましたが、久し振りにと思い、入りましたが本当に見えませんでした。煙は甘い良い匂いがしていましたが、これが実際の火災ではビニールや化学品の焼けるものとなるので改めてその怖さを知りました。
△体験テント




 今年こそは無火災でと気持ちを新たにする訓練となりました。
 明日からはポンプ操法訓練が始まります。消防団員の皆さんには体調管理には気をつけてください。
  
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Posted by 大屋誠 at 07:21Comments(0)上松町

2024年05月09日

観光地域づくり計画事業報告会・説明会

 9日、観光を通じて持続可能な地域づくりを模索する『観光地域づくり計画事業報告会・説明会』が役場大会議室で行われ参加しました。
 昨年1月に全国31地区で民泊事業を展開するNOTEさんと関西電力の子会社であるKANSOさんとの間で三者による包括連携協定が結ばれました。
 今日は、令和5年度において観光地域づくり計画の策定に向けて基礎調査などを行ってきた結果の報告と令和6年度の計画策定の説明がありました。
 また、藤原社長さんから『上松町における今後のまちづくりの方向性』と題し、京都の丹波篠山市の取組み事例の紹介がありました。
△藤原社長の話


 『危機感ありますか?』、『最後のチャンスかもしれない』というインパクトのある言葉は恐らく社長さんがその覚悟を求めたものと思います。この日は行政職員がほとんどでしたので、職員に向けての言葉として捉えた人が多かったかもしれませんが、今後“地域づくり開発会社”を立ち上げていく際には、観光協会、商工会、金融機関、地域業者、建物所有者など町全体で取り組む必要がある事から町全体に投げ掛けられたものと思いました。
 丹波篠山もそうですが、20〜30年かけての長年の取り組みが実を結んで現在があります。上松町の未来をかけたプロジェクトとなります。  
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Posted by 大屋誠 at 16:00Comments(0)上松町

2024年05月06日

猟友会上松支部総会

 GWもあっという間に残すところ2日となった5月5日、午後から木曽猟友会上松支部通常総会があり、ご案内を頂いたので出席しました。
 猟友会の皆さんには有害鳥獣被害対策実施隊などで御協力を頂いています。クマの出没時などには緊急で出動して頂くことに加え、銃器を扱い時には襲われる危険性もあります。
 人口が少なくなり鳥獣への圧力が減る中で、年によっては山に主食となる木の実が不作の場合には人家近くに出没するケースがあります。
 人家に出没するや目撃情報が増えたことが即、個体数が増えたと考えることは出来ないと研究者の方に聞いた事があります。
 昨年、秋田県を中心とした東北地方で人が襲われた事件が多発したことは以前のブログでも紹介しましたが、人が生息地である山に山菜取り等で入ることによって起こる事件、エサとなる木の実などが無い時期や不作の年にエサを求めて人里に来て遭遇して起こす事件などケースは様々です。
 子連れのクマは一番危険である事は聞いた方もあると思いますが、私自身も実際に体験した事があります。と云ってもクマの姿は見え無かったのですが、逆にそれが一番危ないケースです。
 家族とキノコ取りに出かけて、人家が直ぐ近くにある場所に入ってキノコ取りに夢中になっていた時、左から20〜30メートルくらいの所から「キャン、キャン」という犬の鳴き声らしきものが聞こえました。『こんな山に子犬でも連れて来たのかな〜?』と思っていたところ、今度は反対の右から「グ〜!グ〜!」と地の底から響くような唸り声が聞こえて来ました。
 クマだ!と直感した私、しかも子連れ!芸人さんではありませんが、『ヤバいよ、ヤバいよ』と心で叫びながら同行した人の名前を大声で呼びながらその場を後にしようとしたところ、唸り声と犬の声はいつの間にか無くなっていました。
 慌てて去ろうとしたので、木の股に引っかかって抜けなくなり気はせくもののやっとの思いで抜いてすぐ近くの道路に出てきたという苦い思い出があります。
 姿を見てないからクマじゃなかったんじゃないと思う方もいると思いますが、何年か後になって同じような唸り声を聞いた時にはクマの黒光りするお尻をハッキリと見たので間違いではなかったようです。
 こうした体験を通じてみると、昼間であっても、近くに人家があっても、道路の近くであっても潜んでいる事があることが分かりました。またむやみに人を襲う事はなく警戒の唸り声を発する事で自分のテリトリーに入って来るなと言っているような気がする体験でした。
 昔の山伏や修験者が山に入る時に柏手をうち、錫杖という音のなる物を杖代わりに持っていたのも動物との接触を出来るだけ避ける意味があるのかもしれません。
 猟友会の会議のたびにそうした体験を思い出しますが、急にクマに遭遇した場合には『死んだマネ』は絶対やらない方が良いそうです。そして背中を見せて逃げても追って来て襲われるそうですので、じっと見ながら後退りするのが一番との事です。
 クマにとっては私たち人間は宇宙人のような存在で遭ったら怖くて襲ってしまうケースが多いのではないかと思います。
 ただ秋田県のようなケースは人を襲うことを憶えて人が食糧を持っているような事があれば学習能力の高いクマは再びそうした事件を起こす可能性が高まると専門家に聞いた事がありますのでそうした場合は対応しなければなりません。
 長野県はクマとの共生を通じて自然保護をするため、『お仕置き放獣』をして来ましたが、その方針を変えるのかが注目されています。
 猟友会の会合のたびにそんな体験を思い出します。
△大会の様子。挨拶する武居会長さん。


  
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Posted by 大屋誠 at 07:40Comments(0)上松町

2024年04月28日

長野パルセイロ“三田選手”応援

 この日のメーデー終了後、上松中学校OBでサッカーJ3の長野パルセイロで活躍する三田尚希選手の応援に長野市にある長野Uスタジアムに出掛けました。
 この日は地域総合型スポーツクラブ“木曽ひのきっ子ゆうゆうクラブ”の皆さんの応援ツアーがあるという事で同行したかったのですが、出発時刻がメーデーよりも早かったので別行動となりました。
 会場に着くと早速、場外にも響く太鼓の音と歓声が聞こえて来ました。
△受付では手際よく来場者を迎えていました。ボランティアの方も多いと聞いていましたが、こうした皆さんが支えてくれています。


 町から応援に来た皆さんと早速合流する事が出来ました。ホームチームのサポーターの横の席でしたが、一時間前にも関わらず会場は大盛り上がりでした。
 つい先日のルヴァンカップでJ1の京都に同じ会場で勝利したので、サポーターの気持ちが乗っているのが肌で感じられました。
△こんな様子です。


 片や今日の相手のギラヴァンツ北九州のサポーターの応援は人数は少ないものの、遠い長野まで来ての応援は筋金入りの猛者と見受けました。
 試合開始前からホームサポーターが盛り上げますが、一緒に行ったツアーの皆さんは最初はちょっとだけ雰囲気に飲まれている気がしましたが、徐々に慣れてきました。
 試合は北九州にゴール前の混戦から先取点を奪われる展開となりましたが、時間帯も前半の5分すぎと早かったので何とかしてくれると思い、逆にサポーターのボルテージが上がります。
 するとその応援に奮起したのか怒涛の攻撃が始まり、3得点で試合をひっくり返す展開となりました。
三田選手は得点こそなりませんでしたが、現在得点王争いのトップを走っている浮田選手のゴールも見られました。
 後半に入ると北九州にほとんどボール支配される展開となり、1点差に詰め寄られるヒヤヒヤのでした。後半最後にアディショナルタイムが『5分』と掲示された後の時間がとても長く感じられました。
 三田選手は後半の終了間際に交代しましたが、連戦でほとんどフルで出ているので、いつものようなキレがなかったのかなと彼の中学校時代から見ている私としては感じましたが、それでも球際にスルスルと寄っていく姿は彼らしいプレーと思いました。
 チームのメンバーが皆んなが競技場を去った後、再び私たちの前に帰って来てくれました。スタッフを連れて記念写真を一緒にしてくれました。
△みんなと一緒に


 会場を出る際に長野パルセイロの今村俊明社長さんとお会いする事が出来ました。その際に「三田君は本当に素直ないい若者です」と仰って頂きました。
 またツアーにはご両親と奥様がお子さん連れで挨拶に見えられました。
 このように愛されている彼が上松中学校出身という事に少し?いや本当に誇らしく嬉しい限りです。
 この日のビールは暑い会場の後と、勝利の美酒で一際美味かったのは言うまでもありません。
 大相撲の御嶽海関、プロレスのエイタ選手、そして長野パルセイロの三田選手一つ違いの若者の活躍をこれからも応援して行きたいと思います。  
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Posted by 大屋誠 at 05:31Comments(0)上松町