2018年10月27日

市町村長特別セミナー(その4 2040年問題に備える)

特別セミナーの講義も最終となりました。最後に「2040年問題に備える」というテーマで日本私立学校振興・共済事業団理事長、慶應義塾学事顧問の清家篤(せいけあつし)さんから講義を受けました。
団塊の世代が後期高齢者を迎える2025年問題というのはよく聞きますが、2040年問題とはズバリその団塊の世代のジュニアが65歳を迎える時に直面するいろいろな問題のことを指します。
清家さんから「今の人口構造ピラミッドで示すと二つ山がある。一つは1947〜49年とその前後1、2年を団塊の世代、その時には年270万人が生まれていた。」また、「その団塊の世代の子供たちが生まれた1996〜98年頃にも約200万人生まれた。」という解説がありました。
しかしながら、団塊ジュニアの後にも第3のベビーブームは来なかったとのことで、団塊ジュニアが育ってきた環境が非常に厳しいものであったという分析をされていました。
人口が増えるということは、給与的な分配を考えると一人当たりの収入が減る、しかしながら同じ団塊の世代でも第一次の時には高度経済と重なったという事で右肩上がりに上がった。第2次の場合にはそうした経済成長期にはなく、就職も出来ず非正規の雇用者が増えた事により経済的に貧しい世代が生まれてしまった。と分析していました。
この就職生活最初のスタートの賃金が低かったため今でもそのまま推移して各世代別に比べても著しく低い状況が続いている。このまま高齢者となると年金も低い方が高齢者となる事で医療や介護などにも影響が出てくるとの指摘をされました。
年金は金で解決できるが、医療や介護は従事者がいなければ解決できない問題であるとの話は私が考えていたことと同じであり、まさにその通りであると思いました。
2025年問題は年金制度改革などで先の見通しが見えてきたが、2040年問題は今から取り組んでいかないと手遅れになり、貧しい高齢者が増えて支えられる人が増える中でさらに負担増になるという話がありました。
また、労働力も現在6600万人いるが、このままいけば2030年には2030万人となってしまい深刻な労働者不足に陥ってしまうとの指摘がありました。
そのためには、定年制の撤廃や女性や高齢者の就業を促進していけばまだ間に合うとの事でした。
そにためには企業に子育てと仕事が両立できる環境を作っていく必要があると話され、実際に取り組んでいる岐阜県中津川市の企業などの話をお聞きしました。
今までの全てのサービスを提供できなくなることがあるかもしれないことを伝えていく事も考え、個々の自治体としてのアイデンティティをしっかりと持つ事が必要だという言葉は考えさせられました。
また、高度技術者を一自治体で雇用することは難しい時代を迎えるので県から派遣してもらう事も必要になるかもしれない。行政のスマート化をしていくことが求められ、一部は徹底した機械化とともに、相談業務など本当に必要なサービスを重点的に行うなどの考えは全くその通りと思いました。

一泊二日の研修でしたが貴重な時間を頂きました。この研修の中身を住民の皆さんと情報を共有しながら進めることができればと思いました。

△講師の先生は撮影出来ませんので、アカデミーの建物を紹介します。お世話になった職員の皆さん全員が最後まで頭を下げてバスを見送ってくれました。心のサービス頂きました。感謝です。



  
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Posted by 大屋誠 at 15:43Comments(0)上松町

2018年10月27日

市町村長特別セミナー(その3 気象災害と共感のコミュニケーション)

近年の自然災害の発生は異常ともいうべきものがあります。そうした意味で今回のセミナーで一番お聞きしたかった講義です。
「気象災害と共感のコミュニケーション設計による防災」という演題で東京大学大学院情報学環特任教授であり、群馬大学名誉教授の片田敏孝(かただとしたか)さんの講義を受けました。
本年も含め台風が数多く発生している。これは地球温暖化により海水温が高く発生しやすくなっていることに加えて海の深い所まで熱いため普通は掻き回されることにより海面温度は下がるはずがエネルギーが常にある状態であることから次々に発生するというメカニズムの説明がありました。ここまでは今までのセミナー等で聞いた事があったものですが、恐らくこうした状況は50年から100年くらいは続くという予想には正直驚かされました。
また、気がかりはインドネシアで大地震が発生したが、太平洋を臨む範囲において今年8月から9月のわずか2ヶ月でマグニチュード6.5以上の地震が実に17回も起きているが、活動を注意していく必要があるとも述べられていました。
豪雨も従来は東北や北海道は霧雨のような雨が降るのが通常であったが、最近、住民の方から「しっかりとした雨粒が降ってくる」という情報が驚いたように寄せられているとの話がありました。
堤防などは100年確率で整備して来たが、それが効かない状態となっている。巨大な台風は過去には911hpaが測定上の記録だが、今後、850hpa超えという被害も想像も付かないものが発生すると言われている。こうした事を考えると今までの様に整備をいくらしても住民の生命を守る事ができないと力説されていました。
冒頭で講師は先のインドネシア地震災害の避難行動について触れました。「インドネシアは地震国で何度も津波に襲われており、住民は避難するという事は充分に分かっていました。しかしながら、避難をしなかった人たちがいたという事は、そこに家族がいたからであり、そうした人たちが危機管理に対する考えが甘いと言えるでしょうか。」と問いかけていました。
片田先生は、「今は専門家と住民、行政の間にギャップがある」と指摘されました。また、「戦後直後には約10年くらいは実は日本は毎年数千人規模で災害で亡くなられており、その人数は先進国の中で突出した犠牲者であった。その後、堤防の整備やダム建設などで百人前後に減らしてきた。と同時に住民は行政に自分の身を守る事を依存するようになってしまった。」と述べました。
また、マスコミの「何でも行政の責任にする報道姿勢はおかしい」、「避難してきた住民も、メシを用意しろなど“避難民様"となっている人もいる」など実際の現場を見てきた人ならではの厳しい指摘もありました。
この意見には私も住民と共に創っていくべき防災・減災社会を考える上で共感することができました。
「知識があれば逃げるのか、情報があれば逃げるのか、避難路・避難所があれば逃げるのか。人の心や社会との関わりを読み解いていく必要がある。」との指摘にも全く同感しました。
" 説得のコミュニケーション“から"納得のコミュニケーション“を築いていく必要があるとの意見や防災に当たっては【思想】をもって対処する事が今後求められるとの話は非常に参考になりました。

△講師の先生は撮影不可のためアカデミーの様子です。






  
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Posted by 大屋誠 at 14:24Comments(0)上松町

2018年10月27日

市町村長特別セミナー(その2 応仁の乱と現代を考える)

市町村長特別セミナー講義のその2です。「応仁の乱と現代日本〜英雄なき時代を考える〜」と題して国際日本文化研究センター助教の呉座勇一(ござゆういち)さんから1時間半の講義を受けました。
応仁の乱というと小学校の社会科で教えられる室町時代末期の全国各地で繰り広げられた戦いで畠山氏、斯波氏などの有力大名が山名宗全率いる西軍と細川勝元率いる東軍に分かれて長期に亘って戦さををしたというものです。
呉座先生によれば最近の研究でそうした見方が違って来ているとの事。しかも、応仁の乱の時の様相と第一次世界大戦に共通点があるとの話で、応仁の乱の時の覇権勢力は細川氏で、大戦ではイギリス、新興勢力は山名氏で、大戦ではドイツであり、またきっかけとなった事件は応仁の乱では畠山氏の内紛で、大戦ではロシア皇太子が襲われたサラエボ事件だそうです。
両方に共通するのが、双方とも短期決戦を志向するものの戦線が膠着して長期戦になったとの事で、戦争の継続を断念したのが結局のところ補給路を断たれた方が断念したという事です。つまり勝者無き戦争であったと分析されていました。
また、我が国の歴史の中で地方自治が萌芽した時期がこの政治秩序が乱れた時から始まったと考えられるとの事で、その地方自治は明治維新まで続いたとの話でした。江戸時代は幕藩体制で徳川将軍家が実権は持っていたものの、実際の統治は各藩がそれぞれ行なっていたから中央集権ではないとの話で歴史好きな私としては成る程と納得して聞かせて頂きました。
8代将軍義政は、トランプ米国大統領と似ている?との下りでは、義政は政治的に対して無関心であったとの通説があるが、これは逆で政治的意欲は強く、強い将軍の指導力で衰退した幕府の立て直しを目指した。大名家の家督争いで判断が二転三転し、大名家の衰退により相対的に将軍権力が浮上したが、かく乱戦法を得意としながら主導権を握ったが長期戦略がないため、結果として長期的には威信が低下した。これが今のトランプ氏に似ているとの話しでした。
また応仁の乱では皆んなが直ぐに終わるであろう、本当は戦いたくなかった、京都での戦さはひとつくらいで小競り合いはあったものの大きな戦さはほとんど無かった、総大将は山名宗全、細川勝元ではなかったなど新しい歴史の見方をお聞きしました。
当時のリーダーが読み違えた結果として長期化し、長期戦になって参加目的の違いが表面化した結果、総帥の求心力が低下し、少数の戦争継続派に引きずられた形で継続していったとの事でした。
応仁の乱は、リーダーとして失敗例の宝庫であり、失敗に学ぶ「失敗の歴史学」を学ぶ必要性があるとの事でした。
応仁の乱を通じて現在を考えると アメリカの動き、中国、ロシアの動き、EUとイギリスなど世界的にも情勢が混沌としてきており、長期的な広い視野を持つリーダーが今こそ求められているんだと考えさせられました。

△講師の先生の撮影ビデオは出来ませんのでアカデミーの様子をお伝えします。



  
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Posted by 大屋誠 at 12:35Comments(0)上松町