2018年01月05日
新年顔合わせ
1月4日に毎年恒例の新年顔合わせ会がひのきの里総合文化センターで行われ、町を支えていただいている多くの関係者の皆様にご参加いただきました。
平成30年という節目の年であり、来年には天皇陛下の御退位が決定している事から一年を通じて『平成』という年号を使うのも今年が最後となる感慨深い年始めです。日頃、お世話になっている方との年頭の挨拶は気持ちが引き締まる思いがします。
さて、新年にいつも思い悩む(?)ことがあります。「何故、人は一年という単位で暮らすのか」という事です。
多くの国の単位として採用されている太陽暦にしても、わが国でかつて使われていた太陰暦にしても一年という単位があります。こんな事を考えていると「地下鉄の車輌は何処から入れたのか?眠れなくなってしまう」という往年の漫才を思い出してしまいますが・・・
一年という単位の合理性はさておき、一年の中で不幸があった人は忘れることにより次への希望を見出したり、嬉しい事があった方はその記憶をいつ迄もしまっておきたいのではないかという事を思うようになりました。当たり前と思われる方もいると思いますが。
そうした意味では英語では、リセットという言葉が近いと思いますが、私たちは時間が連続している中で生きておりますから、心機一転という日本語の方が正確かなと思います。
顔合わせの会の席上で私は今年に期待する事を漢字一文字で『機』という文字で表しました。これは、物事を始める良い折、きっかけ、時機、更には、物事の大事なところ、かなめ などの意味が有ります。先程の心機一転にも含まれていますが、町が飛躍する一年であって欲しいと願っての新年顔合わせとなりました。
(毎年恒例の年賀状発送枚数にかけた標語の発表もありました。)

平成30年という節目の年であり、来年には天皇陛下の御退位が決定している事から一年を通じて『平成』という年号を使うのも今年が最後となる感慨深い年始めです。日頃、お世話になっている方との年頭の挨拶は気持ちが引き締まる思いがします。
さて、新年にいつも思い悩む(?)ことがあります。「何故、人は一年という単位で暮らすのか」という事です。
多くの国の単位として採用されている太陽暦にしても、わが国でかつて使われていた太陰暦にしても一年という単位があります。こんな事を考えていると「地下鉄の車輌は何処から入れたのか?眠れなくなってしまう」という往年の漫才を思い出してしまいますが・・・
一年という単位の合理性はさておき、一年の中で不幸があった人は忘れることにより次への希望を見出したり、嬉しい事があった方はその記憶をいつ迄もしまっておきたいのではないかという事を思うようになりました。当たり前と思われる方もいると思いますが。
そうした意味では英語では、リセットという言葉が近いと思いますが、私たちは時間が連続している中で生きておりますから、心機一転という日本語の方が正確かなと思います。
顔合わせの会の席上で私は今年に期待する事を漢字一文字で『機』という文字で表しました。これは、物事を始める良い折、きっかけ、時機、更には、物事の大事なところ、かなめ などの意味が有ります。先程の心機一転にも含まれていますが、町が飛躍する一年であって欲しいと願っての新年顔合わせとなりました。
(毎年恒例の年賀状発送枚数にかけた標語の発表もありました。)

Posted by 大屋誠 at
17:16
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