2020年06月12日
商工会からの要望
11日、上松町商工会の山田弘会長さんが来庁され、新型コロナ感染流行の影響を受けて売上げが落ち込んでいる小売業や飲食業などを営んでいる方への支援としてプレミアム商品券の発行について要望書が提出されました。
昨年も20%のプレミアムを付けた商品券を発行していますが、今回のコロナ禍の影響を受けて30%でという要望です。
都会でもそうですが、飲食業の方は自粛の中で臨時休業されていたり、伝統的な祭礼も相次いで中止となる中で例年の様な売上げがなかったり、また、更には都市部の取引先が休業要請を受けて取引が中止となったりとほとんどの方が厳しい経営環境となっています。
新聞では景況感はリーマンショック級など書かれていますが、私はそれは違うんじゃないかと思っています。リーマンショックの時は株価暴落とかありましたが、生活様式を変えるまでに当然至って無かったと思いますし、及ぼす影響があまりにも広いということだけでも今回の事は深刻であると思います。
こんなことばかり書いていると、気が滅入りますが、そこをきちんと押さえておかないと対策が遅れたり、効果のある対策が打てないと考えるからです。
要望書を受ける前からプレミアム商品券については検討して来ていますので、国の第二次補正を受ける中で県の補助制度も有効に活用して行きたいと回答させて頂きました。
△要望書の提出

役場では町内の飲食業の方を少しでも応援しようと若手職員が発案し、昼食のお弁当を取っています。各店の味を知って来店に繋がって行けば良いですね。
昨年も20%のプレミアムを付けた商品券を発行していますが、今回のコロナ禍の影響を受けて30%でという要望です。
都会でもそうですが、飲食業の方は自粛の中で臨時休業されていたり、伝統的な祭礼も相次いで中止となる中で例年の様な売上げがなかったり、また、更には都市部の取引先が休業要請を受けて取引が中止となったりとほとんどの方が厳しい経営環境となっています。
新聞では景況感はリーマンショック級など書かれていますが、私はそれは違うんじゃないかと思っています。リーマンショックの時は株価暴落とかありましたが、生活様式を変えるまでに当然至って無かったと思いますし、及ぼす影響があまりにも広いということだけでも今回の事は深刻であると思います。
こんなことばかり書いていると、気が滅入りますが、そこをきちんと押さえておかないと対策が遅れたり、効果のある対策が打てないと考えるからです。
要望書を受ける前からプレミアム商品券については検討して来ていますので、国の第二次補正を受ける中で県の補助制度も有効に活用して行きたいと回答させて頂きました。
△要望書の提出

役場では町内の飲食業の方を少しでも応援しようと若手職員が発案し、昼食のお弁当を取っています。各店の味を知って来店に繋がって行けば良いですね。
2020年06月11日
一次救急医療意見交換
昨日、木曽広域連合等の会議の後、木曽病院を訪れ、浜野院長さん他関係者と町村長との意見交換が行われました。
△左から飯嶌副院長、浜野院長、小出副院長、中村看護部長さんです。

毎年、3月にこうした場を設けて意見交換していますが、今年はコロナの影響でこの時期となりました。
木曽病院は地域唯一の病院として一次医療から二次医療まで担っていただいています。木曽広域連合としては、木曽病院の施設を借りる形で、土日曜、祝日などにおいて信州大学の支援を受けて一次救急診療しています。このことは、地域住民の方でも正しく理解している人は多くはないのかと思います。
広域連合から昨年の実績、県、信大への要望活動について報告があり、病院からは新型コロナへの対応や歯科口腔科の開設が来春決定したことなどについて報告がありました。
浜野院長さんは、今年4月から院長として信州大学から就任されました。地域の重要な課題としては地域の足を確保していくことが重要、これからICTを活用した診療が医療人材を有効に活用出来ることに繋がり、地域の診療所と連携する事で地域の医療の質の向上も図れると話しておられました。
法的な整備などの課題もありますが、二次医療圏に病院が一つしかないという全国から見ても特異な医療環境の状況にある木曽は過疎化が進む全国の中山間地域がいつか歩む道でもあります。
木曽が良いモデルとなるような病院、診療所、県機関、自治体等の連携の取り組みが更に求められている事を改めて感じた意見交換会でした。
△左から飯嶌副院長、浜野院長、小出副院長、中村看護部長さんです。

毎年、3月にこうした場を設けて意見交換していますが、今年はコロナの影響でこの時期となりました。
木曽病院は地域唯一の病院として一次医療から二次医療まで担っていただいています。木曽広域連合としては、木曽病院の施設を借りる形で、土日曜、祝日などにおいて信州大学の支援を受けて一次救急診療しています。このことは、地域住民の方でも正しく理解している人は多くはないのかと思います。
広域連合から昨年の実績、県、信大への要望活動について報告があり、病院からは新型コロナへの対応や歯科口腔科の開設が来春決定したことなどについて報告がありました。
浜野院長さんは、今年4月から院長として信州大学から就任されました。地域の重要な課題としては地域の足を確保していくことが重要、これからICTを活用した診療が医療人材を有効に活用出来ることに繋がり、地域の診療所と連携する事で地域の医療の質の向上も図れると話しておられました。
法的な整備などの課題もありますが、二次医療圏に病院が一つしかないという全国から見ても特異な医療環境の状況にある木曽は過疎化が進む全国の中山間地域がいつか歩む道でもあります。
木曽が良いモデルとなるような病院、診療所、県機関、自治体等の連携の取り組みが更に求められている事を改めて感じた意見交換会でした。
2020年06月09日
麒麟が来る
NHK大河ドラマ「麒麟が来る」が先週日曜いよいよというか“桶狭間の戦“を迎えました。今から遡ることちょうど460年前、永禄3年(1560年6月12日)に約2万5千人ともいわれる今川義元勢に約3千人の織田信長勢が打ち破ったという戦国時代においても特筆すべき戦です。
私が歴史物が好きになった一つの大きなきっかけともなった戦です。少人数の兵が多数の兵を破るということは全くあり得ない話ではないでしょうが、相当に難しいことです。
最初に読んだ図書館の本では織田信長は清洲城を一騎掛けで出て行って途中、熱田神社で後を追って来た家来と合流したというような記述があったと思いますが、今回描かれたドラマでは違っていました。まあ、急襲したという印象を付けたかったのかもしれません。「講釈師、見てきたような嘘をつき」という事も云われますので、事実は分からないものです。
しかしながら、この“桶狭間の戦い”については天下に織田信長の名を知らしめた有名な戦いであるにも関わらず、実際の戦の場所については二つの説があります。
一つは現在の愛知県豊明市と二つ目は名古屋市緑区だそうで、両市の間でもう一つの熱い戦さが起きているようです。私の結論では豊明市だと思います、というよりもそうあって欲しい。史学的な見地からでなく大変申し訳ありませんが。
何故かというと、姉妹都市だから身びいきで当然肩を持ってしまいます。緑区の皆さんには怒られるかもしれません。すみません。豊明の方がその戦さを記念して公民館活動で作った段ボール製の甲冑を贈っていただいています。
△町長室にある甲冑です。私のサイズに合わせてあるので、普通より大きい?です。祈りを込めて御嶽海と一緒に撮影しました。

勝利した織田勢、敗れた今川勢をともに今なお愛し、歴史をつくったその御霊を偲ぶ人たちが豊明、名古屋市にいて忘れないことが歴史好きな人にはたまらないのかもしれません。
歴史を作るといえば、将棋の藤井聡太7段が棋聖戦初勝利を飾ったそうです。織田信長のように歴史に銘を刻む麒麟児がまた一人誕生しました。
私が歴史物が好きになった一つの大きなきっかけともなった戦です。少人数の兵が多数の兵を破るということは全くあり得ない話ではないでしょうが、相当に難しいことです。
最初に読んだ図書館の本では織田信長は清洲城を一騎掛けで出て行って途中、熱田神社で後を追って来た家来と合流したというような記述があったと思いますが、今回描かれたドラマでは違っていました。まあ、急襲したという印象を付けたかったのかもしれません。「講釈師、見てきたような嘘をつき」という事も云われますので、事実は分からないものです。
しかしながら、この“桶狭間の戦い”については天下に織田信長の名を知らしめた有名な戦いであるにも関わらず、実際の戦の場所については二つの説があります。
一つは現在の愛知県豊明市と二つ目は名古屋市緑区だそうで、両市の間でもう一つの熱い戦さが起きているようです。私の結論では豊明市だと思います、というよりもそうあって欲しい。史学的な見地からでなく大変申し訳ありませんが。
何故かというと、姉妹都市だから身びいきで当然肩を持ってしまいます。緑区の皆さんには怒られるかもしれません。すみません。豊明の方がその戦さを記念して公民館活動で作った段ボール製の甲冑を贈っていただいています。
△町長室にある甲冑です。私のサイズに合わせてあるので、普通より大きい?です。祈りを込めて御嶽海と一緒に撮影しました。

勝利した織田勢、敗れた今川勢をともに今なお愛し、歴史をつくったその御霊を偲ぶ人たちが豊明、名古屋市にいて忘れないことが歴史好きな人にはたまらないのかもしれません。
歴史を作るといえば、将棋の藤井聡太7段が棋聖戦初勝利を飾ったそうです。織田信長のように歴史に銘を刻む麒麟児がまた一人誕生しました。
2020年06月08日
新しい生活って
最近、マスコミで大きく取り上げられるようになった言葉に「新しい生活様式」、「新しい働き方」というものがあります。コロナ感染防止を第一にする為にはそうした取り組みが必要だと頭では理解しているつもりでも、いろいろな事情があってこれが実際には難しい。
と同時に、「何で人の暮らしに口を挟むの?」とか「じゃ、これからずっとそうしたことやらなきゃならない?いつ迄?」と私のように思う方もいるのではないでしょうか。
働き方はともかく、現実として築き上げて来た生活様式を変えることは至難の事と思いますし、家族団らんの様子で頭に浮かび、描かれるのはそうした情景であるのかもしれません。
例えば、昭和の名残りを感じさせる長寿テレビ番組に“サザエさん”がありますが、現実的には家族構成やちゃぶ台をはさんだ食事風景、カツオ君が友だちと一緒に普段着でグローブとバット持って遊びに行くというような事も見かけなくなっています。
もう、既に古典作品ともいえるものですが、あの作品の中に日本人の行動スタイルの離れられない原点がある様な気がします。
コロナ禍の中で仕事をする一つの形態として、在宅勤務やテレワークという言葉を耳にする様になりました。実際に取り組んだ会社では管理上の問題や従業員からは「はかどらない」、「疲れる」という様な声もあり、社内での何気ない会話の重要性が報道されてました。
人間って大いなる無駄と他人との他愛のない会話の中で泳いでいるお魚さんかもしれません。
冒頭の「新しい生活様式」や「新しい働き方」には頭の理解を超えた温かく血の通った人間らしいものがこれから求められるのかもしれません。
と同時に、「何で人の暮らしに口を挟むの?」とか「じゃ、これからずっとそうしたことやらなきゃならない?いつ迄?」と私のように思う方もいるのではないでしょうか。
働き方はともかく、現実として築き上げて来た生活様式を変えることは至難の事と思いますし、家族団らんの様子で頭に浮かび、描かれるのはそうした情景であるのかもしれません。
例えば、昭和の名残りを感じさせる長寿テレビ番組に“サザエさん”がありますが、現実的には家族構成やちゃぶ台をはさんだ食事風景、カツオ君が友だちと一緒に普段着でグローブとバット持って遊びに行くというような事も見かけなくなっています。
もう、既に古典作品ともいえるものですが、あの作品の中に日本人の行動スタイルの離れられない原点がある様な気がします。
コロナ禍の中で仕事をする一つの形態として、在宅勤務やテレワークという言葉を耳にする様になりました。実際に取り組んだ会社では管理上の問題や従業員からは「はかどらない」、「疲れる」という様な声もあり、社内での何気ない会話の重要性が報道されてました。
人間って大いなる無駄と他人との他愛のない会話の中で泳いでいるお魚さんかもしれません。
冒頭の「新しい生活様式」や「新しい働き方」には頭の理解を超えた温かく血の通った人間らしいものがこれから求められるのかもしれません。
2020年06月04日
ご先祖さまからの教え
明治32年、駒ヶ根村(合併する前の上松町旧名)赤痢発生患者65人 死亡15人、明治35年腸チフス発生患者12人 死亡2人、明治36年 腸チフス発生患者8人 死亡2人、明治37年赤痢 患者3人、明治44年赤痢患者11人 死亡2人、昭和8年腸チフス発生患者1人・・。
いきなり変な歴史年表を載せてしまいました。これは町誌(歴史編)の年表に掲載されている疫病について記載のあるものを抜粋したものです。
科学や医療が発達する前は原因が何であるか分からなかった疫病が、明治以降の開国により西洋医学が多く伝えられるようになる中で現在のような病名が付けられるなど、原因が明らかになって歴史の表舞台に出て来たともいえます。
江戸時代にも流行病の症状の似たものを総称して「コロリ」(漢字表記“虎狼痢”)とか。「コロっ!」と死ぬからそうした表現で表したらしいと書いてあるが、医学史や民俗学の研究者でもないので正確かどうかは差し置いて、その怖さを昔の人も感じていたことと思います。
何故、冒頭に訳の分からないような年表を載せたかというと、明治30年代の記載はあるのに何故か私の祖母が亡くなったと聞いた大正時代初期のスペイン風邪が流行した1918年頃の記載が全くないことに気が付きました。
戦時中の事だから国外にそうした事が知られないようにするために軍事機密として扱われ、歴史の闇として葬られたのか、若しくは昭和25年の上松町大火で史料が焼失してしまったのか分かりませんが、それ以前の明治時代のものが人数も詳細に記入されているのと比べると不思議に感じます。
自然災害や疫病など人の生活を一変させる様な出来事が起こった時、体験した人は後世に警告を発するために、地名や言い伝えなどで何らかの痕跡を遺します。
今回の新型コロナ禍において、議事録がある、ないというような議論もありますが、私たちの責任として後世に伝えるべきものをしっかりと伝えていくのが私たちの責任ではないかと思います。
それが、この疫病で亡くなられた方の声なき声に応える事だと思いますがいかがでしょうか。
いきなり変な歴史年表を載せてしまいました。これは町誌(歴史編)の年表に掲載されている疫病について記載のあるものを抜粋したものです。
科学や医療が発達する前は原因が何であるか分からなかった疫病が、明治以降の開国により西洋医学が多く伝えられるようになる中で現在のような病名が付けられるなど、原因が明らかになって歴史の表舞台に出て来たともいえます。
江戸時代にも流行病の症状の似たものを総称して「コロリ」(漢字表記“虎狼痢”)とか。「コロっ!」と死ぬからそうした表現で表したらしいと書いてあるが、医学史や民俗学の研究者でもないので正確かどうかは差し置いて、その怖さを昔の人も感じていたことと思います。
何故、冒頭に訳の分からないような年表を載せたかというと、明治30年代の記載はあるのに何故か私の祖母が亡くなったと聞いた大正時代初期のスペイン風邪が流行した1918年頃の記載が全くないことに気が付きました。
戦時中の事だから国外にそうした事が知られないようにするために軍事機密として扱われ、歴史の闇として葬られたのか、若しくは昭和25年の上松町大火で史料が焼失してしまったのか分かりませんが、それ以前の明治時代のものが人数も詳細に記入されているのと比べると不思議に感じます。
自然災害や疫病など人の生活を一変させる様な出来事が起こった時、体験した人は後世に警告を発するために、地名や言い伝えなどで何らかの痕跡を遺します。
今回の新型コロナ禍において、議事録がある、ないというような議論もありますが、私たちの責任として後世に伝えるべきものをしっかりと伝えていくのが私たちの責任ではないかと思います。
それが、この疫病で亡くなられた方の声なき声に応える事だと思いますがいかがでしょうか。
Posted by 大屋誠 at
14:12
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2020年06月02日
お節句祝う皐月
やっと6月に入りました。短かった様な長かった様な今年の5月でしたが、私自身は取り敢えず健康で過ごせたことに感謝です。
さて、6月というと木曽地域では男の子の無事な成長を願うお節句の季節です。そして、木曽といえば『朴葉巻(ほうばまき)』のシーズンです。1日から作り出すと聞いたので特産品開発センターに出かけました。
毎年のことでこの時期にセンターに行くのは勇気が要ります。何故かって?センターだけでなく木曽地域の朴葉巻は一つひとつが手づくりのため働いている方は黙々と作業しなければ間に合わないからよそ者が暇そうに行くと、お邪魔虫になるからです。
餡を作り、米粉を練った生地で餡を包み、それを一つずつ朴葉で巻き、畳で使われるイグサで縛り、さらにそれを蒸して冷まして完成という手間がかかるものです。
△センターに行くと宅配便の方が第一陣の発送を受け取りに来ていました。「取り敢えず現段階でこれだけ、また後で何回か出来たら来なければ」と宅配のお兄さんの言葉

△中に伺うと、出来上がった朴葉巻が熱を冷ますため並んでいました。朴葉の野趣味あふれる匂いが立ち込めて木曽の人間のDNAを揺さぶります。

△大量の餡を煮ています。米粉など全て上松町の農産品の手づくりにこだわっています。

△ここが一番の戦場です。手際よく餡を丸めながら米粉で練った生地で包んでいます。声をかけられる雰囲気ではありません。聞いたところ、今日は2500個の注文が入っているとの事です。ふぇ〜大変です。

△出来上がった朴葉巻、5つでワンセット、木曽の春を祝う一品です。


△上松のお節句の風景、鯉のぼりがいいですね。大きな鯉のぼりは田舎ならではの風景です。ちょっと風がなく残念でした。

△しょうぶ湯、昔はお節句にお風呂にショウブを入れて頭に鉢巻きのように巻くなど楽しみました。ショウブの匂いはアロマ効果があったのか、何とも落ち着いた覚えがあります。

根元が赤いのが特徴ですね。「何れがあやめかカキツバタ」と云われる“あやめ”“カキツバタ”も葉や花もは似ています。他にもハナショウブが有りますが、下の写真のショウブは植物学的は違うそうです。ハナショウブはアヤメ科、ショウブはサトイモ科(近年は違うという説も?)だそうです。


さて、6月というと木曽地域では男の子の無事な成長を願うお節句の季節です。そして、木曽といえば『朴葉巻(ほうばまき)』のシーズンです。1日から作り出すと聞いたので特産品開発センターに出かけました。
毎年のことでこの時期にセンターに行くのは勇気が要ります。何故かって?センターだけでなく木曽地域の朴葉巻は一つひとつが手づくりのため働いている方は黙々と作業しなければ間に合わないからよそ者が暇そうに行くと、お邪魔虫になるからです。
餡を作り、米粉を練った生地で餡を包み、それを一つずつ朴葉で巻き、畳で使われるイグサで縛り、さらにそれを蒸して冷まして完成という手間がかかるものです。
△センターに行くと宅配便の方が第一陣の発送を受け取りに来ていました。「取り敢えず現段階でこれだけ、また後で何回か出来たら来なければ」と宅配のお兄さんの言葉

△中に伺うと、出来上がった朴葉巻が熱を冷ますため並んでいました。朴葉の野趣味あふれる匂いが立ち込めて木曽の人間のDNAを揺さぶります。

△大量の餡を煮ています。米粉など全て上松町の農産品の手づくりにこだわっています。

△ここが一番の戦場です。手際よく餡を丸めながら米粉で練った生地で包んでいます。声をかけられる雰囲気ではありません。聞いたところ、今日は2500個の注文が入っているとの事です。ふぇ〜大変です。

△出来上がった朴葉巻、5つでワンセット、木曽の春を祝う一品です。


△上松のお節句の風景、鯉のぼりがいいですね。大きな鯉のぼりは田舎ならではの風景です。ちょっと風がなく残念でした。

△しょうぶ湯、昔はお節句にお風呂にショウブを入れて頭に鉢巻きのように巻くなど楽しみました。ショウブの匂いはアロマ効果があったのか、何とも落ち着いた覚えがあります。

根元が赤いのが特徴ですね。「何れがあやめかカキツバタ」と云われる“あやめ”“カキツバタ”も葉や花もは似ています。他にもハナショウブが有りますが、下の写真のショウブは植物学的は違うそうです。ハナショウブはアヤメ科、ショウブはサトイモ科(近年は違うという説も?)だそうです。


Posted by 大屋誠 at
06:37
│Comments(1)
2020年06月01日
森林(もり)の力を感じて。自己免疫力アップ
今日、赤沢自然休養林が開園しました。予定では4月GWに合わせてのオープンとなっていたのですが、新型コロナ感染症流行を受けて開園を延期していました。
今年は、開園50周年という大きな節目の年であり、関係者の期待も大きかっただけに残念でした。
県外から訪れるお客様には全面的な解禁となっていない段階ですので、どうしても宣伝も控えめになってしまいます。
コロナ対策として医療関係者からは「コロナと戦うには自らの免疫力を高める事が重要である」と度々話されています。
その効果が注目される森林浴が大きな売りである赤沢にとって、もどかしい気がしますが、これも収束を迎えてきた時に評価されるものと思います。
△今日はさすがにお客様はいないのではと思いましたが、郡内から小さな可愛いお子さん連れのご家族が第一号で来園いただきました。

△他に現在の様子を撮って参りましたので、森林浴気分を味わって下さい。山に入ると夏のセミの声が降り注ぐように聞こえました。もう山の中は初夏です。

アカヤシオのシーズンは終わっていましたが、ヤマツツジが咲いていました。オオヤマレンゲはまだつぼみです。



△森林鉄道の切符売りの3人の女性が研修をしていました。私から「切符売りの人は大変ですね。来た人からいろんな質問が出るんでしょう?」と聞いたところ、ベテランの職員から「よく聞かれるのは、林鉄の軌道敷のレールの幅です。」との答え、「でも、そういうこと聞く方は知ってて聞くんですよ」と笑って話してました。正解は76.2cmだそうです。
△皆さんのお越しを待っている昔の愛称「軽便(けいべん)」です。なぜ軽便というかは分かりません。蒸気機関車ボールドウインも一年ぶりにお目見えです。


△森林鉄道記念館内で昔の映像流れていました。小さくても大量の木材を運ぶ力持ちです。他にも歴代の機関車、ディーゼル車の写真展示があり往時を偲ばせます。


△森林セラピー協会が作った赤沢での医学実証実験をまとめたパネルです。免疫力を高めるNK(ナチュラルキラー)細胞の効果は2泊3日で、約40日もの間持続したとの報告です。


△コロナ対策もされていました。


△今年も園内の各コース走破した方にプレゼント付きのパズルウオークラリーをやるとポスターが貼られています。ヒノキ製の「木曽式伐木運材図会」の置き物が贈られます。但し300個先着です。健康になって更にプレゼントって良いですね。


△何時もより遅いオープンなので、ミズバショウも白い花弁が落ち、葉が巨大化してました。

今年は、開園50周年という大きな節目の年であり、関係者の期待も大きかっただけに残念でした。
県外から訪れるお客様には全面的な解禁となっていない段階ですので、どうしても宣伝も控えめになってしまいます。
コロナ対策として医療関係者からは「コロナと戦うには自らの免疫力を高める事が重要である」と度々話されています。
その効果が注目される森林浴が大きな売りである赤沢にとって、もどかしい気がしますが、これも収束を迎えてきた時に評価されるものと思います。
△今日はさすがにお客様はいないのではと思いましたが、郡内から小さな可愛いお子さん連れのご家族が第一号で来園いただきました。

△他に現在の様子を撮って参りましたので、森林浴気分を味わって下さい。山に入ると夏のセミの声が降り注ぐように聞こえました。もう山の中は初夏です。

アカヤシオのシーズンは終わっていましたが、ヤマツツジが咲いていました。オオヤマレンゲはまだつぼみです。



△森林鉄道の切符売りの3人の女性が研修をしていました。私から「切符売りの人は大変ですね。来た人からいろんな質問が出るんでしょう?」と聞いたところ、ベテランの職員から「よく聞かれるのは、林鉄の軌道敷のレールの幅です。」との答え、「でも、そういうこと聞く方は知ってて聞くんですよ」と笑って話してました。正解は76.2cmだそうです。
△皆さんのお越しを待っている昔の愛称「軽便(けいべん)」です。なぜ軽便というかは分かりません。蒸気機関車ボールドウインも一年ぶりにお目見えです。


△森林鉄道記念館内で昔の映像流れていました。小さくても大量の木材を運ぶ力持ちです。他にも歴代の機関車、ディーゼル車の写真展示があり往時を偲ばせます。


△森林セラピー協会が作った赤沢での医学実証実験をまとめたパネルです。免疫力を高めるNK(ナチュラルキラー)細胞の効果は2泊3日で、約40日もの間持続したとの報告です。


△コロナ対策もされていました。


△今年も園内の各コース走破した方にプレゼント付きのパズルウオークラリーをやるとポスターが貼られています。ヒノキ製の「木曽式伐木運材図会」の置き物が贈られます。但し300個先着です。健康になって更にプレゼントって良いですね。


△何時もより遅いオープンなので、ミズバショウも白い花弁が落ち、葉が巨大化してました。
